2017年12月29日金曜日

夜明け 2008 あれから十年 

■2008/01/04 (金) 夜明け

Novo Alvorecer (ブラジル)

「夜明け」     詩:D.イヴォニ・ララウ 訳:山田リオ
      
見てごらん 花が燃え立つ
一日が始まるとき
痛みは消え 希望が生まれる
一晩の疲労と不安に
美しいものが とってかわる
海は唄い 潮が満ちてくる
それは 悲しみのように
わたしの魂を 呑みこむ

わたしは答を求め 歌う
悲しみのなかで 目を覚ましてはいけない
幸福にみたされ 目を覚まそう
やさしい歌はいつも 夜明けの方からやってくる
けっして 真夜中の 痛ましい叫びの方からではない
夜明けの色は やわらかい
夜明けの色は 自由の色
夜明けは 魂の安らぐ場所

*******************************************************************

サンバ・カンサオン、「歌うサンバ」の詩です。

サンバは、宗教的な内容、それと愛国的な内容が多いのです。
ですから、ただ踊り騒ぐだけかのように見えるカルナヴァウ(カーニヴァル)のサンバも、
その歌詞には「わたしたちの主(しゅ)」「主と聖霊と」などの言葉が頻繁に現れます。
カーニヴァルは、日本人には馴染みがないでしょうが、つまりはキリスト教の祭りなのです。
一方で、またサンバには、愛や生活といった、叙情的な内容のものも多いのです。

2017年12月25日月曜日

fuel


今日は 
勇気が
ガス欠です

白梅は あれからつぎつぎに咲いています
お正月まえに満開になっちゃうかも


2017年12月23日土曜日


わたしは、グループの人たちに向かって話すのが嫌い。
わたしが話すときは、いつも、一人の人とだけ話したい。
     

                            シルヴィア・プラス(1932-1963)

2017年12月13日水曜日

破片


「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。
そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。
そうして墓の傍に待っていて下さい。
また逢いに来ますから」

(夢十夜) 夏目 漱石(1867-1916)

2017年12月5日火曜日


湿った、新鮮な空気と、灰色の空。
ここ数週間に見た色はすべて
うす紫の煙の色か、鈍い琥珀色だった。

シルヴィア・プラス(1932-1963)
訳:山田リオ

2017年12月3日日曜日

幸福


わたしは 自分の肺が 
押し寄せてくる景色で
いっぱいにふくらむのを感じた
空気 山々 木々 人々
そして 思った
「これが 幸福と言うものだ」

シルヴィア・プラス(1932-1963)

訳:山田リオ

2017年12月2日土曜日


耳を澄ませてごらん
香草の香る庭
桃の木の枝に
鷽がいる
その唄はまるで 
清らかな水のようだ 

フランシス・ジャム(1868 - 1938)

訳:山田リオ    鷽(ウソ)

2017年11月28日火曜日


つまづきて振り返る道に何もなし
わが来しあとをうす日さしをり

     北小路功光(1901-1989)


2017年11月23日木曜日

山崎方代




この小路の小さき石をけりながら
通りゆくことも約束なりき
          
     山崎方代(1914-1985)

2017年11月18日土曜日

雪渡り

■2010/12/25 (土) 雪渡り
「雪渡り」            宮澤賢治


雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、
空も冷たい滑らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。
 「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
お日様がまっ白に燃えて百合の匂を撒きちらし又雪をぎらぎら照らしました。
木なんかみんなザラメを掛けたやうに霜でぴかぴかしてゐます。
 「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」
四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。
こんな面白い日が、またとあるでせうか。
いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、
すきな方へどこ迄でも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。
そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のやうにキラキラキラキラ光るのです。(後略)

2017年11月6日月曜日

紅(くれない)

紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
                
              作者不詳  万葉集




紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
          大海人皇子 
          万葉集

2017年10月30日月曜日

ジャンゴ


えーと、ぼくは元気です。
昨日、あるCDを手に入れた、というか、おそろしく安くて
まあ、もらったようなものなんですが
今どきの音楽ファンは、ジャンゴなんて聴かないんだろうね。

それは、初めて見るジャンゴ・ラインハルトのアルバムで
あまり馴染みのない録音と、聴いたことがあるのも少し
全部で23曲も入っているアルバムです。
ステファンといっしょのが数曲と
あとはいろいろなひとと一緒のがたくさんたくさん23曲、
うれしくって、しょうがないです。
今日は、聴いているうちにどんどん元気になってきました。
と、いうお知らせでした。   やまだ

