2018年12月29日土曜日

冬日

きっぱりとした冬の寒さが窓の外にあります。
朝起きると、窓いっぱいの結露です。
この部屋は日当たりが良いので、
晴れていれば、午前中は徐々に暖かくなり、
午後の陽ざしが衰えると、
寒さが身に沁みてきます。 

いつも詩日記を訪問してくださって、
ありがとうございます。
読者は、ごくごく少なくて良い、と思っています。
きちんと読んでくださる方が一人でもいらっしゃれば、と。
永年の読者、藤さん、お元気でいらっしゃるでしょうか。
今も、心おだやかで居られることを、お祈りします。
                   やまだ

PS。アダンソンハエトリグモ(5mm)も元気でおります。
毎年、この季節、たった一匹だけのここの住人(住蟲)です。
二匹でも三匹でもなく、一匹というのが、なかなかです。


2018年12月25日火曜日

天国は高い

                      
           
Copyright ©2018RioYamada
尾形 亀之助(1900 - 1942)

曇天

遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ

晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い

美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい

天国は高い

高い建物の上は夕陽をあびて
そこばかりが天国のつながりのように
金色に光つてゐる

街は夕暮だ

妻よ――
私は満員電車のなかに居る

無題詩

から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ

ま昼の原を掘る男のあくびだ

昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ

無題詩

昨夜 私はなかなか眠れなかつた

そして
湿つた蚊帳の中に雨の匂ひをかいでゐた
夜はラシヤのやうに厚く
私は自分の寝てゐるのを見てゐた

それからよほど夜るおそくなつてから
夢で さびしい男に追はれてゐた

たひらな壁

たひらな壁のかげに
路があるらしい――
そして
その路は
すましこんだねずみか
さもなければ極く小さい人達が
電車に乗つたり子供をつれたりして通る西洋風の繁華な街だ

たひらな壁のかげは
山の上から見える遠くの方の街だ



2018年12月20日木曜日

Low Down Blues

                                                        マディー・ウォータース(1913-1983                 
土曜日の晩は大事な晩だ
みんなで魚のフライを作って盛り上がった

おれは50セントとサンドイッチ一個もらって
一晩中演奏したさ。ありがたかった

みんなは、ああいう、心の深いところから来るブルースが
ほんとうに好きだったんだ
あんたたちも、ああいう本物の
純粋のブルースを聴いてみればいい
おれたちが一文無しだったころ持っていた
あのブルースのことだ
 
おれがあの頃感じていたのと同じブルースを
今感じろって言われても
それは無理っていうもんだ
今、シカゴでブルースをやってるときは
おれは「今のやつ」をやってるんで
それは、おれが生まれた時もうおれの中にあった
あのブルースとは違うもんだ
あのミシシッピーのサウンド
古いレコードに残っている
ミシシッピー河口の、三角州のサウンドだ
きっとあんたにも聞こえるはずだ

あの、本物の、純粋のブルースを聴いてみろよ
おれたちがほんとうに一文無しだったころ
おれたちが持っていた
あのブルースのことだ
クリスマスの朝、目が覚めて
家には、なにも食べるものがなかった
りんご一個、オレンジ一個、ケーキもなにも
食べるものは、なにひとつ
なーんにもなかったんだ
                                                    訳;山田リオ Copyright ©2014RioYamada 
(これは歌詞を訳したのではなくて、マディーのさまざまなインタビューの断片をまとめて一つながりにしたもので、歌を探してもむだです) 

2018年12月15日土曜日

ほほえみ


あめつちにわれひとりいてたつごとき
このさびしさをきみはほほゑむ
          (救世観音をみて)

       会津八一(1881 - 1956)

2018年12月14日金曜日

冬籠 万太郎


菊枯れて枯れてあとかたなかりけり
秋しぐれいつもの親子すゞめかな
歌舞伎座のうしろに住みぬ冬の空
かぞへ日となりし日ざしや青木の実
しみじみと日のさしぬける冬菜かな
柴垣を透く日も冬に入りにけり
いまは亡き人とふたりや冬籠
なにがうそでなにがほんとの寒さかな
すべては去りぬとしぐるゝ芝生みて眠る

           久保田万太郎 (1889-1963)

