2014年12月21日日曜日

Fountain Pen


             山田リオ
                           Copyright ©2014RioYamada
泉筆。萬年筆。
万年どころか十年も使わずに
でも、捨てることもできず
何度引越しても、ついてくる
じゅうねんひつ、じゃない、まんねんひつ

思い立って、文房具店に行った
水で洗浄すれば、使えるという
きれいに洗ってもらって
ロイヤル・ブルーのインクも買った
百年筆じゃなくて、マンネンヒツ

さて、何を書くか
手紙はメールだからな
もしくはメール添付だから
ペンでは書かないな
日記は、ブログだからな
千年筆でもない、万年筆

そうだ、買い物リストを書こう
ミルク、ヨーグルト、
コーヒー豆、フィルター
ゴミ袋、流しのゴミネット
でも、なにか忘れてる

今までは右上にある
黒のボールペンで書いてた
買い物リストだけど
これからは、キャップを取って
ロイヤル・ブルーのインクで書こう
一年筆でもない、万年筆

いろいろ書いてみたけれど
やっぱり、名前を書いてみよう
好きな人なら、熊谷さん、谷中さん
永井さん、笹井さん、内田さん、平山さん
いくら書いても、気持ちがよくて
きれいに書ける、万年筆。
          Copyright ©2014RioYamada

2014年12月7日日曜日

想像力

幸運にも、偶然と神秘の間のどこかに想像力が横たわる。
想像の力を削ごうと、或いは完全に抹殺しようとする多くの人間が存在するにも拘わらず、
想像力は私たちの自由を守る、唯一のものだ。 ルイス・ブニュエル





2014年12月1日月曜日

蕎麦花如雪

 

村夜

霜草蒼蒼蟲切切 
村南村北行人絶 
独出門前望野田 

月明蕎麦花如雪

                 白楽天

Rain Coming

 
                山田リオ
もうすぐきっと雨が来る
そういう匂いがしているから
これはたしかに雨の前触れ
確信を持ってそう言おう

雨が来たなら銀杏はみんな
散ってしまうだろうけれど
巡る季節が今日のうちに
旅立つまえの挨拶をする

もうすぐきっと雨が来て
そして季節は巡っていく
こんなに明るい曇りの朝
ここでひとりで微笑んでいる 

                                                                         Copyright ©2014RioYamada

2014年11月25日火曜日

雨の日

           山田リオ

今日も雨です
一日中雨の音がして
今も外から
雨の音が聞こえるので
静かな気持ちになります
    Copyright ©2014RioYamada

2014年11月16日日曜日

他人本位


今までは全く他人本位で、そこいらをでたらめに漂よっていたから、
駄目であったという事にようやく気がついたのです。
私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、
後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまう
いわゆる人真似を指すのです            夏目漱石(1867 - 1916)

2014年11月15日土曜日

キーマカレーの作り方


                 山田リオCopyright ©2014RioYamada

今日は朝、買い物に行った。
キーマカレーの材料を買い集めるためだ。
鶏肉1kgと、豚肉1kg、それに、非常に大量の、さまざまな野菜。
玉葱、大蒜、大事なセロリはいっぱい、茄子、豆、トマト、葉物、などなど。
それに、生のコリアンダー、香菜、パクチー、シラントロも忘れずに。 
リュックを背負って行く。野菜が重くなるからね。

様々なスパイスは、世界のどこに住んでも、インド人を見つけて訊けば、どこでスパイスを買えるか、教えてくれる。
でも、永い間に買い集めたスパイス類のストックが常時、十数種は、保存してある。
ガラムマサラだけは混合したものを買うが、店によって様々なので、違いがまた、面白い。
ガラムマサラは仕上げに入れるが、かならずクローヴが入っているようだ。

ぼくの場合は、それにヨーグルトと干し葡萄が入る。この二つは、必須だ。
あの、チョコレートのような、油脂と小麦粉で固めたカレールーは使わない。
あんな、どろどろの、糊のようなカレーは、好きじゃない。

