2011年12月20日火曜日

岡本松浜の句




春雪やうす日さし来る傘の内

褄取れば片手に重し傘の雪

寝かさなき母になられし蒲団かな

やすらへば手の冷たさや花の中

かげろふや土に坐つて鉦たたき

月の海灯の世に遠き泳ぎかな

ががんぼを吹けば飛ぶなり形代も

口紅のあとをとゞめて秋扇

露今宵生まるゝものと死ぬものと

露けさの一つの灯さへ消えにけり

 岡本松浜(しょうひん)1879~1939

2011年12月14日水曜日

ライムのジャム


悲しみのないサンバは
酔わない酒と同じ
とリオデジャネイロの詩人は言った
それはともかく
酸味のないジャムは
ただの砂糖だよ
と南カリフォルニアの山田は言った

K先生の庭のライムの樹に
今年もいっぱい実がなった
それをたくさんいただいたので
ライムのジャムを作ることにした
ライムは緑色と思っていたら
熟したら一見、レモン風
でも切ってみれば、やっぱりライム色

ジャムになっても
強力な酸味は薄れるどころか
ますますそのパンチ力を増しますw
サワードウのバゲットをトーストして
バターといっしょにのせて口に入れれば
うーうまいのだ
でも、うー酸っぱい
じゃ、じゃむの魂は
やっぱり酸味なのだよV

         山田リオ

2011年12月10日土曜日

85歳のソロ・デビュー

 
今朝、運転しながらラジオで偶然聞いたんだけどね。
ブルースのピアノです。
ピアニストの名は、ボイド・リー・ダンロップ。85歳。

ニューヨーク州、バッファローの老人ホームの住人。
そこに偶然、写真撮影で訪れた写真家、ブレンドン・バノンがボイドのピアノを聴いて、アルバムをプロデュースする気になったという。

ボイド・リー・ダンロップは、生涯の大半、鉄工所で働いた。
弟のフランキー・ダンロップは小さいときに兄のボイドに教えられてドラマーになり、後にセロニアス・モンクやチャーリー・ミンガスなどと共演したレコーディングがあるという。

バノンの言葉:

初めて彼と会ったのは、バッファローの老人ホームだった。
そこに行ったのは、老人ホームで写真撮影をするプロジェクトについて、
そこの医師と話し合うためだった。
ボイドは待合室みたいなところに座っていて、すぐ会話が始まった。
彼はピアノのことを言い始めて、カフェテリアにピアノがあるから、
ピアノを弾いて聞かせてくれる、ということになった。
そのピアノを見たら、ところどころ、キーが取れて、なくなっているんだ。。
重症だったな。
でも、ボイドはそのピアノと格闘しているようにも見えたが、
出てくる音は美しかった。」

そんなわけで、このアルバムができました。

アルバムの名はBoyd's Blues、「ボイドのブルース」、
音楽と記事のリンクを「お気に入り」に貼っておきます。聞いてみてください。
音楽のリンクは、写真の下、左手にあります。

NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)
Weekend Edition: Boyd Lee Dunlop's debut album, Boyd's Blues.

2011年12月2日金曜日

毎朝の訪問者

rio yamada photo


り 「おはようございます。あーもんどください」

山 「おはよう。それはいいけど、コーヒー入れてるから、ちょっとまって。それから、その線から中に入らないでね。」

り 「はい。あーもんどあーもんど」

山 「また入った・・そこまで!あんた、どんどん大胆になるね。。ほら、絨毯踏まないで」

り 「あーもんどくれたら、帰りますから」

山 「それからね、網戸ひっかいて起こすのやめてくれるかな、ゆっくり寝たいんで」

り 「はいはい。早く。あーもんど!」           Copyright ©2009RioYamada 

                             

2011年11月25日金曜日

ダウントン・アビー、気になる二人


ダウントン・アビーの人々は、みんな魅力的ですが、現在、気になっているのが二人います。

まず貴族の末娘のスィビル。
若く美しい女性で、かつ天使のように純真なんですが、それだけに、彼女がどうなっていくのか心配です。あとの二人の姉は、それぞれに、違った「したたかさ」があるので、何があっても生き残れるような気がしますが、この娘はねえ。ほんとに心配・・・
彼女の絶えず変化する表情、しぐさ、そしてドレスを見るのも楽しみ。

もう一人の注目人物は、召使のトーマス。これは、とんでもない悪党です。
悪い人間ですが、その影の部分、隠された部分が気になります。
彼にどんな過去があるのか、そしてどんな運命がトーマスくんを待っているのか。

ところで、第二話で、トーマスに対して、ある人物が言い放つ言葉が心に残りました。

それは、"One swallow doesn't make it a summer."
これはイディオム(慣用句)で、意味は、
「ツバメが一羽来たからと言って、夏になったとは限らない」ですが、
この場面で、この言葉の意味は、「一度だけの親密な関係があったからと言って、それが愛につながるとは限らない。」というくらいの意味でしょう。
はっきりと言わずに、でも言いたい事はしっかり伝わる、そういうわけです。