2018年12月11日火曜日

やわらかな


わたしの腕の血管に ゆっくりと
注射針を入れながら 話しかける
先生の声は いつも
どるちぇ ぴあの 

           山田リオ

2018年12月7日金曜日

推敲

推敲、水耕、遂行。
どこかで止めないと、永久に完成しない

いや、まてよ
完成しないのか、させないのか、できないのか

ここでやめる、という勇気も必要だな

まあ、このへんで、勘弁してやろう

2018年12月5日水曜日

雨 尾形亀之助⑦

雨日

午後になると毎日のやうに雨が降る
今日の昼もずいぶんながかつた
なんといふこともなく泣きたくさへなつてゐた

雨の祭日

雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ

雨が降る

夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる


                    尾形亀之助(1900-1942)

2018年12月4日火曜日

同義語


体調が良ければ良いなりに
良くなければ、それなりに
仕事に夢中になっています
おもしろくて、しょうがないです
(わたしの場合、仕事と遊びは同義語)

                         やまだ

2018年11月30日金曜日


「世界が 終わる日に
わたしは 木を一本 植えよう」

          W.S.マーウィン(1927-)

2018年11月25日日曜日

コスモス


コスモスの花が明るく咲きめぐり私が居らねば誰も居ぬ家   

                      河野 裕子(かわの ゆうこ、1946-2010)

2018年11月24日土曜日

ひとつ


チーターもフンコロガシもニンゲンも使ひきりなる生命ひとつ

                   小島ゆかり(1956 -)

2018年11月21日水曜日

冬の足音

 

モニターの後ろから、
久しぶりのハエトリグモが登場。
元気だったねえ。
何代目のハエトリグモかはわからないけれど。

ぼくの体調は, up and down です。
良いと思っていると、また悪くなったり・・・
でも、ほんの少しの不満もありません。
生きているんだから。
毎日、ただ、感謝しかないです。

冬が、もう、すぐそばまで来ています。


2018年11月8日木曜日


生きているどのことよりも明々と
いま胸にある海までの距離            明々(あかあか)

                           永井 陽子(1951-2000)

2018年11月7日水曜日

うろこ雲


しばらくぶりのピアノ。
These foolish things、いい曲だなあ・・
コードは、なんとか、耳がおぼえてる。
でも、指が記憶喪失だ・・。

Do nothing 'til you hear from me、
やってみたら、ぼろぼろ。
かなりやばい。汗々;;練習せねば。

Lullaby of Birdland、
弾きたいけど、たぶんダメだな。
あとでやってみよう。
でも、誰に聴かせるわけでもないからね。
まあ、ゆっくりやるさ。All that jazzzz...

2018年11月6日火曜日

柿の実


柿の実の熟れたる汁にぬれそぼつ指の先より冬は来にけり

               谷崎潤一郎(1886-1965)

2018年11月3日土曜日

おきなぐさ

風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠毛の質直
松とくるみは宙に立ち
    (どこのくるみの木にも
     いまみな金のあかごがぶらさがる)
ああ黒のしゃっぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸の雲

    かはばた

かはばたで鳥もゐないし
     (われわれのしょふ燕麦の種子は)     燕麦(オート)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子

           宮澤賢治(1896-1933)

2018年10月23日火曜日

新人


曇りの朝。
新人のカラスが登場。
初めて聴くパターンの唄。
mp、メッツォピアノで。
カラスは唇も歯もないのに、
「とわ」なんて、
複雑な音を発音できるんだな。
すごいことだ。
この個体、天才なのか?
それにしても、いったい、
どういう意味なんだろう・・

2018年10月5日金曜日

尾形亀之助

      彼の居ない部屋

部屋には洋服がかかつてゐた

右肩をさげて
ぼたんをはづして
壁によりかかつてゐた

それは
行列の中の一人のやうなさびしさがあつた
そして
壁の中にとけこんでゆきさうな不安が隠れてゐた

私は いつも
彼のかけてゐる椅子に坐つてお化けにとりまかれた

                              尾形亀之助1900-1942)



                                    

2018年9月30日日曜日

空気

リュート

もちろん 夜
ひっくり返された リュートの
一本の弦 わたしは わたしの道を行く
それは 耳慣れない音がする

こちらに 埃 むこうにも 埃が 

わたしは その両方を 聴く 
でも そのまま 進む 
わたしは 思い出す 木の葉たちが 審判を
そして 冬を待っていたのを

わたしは 思い出す 雨と その いくつもの道を
雨は その 全ての道を 辿る
どこにもない 道を

    W.S.マーウィン(1927-) 訳:山田リオ


2018年9月29日土曜日

正平さんのこと

               山田リオ


二つの、性質が違う美術展に行った。
時間がたってから、すこしづつ、
自分の受けた感じが変質してくる。。

ボディー・ブロウのように、後から効いてきているというか、
あるいは、深い部分の内出血のように、か。
身体の中が、少しづつ活性化してくるような気がする。
そして、気がつけば、言葉で考えることをやめていた。
ただそこにいるだけの、静かな自分になってくる。