曲がり角に「ココナツミルク」という看板が出ているが、その角を曲がると、別の世界なので、
それは、またの機会に、ということ。そっちへ行くと、戻れなくなる怖れもあるので。

だから、ぼくのカレーは、サラサラだ。でも、スープカレーみたいに水っぽくはない。
野菜で濃さが出るからね。それに野菜からの水分がカレーの味の土台になる。
だから、山のように野菜を使うんだ。水は入れない。
野菜をケチったら、絶対に美味しいキーマカレーはできない。
でも、根菜類、芋とか、カボチャとか澱粉のある野菜を使うのは、やっぱりダメなんだ。
キーマの場合は、刻んだ野菜は、すべて煮とけてしまうから、形は見えない。
でも、野菜の味は、しっかりと残って、それが決め手になる。
最後に、ナンか、インデイカ米、タイ米、または玄米などとカレーを食べるとき、生の青唐辛子を少し、それに、シラントロは山のようにのせる。
では、いただきます。Copyright ©2014RioYamada

2014年11月7日金曜日

1119 空

自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り超えることができるであろう。(釈尊の言葉)

2014年11月4日火曜日

風船画伯・夢の実体

帰りに出口でハンコペタペタ押した、しおり。ただのゴム版です

谷中安規回顧展
@町田市立国際版画美術舘
11月24日まで
お気に入りに、リンクを貼りました
さて、行ってきました。

広大な公園、森と山野を抜け、上り下りの道を歩き、やっと見えてきたのは、たいへんに立派な美術館、きっと風船画伯も吃驚したことでしょう。

展示された絵画(主に版画)、約300点。それと、木彫二点。 百鬼園の「冥途」初版の装丁もありました。表、背、裏表紙が、一続きの、一枚の絵でした。
ところで、佐藤春夫も、風船さんを好きだったようです。

美術館の中にある喫茶店、気にいりました。とてもとても、いい店です。たいせつな店。大きな窓から秋の森を見ていると、町田に住みたい、と思いました。

この300点と木彫二点が、もうすぐ見られなくなると思うと、さびしい思いです。どこかで、年に一度でも、定期的に展覧していただけないものでしょうか。

2014年10月29日水曜日

グレース・オヴ・モナコ

ごぶさたしました。久々に、映画の記事です。
Grace de Monaco、これは、フランス映画ですが、
フランス、ベルギー、イタリアなどで撮影されたそうです。

南ヨーロッパの小国、モナコの国王と結婚した、
実在の女優、グレース・ケリーの物語です。
かなり史実に忠実に作られたということです。

1950年代から、十数年間が舞台なので、
いろいろと興味深い人物が登場します。
もちろん見ていれば、「あ、あの人だ」とわかりますが、まず、言わずと知れた、アルフレッド・ヒッチコック
それからマリア・カラス、彼女はこの映画では、かなり重要な役割を持っていて、
彼女が映画の終盤に歌うアリアの歌詞が、映画の物語に重なる、そういう仕掛けになっているので、オペラ好きはこたえられません。 マリア・カラスは歌手だっただけではなくて、その、地中海的、かつ個性的な美貌で、当時は、国際的に非常に人気がありました。
それから、後にジャクリーン・ケネディーと結婚する、アリストートル・オナシス。フランスのド・ゴール大統領、そして、アメリカのマクナマラ国防長官などなど。多士済々です。

この、すんばらしい脚本を書いたのは、 Arash Amel アラシュ・アメルという人で、
ペルシャ生まれですが、小さいときに英国に移民、さらにアメリカに、という経歴の持ち主です。
従って、ヨーロッパでもアジアでも、距離を置いて、巨視的に見ることができる脚本家です。 

映画の終わり近く、モナコ王妃グレースのモノローグ、独白は、この映画の白眉です。
アラシュ・アメル渾身の、という。
ではありますが、画面下の日本語字幕を読みながら映像を見ていると、王妃の表情や姿勢から目が離れてしまうと思われ、そこが、いかにも残念です。一瞬も、眼を離したくないんですね。
独白と言うのは、そういうものです。
できれば、この独白の部分だけでも台詞を頭に入れ、それから、この場面をご覧になってくだされば、もしもそういうことが可能であれば、この場面を、より十分にお楽しみ頂けるのではないかと存じます。

