2012年1月19日木曜日

雪中庵龍雨、久保田万太郎 再録

 
■2007/12/03 (月) 
雪中庵十二世、益田龍雨

とんだ勘違いをしていたことに気が付きました。
万太郎の一中節を掲載して、その流れで俳句も、と思って俳本を見ていたら、

「繭玉の霞むと見えて雪催い」
(まゆだまのかすむとみえてゆきもよい)

とあって、「雪中庵十二世、益田龍雨」、とありました。
万太郎と思いこんでいた好きな句は、実は、龍雨の作でありました。
実に申し訳ないことをしてしまいました。合掌。

龍雨を検索しても、ほとんど出てきませんね。
龍雨で思い出すのは、寄席の句です。
落語家のみなさん、なんとかなりませんか?
マスコミが無視するものは、自動的にこの世から消え去ってしまう、というのであれば、ネットが存在する意味がなくなります。
江戸最後の俳人、龍雨が忘れ去られてしまうのは、あまりにも悲しいことです。
かく言うわたくしも、龍雨を忘れかけていた一人ですが。

龍雨、万太郎の句を併せて掲載します。    山田

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講釈場すくなくなりし袷(あわせ)かな     

叉一つ寄席なくなりし夜寒かな

一生を前座で通す夜長かな

 さびしさや師走の町の道化者

死ぬことも考へてゐる日向ぼこ

春の灯や立花亭の雪の傘

繭玉(まゆだま)の霞むと見えて雪催い(ゆきもよい)  益田龍雨

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短夜(みじかよ)のあけゆく水の匂いかな

神田川祭りの中をながれけり

枯野はも縁の下までつづきおり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな

雪掻いている音ありしねざめかな

ほとほととくれゆく雪の夕(ゆうべ)かな

まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

まゆ玉にさめてふたたび眠りけり

死んでゆくものうらやまし冬ごもり

春の雪待てど格子のあかずけり   (二月二十日、長男耕一、死去)

何か世のはかなき夏のひかりかな       久保田万太郎

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 2007年11,12月
■2007/11/29 (木) 雪まろげ 「雪まろげ」
一中節、久保田万太郎

水仙の 香もこそ師走 煤はらふ
ことぶき さても あけぼのの
空にのこれる 雲の凍(い)て

かくれ住み 門(かど)さしこめし 老いの身の
見まじ 聞くまじ 語るまじ
心ひとつに 誓へども
葦の枯葉を 渡る風
こぎゆく舟に 立つ波や
日かげ やうやく薄れきて
またもや 雪となりにけり 

数ならぬ 身とな思ひそ 亡き人よ いま亡き人よ
おもかげは 君 火をたけ よきもの見せむ 雪まろげ
よきもの見せむ 雪まろげ

【注:「君火をたけよきものみせむ雪まろげ」は芭蕉の句です。
「雪まろげ」とは、雪を丸める子供の遊びで、
万太郎の「雪まろげ」は言うまでもなく、芭蕉を題材にした一中節ですが、
この詩には、晩年の万太郎を残して逝った最愛の女性に語りかける万太郎がいます。】

ところで、2011年以前の詩日記は、ブログアーカイヴ「2011年5月」のページに保存してあります。

2012年1月12日木曜日

「Aの地下鉄」


「Aの地下鉄で行こう」 ビリー・ストレイホーン 
Take the A train        Billy Strayhorn(1915-1967)
                 訳:山田リオ


Aの地下鉄に乗ればいい
ずっと上の方、ハーレムのシュガーヒルに行くならね
もし、乗り遅れたら
ハーレムに行く最速の電車をのがしたわけだ

さあ、来たぞ、急いで乗ろう
レールのうなりが聞こえるだろう
Aの地下鉄に乗ったら
すぐ、ハーレムのシュガーヒルだ

ハーレムだ、坊や
次の駅がハーレムだ
さあ、乗ろう
Aの地下鉄で行こう 



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「A列車で行こう」という題名に、ずっと前からひっかかっていた。「違うなあ。列車、じゃないなあ。」という思いだった。あの頃、と言うか、人生のかなりの部分、時間にすれば一生の約33%、ニューヨークの地下鉄、Aラインの沿線に住んでいたからだ。

Aラインの快速地下鉄は、はるか遠く、南東のロッカウェイをスタートすると、 ブルックリン、クイーンズを通ってずいぶん走って、いいかげん疲れた頃、やっとマンハッタンに入る。快速だから、止まらない駅もある。

マンハッタンの南端、ウオール街を抜けたら、すぐチャイナタウン、それから、マンハッタン島の西側を、ずっとハドソン川に沿って北上する。ユニオンスクエア、鉄道のペンシルヴァニア駅から長距離バスのポート・オーソリティー・バス・ターミナルを過ぎたら、すぐにタイムズスクエアのブロードウエイ劇場街。

カーネギー・ホール、そしてリンカーンセンター、ジュリアード音楽院を過ぎれば、すぐにコロンビア大学、そしてハーレムだ。ジョージ・ワシントン橋を過ぎたと思ったら、ブロンクスの一歩手前で止まる。そこが207丁目の終点。

だからどうしたって?いや、なつかしいだけですよ。    山田

蛇の足ですが。
Harlem、ハーレムはオランダ語で、その昔、ニューヨークに移り住んだオランダ移民が作った町です。女性を集めておく部屋とは無関係です。
一方、HAREM、ハレムは、イスラムのサルタンに属する女性の部屋という意で、日本では、しばしば混同して「ハーレム」と間違って言われることがあります。