昨晩から、しきりに松田正平さんのことを思っている。
展覧会に行った直後は、いろいろと頭で考えるだけだったのが、
今は、虫のように、言葉にならないところで、
ぼーっとしている。

そうしていると、時間がたつにつれて、
心が自由になってくる。




つまづきて振り返る道に何もなし
わが来しあとをうす日さしをり

         北小路 功光(1901-1989)

2018年9月28日金曜日

明恵


 
昔みし道はしげりて跡たえぬ月の光をふみてこそ入れ

山寺に秋のあかつき寝ざめして虫とともにぞなきあかしつる

                                          明恵(1173-1232)

2018年9月26日水曜日

©RioYamada

at 2004 04/18 06:40 編集

                         山田リオ

渚に佇んで
遠くをみている
波は
つぎからつぎに
水平線のほうからやってきて
盛り上がり泡立ち崩れ落ち砕ける
でも
あの波は
わたしが待っている
波ではない
どの波が
それなのか
ずっと
待っているその波は
どの波なのかは
よくわからない
でも
それは
あの波でもなく
その次の波でもなくて
それは
こうやって渚に死ぬまで佇んでいても
永久にやってこない波なのかも知れない
しかし
ある日
水平線のほうから
それは
奇跡のように
輝きながらやってきて
盛り上がり反射し散乱し透き通り
泡立ち崩れ落ち砕けるだろう
そしてその波が
まさに
わたしが待っているはずの
あの波であったとしても
それで
どうなるというのか
わからない
でも
生きているかぎり
渚に佇み
はるか遠い水平線のほうを見て
押し寄せてくる波を見て
あの波が
まっていたなつかしいあの波が
渚めがけて
押し寄せ輝き
そして崩れ落ちる日を
ただ
今日も
じっと
佇んで
待っていよう
 

Copyright ©2004RioYamada

2018年9月14日金曜日

別荘生活


しばらくの間、よんどころ無い理由で、別荘におりました。
やっと今日、出所の運びとなり、おつとめ、ごくろうさん。

別荘生活で辛いのは、まず、生活空間の狭さ。
四人部屋でしたので、生活音や、声、
その他、人間起因の音が四六時中24時間、
途切れることがありません。なので、不眠になります。
さらにマイるのは、食事です。
それは味が原因で、毎食、ひたすら食欲が出ません。
極端に薄味だし。「美味しく食べさせよう」なんて配慮は、
ございませんので。
エスプレッソのコーヒーがほしい、とか、贅沢は通用しない世界です。

お注射とか、切った貼った、出血なんかは、通過儀礼ですので、まあ、我慢できました。
看守のみなさんも、にこやかで、やさしくて、よろしいんですがね。

とにもかくにも、めでたく自由の身に戻れましたです。
今夜は、なにか、美味しい物をいただきたいと思います。

PS 別荘で必要不可欠なものは、なんと、スマホ。おかげで、助かった!
                         や

2018年9月9日日曜日

辞世


あの世からスマホで打つわ極楽なう
                say少納言

あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
                           河野裕子
 

後の世も又後の世もめぐり会へ染む紫の雲の上まで
                                         源義経

この世をばどりゃおいとまに線香の煙とともに灰左様なら
                         十返舎一九
人魂(ひとだま)で行く気散じや夏野原
                  葛飾北斎

葬式無用 戒名不用
         白洲次郎
     

2018年9月7日金曜日

オリーヴの空
























2012年2月7日火曜日  山田リオ


雲を見れば、夏のよう。
日差しも強くなってきた。
オリーヴの木は、ますます元気。

子供のころ、くりかえし読んだ、ルイジ・カプアーナ作「シチリアの少年」(岩波少年文庫)のなかに、オリーヴの枝で羊の肉を焼く場面があった。おいしそうだったので、今でも憶えている。

日曜は、ロシアのボリショイ劇場から中継が、映画館の大画面で見られるので、行った。
これは、ヨーロッパやロシアの劇場からバレーやオペラの公演を中継し、それを大画面で見ることができる。
日本でもやっているのかな?