この映画には、カーチェイスも、銃も暴力も、冒険も、危機一髪で命が助かったりとか、そういうことはぜーんぜん出てきません。そういう映画です。
 そして、この映画は、非常にキャスティングがよいので、困ります。
 登場する俳優さんたちは、みんなそれぞれが、現実の世界で、自分の力で人生を生きている、そういう、あたりまえの人間の顔をしています。まあ、そういう人たちを選んでキャストを決めたんでしょうね。じつにエライ映画ですw

会話や筋書きが、やや複雑ですが、おすすめの映画であります。 
ぼくは、あと三回くらい見に行く予定です。 Copyright ©2014RioYamada

2014年10月22日水曜日

秋霖



雨       尾形亀之助(1900-1942)

四日も雨だ――
それでも松の葉はとんがり

雨の祭日

雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ

雨が降る

夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる

雨日

午後になると毎日のやうに雨が降る
今日の昼もずいぶんながかつた
なんといふこともなく泣きたくさへなつてゐた

小さな庭


もはや夕暮れ近い頃である
一日中雨が降つてゐた
泣いてゐる松の木であつた

2014年10月18日土曜日

あのね


チェコ語は、ポーランド語によく似ていますので
おぼえやすいと思います

はい、は 「アノ

いいえ、は 「」  と言うそうです。



ところで 道に迷って ほんとに迷って
どうすればいいか ぜんぜん わからないときには
なにを どう 考えればいいか さえ わからなくなります 

ト、書いて、数時間。
まったく突然、
チェコではないけれど、その近くの国に住む、古い友人からのメールが。
なんと、そのメールのなかに、りっぱなドアがありましたので、
そのドアを通り抜けて、出ることができました。
ふしぎ。                                           や

2014年10月17日金曜日

時計


          山田リオ

いま使っている腕時計です
非常に気に入っています
なぜ、気に入っているかというと
この時計を見ても
時間がわからないからです
それは
この時計はこわれていて
動かないので
いつでも同じ時刻で
ずっと、ずっといつまでも
永遠に同じ時刻なので
ですから
気持ちが落ち着くし
ぼくはこの時計が
いちばん
すきなのです Copyright ©2014RioYamada

2014年10月14日火曜日

ただ憧れを知る者のみが

Nur wer die Sehnsucht kennt
    Johann Wolfgang von Goethe(1749 – 1832)


Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!
Allein und abgetrennt
Von aller Freude,
Seh ich ans Firmament
Nach jener Seite.

Ach! der mich liebt und kennt,
Ist in der Weite.
Es schwindelt mir, es brennt
Mein Eingeweide.
Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!

ただ憧れを知る者のみが
    ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツ)

                                訳:山田リオ
ただ憧れを知る者のみが
この悲しみを理解する
一人、喜びを遠く離れて
空を見る、空の後ろの向こう側を

ああ、私を愛し、そして知る
その人は今、遥かに遠く
わたしの中には眩暈と炎
ただ憧れを知る者のみが
この悲しみを理解する
 
                        Copyright ©2014RioYamada
 

2014年10月13日月曜日

あけび

アケビ

          山田リオ
                                Copyright ©2014RioYamada

目が覚めたとき
聞こえる鳥の歌が
ある朝から、新しくなりました
シジュウカラは前からいますが
新しいメンバーは、カワラヒワ
それから、ジョウビタキ
よくわからない鳥の歌も聞こえます                      秋になると、鳥は移動しますから
街に、新しい小鳥がやってきます
早朝の鳥の歌を聞くだけで
季節が巡っているのが
わかります

近所のお宅の庭では
山の中にあるはずの
あけびの実が
みごとに実りました
でも、だれも取りません
あの甘い甘い実を、だれも食べません
カラスだって食べようとしないのは
なぜだか、わかりません
甘いまま、誰も触れないまま
冬がやってくるのかもしれません    Copyright ©2014RioYamada

