2016年12月18日日曜日

祭りの日

                山田リオ
祭りだなあ
と 思う
生きているのは
祭りだ
つくづく そう思う
それは ときどきやってくる祭りではなくて
今日 一日だけの祭りだ

べつに 気の合った仲間たちと集まって
盛り上がる いな事ではなくて
それは 一人きりでいいんだ
ときには 二人だってかまわない
今 外で鳴いている鳥でもいいし 昆虫とだっていい
それもべつに いてもいなくても
あってもなくても いいんだ

今日
そして今 ここにこうしていること
それが祭りだと思う
それこそが祭りだ
それはまったくすごいことで
ありがたいことだ

だから 今日は祭りの日で
今はまだ 生きている
そして 今日がもうすぐ終わって
明日の朝 もしも目が覚めて
その時 ぼくがまだ呼吸しているのなら
明日 祭りの日だ
ほんとうにありがたい
めでたい 祭りの日だCopyright©2016RioYamada


2016年11月30日水曜日

平城山(ならやま)


        北見志保子(1885-1955)

ひと恋ふは かなしきものと 平城山に
もとほり来つつ 堪へがたかりき

いにしへも 夫(つま)にこひつつ 越えしとふ
平城山のみちに 涙おとしぬ

2016年11月21日月曜日

西行

今よりはいとはじ命あればこそ
かかるすまひのあはれをも知れ

あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ
来む世もかくや苦しかるべき

なにごとも変はりのみゆく世の中に 
おなじかげにてすめる月かな

秋はただ今宵一夜の名なりけり 
同じ雲居に月はすめども    *今宵一夜(こよいひとよ)

いつとなく思ひに燃ゆるわが身かな
浅間の煙しめる世もなく

なき人のかたみにたてし寺に入りて
跡ありけりと見て帰りぬる

風になびく富士の煙の空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな   *煙(けぶり)

                                       西行法師(1118-1190)

2016年11月7日月曜日

「生々流転」2007 再録

■2007/12/28 (金) 生々流転

「生々流転」      山田リオ
Copyright©2007RioYamada
 

テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ

その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。
Copyright©2007RioYamada

2016年10月28日金曜日

マリリン・チン ②

Old Asian Hand 
  

  中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ
 

 年老いた アジアの手

年老いた アジアの手よ
わたしの ハタハタと羽ばたく場所に 触れよ
わたしの心臓 わたしの身体の蝶々
すみれ色の 椿の花が
真夜中に 鼓動する

年老いた アジアの手よ
月が おまえの左半分を 切り取る
黄色いのは 草
身もだえすることを 学ばなかった 草

年老いた アジアの手よ             
蒼い赤道の下に 
秋の初めの 湿った温かい地衣類を
見つけたか?

新たな 民族離散という
泥炭層の すぐ下には
すきとおった水が 流れる 

Copyright©2016RioYamada

2016年10月21日金曜日

マリリン・チン ①

■2005/08/13 (土) SAD GUITAR
中国系アメリカ人女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。

Sag Guitar「悲しいギター」        
                     マリリン・チン 訳:山田リオ

盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ

お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?

見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある

おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す

わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する

あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。
Copyright©2005RioYamada

昨日の晩、この詩の最後の部分「あなたが聞こえる」以下を夢にました。そこで、今朝、このなつかしい詩を再度掲載することにしました。2016  山田リオ

2016年10月11日火曜日

八木 重吉 ②

秋のひかり

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう



窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう




ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた


草に すわる

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる

草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる



秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる

無題

ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった

                八木 重吉(1898-1927)

2016年9月20日火曜日

雨      詩:エンリケ・カディカモ(1900-1999)
          ブエノスアイレス、アルゼンチン 訳:山田リオ

夜は けだるい冷たさでいっぱいで
風が 聞きなれない 悲しい唄を運んでくる
それは まるで 夜の 切れぎれの断片
その影のなかを ゆっくり進む
そして 雨だ
雨は わたしの心臓に刺さる 棘のようだ

