百閒はずいぶん彼の版画を愛したようだ。
古本屋で、一ドルの古本を買った。ドイツ文学者の池内紀という人の随筆集だ。
そのなかに、偶然、谷中安規の死について書いたものを見つけた。
それは、淡々とした、しかし深い悲しみに満ちた文だった。
終戦直後、風船画伯は、世間から忘れられ、ホームレスになり、食うものもなくて栄養失調になり、釘のように痩せた後に、足も目もむくんで死んでいったという。
ぼくもある時期、病気のせいで顔のむくみがずいぶん酷くなってきていたから、風船画伯の死のありさまを読んで、他人事とは思えなかった。
百閒先生に発見されてから、風船画伯はたくさんの版画を残した。
友人だった棟方志巧とは違って、亡くなったあとも無名のままだった。
今は、少しは評価されているのだろうか。
でも、あの百鬼園という独歩の人に愛されたのだから、マスコミにもてはやされ、百万人に人気を博すよりも、ある意味、満足な一生だったのではないか。
(All rights reserved 、2011Rio Yamada
このHPの全ての記事は著作権法によってコピー、転載を禁止されています。)
(All rights reserved 、2011Rio Yamada
このHPの全ての記事は著作権法によってコピー、転載を禁止されています。)
0 件のコメント:
コメントを投稿