この「ツバメ」は、いろいろな場面で使えます。
たとえば、スポーツで「最初に優勢だったからと言って、勝利できるとはかぎらない。」
というように。 (ヤクルト・スワローズの話ではありませんが。でもツバメだね・・)

しかし、直接的な言い方のほうが現代の会話では多いような気がします。
ぼくはアメリカでの暮らしが永いのですが、不勉強で、こういうイディオムは、小説や映画以外ではあまり気にしないで来ました。
今、改めて、ダウントン・アビーの第一シーズンを見ていて、会話の中で使われるイディオムの婉曲、柔軟さ、その間接的な、でもユーモアと含みを持たせながら相手に意思を伝える力、それは、英国の伝統の力だなあ、と思いました。
ウッドハウス P.G.Wodehouse の小説が好きなのも、たぶん同じ理由です。

そう言えば、日本では、今は亡き吉行淳之介さんの対談や小説にも、
そういう芳醇さがあったなあ。                          山田リオ
 
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2011年11月20日日曜日


空が砕けた

道端に、割れた鏡が捨ててあった

その砕けた破片一つずつに空があった

最近、どういうわけか

光という言葉をよく使う

数年前まで、夜の闇が怖かった

今は、怖くない、と言うより、安心

そこが変わったと思う

光はいい

でも闇だって、悪くない

                   山田リオ

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2011年11月18日金曜日

      
     山田リオ

光が降ってくる
雨のように
数えきれないほど
たくさんのリボンが
空からやってくる
それは誰にむけて降るわけでもなく
なんのためにあふれ出るわけでもない

その無数の光の束は、きっと
空のずっと奥のほうの群青からやって来て
空のふちからあふれ出し、こぼれ落ち、飛び散り
そのあげくに、光は、全ての存在のうえに
降り注ぎ、満たし、はみ出し、蔽い、包む
そういうとき
どんなにたくさんの言葉も
無力だ
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2011年11月9日水曜日

山と雲


雨があがった朝の透明な空気
空いっぱいに雲が動く
空気が洗われて
遠くの山がはっきり見える

ガラスが汚れているのは残念だ
でもあの山と風とあの雲と
今朝だけのすきとおった空気
またすぐ山はスモッグで霞む
だから撮れるのは今だけ
それにしても
ガラスが汚いのが残念だ

2011年11月7日月曜日

一石路の俳句


シャツ雑草にぶっかけておく

麦負うて来て汗うつくしき青年なり

一日のポケットから何もかもつかみだした

屋根屋根の夕焼けくる明日も仕事がない

暗い山のほかはびっしり星だ

お前が死んでからも来る新聞を畳にひろげる

けもののごとく来てがさがさと冬の部屋をさがす

平和がほしい誰にもにおう夜の木の芽

                          栗林一石路(1894~1961)

2011年11月1日火曜日

散歩道



近所の遊歩道
右にすこし見えるのが車が通る道路で
これは人と自転車だけが通る道
左が自転車専用で右は徒歩の人間
または犬もいっしょ
これを全部歩くと片道約二時間
けっこうな距離
朝日が昇ってくる
むこうから誰か歩いて来る
近所の雄鶏がコケコッコー
通訳いたしますとつまり
「アサーーーー!」
と言っているのです

2011年10月21日金曜日

可能性

ヴァルタの樫の木
                  ヴィスワヴァ・シンボルスカ(訳:山田リオ)
わたしは映画のほうが好き
わたしは猫のほうが好き
わたしはヴァルタの樫の木のほうが好き
わたしはドストエフスキーよりも、ディッケンズのほうが好き
わたしは自分が人類を愛するよりも、
自分が人間たちを好きなほうがいい
わたしは糸を通した針がそばにあるのが好き
わたしは緑のほうが好き
わたしはすべてのことを知性のせいにすることを
あえて主張しないほうが好き
わたしは例外のほうが好き
わたしは、まだ始まる前にその場を離れるほうが好き
わたしはお医者さんとなにか違う話をするほうが好き
わたしは古びたイラストレーションのほうが好き
わたしは詩を書かないことを笑われるよりも、
詩を書くことを笑われるほうが好き
わたしはみんなから毎日祝ってもらうよりも、
過ぎ去った愛の記念日のほうが好き
わたしはなにもわたしに約束してくれない
道徳家のほうが好き
だまされやすい善意よりも、
計算された善意のほうが好き
わたしは市民生活の中にある地球のほうが好き
わたしは征服する国々よりも、
征服されてしまう国々が好き
わたしは反対だ、と言えるほうが好き
わたしは整然とした地獄よりも、混沌とした地獄が好き
わたしは新聞の一面よりも、グリム童話のほうが好き
わたしは葉のない花よりも、花のない葉のほうが好き
わたしは尻尾を切っていない犬のほうが好き
わたしは青い目のほうが好き、私の目は黒いから
わたしは引き出しのほうが好き
わたしはここに書かなかったたくさんの物よりも、
まだここに書いていないたくさんの物のほうが好き
わたしは揃えて番号をつけた結び目よりも、
ゆるく結んだ結び目のほうが好き
わたしは正確な時間よりも、昆虫の時間のほうが好き
わたしは木にさわるほうが好き
わたしは「あとどのくらい時間」、とか、「いつ」、とか
聞かないほうが好き
わたしは存在には理由がある、その可能性があると
そう考えるほうが好き。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ
(1923年生まれ、ポーランドの女性詩人)