このあまりにも冷たい夜は
そのまま私だ 私の中の空虚だ
それをちぎって 捨てて 忘れようとしても
記憶は・・・

雨 悲しみ 一人 舗道の上に凍りついている心臓
氷の冷たさに 忘れていた傷から 雨は滴る
ただ 道に迷って
影の中をさまよう 幽霊のように
雨そのもののように

夜は けだるい冷たさでいっぱいで
道を渡るものは だれもいない
街灯に 照らされて 舗道が光る
そして 私は ただの紙くず
永遠に 一人だということを 
思い出せ

雨滴が 私の心の水たまりに 落ちる
骨に沁みる この 屈辱 苦痛
また 風がやってきて
わたしの背中を 押す・・
  Copyright©2016RioYamada 

《「雨」は、アルゼンチン・タンゴの歌詞です。

2016年9月15日木曜日

グラン・ジュテ

ニジンスキー、「薔薇の精」
「心が変われば、運命も人生も変わる」

「不幸な過去は変えられないが、未来は変えることができる」

「人が回復するのに、締め切りはありません」

「グラン・ジュテは、バレエ用語で『跳躍』という意味です。
私は、人には誰でも必ずグラン・ジュテがあると思ってます。」

「人は、いくつになっても『跳躍』して、変わることができるんだ。」

                 夏刈郁子(1954~) 

2016年9月10日土曜日

あの日 311短歌 再録  

2014年3月19日水曜日

あの日 311短歌


この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った       新妻愛美
 
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった

あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは        山崎節子
 
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし

生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月

かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ

「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声       斉藤梢


寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと      半谷八重子

差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ 

遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと       佐藤成晃 

鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから          渡邊穂 


いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる

廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか        佐藤祐偵

 ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青

ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか        三原由紀子

2016年9月8日木曜日

端唄

夕暮れ

夕暮に 眺め見渡す隅田川 月に風情を待乳山
帆上げた船が見ゆるぞえ アレ鳥が鳴く 
鳥の名も 都に名所があるわいな

有明

有明の灯す油は菜種なり 蝶が焦がれて逢いに来る
もとをただせば深い仲 死ぬる覚悟で来たわいな
気安めかだます心か知らねども 今朝の別れにしみじみと
辛抱せよとの一言が たより無き身の力草
今朝も羽織の綻びを わしに縫えとは気が知れぬ
嫌な私に縫わすより 好いたあの娘に頼まんせ

秋の夜

秋の夜は長いものとはまん丸な 月見る人の心かも
更けて待てども来ぬ人の 訪ぬるものは鐘ばかり
数うる指も寝つ起きつ わしゃ照らされているわいな

永井龍男の句

戸を立てし吾が家を見たり夕落葉

魚 の ご と 栖 ひ て 谷 戸 の 星 月 夜
   
月 島 は 宵 宮 の 雨 が 癖 と い ふ
 
格 子 木 戸 二 月 の 月 の あ る 気 配

橋多き深川に来て月の雨

谷戸谷戸に友どち住みて良夜かな

大船の横町狭し鰻食う   

建前の木遣りが呼びし初雪か

       永井龍男(1904~1990)

2016年8月25日木曜日

江戸の都都逸 ②


三千世界のからすを殺し
ぬしと朝寝がしてみたい  *ぬし(おまえ、あなた)

がつくほどつねっておくれ 
あとでのろけの種にする

明けの鐘 
ゴンと鳴るころ三日月形の
櫛が落ちてる四畳半

上を思えば限りがないと 
下むいて咲く百合の花

嫌なお方の親切よりも
好いたあんたの無理が

ひぐらしが
鳴けば来る秋わたしは今日で
三晩泣くのに来ない人

こうしてこうすりゃこうなるものと 
知りつつこうしてこうなった

道楽も

酒も博打も女もやらず 
百まで生き馬鹿がいる 

2016年8月5日金曜日

住宅顕信


ポストが口あけている雨の往来

レントゲンの早春の冷たさを抱く

点滴びんに散ってしまったわたしの桜

深夜、静かに呼吸している点滴がある

許されたシャワーが朝の虹となる

雨音にめざめてより降りつづく雨

降れば一日雨を見ている窓がある

歩きたい廊下に爽やかな夏の陽がさす

点滴と白い月とがぶらさがっている夜

「一人死亡」というデジタルの冷たい表示

秋が来たことをまず聴診器の冷たさ

        住宅顕信(すみたくけんしん)(1961-1987)