2014年10月11日土曜日

A Reminder


あの数日間、言われたことを、そのままノートに書いておいた
そしてぜんぶの言葉を忘れないようにと、あのころは強く念じていたのですが
のどもと過ぎればなんとやら、しょっちゅう忘れるようになったので
こうやってここに書いておけば、自分の眼にはいるだろうし
すくなくともしばらくの間は効き目があるんじゃないだろうかと
いうわけで、あのことを忘れるなよ、おまえ、とここに
書いておく。忘れるなよ、おまえ

2014年10月10日金曜日

あなたのまなざし

ユーカリプタス

Este Seu Olhar あなたのまなざし 
                  トム・ジョビン(ブラジル)

                  訳:山田リオCopyright ©2014RioYamada

あなたの まなざしと 
わたしの まなざしが 出会うとき
信じられない ことが 語られる
わたしが あなたを 思うように
あなたも また わたしの ことを
そんな わたしの 甘い夢

でも 錯覚の 魔法が 解けたとき
あまりにも 大きな 夢を見た 
わたしの 心に 痛みだけが 残る
あなたの まなざしは いったい 
何を 語るのか
 
                Copyright ©2014RioYamada


(ひさしぶりに、アウスィオーニの歌を聴こうと思って、音楽ファイルを開いたら、
いきなり聞こえたのが、この「エスチ・セウ・オリャー」だったので、訳してみました やまだ)

2014年10月8日水曜日

水のなか


          山田リオCopyright ©2014RioYamada
 さっき まで
上に あった 空
空に あった 雲
むこうに あった 森   

いまは もう みんな
睡蓮の 下
水面の 下
アメンボの 下
なにも かも 水の なか

いま そこに ある
手を 伸ばすと さわれる 

水の なかの 雲
水の したの 空
水の そこの 森

みんな ほんとう 
ほんとうの 雲は
ほんとうの 空は
ほんとうの 森は
あなたが なんと 言おうが
水の なかに あります 
                   Copyright ©2014RioYamada

(ところで、アメンボですが、じつにみごとに整列してるじゃありませんか。  や)

2014年9月29日月曜日

背中が痒い

                        山田リオCopyright ©2014RioYamada

病院の待合室というところは、なんとも言えない、
人生の交差点でございますな。
 座って、順番を待っておりますと、実にいろいろな人がやってきます。
一人で来るひと、杖をついて帰る人、夫婦で、親子で来ている人、
車椅子を誰かに押してもらっている人、眠ったままの人。

やっと検査がおわりまして、薬をいただき、会計を終えて、帰ります。
なにをするにも、待つのが病院というところでね。
でも、ここの病院は非常に能率よく出来ておりまして、余所に比べれば、
もう、いたって楽なもんでございます。

バス停に行き、バスを待っておりますと、妙齢のご婦人(推定八十ン歳)が、
ベンチのお隣に座ります。

みょ「あの、仲御徒町は、ここで?」
やま「上野行きはここです。御徒町で降りれば、仲御徒町は近いと思いますよ」
みょ「あの、日比谷線に乗るんで、仲御徒町から乗りたいんです。こないだ、上野で降りましたら、地下鉄の日比谷線が遠くて、遠くて・・・で、今日は一人で来ましたので、仲御徒・・」
やま「仲御徒町という停留所は、ないと思うんですが、御徒町でお降りになれば・・」
みょ「日比谷線で、北千住まで行きますんで、仲御徒町でないと。こないだ、上野から乗りまして、なにしろ駅が広くて、歩いても歩いても、日比谷線がありませんで・・」

なんて話をしておりますうちに、バスが来ましたので、二人とも乗車いたします。 

みょ「最近、主人が亡くなりまして、付き添いの方がいらっしゃったんですが、こないだも、わたくし一人で、この(ト、高齢者無料券を見せ)券が今月30日で切れますので、それで、こういうもの(ト、パスモを見せ)もいただきまして・・」