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2011年10月12日水曜日

ひとりのとき

        山田リオ   
友人の家を訪問して
そこには二匹の犬がいた
自分は犬やさまざまな
群れで生きる生きものを
苦手だと思う

猫が逝って何年になるだろう
思い出せないほどの月日がたって
いまだに次の猫は来ない
わけはほかにもあるけれど
かれが、最後の猫だった

飼い犬に華麗な服を着せて
着せ替え人形のように扱う
人の気持ちがわからない
それでも犬は、人に従う
いつでも犬は、人を見ている

動物も人も、ひとりのとき
窓の外や、空を見て
じっと、見えないことを思う
そういうとき、ひとりのとき
生き物は、ほんとうに生きている。

(All rights reserved 、2011Rio Yamada
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2011年10月7日金曜日

あまつかぜ

山田リオ
飯を炊く釜が来た
万古焼の硬くて重い釜
これで飯を炊いて
麦藁手の茶碗で食う
みなべの梅干がうんと
昨日よりおいしくなった
紫蘇昆布も茄子の糠漬けも
みんなおいしくなった

一日降った雨がやんで
朝から風が吹いている
この谷の空気が洗われて
遠くの山がはっきり見える
高いところを雲が動いていく
天津風が雲を押していくので
高いところの光が変化していく
地上を雲の影が移動する

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2011年10月3日月曜日

実生

Copyright © 2011Rio Yamada
                       山田リオ
地に落ちた種子は発芽し
幸運にも実生となって育った
雨の降る日は一日喜び
雪の降る日々を耐え
実生はきれいな若木になった
今日、森の奥では
光が無言のお祝いをする

(註:実生=みしょうCopyright © 2011Rio Yamada


2011年10月1日土曜日

夕日

rio yamada photo
           山田リオ 

私は何をするためにここに来たのか。それを考えるとき、いつも鳥獣蟲魚のことを思う。彼らは、何も言わず、不平不満を言わず、生き、食い、傷つき、病み、そして死んでゆく。

でも、鳥獣蟲魚は、見たところ、実に楽しそうだ。歌い、恋をし、交尾し、子育てし、そして当然のように、無言で死んでゆく。そのために生まれてきたからだ。

一方で、わたしは、 ちゃんと食い、恋もし、貧しいながら生きているのに、
不平不満ばっかり言っているのはなぜだろう。
それは、わたしが鳥獣蟲魚に劣る生き物だからなのか。

わたしが、なぜそんなに不満なのか、と言うと、
それはたぶん、人は育つとき、「みんな」を見て育つからだ。
そして人生に、ある種の期待を持ってしまう。
でもその期待は、多くの場合、満たされることがない。
お金持ちや成功者ほど不平不満が多いことでもわかる。

では、わたしは、ここに、なにをしに来たのか、
と考えるとき、いっそのこと、たとえば、
「わたしは、ここに、夕日を見に来たのだ」
と考えるのが正しいのではないか。
それ以 上のことを人生に願うのは、傲慢というものだ。
ちょっとここに立ち寄った、ただそれだけのこと。
「通りすがりの者です。」そして、すぐにまた、旅立つ。

それは、あっという間のことだ。
人の一生は、スズメが飛んできて、庭の木の枝に止まっている、
ほんの一瞬、あっという間のことだ。
またすぐに飛び去って、もう枝にスズメはいない。
それが人の一 生だ。

みんなが、所有している、と信じている、家も、財産も、
けっして彼らの本当の所有物ではない。
rio yamada photo
我が物ではない我が子とさえ、明日には、別れの時がやってくる。