2016年7月28日木曜日

会話


買ったときには気がつかなかったのだが、
エアコンが「話しかけてくる」のだ。

お正月の元日には「明けましておめでとうございます」、と言う。
「暑くなりましたね」などと、余計なことも言う。
違和感を感じながらも、無視してきた。

しかし、最近、自分も無意識に「返答」するようになってきたことに気がついた。

「おはようございます」と言えば、自分も「はい、おはよう。」などと答えている。
我ながら驚く。
まったく迷惑で、不愉快なことだが、むりに黙らせることは、あえてしない。
困ったことだ・・・
           山田
 
 

2016年7月18日月曜日

谷崎潤一郎


庭先の石のはさまに蜥蜴の尾みえかくれして山梔の咲く    蜥蜴(とかげ)山梔(くちなし)

いしだんを数へて登る乙女子の袖にちり来る山ざくらかな   
乙女子(おとめご)
 

柿の実の熟れたる汁にぬれそぼつ指の先より冬は来にけり

しめやかに団欒しをればさやさやと障子にあたる薄雪のおと  団欒(まどゐ)

                                谷崎潤一郎(1886年-1965)

2016年7月1日金曜日

河合先生の本のなかに、
アメリカ先住民、ナヴァホ族の神話のはなし
人間に知恵を授ける存在として、フクロウのことがあった。

アイヌ神謡集で、フクロウは「神」として登場している。
梟神、「カムイカップ」、とある。
いろいろな鳥、獣が登場する中で、梟だけが「フクロウ神」。
「銀のしずく降る降る・・」という、あれだ。

                            やまだ

2016年6月29日水曜日

              山田リオ

最近、思うんだけど、
人一人の生命と、蟲一匹の生命は、同じ重さじゃないのか。

どれほどの名声を残そうと、どんなに大きなビルを建てようと、
全巻96冊の作品全集を残して逝こうが、
死んでいく時には、わたしたちは何一つ持っては行けない。
燃えるゴミか、燃えないゴミか、どっちかになるしかない。
蜘蛛がどんなに立派な左右対称の巣を作っても、
夜のあいだに雨が降れば、朝にはその巣は消えている、
それと同じことだ。

猫のまわりに、猫の中に、
すごく巨きな平安を、平和を感じることがある。
木の枝で鳴いている小鳥を見ていると、小鳥のしあわせを思う。
こっちの勝手な思い込みだろうか?
壁にとまっている、いつもの蜘蛛をどんなに見ていても、
そこに何の苦しみも、葛藤も感じることができない。 
それは、こっちが鈍感なせいか?

それに比べて、わたしたちの心のなかに吹き荒れる嵐は、なにごとか。
あの蟲、鳥獣蟲魚の心の中にも、私たちと同じような暴風雨があるのか。
訊いてみないとわからないことだが、
窓の外の小鳥の答えは、おそらく明快だろうと思う。

それもこれも、すべては、こっちの思い込みか?Copyright©2016RioYamada

2016年6月24日金曜日

いぬのおまわりさん


               さとうよしみ作詞・大中恩作曲

まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは どこですか
おうちをきいても わからない
なまえをきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン

まいごのまいごの こねこちゃん
このこのおうちは どこですか
からすにきいても わからない
すずめにきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン

2016年6月22日水曜日

おなかのへるうた

                阪田寛夫作詞・大中恩作曲

どうして おなかが へるのかな
けんかをすると へるのかな
なかよししてても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