1949年にローマで録音と書いてある。
CDは、I saw starsで始まる。ジャンゴのギターにステファンが加わる。
更にピアノも。これはジャンニ・サフレド、イタリア人のジャズピアニストらしい。
一曲ごとにメンバーも編成も変わる。これは宝物。
二人は1935年ぐらいからいっしょに演奏していたらしい。
ジャンゴは1910年生まれ、1953年に亡くなっている。
ステファンは1908 年生まれ、1997年没。

2017年10月18日水曜日

八木重吉 ③

■2003/06/21 (土) 心よ

心 よ                      八木重吉

こころよ
では いつておいで

しかし
また もどつておいでね

やつぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行つておいで

蜘蛛 ⑤

アダンソンハエトリグモが室内に現れるようになって
もう何年にもなる。

九月半ばまでは、机に向かい、PCの電源をいれると、
モニターの左下のほうから、するすると壁を登ってきた
スタンドの電球の光、熱、またはPCモニターの?
よくわからないが、
すくなくとも、蜘蛛は、ぼくという人間の動きに反応しているとは思えない。
それほどの知能はないように思うのだが。

思うよりもずっと素早く、壁紙の上を滑るように動く。
そして止まる。急に動き、急に止まる。
しばらく不動、そして、突然動く、というよりも滑走する。

九月末になって、動きが鈍くなってきたようだ。
そして、ここ数日、現れない。
暖房を入れてみたが、それでも出てこない。
ときどき壁を見回してみても、蜘蛛はいない。

生き物同士としての交流のようなものは、ない。
でも、出てこなくなると、なんだか、気になる。   山田リオ

2017年10月12日木曜日

すこしだけ


あの日 格太郎さんに 出会った
今思うと あれは 運だった

いや 出会ったとしても
そのまま すれちがっていたかもしれない
もし そうだったのなら 
それもまた 一つの人生だった

でも あの日は 立ち止まった
なぜ 立ち止まったのか よくわからない
でも あのときは 立ち止まった 
その結果 人生が すこしだけ 変わった
 
                     野邑埜而(1978~)

2017年10月5日木曜日

吉野秀雄


食はむもの全く絶えしゆふべにて梅干し一つしやぶり水飲む
いまの世に正しき者は貧しなどいひける頃は余裕ありにき
あらし雨そそぐあかつき五時半に声をかぎりの法師蝉一つ
うらなりの南瓜ころがる縁側に日ざしいつしか秋づきにけり
夕餉にはうどん煮るとてその事を朝より待てリわれも子どもも
幻聴と知りつつかなし秋雨のしぶく夜更けにすすり泣く声
暮れ来る部屋に怒りをこらへをり今朝バイブルを読みたりしかば
苦しみて今朝得し金も一日といはず午後にはもはや空しき


*白木蓮の花の千万青空に白さ刻みてしづもりにけり     *白木蓮(はくれん)
青空の染めむばかりの濃き藍に*皓さ磨けり*白木蓮の花   *皓さ(しろさ)
しろたへの*白木蓮空にまかがよひ地には影しつ花さながらに 

                 吉野秀雄(1902-1967)

2017年9月13日水曜日

うしろむき


                      山田リオ

なんだか しきりに あのころの事を思い出す
あのころは しょっちゅう
日本のことを 思い出して 考えて 
ということは きっと
いつも いつでも 
思い出してばっかり いたんだろう

そんなふうに 後ろ向きに 生きてきて 
これからも たぶん そうなんだろう
だから 今も
しきりに 南カリフォルニアが 眼に浮かぶ
あの 光 乾いた空気 風 皮膚感 そういうもの 
なぜか しきりに 今

2017年8月25日金曜日

八月の


八月の雨。
夏は ほぼ過ぎて
でも秋は まだ生まれていない
変に不安定な時間。
             シルヴィア・プラス(1932-1963)

                                 訳:山田リオ)