「あなたは何をするために生まれて来ましたか?あなたの人生の目的は?」

「はい。ちょっと、夕日を見に・・」

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2011年9月24日土曜日

彼岸花

                山田リオ
彼岸花が咲いている
そこに立ち、花を見おろす人
その顔に、地に咲く花の色が反映して
喉や顎、鼻腔のあたりに
やわらかい赤橙の光が
その人を見あげる彼岸花が
顔の凹凸をうっすらと照らすとき
背後に見える空はもう暮れかけて
どんどん青く黒くなって行く
足もとの花からさして来る光だけが
その貌を紅く照らして
さまざまな思いも
彼岸花が、あたり一面に
広がり、咲いていたことも
なにもかも忘れてしまって
今はただ、薄闇のなか
赤橙の夕映えだけが
立ち尽くす人の顔の上で
ゆっくりと衰え
死に絶えていく
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2011年9月23日金曜日

風船画伯

風船画伯は内田百閒(ひゃっけん)の挿絵を描いていた版画家だった。谷中安規という。
百閒はずいぶん彼の版画を愛したようだ。

古本屋で、一ドルの古本を買った。ドイツ文学者の池内紀という人の随筆集だ。
そのなかに、偶然、谷中安規の死について書いたものを見つけた。
それは、淡々とした、しかし深い悲しみに満ちた文だった。

終戦直後、風船画伯は、世間から忘れられ、ホームレスになり、食うものもなくて栄養失調になり、釘のように痩せた後に、足も目もむくんで死んでいったという。

ぼくもある時期、病気のせいで顔のむくみがずいぶん酷くなってきていたから、風船画伯の死のありさまを読んで、他人事とは思えなかった。

百閒先生に発見されてから、風船画伯はたくさんの版画を残した。
友人だった棟方志巧とは違って、亡くなったあとも無名のままだった。
今は、少しは評価されているのだろうか。

でも、あの百鬼園という独歩の人に愛されたのだから、マスコミにもてはやされ、百万人に人気を博すよりも、ある意味、満足な一生だったのではないか。
(All rights reserved 、2011Rio Yamada
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2011年9月20日火曜日

ダウントン・アビーその後

一昨日、「ダウントン・アビー」がエミー賞で、作品賞、脚本賞、監督賞、助演女優賞を受賞しました。製作部門を独占でしたね。
脚本賞は、ジュリアン・フェロウズ、監督賞はブライアン・パースィヴァル、そして助演女優賞は、あのマギー・スミスでした。
ダウントン・アビーは、主役のないアンサンブル劇なので、すべての役が主役だ、とぼくは思っているのです。だから、助演の受賞で十分です。全員に助演賞をあげたいところです。
おめでとうございました!    やまだ
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ジャカランダの実

六月に紫の花をいっぱいつけていたジャカランダは、いまは実がなっています。
高いところには、たくさんなっていても、
なかなか落ちてきません。
毎日、通るたびに探していて、
やっと、今朝早く、一個ありました。

皿に置いてみると、ラムチョップ、
子羊の焼肉にも見えます。


 
 そう。二枚貝です。
あこや貝。真珠貝。
開いてみるとこんなです。
まるで貝殻ですね。
種が見えますか?
下のほう、二個、
種を殻から出してみました。

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2011年9月17日土曜日

びっくり。

夕方、窓から外を見ていたら、遠くの木にリスの影が。。
そういえば食事の時間だ。
というわけで、アーモンドを持って外に出た。
見渡しても、どこにもいない。
垣根の上に両肘を置いて、
「ちっちっち」と呼んでみた。
しばらくして、突然、なにか毛深いものがぼくの身体を登ってくる。
足からわき腹を通って、わきの下から首のところをぬけて、
数センチの距離で、眼と眼を見つめあう。
アーモンドを二つ、口に入れると、
あっという間に、オレンジの木の上に消えた。
なれなれしさと、野生。
理想的な隣人だ。

2011年9月12日月曜日

茉莉花忌


                                           山田リオ
また九月11日がめぐってきて、松本よし子さんのことを思い出します。
毎日の生活のなかで、忘れないと思っていた人のことを、気が付いたら忘れてしまっていた。
こういう日が来て、やっと思い出す、大切な友達のこと。
2006年に書いた「友よ」を、あらためて掲載します。

あのころ、ぼくたちはニューヨークに住んでいたので、あそこで働いていた知人友人も多かったのです。

あの日、亡くなった方は2977人。
その約88%がアメリカ国籍の人たち、そして約12%が外国籍の人たちで、それは合計九十カ国以上になります。
すべては書ききれないが、少しだけ拾ってみます。

イギリス、67人。ドミニカ、47人、インド、41人、韓国、28人、日本、24人。カナダ、24人、コロンビア、17人、フィリピン、16人、ジャマイカ、16人。メキシコ、16人。トリニダード・トバゴ、14人。オーストラリア、11人。ドイツ、11人。イタリア、10人。パキスタン、8人。アイルランド、6人。バングラデシュ、6人。ポーランド、6人、イスラエル、5人。ペルー、5人、そしてポルトガルは5人の方たちが亡くなりました。