どうして おなかが へるのかな
おやつをたべないと へるのかな
いくらたべても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

あめふりくまのこ

                   鶴見正夫作詞・湯山昭作曲


おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました

いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました

なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました

それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました

なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました

2016年6月6日月曜日

蜘蛛 ④


全長5mm。
春すぎて 夏来にけらし、と言っても、まだ梅雨の入りですが。
あの蜘蛛との再会がありました。
今朝のこと、いつものPCモニターの脇に、忽然と現れました。

元気です。
非常に活発に動き回っております。
「わたしは元気です」と言うかのようです。
そんなわけで、小雨ですが、めでたい日になりました。
ご報告まで。
           やまだ

2016年5月27日金曜日

山崎方代 ②


 ©2016RioYamada
ふるさとを捜しているとトンネルの穴の向こうにちゃんとありたり

あきらめは天辺の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる

まっ黒いさくらの花がぽたぽたと散りあらそへり瞳(め)は盲てゆく

なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない

新聞紙に腰をおろしてからっぽの頭の先を陽に干している

人間はかくの如くにかなしくてあとふりむけば物落ちている

鬼のようにしゃがんでいるとまた一つ銀杏の実が土を鳴らせり

もう何も申し上げません夜は早く灯を消して眠るにしかず

こともなくわが指先につぶされしこの赤蟻の死はすばらしい

耳もとでささやいているずっしりと小屋を囲んで雪が止んでいる

日が昇って来るなりこくいっこくのせまり来る死ぞ

                山崎方代(1914-1985)

2016年5月16日月曜日

安住 敦 ②


雨降ってゐる金魚玉吊りにけり

世にも暑にも寡黙をもって抗しけり

蝉しぐれ子の誕生日なりしかな

また職をさがさねばならず鳥ぐもり

ひやびやと日のさしている石榴かな

鳥渡る終生ひとにつかわれむ

花柳章太郎よりとどきたる切子かな

職替えてみても貧しや冬の蝿

留守に来て子に凧買ってくれしかな

雪の降る町といふ唄ありし忘れたり

             安住 敦(あずみ あつし、1907-1988)

2016年5月6日金曜日

耳を通じて


心がうらぶれたときは 音楽を聞くな
空気と水と石ころくらいしかない所へ
そっと沈黙を食べに行け! 遠くから
生きるための言葉が 谺してくるから。

          清岡 卓行(1922- 2006)

2016年4月29日金曜日

花を持った人


                       村野四郎(1901-1975)

くらい鉄の扉が
何処までもつづいていたが
ひとところ狭い空隙があいていた
そこから 誰か
出て行ったやつがあるらしい

そのあたりに
たくさん花がこぼれている 

2016年4月12日火曜日

ホームレス短歌、川柳


テント小屋冬はそのまま冷蔵庫捨て弁当も腐りません   
                                                                  坪内政夫

途方もなく空広かりきリュック背負い ホームレスの道踏み出ししとき 

言ひ値にて雑誌を売りて得たる金三日の命を養ふに足る      
                                                                    宇堂健吉

説教と引き換へに配るパンならば生きる為には説教を聞く

名も知らぬブラジル人のその後を想ひて今朝の寒さに耐へる

親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす 
                                                                         公田耕一
***********************

食べ物の賞味期限は舌に聞け

年賀状住所無き身に届かない

公園の闇夜で一人忘年会

パンの耳鳩にやるなら俺にくれ

アルミ缶空を集めて中身買う

プレゼント応募したいが住所なし

春の夜は同じ寝床の猫元気     

寝袋に花びら一つ春の使者 

お茶一本水で薄めて五本分 

炊き出しで嫌いなものが好きになる 
                                  (ビッグイシューより)

2016年4月9日土曜日

蘇州夜曲

  

                 西条八十(1892-1970)  