などと話しておりますうちに、バスは上野広小路を過ぎ、御徒町に着きます。
妙齢女史を促して、バスを降りますと、地下鉄の入り口は、目と鼻の先でございます。
階段がひじょうに急ですので、

やま「ゆっくりね、ゆっくり降りましょう」
みょ「はい、はい・・・でも、すみませんねえ、送っていただいて」
やま「いえいえ、もう、わたしなんか、ヒマですから」

それにしても、階段の長いこと。そして、かなりの急勾配。目もくらむばかりでございます。
やっとのことで、地の底に着き、日比谷線の改札を探し、やっとのことで見つけ。
それにしても、このせつ、地下鉄に乗るのも楽じゃありませんな。
それから、パスモの使い方を教え、忘れないように、説明しまして、

やま「一度でいいんですからね。ピッと鳴ったら、もう通っていいんですよ」
みょ「どうもご親切にありがとうございました。また病院のほうで、お目に・・」
やま「いえいえ、ではお気をつけて・・」

ト、お辞儀をして、妙齢のご婦人とのお別れをしました。
もう、お会いすることもないかもしれませんが。
でも、私だって、先のことはわからないんで。

いやね、けっして、親切の自慢をしたいわけじゃないんで。
誰もがする、当たり前のことですが、妙齢さんと別れたあと、いろいろ考えちゃったんでね。
それを話そうかな、と、急に思いまして。

近頃じゃ、福祉の充実とかで、なんでも、お国や自治体がやって下さるそうですが。
でも、へそが痒い、背中が痒い、そういうときに、自分で掻けないこともあるわけで、そんならね、
だれでもいいから、そばにいる人が掻いてあげるのがよろしいかな、と。
なにもさ、区役所に電話して、掻き係りの人を呼ばないでも、
だれでもいいから、近所の、若いもんがさ。と、まあ、そう思いました。

そうすれば、背中を掻かれたほうの方も、気持ちがいいんで。
そう言う具合にいけば、お年寄りだって、暮らしやすいんじゃないかと。

たしかに、スマホに集中、とか、誰よりも先に改札を通過したいとか、お気持ちはわかりますが。
ちょっと、時間のおありになるときで、よろしいんで、(揉み手)
若い方々も、どうかよろしく、とお願い申し上げまして、このへんで。
長々と、失礼をば。(お辞儀)
Copyright ©2014RioYamada


2014年9月24日水曜日

吾往矣

自反而縮 
雖千萬人 
吾往矣   
                         孟子
 

みずからをかえりみてなおくんば、
せんまんにんといえども、われゆかん。

(振り返って、もし自分が正しいと思うなら、
敵が千人、万人であっても、自分は一人で戦おう。)

2014年9月22日月曜日

雨の夜(再び)


              山田リオ

一晩中 雨の音が聞こえていた
それを聞きながら
ああ

いいな
これを聞くために
ぼくは 生きていたんだな
これを聞くために
ぼくは 帰ってきたんだなって
そう思った

  Copyright ©2014RioYamada

PS 静かな雨の夜になりましたね。
まったく、いい晩ですねえ。
ところで、写真の左手奥、
遠ざかって行く黒い後ろ姿のあなたは、だれ? 

2014年9月21日日曜日

なみだこぼるる



何事のおはしますをば知らねども 
かたじけなさに涙こぼるる

                       西行法師

2014年9月19日金曜日

期待

一人こっちを見てる


あなたが、だれにたいしても、
なにひとつ期待しなければ、
あなたはけっして失望することがない。

      シルビア・プラス(詩人) 1932-1963


あなたが、だれにたいしても、自分自身にたいしても
何にたいしても、人生にたいしても、なにひとつ期待しなかったとしても、それでも
あなたは、やっぱり、結局は、失望するだろう

          山田リオ

(いま、Max Ernst のほうをふりかえって、
「あなたはどう思います?」と尋ねたら、 
すぐに「うん、うん」と二度返事したよ。 at 23:53)

(更に数日後の深夜、ここで本を読んでいたら、またMax氏が、なにか言ってる。
気がついたら、そのとき読んでいた本の作者が、彼と同じ国の人だったのさ。)

2014年9月12日金曜日

Stand




Stand up for what you believe, 
even if it means standing alone.