2017年8月21日月曜日

コオロギ


コオロギの合唱のなか眠りにつく

アブラゼミの終焉はコンビニの前

どのアブラゼミもあおむけで死んでいる


セミもわたしもみんなもそれぞれに

夏が過ぎて行く遠い雷の音
       
            (無季自由律)山田リオ 
                  Copyright©2017RioYamada

2017年8月17日木曜日

甘美



「この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」
               ゴータマ・ブッダ(紀元前
五世紀)
               訳:中村元(1912-1999)

2017年8月8日火曜日

やもり


                  山田リオ

窓を開けたら、雨戸の内側に、ヤモリがいた。
ヤモリもまた、私達の同居人だ。
死んでいるようだが、まだやわらかい。
あまりの暑さに、外に逃げようとしたが、
出られなかったらしい。
古い日本家屋なら、いろいろ隙間があるんだけど。
かわいそう。
ヤモリは、庭の日陰の、ヤツデの葉に置いた。

2017年7月29日土曜日

詩日記: 坂正義 2009/04/10

詩日記: 坂正義 2009/04/10


駅前で 「ビッグイシュー」という雑誌を売っている
ホームレスの 知り合いができた
ときどき そのおじさんから ビッグイシューを買って 

彼と すこしだけ 立ち話をする
そういう風に 少しでも 話せる人がいるのは
話す相手がいるのは ありがたいと思う
お互いの過去を まったく知らないことも ありがたい
 

いつか ぼくが 誰とも話すことがなくなったら
そう思うと おそろしくなる
すくなくとも 今は 日記を読んでくれる人がいる
どこかに そういうふうに つながっている人がいるのは
とんでもなく 幸運なことだなあ と思う
                      山田

2017年7月17日月曜日

小島ゆかり


「ここからはひとりで行くわ」あの夏のわたしは誰に言つたのでせう

しばしばもわれに虚ろのときありぬうしろにかならず猫が来てゐる

転院しまた転院しわが父の居場所この世にもう無きごとし

今しがた落ちし椿を感じつつ落ちぬ椿のぢつと咲きをり


帰り来し夫の背後に紺青の夜あり水のにほひをもちて

夏みかんのなかに小さき祖母が居て涼しいからここへおいでと言へり

蟬はもう何かに気づき早く早く生ききつてそして死にきれと鳴く

街はもうポインセチアのころとなり生老病死みな火と思ふ

                                                                                     小島ゆかり(1956 -)

2017年7月10日月曜日

それぞれに



                   山田リオ

散歩していて出会った、ノコギリクワガタ。
とても小さかった、ノコギリクワガタ。

「商品」でも、「飼い殺し」でもない、
自由な、ノコギリクワガタ。
しばらく指にとまってから、翔び立って行った。
クワガタにはクワガタの、ぼくにはぼくの、
短いけれど、それぞれに、残された時間がある。


 
(小学生のころの記憶で、ミヤマクワガタと思っていたら、ノコギリクワガタのようです。ちゃんと調べてから書くもんですね汗)

2017年7月8日土曜日

八木重吉 ③




窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう



ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた

無題

ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった

麗日

桃子
また外へ出て
赤い茨の実をとって来ようか

故郷

心のくらい日に
ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる

ひかる人

私をぬぐうてしまい
そこのとこへひかるような人をたたせたい

あさがお

あさがおを 見
死をおもい
はかなきことをおもい

                   八木 重吉(1898 - 1927)

2017年7月5日水曜日

マルメロの陽光


友人が「マルメロの陽光」,"El sol del Membrillo"というスペイン映画を教えてくれました。
すごく気に入って、これからも繰り返し見ることになると思います。
マルメロですが、日本では花梨、かりん、ですね。


スペイン語では、Membrillo、メンブリージョと言います。
うちの近所の路上に、この花梨の木があって、夏の終わりには、ちゃんと実がなります。

スペインでは、このメンブリージョ、マルメロの実でようかんのようなものを作ります。
それで、スペインでは極めて大切なチーズ、「国チーズ」とも言えるような、Queso Manchego、マンチェゴ・チーズというのを食べるんですが、そして、このチーズを食べる時には、必ず、儀式の様に、このマルメロのメンブリージョようかんといっしょに食べます。
これは、マルメロの実の上品な甘さと、かすかな酸味が、塩味のチーズと 完璧に合って、たまりません。スペインの人たちにとって、そのくらい、このチーズとようかんは大切なものなんですね。
スペインの料理屋では、必ずと言っていいほど、この組み合わせを出すことが不文律になっているそうです。