4人以下の被害の国々は、アルゼンチン、べラルース、ベルギー、ブラジル、チリ、中国、コートジヴォアール、コンゴ、エル・サルヴァドル、エクアドル、エチオピア、フランス、ガーナ、ガイアナ、ハイチ、ホンデュラス、インドネシア、ヨルダン、レバノン、リトアニア、マレーシア、モルドヴァ、オランダ、ニュージーランド、ナイジェリア、ルーマニア、ロシア、南アフリカ、スペイン、スエーデン、スイス、台湾、ウクライナ、ウズベキスタン、バミューダ、ヴェネズエラ、などの国々でした。

合掌。

『友よ』(第一回) 再録

■2006/12/17 (日) 友よ                   山田リオ
九月十一日の朝、机に向かって何か書き物をしていたら、電話が鳴った。
会社にいる妻からで、「窓の外、見て。テレビつけて」彼女はそう言った。
窓から見ると、ダウンタウンのほう、国際貿易センターのあたりから黒煙が高く空に昇っている。テレビをつけると、そこには映画のような光景が映っていた。
国際貿易センターで働いている数人の友達に電話したが、誰にもつながらなかった。


数 日後にやっとわかったのだが、このやろ女史は十日の深夜に友人が空港に着き、眠ったのが三時すぎになって寝過ごしてしまった。それで地下鉄で貿易セン ターにある会社に向かったのだが、マンハッタンで地下鉄が止まり、道路も通行止めで、8時間歩いてブルックリン橋を渡って家に帰った。いつもなら、このや ろ女史は朝八時に出勤だったはずだから、間違いなく事件にまきこまれただろう。
松本よし子さんは、九時出勤だったが、貿易センターの前の朝市で花を買っていたそうだ。そしてその時、あの事件が起こった。空から人が降って来た。
看護婦であるよし子さんも、どうすることもできなかった。


それから一年ほどしてから、あの事件で命が助かった松本よし子さんの癌が再発した。
それまで、よし子さん自身が癌の生還者だったので、彼女は個人的にニューヨークに住む日本人、とくに女性で、乳ガンや子宮ガンの患者や生還者の相互支援グループを作って、ミーティングをしたり、訪問したり、よし子さんは、それだけでも寝る時間もないほどだった。
それ以外にも、日本人が性交渉でエイズ感染する、あるいは麻薬使用者が注射器が原因でエイズや肝炎に感染するケースが多発していた、それもよし子さんは一人で駆け回って若い日本人との連絡網を作り、相談相手になっていた。
また、日本人女性が家庭内暴力を受ける、それは相手の男性が日本人に限らず、どんな国の人の場合でも起こっている問題で、そういう女性の相談を松本よし子さんは朝でも夜中でも引き受けていた。
よし子さんが倒れれば、そういう支援組織がすべて止まってしまう。(つづく)

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『友よ』(第二回) (再録)

■2006/12/17 (日) 友よ(2)                   山田リオ
よし子さんは、週のうち一日だけ、日曜日だけは彼女自身と、アメリカ人の画家であるご主人のためにあけてあった。
だから、ぼくら夫婦は彼らの山の家に週末泊まりに行ったり、いっしょにテニスのダブルスをやったりしていた。
ふだんのよし子さんは、インチキな関西弁を駆使する、おかしなおばさんだった。落語が好きだった。

彼女の癌が悪化した時、ぼくらはもうカリフォルニアに引っ越した後だったが、よし子さんは自分の病状をすべて把握していた。
「病院で死にたくないからね。私はこの家で死ぬのがいいから、そうする。」電話で、よし子さんはそう言った。
末期で苦しんでいるときでも、よし子さんは電話をしてくれて、長話をした。
それから、亡くなったあとの、支援組織との連絡なども、指示した。
そうやって、松本よし子さんは、四十台の若さで旅立って行った。

よし子さんは、子供はいなかった。
自分自身やご主人のことよりも、無数にいる他人のことを大切にしたのが、よし子さんという人だった。
自分が末期癌で痛みに苦しんでいるときも、よし子さんは癌生還者グループやエイズの若者、家庭内暴力の被害者女性、そういうみんなのことばかり、いつも心配していたのだ。
よし子さんにとって、苦しんでいる者はすべて、よし子さんの子供のように大切な人だったのだろうと思う。
わたしは、松本よし子さん以外に、そういう人を知らない。

そういう人がいたことを書いておきたいと思ったので、書きました。(つづく)

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2011年9月10日土曜日

ダウントン・アビー

 (2011年9月20日にも関連記事があります)

            山田リオ

英国の大河(?)ドラマ、Downton Abbey  (ダウントン・アビー)ダウントン修道院という意味ですが、実際は巨大なダウントン城。その城に住むたくさんの人々の人生を描いた連続テレビドラマです。一年目が終わり、九月から英国で二年目のシーズンが始まります。
(これから書くのは、ぼくの感想で、批評ではありません)