信じることのために立ち上がれ。
たとえそれが 孤立を意味するとしても。

2014年9月7日日曜日

駱駝の匣

                     山田リオ Copyright ©2014RioYamada

正確には、駱駝(ラクダ)の骨で作られた匣(はこ)だと、
これを譲ってくださった方が、自信満々で、そう言いました。
その男性は、そのとき、たぶん素面(しらふ)だったと思います。

どういうわけが、古い小匣が好きで、
自然に、匣のほうが、ぼくに寄ってきます。
数多く集めているわけでもなく、
手に入れば、愛着がでて、
ためつすがめつ、こすったり、磨いたり、
また眺めたり。
大事な小物を入れたり、出したり、
目に付くところに置いたり、移動したり、
まあ、そんな感じであります。

アラビア半島ではないか、
と素面氏は言っていますが、
ぼくはひそかに、西域、それこそ、
シルクロードの産物ではないかと、
何の根拠もなく思っています。

駱駝の骨かも知れないし、牛骨かもしれない。
薄く切った骨を貼り付けて、そのうえに、毛彫りでアラベスク模様が描かれています。
今は、それなりに嬉しく、時間がたつにつれて、さらに嬉しさが増していくのが、
古い匣を手に入れて、持っていることの喜びではあります。
驢馬の次は自然の流れで駱駝になりました。さて、駱駝の次に来るのは何でしょうか。

こういう所有欲、玩物喪志、煩悩は、所有者の死によって終わるものでもなくて、
そういう惑乱はまた別の人間にバトンタッチされることもあり、
また可能性としてはこいつが燃えるゴミとして姿を消すことも当然あるわけですが
結局はまた大自然や宇宙に還っていくのは間違いのないことであります、はは、ははは。
                                         Copyright ©2014RioYamada

2014年9月6日土曜日

驢馬と共に天国へ行くための祈り 

■2010/09/30 (木) 
Francis Jammesフランシス・ジャム(フランス)
                                          訳;山田リオ Copyright ©2010RioYamada  
 

わたしがあなたのもとに召される時、

主よ、わたしは祈ります
どうか、その日が安息日で、埃っぽい道を

わたしが、この世での旅をする時とおなじように
行く道を自分で選ぶことをお許しください
天国へ、昼の星が輝くところにむかって
わたしはステッキを手に、道を行くでしょう
そして、わたしの友である驢馬に言います
「わたしはフランシス・ジャムだ、そしてわたしは天国に行くんだ。
慈愛深い主の御国(みくに)には、地獄なんか無いからね」
それからわたしは驢馬たちに言います
「おいで、わたしの、青空のやさしい友、
虐待や蜂、蝿から自分を護るのに、耳をパタパタさせたり
首を振るくらいのことしかできない、かわいそうな友」              
どうかわたしを驢馬たちと共に

主よ、御国にお召しださい 
かれらも、あんなにおとなしくお辞儀をしていますから
小さい足を、あんなふうにやさしく揃えて           
あなたの慈悲をお願いしておりますから          
わたしが天国に着きますときは
何千という驢馬の耳を従えて                       
みんな、背中に籠を背負い、あるいは木の車を引いて    
羽根ばたきや、台所用品や、でこぼこのバケツも背負い
お腹の大きな雌驢馬たちは、立ち止まったり、つまづいたり
あんなに渦を巻いて、酔っぱらいみたいに唸る蝿が     
背中の湿った青い鞍ずれの傷に集まるので             
あんなふうに白い足先を振って追い払おうとするのです       
主よ、どうかわたくしを、あの驢馬たちと共にお召しください       
天使たちに導かれ、やすらかに
木陰の小川にほそやかなサクランボの枝が              
少女たちの笑いのように揺れる主の国の、魂の天国で          
聖なる水の流れに首をさしのべる                    
そんな驢馬たちを、わたしは見ます                     
あの驢馬たちの、謙虚なやさしい貧しさが            
主の永遠の愛とおなじように、わたしには、くっきりと見えるのです。   