でも、日本では、悲しいことに、このマンチェゴ・チーズを出してくれる店は非常に少なくて、したがって、スペイン料理の店で、「メンブリージョをくれ」といっても「それなに??」ということに。

で、さっきの、あの映画の題名が「マルメロの陽光」になっているのは、
今書いたような、そういう意味もこもっているんだろうな、と、勝手に思っています。
Copyright©2017RioYamada

パンと水

パンと水(タンゴ)
     エンリケカディカモ(アルゼンチン、1900-1999)訳:山田リオ

古い 悲しい記憶のなかから
過ぎ去った日々が 起き上がってくる 
どれだけの歳月が 過ぎ去っただろう
まるで 昨日のことのよう
わたしの愛したものは 今 どこにある?
わたしが失ったものは?
思い出は 悲しみを連れてくる
その悲しみは いつまでも 消えない

パレルモ・ヴィエホ だったか
心に 蘇える
今はもういな 友人たち
思い出す・・
あのヴェランダで過ごした 夕暮れ
喜びと幸せにあふれた 夜々
シャンパングラスの間から聞こえた
あのタンゴが 今また 聞こえる

「パンと水」・・
遠くのほうから聞こえてくる あのタンゴが
耳に やさしく響く
なつかしい 感傷的な余韻

なによりも大切 あのタンゴを奪った
そして あなたのことも 奪い去って行った
あの嵐が 今また 思い出を連れてくる
  Copyright©2016RioYamada

2017年6月25日日曜日

時代(再録)


■2002/05/03 (金)掲載


 「時代」        中島みゆき、昭和50年9/25

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけれど

そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくりかえし
今日は別れた恋人達も 生まれ変わってめぐりあうよ

旅を続ける人々は いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく 冷たい雨が降っていても

めぐるめぐるよ 時代はめぐる 別れと出会いをくりかえし
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩きだすよ。

2017年6月20日火曜日


                 山田リオ
Oさんの詩が 好きで
下手くそな お習字で 
その詩を 紙に書いて
部屋の壁に 貼っている
それを見ていると
Mさんの絵を 思い出す

ぼくのなかでは 
この詩とあの絵が つながっているらしく
Mさんの美術館にいるときも 
雀の声を聞きながら あの絵を見ていて
自然に あの詩がうかんでくる

そういうふうに 絵をみたり 詩を読むのは
まちがっているのかもしれない
でも それが 見えたり きこえたりするのは
どうにも しかたがないことで

今朝も 雨の音をききながら
雀は 鳴いてはいないけれど
あの 下手くそな お習字の詩を見て
いつものように こころの眼に
あの絵が 浮かんでくるのです Copyright©2017RioYamada

2017年6月17日土曜日

茜色


万葉集
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

                                       額田王

あかねさすむらさきのゆきしめのゆき

のもりはみずやきみがそでふる

                       ぬかだのおおきみ


ナツアカネ(夏茜)
アキアカネ (秋茜)  いずれも赤トンボのこと。
 

2017年6月5日月曜日


空豆と麦の青きがうち続く畑中の道を・・(後不明)

という短歌を、何年かに一度、思い出す。
記憶違いかも知れない。
でも、ほぼ、こんなふうな意味の歌だったような気がする。

もしかして、最後の七音は「春の風吹く」だったかしら?
いや、まったく、定かではない。

ぼくの記憶の中では、この歌は、おぼろげながら、山口瞳と繋がっていて、
でも、どうも、山口が作った短歌、という気がしない。

もしかしたら、山口の妻、治子さんの作かも知れない。でも、わからない。

どなたか、作者を、または正しい短歌を、
この永年の宿題の答えをご存知の方がいらっしゃったら、
お教えください。お願いいたします。                                                              山田

2017年5月31日水曜日

人生


人生については、あまり真剣に考えないほうがいいよ。
どうせ生きては出られないんだ。            
                     エルバート・ハバード

2017年5月25日木曜日

雨。

たすかった。

この雨のおかげで、植物みたいに復活。

雨はありがたい。

雨に感謝。

     やまだ

2017年5月21日日曜日

新生

 
                       山田リオ
「今日は昨日のつづき」というのが、まず間違いだ
昨日感じたことを、今日また同じように感じることは不可能だ
あの時「自分は感じている」、と思ったことを今日になって思い出そうとしても
昨日はすでに終わっている。過ぎ去ったことだ
今、それを思い出そうとしているおれは
すでに死んでしまった、昨日の死体にすぎない