ぼくは現在、完全にはまっています。
アメリカではPBSが放送しているので、録画しておいて何度もくりかえし見て、さらに英国で放送された版のDVDも買いました。こっちのはアメリカ版よりかなり長くて、細部が丁寧です。
細かい説明は避けますが、何度見ても、また見たくなるのには困ります。

大まかな主役グループみたいなものは、あるようで、ないようで、主役も脇役もない、と言ったほうが正しいと思います。
一見小さな役に見えても、登場人物の数だけ、たくさんの物語りがあるということです。
見る人は、貴族も、平民も、召使も、さまざまな人々の内面までを、しっかりと細部まで目撃し、何度でも噛み締めることができる。そういうドラマになっています。ぼくとしては、あたらしい映画「ジェーン・エア」とあわせて見ることをお勧めします。

このドラマの作家で、プロデューサーのジュリアン・フェロウズがテレビのインタビューで言った言葉を引用(直訳)します。

『1912年は、とてつもなく興味深い時代だと思う。なぜなら、近代社会が始まろうとしていて、自動車はすでにあり、電話と電気が広がっていく、女性に対する社会の見方が変わり始める。
もし、そういう細部を正しく表現できれば、もちろん(現代の)多くの人が、その細部自体を知らなくてもいいのだ。(細部を正しく表現できれば)このドラマ全体が、言わば「信じられる」ものになる。そして見る人はこう思う、「ああ、そうか。こういう生きかたもあったんだな。」』

日本では、まだDVDが出ていないんですが、ぼくの勝手な憶測では、このドラマは、「絵面」では、大人向けの、難しいドラマに見えるようなので、若者志向の強い、配給関係の偉いおじさまたちは敬遠するんでしょう。

でも実際は、ダウントン・アビーは世界的人気になってきていて、とくにヨーロッパとアメリカ大陸ではブームが始まっています。
支持層は女性が多いような気がしますが。女性に限らず、男性にも、そして広い年齢層に、根強い人気があると思います。

ぼくも、時間さえ許せば、毎日でも見ちゃう。何度見てもどきどきする。
「あのシーン、もう一回見よう」そういう見方もできる。非常に困る。危険なテレビドラマですが、おかげで人生が豊かになりました。

ひとつだけ言いたいことは、このドラマでは、「あらすじ」は無意味だということ。
フェロウズ氏が言うとおり、細部を楽しむことができる人、一人一人の人間の内面に興味を持つことができる人にとって、ダウントン・アビーは、すばらしいワインです。

しかし、日本語字幕をどうするのか、というのが心配なところですが。
なにしろ1900年代初めごろの英国貴族の英語、非常に丁寧で繊細な、言わば文学的な言い回しがいっぱいです。そして庶民の英語も当然あります、
一方で、字幕翻訳には、長さの制限があります。しかし、このドラマに限っては、ハリウッド映画の字幕のような「現代簡略日本語スラング」を使うと、大変に妙なことになります。
でも、画面の広さにも、時間にも限りがある。うーん。どうなりますか。

ちょっとだけ、直訳してみます。貴族の若い女性と、やや身分の劣る若い男性がワインを飲んでいる場面です。雰囲気が伝わるといいのですが。。直訳ですので悪しからず。
(ヴィデオを見ながらの聞き書きなので、自信がありませんが)
Lが女性、Mは男性です。

(夜、ダイニング・ルーム。二人が、テーブルでワインを楽しんでいる)
L 「あなたは、物事の礼儀について、うるさくありません?ちがいます?」
M 「あなたはどうなんです?」
L 「あなたが思われるほどでもありませんわ・・・ 
スィビルを救ってくださってありがとう。とても勇敢なのですね。
あなたが、あの男を殴り倒した、と聞きました」
M 「義務を果たせたのなら、よかったです」
L 「あはたは義務に従う生き物なのですか?」 
M 「完全にそうだとは言えません」
L 「あなたがわたくしといっしょに、笑ったり、ふざけたりしていらっしゃる時も、あなたは義務を果たしているわけですか?慣習に従って、世間から期待されることを、そのまま行っているわけですね」
M 「わたしを遊び道具にするのはおやめなさい。わたしが何をしました?あなたに言われたくはありません」
L 「スィビルを傷つけたら、許しませんわよ。彼女は、あなたを好きになり始めているんですから」
M 「あなたがそういうことになる(人を好きになる)とは、誰ひとり思わないでしょうね」
L 「それはわかりませんわ」
M 「あなたの言うことすべてに、からかいの響きがあります」
L 「ご自分に自信を持たれたほうがよろしいと思いますわ」
M 「思い出させてさしあげましょうか。わたしがここに初めて来た日、あなたはわたしを形容して、非常に選び抜かれた(つまり残酷な)言葉を使われました。
あの言葉は私の記憶の中に、あなたが言われた、あの日そのままに、今でも、鮮やかに生きているのです」
L 「何度も申し上げましたでしょう?私の申し上げることを、本気になさってはいけませんわ」(キスする) 
 