 君がみ胸に抱かれて聞くは
 夢の船唄鳥の唄
 水の蘇州の花散る春を
 惜しむか柳がすすり泣く

 花を浮かべて流れる水の
 明日の行方は知らねども
 今宵映したふたりの姿
 消えてくれるないつまでも

 髪に飾ろかくちづけしよか   
 君が手折りし桃の花
 涙ぐむよなおぼろの月に
 鐘が鳴ります寒山寺

2016年4月7日木曜日

花筏


春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり

花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける
 

風さそふ花のゆくへは知らねども惜しむ心は身にとまりけり
 

世の中を思えばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ    西行法師
                                                                 

2016年4月1日金曜日

さくら横ちょう


        詩:加藤周一(1919-2008)

                                       (中田喜直作曲)
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう

想出す 恋の昨日
君はもうこゝにゐないと
あゝ いつも 花の女王
ほゝえんだ夢のふるさと

春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう

会い見るの時はなかろう
「その後どう」「しばらくねえ」と
言ったってはぢまらないと
心得て花でも見よう

春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう


            山田リオ
暁光。朝日。陽光。 
斜陽。落日。

夕闇。残照。月光。星月夜。  
夜風。雨。
和蝋燭。行灯。菜種油。灯篭。 
松明。薪。かがり火。 

商店会のピンクの提灯。
白熱電球。蛍光灯。ハロゲン電球。  
イルミネーション。LED電球。ライトアップ。
雑踏。音楽。声。ホットドッグ。スパークリングワイン。タバコの吸殻。ゴミ。

静寂。無風。闇夜。無人。花。世界。  

Copyright ©2016RioYamada

2016年3月28日月曜日

初鶯


初鶯。
この春、初めて来た若いウグイス。
薮ウグイス、という呼び方もある。

はじめは、なんの鳥かな、と思う。
聞いていると、どことなく、ウグイスに聞こえないこともないような。

一所懸命、歌おうとするが、なにしろ、ひょろひょろだ。
若気の至り、へたくそ。
まあ、勉強中なんだから。
いろいろやってみるが、なかなかうまくいかない。

春はまだ若い。
ウグイスも、まだ少年だ。

2016年3月26日土曜日

尾形亀之助 ⑥

                                    
                 尾形亀之助(1900-1942)


(仮題)

あまり夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ
そして 机の上の水仙を見てゐることがある

****************

夜の部屋

静かに炭をついでゐて淋しくなつた
夜が更けてゐた

眼が見えない

ま夜中よ

このま暗な部屋に眼をさましてゐて
蒲団の中で動かしてゐる足が私の何なのかがわからない

2016年3月22日火曜日

花冷え



 花冷えの雨のひときは濡らすもの 

花冷えの閉めてしんかんたる障子 

花冷えのみつばのかくしわさびかな

花冷えのうつだけの手はうちにけり

花冷えのうどとくわゐの煮ものかな
 
                  万太郎

やすらへば手の冷たさや花の中
                  岡本松浜

命二つの中に生きたる桜かな

さまざまのこと思い出す桜かな
                  芭蕉

2016年3月20日日曜日

咲きそめし


 
 ソメイヨシノ、今朝は一輪も開いていなかったのに、
さきほど見たら、もういくつもほころびていました。

(日記の日付は二十日の日曜日になって居ますが、
ここ東京では、の日記を書いたのは二十一日の月曜日です。)


やすらへば手の冷たさや花の中
            
    岡本松浜(しょうひん)1879~1939

2016年3月19日土曜日

リスのこと


リスちゃんと仲良くしていた頃の写真です。
アマンダ・レモンツリーという名前をつけていました。
メスのリスです。

子育ての時期だけはいなくなって、
それが済めば、何もなかったように帰ってきます。
まったく物怖じしないというか、
信頼されていたようです

黙っていると、どんどん家の中に入ってきます。
野性の獣なので、きっちり線引きして
そこまで。と言えば、
ちゃんとわかって、それ以上は入りません
アーモンドを食べたら、帰ります。