むしろ、一日が終わるときに、その日の映像も出来事も、すべて削除して
そして夜が明け、今日の朝日が昇るときには
感情もなにもかも、すべてを更新し、生の最初の一歩を歩む

夜が明けるたびに、新たな生を享け、新たな情緒を生きる
日々、新生児として、今の、この瞬間だけの情緒を生きる
それが、今、生きてあることの意味だ。Copyright©2017RioYamada

2017年5月15日月曜日

つたえる


「ほんとうの詩は 理解されるより前に なにかを伝えることができる」       

                            T.S.エリオット(イギリス)

2017年5月13日土曜日

                  山田リオ

牛を水場に連れてくる
あなたにできるのは
そこまで
水を吞むか 
呑まないか
それを決めるのは牛
それが牛の権利だ 
Copyright©2017RioYamada

2017年5月6日土曜日

ホームレス川柳②


マイバッグ想像つかない元の色

暖かい陽差しが怖い古弁当

雨降ると又探さなきゃダンボール 
                   髭戸太

住民票取るに取れないホームレス
                   麺好司

さあ寝よう夢の中では一般人

北の風このままいると北枕

腰痛い病名つければコンクリ病

春過ぎて梅雨が来るまで天国だ
                  沢野健草

俺の血は栄養ないから刺さないで

盆が来る俺は実家で仏様
                  大濠藤太

     路上のうた、気に入ったら、本、買ってくださいね。
     ¥648、ビッグイシュー日本

2017年5月2日火曜日

あめつちに


あめつちにわれひとりゐてたつごとき
        このさびしさをきみはほほゑむ 

                 (救世観音を見て、会津八一)

2017年4月28日金曜日

あの本


                 山田リオCopyright©2017RioYamada

ずいぶん昔のことだ。

海外旅行中に、飛行機で日本人の男性と乗り合わせた。
永旅で、自然に、会話が始まった。
その方は当時でもご高齢で、わたしはひどく若かったし、かなりの年齢差があった。
今となっては、何を話し合ったのか、まったく憶えていない。
眠ったり、食事を摂ったり、切れ切れにいろいろと話し合ったのだろう。
あの方がどういう職業だったのかも、わからない。

目的地に着き、別れるときに、その男性に一冊の古い本を手渡された。
かなり厚みのある本で、そのとき、見返しにその方のお名前を書いておいた。
その後、落ち着いてから、あのときにいただいたあの本を最初から最後まで読んだ。
小説などではない、学術的な、また随想のような内容で、哲学的でもあった。
著者は、聞いたこともない人だった。
当時の自分には難解だったと思うが、とにかく通読した。
それから永い間、その本を開くことはなかった。
何度も引っ越しを繰り返して、でもその本は手元に残った。

だいぶ大人になってから、引越しの梱包をしているとき「あのときの本」を見つけ、開いてみた。
それから、だんだんに読むようになった。
寝る前に、偶然開いたページを、少しだけ読む。
そうやって読んで行き、何度も、繰り返し、繰り返し読むようになった。
なにか惹かれるものがある。心に響くところがある。
読めば、なにか安心する。慰められる。救われることもあるし、叱られることもある。
だからたぶん、深夜にちょっとだけ読む、ということになったのだろう。

今ではすっかりぼろぼろになって、あちこちテープで止めたりして、まだ読んでいる。
今わかることは、この本は、自分にとっての薬で、導きだ、ということだ。
あのとき、この本を下さったS氏は、そうなることを見越しておられたのだろうか。
おそらく、もうとっくに亡くなられただろう、あのS氏とこの本が、自分の人生を変えてくれた。
S氏と、この本の著者への感謝を、できることなら伝えたい。 Copyright©2017RioYamada

2017年4月21日金曜日

芭蕉、春


雪間より薄紫の芽独活哉
 

山路来て何やらゆかし菫草
 

さまざまのこと思ひ出す桜かな
 

西行の庵もあらん花の庭
 

命二つの中に生きたる桜かな
 

前髪もまだ若艸の匂ひかな
 

何の木の花とはしらず匂かな
 

草も木も離れ切つたるひばりかな
 

春なれや名もなき山の朝霞
 

月花もなくて酒のむ独り哉

                      松尾 芭蕉(1644 - 1694)