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2011年8月31日水曜日

波のあしあと

こんなに美しい線は
人の手では描けない
海は沖のほうから
ゆっくりとやってきて
そのあしあとを
渚に残していった
それはほんの一瞬で
すぐに次の波がやってきて
洗い去ってしまう
きれいに消されて
二度と眼では見ることができない
それがすべての美しいものの
宿命

     山田リオ

2011年8月29日月曜日

昼食

今日の昼食は、お気に入りの
ビストロで、軽いフレンチでした。






気取らない、静かなところなので、
最近、ときどき行きます。





お昼なんで、サラダ・二ソワーズ、
ニース風サラダ。オリーヴの実、ツナなど、盛りだくさんのサラダです。
そしてもちろん。定番のオニオン・スープ。
タマネギ、上の黄色いのは卵ではなくて、チーズ。
そして切ったバゲットを入れてオーヴンでゆっくり焼いてあります。 
こうなると、もうまるっきり「ブログ」という雰囲気なのだ

2011年8月27日土曜日

洗車


車で走っていたら、
遠くにあやしいものが・・・



なんだなんだと近づいて見れば。
道路の真ん中に穴があいて、巨大な水柱。
水道管が破裂したようでした。

だからなんだ、と言われると困りますが。

洗車が無料でできました・・

2011年8月24日水曜日

日向子

                                山田リオ
NHKの朝ドラマ、「おひさま」、ぼくも見ています。
もう出てこなくなったけど、赤ん坊の日向子(ひなこ)をやっていた、
俳優ではない、プロの赤ん坊の人です。
キャストに名前が出ていないんですけどね。

赤ちゃんなので、もちろん演技はしません。ぜんぶ本当。
だから、演技している大人の俳優さんたちは、全員束になっても、
ひなこちゃんの、あの魅力にはかないません。
ひなこちゃんは、ただ、そこで生きていた。
ただ、自分を抱いている人の眼を見る。一心に見る。
自分に話しかけている人の眼を見る。魂の底から、ただ一心に見つめる。
おとなのしぐさや、手の動きを見る。
まるで魔法を見る人のように見つめる。

ぼくは、息が止まるような思いで、あの赤ちゃんを見ていた。
あのひなこちゃんのように、今の一瞬をあれほど一心に生きることができたら。
もうあの子はドラマの中では大きくなって、他の子役さんに替わってしまったけれど、
ぼくはたぶん、ずっと、あの名前も知らない赤ん坊の眼を、表情を忘れないだろう。

(All rights reserved 、2011Rio Yamada
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2011年8月20日土曜日

万太郎、夏の句



ふりしきる雨となりにけり蛍籠(ほたるかご)

亡き人に肩叩かれし衣替え

神田川祭りのなかを流れけり

抜け裏をぬけうらをゆく日傘かな

運不運ひとの上にぞ雲の峰

わが老いの業はねむれず明けやすき

月も露も涼しき永久(とわ)のわかれかな

ひとりむしいかなる明日のくるならむ

短夜の明けゆく水の匂いかな    短夜(みぢかよ)


       久保田万太郎

2011年8月18日木曜日

Olive


オリーヴに悩みなき日のつづきけり

         (盗作) 

海棠や悩みなき日のつづきけり

七代目三笑亭可楽

というわけで、これが「元唄」です。

さらに、

それにつけても金の欲しさや

と付けると、更にややこしいことになります。  
                      山田

2011年8月17日水曜日

Paella Valenciana










ヴァレンシア風パエリアを作りました。
サフラン、かなり入れたつもりだけど、足りなかったらしい。色が薄い・・・

材料は、鶏、ハマグリ、蝦、イカ、小さいサザエ、
アオヤギの小柱、以上です。
貝の力は絶大であります。

2011年8月16日火曜日

 
中国から来た偉い易の先生に会えるというので、
その老人が滞在するというホテルに行った。

老人の前に座って、何の質問もなく、
姓名、生年月日を書かされた。
そしてぼくの面相、手相を見る。
しばらくして、おもむろに老人が言う。

「おかしいですな。あなたはすでに死んでいますな。」
ケンシロウのようだな、と思うが、黙って聞く。
更に、「五年ほど前にあなたの運勢は尽きた。そこからは、何も見えない。今はもう生きているはずのないあなたがここにいる。」
そこで、2008年に起こったことを話した。
「なるほど。あなたは科学の進歩で生きているわけですな」
「しかし、だからといって、いつまでも生きるわけではない」
「楽しく生きなさい。一分一秒を楽しんで生きることだけを考えなさい」
「ではさようなら。あなたに幸運を」