ぼくの身体に登ってくるし、
外を歩けば、並んで歩くし。
なんだったんだろう、あのリスは。
今となっては、あまりにも遠い。
彼女、元気なのかな・・

PSこのリスの記事は、ほかにもたくさんあります。

2016年3月16日水曜日

苦しむ、でも死なない

                  ネウソン・サルジェント(ブラジル、1924~)
Agoniza Mas Não Morre 

             Nelson Sargento(1924~) 
                                  
訳:山田リオCopyright ©2016RioYamada

サンバは苦しむ
でも死なない
最後の息が止まるまえに
だれかがいつも
サンバを救う

サンバは黒くて、強い
サンバは怖れない
街角で、酒場で、裏庭で
サンバは激しい迫害を受けた

サンバは純粋で
しっかり土に根を張っている
サンバは高貴な隣人だ
サンバは抱きしめる
サンバは包み込む

社会のかたちが変わり
ほかの文化が押し付けられても
サンバは
気にもしなかった

サンバは苦しむ
でも死なない
最後の息が止まるまえに
だれかが
かならず
サンバを救う
 

2016年3月10日木曜日

3・11

あの日 3・11短歌


この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った       新妻愛美


黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった

あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは        山崎節子

あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし

生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月

かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ

「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声       斉藤梢

寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと      半谷八重子

差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ 

遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと       佐藤成晃 

鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから          渡邊穂 

いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる

廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか        佐藤祐偵

 ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青
 
ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか        三原由紀子

2016年3月5日土曜日

夢織り

 


夢織り            木村信子

朝から一日草汁を絞っている
きりきり捩じって毒の匂いを嗅ぎ分けながら
指を青く染めながら
滲じんでくる血と見くらべながら

真夏の森で
森とおんなじ色になって
今わたしは風になっている
さわさわ自分の大きさに途惑いながら
やわらかいって気持ちがいいね
骨の痛みしか知らなかったからくすぐったい
みどり色って血の色なんだね

ふっと向こう側に置いてきた自分の影がさして
手をのばすと
どうしてもとどかない指先の熱さが森を焼きつくして

向こう側の私が紅色になってこっちをふりむく

2016年2月28日日曜日

蜘蛛 ③

                   山田リオ
ここに住み着いた蜘蛛との付き合いも冬を越して
もうすぐ、春を迎えようとしている
体調5mmの微細な蜘蛛だけれど、見れば安心する
ああ、生きていたんだな、と思う 
行動範囲も、ゆるやかにわかってきて
陽のある午前中は窓の近く、そして午後はPCのあたり
夜、風呂場の脱衣場にかけたタオルにとまっていることもある
温かさと、湿度をもとめて移動するようだ
小さい同居人、いや、同居節足動物
いつかいなくなったら、と思う
いなくなるのは、蜘蛛のほうではないかもしれない
それは、人間にも、蜘蛛にもわからない  Copyright ©2016RioYamada

2016年2月18日木曜日

尾形亀之助 ⑤

 
雨の祭日

雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ

雨が降る

夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる


うす曇る日

私は今日は
私のそばを通る人にはそつと気もちだけのおじぎをします
丁度その人が通りすぎるとき
その人の踵のところを見るやうに

静かに
本のページを握つたままかるく眼をつぶつて
首をたれます

うす曇る日は
私は早く窓をしめてしまひます

無題詩


ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと

無題詩

から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ

ま昼の原を掘る男のあくびだ

昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ



三十になれば――
そんなことを思ひつづけて暮らしてしまつた
一日

ずつと年下の弟にわけもなくうらぎられて
あとは 口ひとつきかずに白靴を赤く染めかへるのに半日もかかつて
何を考へるではなしいつしんに靴をみがいてゐたんだ

そして夜は雨降りだ


                                   尾形亀之助 (1900 - 1942)

