尾形亀之助(1900-1942)
無題詩
昨夜 私はなかなか眠れなかつた
そして
湿つた蚊帳の中に雨の匂ひをかいでゐた
夜はラシヤのやうに厚く
私は自分の寝てゐるのを見てゐた
それからよほど夜るおそくなつてから
夢で さびしい男に追はれてゐた
うす曇る日
私は今日は
私のそばを通る人にはそつと気もちだけのおじぎをします
丁度その人が通りすぎるとき
その人の踵のところを見るやうに
静かに
本のページを握つたままかるく眼をつぶつて
首をたれます
うす曇る日は
私は早く窓をしめてしまひます
小石川の風景詩
空
電柱と
尖つた屋根と
灰色の家
路
新らしいむぎわら帽子と
石の上に座る乞食
たそがれどきの
赤い火事
情慾
何んでも私がすばらしく大きい立派な橋を渡りかけてゐました ら――
向ふ側から猫が渡つて来ました
私は ここで猫に出逢つてはと思ふと
さう思つたことが橋のきげんをそこねて
するすると一本橋のやうに細くなつてしまひました
そして
気がつくと私はその一本橋の上で
びつしよりぬれた猫に何か話しかけられてゐました
そして猫には
すきをみては私の足にまきつこうとするそぶりがあるのです
小さな庭
もはや夕暮れ近い頃である
一日中雨が降つてゐた
泣いてゐる松の木であつた
雨日
午後になると毎日のやうに雨が降る
今日の昼もずいぶんながかつた
なんといふこともなく泣きたくさへなつてゐた
雨の祭日
雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ
雨が降る
夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる
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