2011年8月15日月曜日

夜明けの月

 今朝は、雲ひとつない快晴です。

このところずっと朝は雲が厚かったので、
こんなふうに夜明けの月が見えるのは久しぶり。

風が吹いていないので、木の葉が動きません。
暑くなりそうな予感がします。

散歩の人とすれちがう時、
みんなぼくの眼を見ます。
眼が合ったら、そのまま、
お互いの眼をしっかり見て、
「おはよう」を言います。

木の下闇は、オリーヴの樹。



2011年8月13日土曜日

カフェ・ラテ

だいたい¥4,500
毎日、早朝に一時間ほど、散歩するようになった。
今年は変な天候で、八月になってもジューン・グルーム。
 つまり、ジャカランダの咲く六月の天気が、
そのままつづいている。
朝は曇って涼しく、昼ごろになってから太陽が顔を出す。
朝の六時ごろの温度は15度前後。湿度は極めて低い。
コースが決まっているような、いないような。
その朝の気分で選ぶ。
できるだけ車の走っていない道を選んで歩く。
その理由は、写真の、新しいソニー・ウオークマンだ。
イヤフォーンがそのまま本体になっている。ほとんど重さを感じないほど、軽い。
PCから音楽ファイルをダウンする。72時間という大量の音楽を入れておけるから、助かる。
コードなし。ポケットに入れなければならない本体もなし。
ただ、車があんまりうるさいときはヴォリュームを上げるわけで、それは耳に負担なので静かな道を選ぶことになる。早朝の冷たい風が心地よい。
高温多湿のニューヨークのあなた、すみません。
さらに高温多湿のジャカルタや東京のあなた、ほんとうにごめんなさい。
では、ちょっと行ってきます。帰りには角の店でカフェ・ラテを飲むのが楽しみ。
(ソニーさんからは、一円も頂いていませんよ)

2011年8月10日水曜日

落花生

                 


落花生。らっかせい。
堅い殻に二個ずつ入っているのが、落花生。
それを割って、なかにある茶色い薄皮をまとった、
あれがピーナッツ。
あれ、食べ始めると止まらないんですよね。
外の殻を割るという行為、それから薄皮を剥いて食べるという、一連のプロセスが、なぜかどうしても止まらない繰り返しへとつながる。

ところで、最近、すごく気になっているのが、テレビのトークショウなどを見ていると女性のゲストが出てきますね。
そういう人でも、また、ニュース番組などで町の通行人に短いインタビューをする時でも、ほら、話しながら、まるで前髪が眼にかかって、視界の邪魔であるのを、払いのけるように、軽く頭を振って「ぱさ」ってやる動作、あれです。
あれが気になり始めたんです。恐れ入りますが、今、ちょっとやっていただけます?はい。それそれ。ありがとう。

テレビではなく、実際に仕事などで女性と話しているとき、この「髪ぱさ首ふり」に出会った場合、困ります。見ちゃうんですね。ああ、やってる。またやった・・・

なかには、髪の毛が止めてあったり、固めてあったりで、いくら頭を振っても、髪の毛は微動だにしない場合もあって、それでも、またしばらくすると、あの「首ふり運動」をする。これをする人が、多くなっているような気がする。気のせいかしら。

もちろん、この「首ふりパサ」をやる男性もいます。
だからこれは、一応、男女無差別の行動と言えましょう。

ところが、見ていると、これを全くやらない女性もいます。
こういう強い意志というか、『世間の風潮に流されない』人を見ると、年齢や美醜に関係なく、「いいなあ」と思います。

おそらく、あの「首ふり」行為は、みんながやってる流行という側面もあり、また「美しいヘアと優雅な動き」の表現でもあり、そしてまた「ピーナッツを食べるのがやめられない」に似た、強迫性神経症にも似た側面もあるんじゃないでしょうか。

見ていると、さっき首ふりをしたのに、またしたくなって、でも我慢をしているのがわかる人がいます。「ああ、やりたいんだな」と、見ていて思う。
そうなると、話題なんか聞こえなくなって、集中して首ふりを待ちます。
そうやって見ていると、「ほら、やった」、やっぱり「ぱら」をするんです。
あれは、そういう行動サイクルに入ったら、もう、止まらないみたいですね。
ほら、今これを読んでいるあなたも、「ぱら」をやりたくなったでしょ?

え?ぼくですか?ぼくは「ぱさ」ってやるほど、毛髪を所有していないのでね。
もしかして、そのせいで、豊かな髪の人たちが気になるのかも。
でもさ、非常に毛髪の乏しいお父さんが、それを忘れて「ぱさ」とか、首ふりをやったら、おかしいね。
                     山田リオ        
All rights reserved,2011 Rio Yamada