Copyright ©2010RioYamada

2014年8月19日火曜日

至福

 08/17/2014          山田リオCopyright ©2014RioYamada

昼日中、陽射しを避け、高架下の薄暗がり
闇市の匂いの残る店々を覗きながら
ゆるゆると、好きな蕎麦屋のほうへと歩いて行く
この、至福の時。

まだ早いかな、と思ったので

そうだ、ちょいっと昼飯前の前菜を
と、角を右に曲がったら

もうそこが、肉の大山さんの店だ

この店は午前11時に開店だから

もうすでに、路上で呑んでる人がいる
大枚120円也を握りしめて、列に並ぶ
順番が来たら、「やみつきメンチひとつね」「あいよ」

という手続きを経て、小銭と熱々のメンチを交換する

メンチを手に持って店を出、路上の日陰で、食う
揚げたての熱いメンチ。肉屋のメンチだから、ラードで揚げてある
この香り。この味。これぞ至福の時。
食べ終わり、口を拭い、文字通り何食わぬ顔で

十歩ほど歩けば、もう、その角っこが上野の藪
 

冷房の効いた店内に入り、席に通され
いつも通り、せいろの大盛りを注文する
冷たい蕎麦茶の香りも、いつも通り
今しがた、そこでメンチ食って来たことは、誰一人知らない
やがてせいろが運ばれ、も、おろし本わさびも、蕎麦つゆ
そして香り立つ蕎麦も、いつも通り
 

ほんとうに美味しい蕎麦なんてものは
このせつ、そうそうあるもんじゃござんせんよ
でも、なんですな。こうやって、上野で、旨い蕎麦を手繰っている
こういうのを、まあ、至福の時、って言うんでしょうな。
Copyright ©2014RioYamada

2014年7月28日月曜日

ドア

                    山田リオ

ドアの 前に 立って 
じっと 聞く 中で 音が しないか
ドアの むこう 室内に
なにか 生き物 の 気配は ないか
じっと 聞く だれか いるのか
なにも 聞こえない
外は 街の 音 カラス 車 セミ
部屋の 中から 音は ない

ある ブログを みつけた
永い 間 更新 されない ブログ
男性 たぶん 同年代 の男性 
かれに メッセージ を書いた
思った こと 感じた ことを 
げんき ですか また 書いて ください
そう 書いて 返事を 待つ
返事は ない

ドアの 前に 立って
じっと 聞く 聞き耳を たてる
ドアの むこうの 四角い 部屋から
なにか 音が しないか
じっと 聞く まだ 生きて いるのか
聞こえる のは 静寂 無音
外は 音 さまざまな 生きて 動く 街の 
今は ただ 立って 見つめる 聞く ドアの 前
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2014年7月14日月曜日

ニジンスキーがぺトルーシュカ

国立新美術館で、
二十世紀初頭のロシア・バレーで使われた
衣装の展覧会をやっているというので、行ってきました。
スゴかった。百年前のバレー衣装なのだ。

最大の目玉は、ストラヴィンスキーのバレー、
ぺトルーシュカで、あのジンスキーが着て踊った衣装が、
そのまんま、展示してあったのだ。
ずいぶん永い間、固まって見ていたのだった。スゴかった。

でね、ニジンスキーの身体は、すごく細くて小さく、子供のようだった。
靴もね、女性用だとしても、今の基準では小さい。(ニジンスキーは男性です)

昔、NYで行った、英国のエドワード8世ウィンザー公爵)の着ていた服や靴の展覧会を思い出した。やっぱり、驚くほど細く、小さかった。
あの時代、世界中の人が細くて、小さかったわけなのだ。そうなのだ。

あと、オルセー美術館展というのも同時進行でやっていて、
印象派の初期の、モネとか、一度も見たことないのを、たくさん見られたぞ^^。