2018年7月31日火曜日

ひぐらし

■2006/08/16 (水) ひぐらし

                        山田リオ
 

ニューヨークに住んでいたころ
近くには川があり 小さい公園もあった
夏の夜 毎年のようにホタルが集まり
あの黄色いようなうす緑のような 不思議な色で光った
それぞれ ばらばら勝手に光るのではなくて
なにか秘密の暗号で 指令が出ているかのように
夜の闇のなか みんなそろって 何百何千のホタルの光が
一度に灯り 揃って消える
そういう不思議な光景を毎年 見に行った
でも ホタルを見に来るのは
わたしたち以外には 誰もいなかったのだ
ホタルの光を見て楽しむのは 日本人だけのようだった

ひぐらしが聞こえる
いまは ひぐらしがしきりに鳴いている
耳の中で 心の奥で
聞こえるはずのない ひぐらしが鳴いている
ここには ひぐらしどころか
セミもホタルも いないのだから
ほんとうのひぐらしを聞いたのは
何十年も昔のことだ
それでも まるで縁側にかかった葦簾(よしず)の外
杉林の奥 峠のほうから また谷から
遠く 近く ひぐらしがひびく

わたしが 逝くときには
涼しい風の通る 夕暮れの座敷で
ひぐらしを聞きながら 逝きたい
畳の上に 横になり
真新しい畳の匂いを 嗅いでいると
ああ 風にのって 遠く 近く
ひぐらしが 聞こえる
そうだ
死に水は よく冷えた冷茶を
あの 紅色の薩摩切子のコップで 呑むことにしよう
Copyright ©2006Rio Yamada

2018年7月27日金曜日

バックミラーの件

             
                                                山田リオ

「人生は一瞬の夢」 だ という
そうだとすると ずいぶん長編の夢だ
スペイン語だと グランデス・スペクタクロ
映画なら 娯楽超大作 一大スペクタクル

希望 失意 僥倖 幸福 破局 絶望 終焉
それなら あれもこれも なにもかもが 
一瞬の夢 だったのか
長いながい ローラーコースター
日本語だと ジェットコースター
ほんとうに あれもこれも 全部 夢なのか
もし そうだとしても たとえば
99パーセントが 夢で
1パーセントくらいは もしかして
夢ではなかった ということも あるかも しれない

それなら それなら 
すわりなおして ていねいに 

順番に 思い出して
夢の分類 を してみようか
ほんの一滴でも いいから
夢ではなかった ほんとうに ほんとうの一瞬を
見つけること

いやいや
後ろを振り返るのは やめよう
時間は 振り返って見るものではない
人生に バックミラーは ついてない
英語では リアヴューミラーだ
前だけ見て ゴールまで
とりあえず 生中 いや
とりあえず 最後まで 
前だけ見て 直進だ   Copyright ©2018RioYamada

2018年7月21日土曜日

アルヘンティナ

■2007/02/11 (日) アルヘンティナ

              山田リオ
アストルの店の中には
アルヘンティナが充満している

入ってすぐのガラスのケースには、いろいろなパンやケーキが並び
その後ろのキッチンでは、ほかのどんな店でも食べられない
アルヘンティナのビーフシチューや
薄く薄く切ったイギリスパンに、ハムやチーズをはさんで
フライパンで焼き色をつける、あのサンドイッチを作っていて

そこでスペイン語しか話さない女の子たちに挨拶して
フランスパンの生地をぐるぐるねじって棒にして油で揚げて
それに粗い砂糖をふりかけた、ブエノスアイレスのドーナッツや
たっぷり熱いミルクの入ったカフェコンレチェをたのんで

奥の広間に入ると、大画面のテレビでは当然フトボル
つまりサッカーを大声で応援する人たちの声が爆発している
その一方で、チェスをしている人たちもいて
その喧騒に混じって、あのピアツォラの音楽が聞こえてくるから
自分は今、カリフォルニアなんかではなく
まぎれもなく、アルヘンティナにいるんだということがわかる

だからここで、喧騒と食べ物とコーヒーの匂いとこの空気の中で
わたしはアルヘンティナ人でもブラジル人でもなく、
中国人でも、韓国人でも、アメリカ人でもないけれど
そして日本人の知人には、おまえなんかもう、日本人ではないと
そう言われるわたしも、ここ、アストルの喧騒の中にひとり座れば
人生は祭りなのだということがわかる、いや
どんな人間にとっても、人生は祭りなのだということを
もういちど、ここでひとり
自分にむかって、言い聞かせよう。Copyright ©2007RioYamada

(注:アルヘンティナはスペイン語で「或善珍」のことです)


2018年7月19日木曜日

もりかずさん


人間というものは、かわいそうなものです。
絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、
でき上がったものは大概アホらしい。
どんな価値があるのかと思います。
しかし人は、その価値を信じようとする。
あんなものを信じなければならぬとは、
人間はかわいそうなものです。     熊谷守一(画家、1880-1977)

2018年7月16日月曜日

遠い渚


ここから波音きこえぬほどの海の青さの
                        
                    尾崎放哉(1885-1926)
                      (おざきほうさい、無季自由律俳句) 
 
いつも、要町にある、もりかずさんの海の絵を思い出す。
あれも、ずっと遠いところで波が砕けているのが見える 
でも、聞こえない Copyright ©2015RioYamada

2018年7月6日金曜日

尾形亀之助

                            (1900-1942)
曇天

遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ

晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い

美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい

無題詩

ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと

春の街の飾窓

顔をかくしてゐるのは誰です

私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです

無題詩

から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ

ま昼の原を掘る男のあくびだ

昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ

                                    尾形亀之助(1900-1942)

2018年7月5日木曜日

万太郎 夏の句 再録


ふりしきる雨となりにけり蛍籠(ほたるかご)
亡き人に肩叩かれし衣替え

神田川祭りのなかを流れけり

抜け裏をぬけうらをゆく日傘かな

運不運ひとの上にぞ雲の峰

わが老いの業はねむれず明けやすき

月も露も涼しき永久(とわ)のわかれかな

ひとりむしいかなる明日のくるならむ

短夜の明けゆく水の匂いかな            *短夜(みぢかよ)


       久保田万太郎(1889-1863)