2017年4月14日金曜日

過去





過去は
あなたが置いたと思った場所には
けっして ない。

           キャサリン・アン・ポーター(1890-1980)


2017年4月8日土曜日


明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは 

                                  親鸞
rio yamada photo


2017年4月3日月曜日

与謝野晶子 ①


なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

舞姫のかりね姿ようつくしき朝京くだる春の川舟

よそほひし京の子すゑて絹のべて絵の具とく夜を春の雨ふる

清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき  

いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春

こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露

鳥辺野は御親の御墓あるところ清水坂に歌はなかりき

夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ

京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき

なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇

詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に

くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき

                               与謝野 晶子(1878-1942)

2017年3月30日木曜日

こよいあふひとみなうつくしき



野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな
                                                    
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ

吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ

ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ

                                                               西行法師

行かむ人來む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花

                                                               大伴家持

いそのかみ古き都を來て見れば昔かざしし花咲きにけり

春霞たなびく山の桜花 うつろはむとや色かはりゆく 

                                                              詠み人知らず

清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき                     
                      
                                       与謝野晶子

わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ

かすかなる風ある空かさくらばな雪片のごともしばし宙舞ふ

しんしんと頭の底にも陽は差してそこも桜の無惨の白さ

花朽ちて沈みてゆきし野の井戸の無明無の水深想ふ

                                    河野裕子  

2017年3月29日水曜日

花冷え

 花冷えの雨のひときは濡らすもの 

花冷えの閉めてしんかんたる障子 

花冷えのみつばのかくしわさびかな

花冷えのうつだけの手はうちにけり

花冷えのうどとくわゐの煮ものかな
 
                  万太郎

やすらへば手の冷たさや花の中
                  岡本松浜

命二つの中に生きたる桜かな

さまざまのこと思い出す桜かな
                  芭蕉


 

2017年3月26日日曜日

今日から春

今日から春。
なぜかというと、冬の間、姿が見えなかった
アダンソンハエトリグモが、
今朝、無事に、再登場したから。
場所はキッチン。暖かいところを選んで、ということか。
去年と同一個体かどうかは、不明。
あるいは、ぼくの友達のアダンソン君の子孫かも。
なにはともあれ、よかった、よかった。

2017年3月21日火曜日

ミモザ



                    山田リオ
 

ミモザを思い出すとき、その後ろに見えるのは、マルホーランド・ドライヴだ。
ハリウッドとヴァリーを分ける低い山脈、というほどでもない、丘の上を行く尾根道、片側一車線の狭い道。
ところどころに、ちょっと車を止めて休むところがあって、そこに、かならずと言っていいほど、黄色いミモザが咲いていた。
そういえば、マルホーランド・ドライヴという映画があったな。
よく通った尾根道、南カリフォルニアの陽射し、青い空、ミモザ。
さっき、それを、一ぺんに思い出した。
すっかり忘れていたが、今朝の日差しが思い出させてくれた。

2017年3月19日日曜日


鶯の根岸の里や蜆汁

鶯の来ぬ春の日となりにけり

                正岡 子規 (1867 - 1902)

2017年3月6日月曜日

あんしん

                     山田リオCopyright©2017RioYamada
しょうがくせいのとき
くらくなってから でかけて
ちかくの いけにいった

そこは ひるま ひとりで くちぼそをつったり
アメンボが すいめんをすべるのをみたりする
おきにいりの すきなばしょだった

このひは よるになってから いけにいった
いけのそばで しゃがんでいた
まっくらな いけのほうから カモのこえがきこえた

みんな ちいさいこえで はなしていた 
「おい」「いるか」「いる」「よし」
「ここ」「だいじょぶ」「いる」「うん」

そんなふうに みじかいことばで 
「ここ」「げんき」「いる」「うん
「ねたか」「おきてる」「うん」「だいじょぶ」

すこしだけ なにもきこえなくて で また
「おい」「なに」「だいじょぶ」「うん」「いっしょ」
「あんしん」「うん」「いっしょ」「あんしん
ちいさいこえで きれぎれに 

さむくなってきたから かえろうとおもった
たって いけをみたけど なにもみえない
くらいみちを だまって ひとり あるいた
かもは あんしん
かもは あんしん
ぼくはだまって ひとりあるいた Copyright©2017RioYamada