2016年2月10日水曜日


邯鄲の夢のあとさき梅の花       和田紀夫

急坂をやうやく登り梅の花        三角よね子

尾長来て啄みしあと梅の花         若泉真樹  (啄み-ついばみ)

梅が香や垣根を越えて移りたり    武田美雪

2016年2月8日月曜日


窓の灯に映りて淡く降る雪を
思いとだえて我は見ており 
                
             横井栄子

2016年2月6日土曜日


まだ二十代だったころ、仕事でヨーロッパに行った。
たまたま隣りに乗り合わせた日本人の年配の男性と会話がはじまり、
おかげで、退屈することなく、目的地に着いた。
 

その方は、別れぎわに、持っていた文庫本を下さった。
「読んでみてください」それが、お別れだった。
Mさんというお名前を見返しにメモしたが、

どこのどなたかは、わからない。
 

本は気に入って、くり返し読み、今では、すっかりぼろぼろになった。
バラバラになりそうなのを、テープであちこち修復しながら、読む。
そして、見返しを見ると、Mさんの名前が書いてある。
その崩壊寸前の本は、今でも愛読している。   山田

2016年1月25日月曜日

蜘蛛 ② 近況


全長5mm Copyright ©2016RioYamada

 十二月に掲載した
アダンソンハエトリグモの牡
しばらく見なかったのですが
陽差しがいっぱいの暖かい午後
やっと現れました
部屋の壁を活発に動き回っています
たいへん元気そうです
うれしかったので
写真を撮りました
            や

蜘蛛は気持ち悪いという人がいるけれど
このハエトリグモが家の中で冬、生きていられるのは、ダニを食べてくれているからなのです。だからこの蜘蛛はわたしたち人間の敵ではありません。みかたなんです。
だから見つけても、殺さないでくださいね。おねがいします   や
 



2016年1月5日火曜日

鴉語録



いつも来るカラスの、今朝のお言葉です。

声の高さから、ハシボソガラスと思われます。

やわらかな調子で、何度も同じ言葉をくりかえしています。mp、メッツォピアノくらい。

「あー、あぁ、かぁ。」で、休み、また繰り返す。
なにか、おだやかなことを言っているようです。

かなり幅広い語彙を持っているようで、折にふれて記録していこうかな、と。

やまだ

2016年1月4日月曜日

尾崎放哉 ⑤


             尾崎放哉(1885-1926)

              (おざきほうさい、無季自由律俳句)
 

師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり

起きあがった枕がへっこんで居る

雪を漕いで来た姿で朝の町に入る

雪の戸をあけてしめた女の顔

帽子の雪を座敷迄持って来た

小さい火鉢でこの冬を越さうとする

とはに隔つ棺の釘を打ち終へたり

アノ婆さんがまだ生きて居たお盆の墓道

線香が折れる音もたてない

墓にもたれて居る背中がつめたい

蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る

蛍光らない堅くなってゐる

何がたのしみに生きてると問はれて居る

きかぬ薬を酒にしよう

わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかった

ポストに落としたわが手紙の音ばかり

蚊帳のなか稲妻を感じ死ぬだけが残ってゐる


                       尾崎放
**************************************************

    放哉を葬る
痩せきった手を合わしている彼に手を合わす             荻原井泉水(1884-1976)


2016年1月1日金曜日

歌人鳥居


揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴 

空しかない校舎の屋上ただよひて私の生きる意味はわからず

慰めに「勉強など」と人は言ふ その勉強がしたかつたのです

姉さんは煙草を咥へ笑ひたくない時だつて笑へとふかす

待ち受けの(旦那と子ども)を見やる人 緞帳(どんちょう)あがりポールに絡まる

履いたきり脱げなくなつたと笑ひけり踊り子たちの冷たい裸

ラベンダー遺品となりし枯野にて病みゆく母の怒鳴る声抱く

生きている人より死んだ人ばかりくっきりと見える輪郭の淵

身寄りなき赤子は強く泣きつづけ疲れを知って一人静まる 

刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁

揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴 

                                                                     歌人 鳥居