2013年2月24日日曜日

ダウントン・アビー三年目が終わった


 
またしつこく言いますが。
xxxx。
あの人とあの人は、できればxxくらいまではxxxxxx、
と、思うともなく、そう思っていたxxx、xxxxxxxxxx。

そりゃ、現実の世界でも、xxxxとか言うけれど、
xも、 yも、 zも、
xxxxxxxxxxxxx。しかし! 召使のトーマスくん、オブライアン女史なんかは、
xxxxxxxxx、相変わらず暗躍しているじゃないか。
それが現実よ、と言われれば、そうなんだけど。

これを書いているジュリアン・フェロウズの革命的というか、
勇気だか蛮勇だかは、認めるけれど。
まあ、ハリウッド映画だったら、絶対やりませんね、
こういうこと・・・

でもなにしろ、全員が主役で、全員が脇役というダウントンですから、
これからも、たくさんの人たちが、それぞれの物語を紡いでいくのでありましょー。
それはそれ、今は考えたくもない、というのが、見終わった現在の気持ちです。

とりあえず、茫然自失、といいますか。
しかしここは、気をとりなおして、今すぐ出かけて行って、
ジュリアン・フェロウズに面と向かって言いたい。
「ロード・フェロウズ!xxxxxxx,xxxxxxx,xxxx!」

 Copyright © 2013Rio Yamada 「ダウントン・アビー」についての記事は、今のところ全部で六つです。ブログ右側の「ラベル」の「ダウントン・アビー」をクリックすると、全部一度に読めます。

2013年2月18日月曜日

笹井 宏之






廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは

初めての草むらで眼を丸くして何かを思い出している猫

時計から兎の駆けてゆくやうな気配がしても誰にも言ふな

六月の雨が両手を伝ひつつわが深層へ雫するのだ

ひとときの出会ひのために購ひし切符をゆるく握りしめたり

なんといふしづかな呼吸なのだろう 蛍の群れにおほはれる川

白砂をひかりのような船がゆき なんてしずかな私だろうか

気のふれたひとの笑顔がこの世界最後の島であるということ

顔をあらふときに気づきぬ吾のなかに無数の銀河散らばることを

さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから

あをぞらの青が失はれてしまふ汝を抱きしめてゐるあひだにも

落花生食む度に落つ甘皮に人の残せるは何ぞと問ふ            

ひとが死ぬニュースばかりの真昼間の私はついにからっぽの舟

おそらくはあなたにふれていたのです 浜昼顔の眠りのなかで

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

太陽の死をおもふとき我が生は微かな風を纏ふカーテン 

ほんとうにわたしは死ぬのでしょうか、と問えば杉並区をわたる風

あなたとの日々をゆっくりOFFにしてそれきり電池切れのリモコン

祝祭のしずかなおわり ひとはみな脆いうつわであるということ

百年を経てもきちんとひらきますように この永年草詩篇



                                          笹井 宏之(1982-2009

                                                             

2013年2月4日月曜日

白木蓮(はくれん) 吉野秀雄


 

白木蓮の花の千万青空に白さ刻みてしづもりにけり


青空の染めむばかりの濃き藍に皓さ磨けり白木蓮の花     (皓さ←しろさ)


しろたへの白木蓮空にまかがよひ地には影しつ花さながらに


                    吉野秀雄(1902-1967}