2012年1月8日日曜日

風の朝

 

今朝、起きたら風が強かった

背の高い椰子の木が弓なりになっている

このところ、朝晩は冷え込むので

義母が何本も送ってくれた手ぬぐいを首に巻いた

冷暖房は好きではないので

夜、眠るときも首には手ぬぐい

そして頭にも手ぬぐいを姉さんかぶりに巻く
                                  (あねさん)

タオルやガーゼは気にいらない

そこはやはり、日本手ぬぐいがさらっとして

しかも暖かく、いちばん肌に合うのです。

 http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/48095048.html   ←あねさんかぶりの写真あります

2012年1月6日金曜日

雨の頃の物語

雨の頃の物語            
         小柳玲子 (1935~2022)
ねえ、きみ
その実、僕に見えているものは殆んどない
きみの永遠などについてはなおのことだ
僕が見たのは
僅かな街の、夕暮れの
と、ある角を曲がって来た
男の、たとえば貧しい帽子
そのうしろにひろがっていく
海のようなもの
ごくとりとめのないもの
 
見えていない。
地鳴りより深いものは聴けない
僕を、僕は恥じている
僕の猫背の恥の姿勢は
くだもの屋の横で
傘をひろげる
傘が落すわずかな世界の
その仮の安らぎの中に
くるまって 歩く
そこ以外、辿りつく
国はない、と言ったように
ちヾこまって。
 
降りしきる雨の果に
僕の国はみえない
きみの火のような言葉に
きみのこゝろを聴かない
きみはどこにいますか
僕が一心になって
深い雨の裡に佇つと
きみはいちまいのレインコオトだ
雨よりもけぶっている
それから僕は雨のような、
きみのような、声をきく
「遠いところ!」
僕は傘をひろげていた
僕には見えない
遠いところについて
僕の恥の起源について
考えていた
僕の仮の国の中の
水たまりのようなもの
帽子のようなもの
ごくとりとめのないものをよぎって歩いた
 
これが雨の頃の
かなり正確な僕の物語だと
そう思ってくれ給え
きみ。
 
 
 「小さい男」    小柳玲子


  朝 名前もつけられない小さな男が一ぴき 私の歯の中から冬の中

  に出ていった。彼は歯科医のうがい台の中 その細い管の奥へまぎ

  れてしまったので 私はわざわざ呼びとめなかった。その後男をみ

  かけないので この小さい男の物語は終りになった。「顔はどうだ

  ったか」と友達はきくが――顔があったかどうか思い出せない。そ

  れに思い出しても一向に役に立たないことを思い出すのは何とも苛

  苛するではないか。

  もっともある夕方 枕もとの水薬の中 あのうす青いビンの底に

  あの男がいた「私でしょうが いつかの男は」と彼は自分の鼻を指

  しながら言った。だけど私は高熱のため脂汗をしぼって呻いていた

  ので思わず「バカバカ」と怒鳴ってしまった。おまけに「あんな男

  の話は嘘にきまってるだろ」なんて本音を吐いてしまったのだ。



「見えている部分・いちにち」     小柳玲子

   めまいに似た夏の朝
   ペチュニアの真紅を植える
   街は急に白いビルが多くなり
   従妹たちはよく笑う
   ホテルのプールは花みたい……
   ね? などとはしゃぎあう
   角の雑貨屋ばかりが
   どうしてだか私には鮮明に見える
   店先に忠雄伯父がよく呉れた
   デンキ花火が出ている
   夜更けて伯父は西の街へ還ったものだ
   戦争があって、さらに遠く
   永劫の方へ還っていった。
   「マシュマロ、買おう」
   「あら、ボンボンの方がいヽ」
   地下街の仏蘭西菓子店で
   従妹たちの
   匂うような、レースのような
   おしゃべりをきいている

   雲が湧き
   傾斜はくらいと思う
   喉の奥の深い傾斜のことだ
   焼けてしまった、あの二階家が
   そんな深さに未だ在って
   乏しい灯が入ると
   兄やわたしや
   かぼちゃの皿を囲んだ。
   夕食だった。

   テレビが海水浴のニュースを始める
   みがいたキッチンに佇つと
   こんな無益な孤りの果に
   単純な夜が落ちてくるのが
   不思議だ、と
   夏の、さびしい魚たちを
   鍋に入れる


 
 
 
 
 
 

2012年1月2日月曜日

おせち 弐

東京の知人から来た「Y」のおせち料理です。
写真が来たのです。おせち料理と刺身を、ここまで宅配便で送るのは、無理ですよw。


Yのおせちです。お刺身は、大海老、イカ、ひらめ、はまち、子持ち昆布、中トロ、など。二の重はレンコン、ゴボウ、里芋、ニンジン、あわび、青いザーサイ、これがおいしい、野沢菜、大海老のおにがらやき、ホタテの串刺し、数の子、タコ、そうだ、お刺身にもタコがあった。伊達巻、かまぼこ、白身魚の焼いたの、にしん、鮭が中に入ってて他のお魚で巻いてあるの、あとはいわゆるおせちの定番、栗きんとん、黒豆、松前漬け、イカの塩辛、たらこ、なぜかドライの明太子、イクラ、田作り、それからヒレ酒用のヒレ、きっとまだ忘れてるのがあると思うよ。そうだ、クルミの佃煮みたいのがあった。掘っても掘っても出てくるかんじだった。おいしかったよ。」