今回はボリショイ・バレーの「コッペリア」だった。
もう、このバレー団がなくなれば失われてしまう、19世紀のロシアの演出を、現代の、ロシアのダンサーたちが踊った。見られて、ほんとうに幸運だった。

コッペリアはロボットが出てくるバレーだ。
そう言えば、オペラの「ホフマン物語」も、ロボットが登場する。
19世紀のフランスでは、女性型のロボットが人気だったのだな。
どちらも、出てくるロボットは、今の「アシモ」より美しい。
でも、最近よくテレビで見る、大阪大学の石黒教授の女性型アンドロイドもいいね。Copyright © 2012Rio Yamada



2018年9月2日日曜日

一休


世の中は起きて糞して寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり

女をば法の御蔵と言ふぞ実に釈迦も達磨もひょいひょいと生む

                                     一休宗純(1394-1481)

2018年8月30日木曜日

吠える


月が昇る
月が沈む
あんたに教えるが
おれは若くして死ななかった
歳月が俺を追い越していって
でも 俺は 追いついた
春はここで始まった そして 日々   
メキシコから 新しい鳥たちを連れてくる
昨日 連絡があった 外の
世界から でも俺は 雷の声でノーと吠えた
俺は 短い鎖で繋がれた犬だったから
そして 今 鎖は ない

      ジム・ハリソン(1937 – 2016)訳:山田リオ

2018年8月25日土曜日

言葉

しばらくの間黙っているのは、いいことだ。
言葉で感情を表すことは、不可能だ。
言葉は、あまりにも惰性的だから。
                (訳:山田リオ)
 
     アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)

2018年8月17日金曜日

ブコウスキ

*ほんとうに孤独なのは、一人でいる時とは限らない。

*「ベイビー、」と俺は言った。
「俺は天才だ。でも、俺以外の誰も、そのことを知らないのさ。」

*流しに小便するしかない、
そういう時もある。

*芸術なんて馬のクソだ。
タコスでも買うんだな。

*俺たちはみんな死ぬ。全員だ。なんたる茶番だ!
それだけで、みんなが愛し合う理由になるはずだ。
でも、そうはならない。
俺たちは、どうでもいい事に支配されて、つぶされて、
そのあげく、屁みたいな物に丸ごと食われるんだ。

チャールス・ブコウスキ(1920-1994)訳:山田リオ

2018年8月16日木曜日

風の朝


風の音と
いろいろな鳥の声のなかで
目がさめた朝
森に住んでいるわけでもないのに

2018年8月13日月曜日

Why me?

毎日 思う
わたしのそばにいてくれた人たち
わたしの人生を変えてくれた人たち
わたしを今日まで生かしてくれた「なにか」に
感謝することしかできない
「なんでわたしが?」と時々思うけれど
やっぱり ありがたい      やまだ

2018年8月6日月曜日

Anaïs, Anaïs

              訳:山田リオ

*深く生きる人は 死を恐れない。

*人は 他人を救うことはできない 

ただ 愛することはできる。

*女性の強さを怖れる男たちを わたしは憎む。


*わたしはきっと 人魚
だって わたしは 深さを怖れない
そして 浅薄な生活を 心から怖れるから。

*あなたを 愛すること 
それは わたしとあなたが
おなじ幻想を おなじ狂気を 共有するということを意味する。
                               アナイース・ニン(1903 – 1977)

2018年8月3日金曜日



むっとしてもどれば庭の柳かな

         大島寥太(1718~1787)

気に入らぬ風もあろうに柳かな

         仙厓義梵(1750-1837)

2018年7月31日火曜日

ひぐらし

■2006/08/16 (水) ひぐらし

                        山田リオ
 

ニューヨークに住んでいたころ
近くには川があり 小さい公園もあった
夏の夜 毎年のようにホタルが集まり
あの黄色いようなうす緑のような 不思議な色で光った
それぞれ ばらばら勝手に光るのではなくて
なにか秘密の暗号で 指令が出ているかのように
夜の闇のなか みんなそろって 何百何千のホタルの光が
一度に灯り 揃って消える
そういう不思議な光景を毎年 見に行った
でも ホタルを見に来るのは
わたしたち以外には 誰もいなかったのだ
ホタルの光を見て楽しむのは 日本人だけのようだった

ひぐらしが聞こえる
いまは ひぐらしがしきりに鳴いている
耳の中で 心の奥で
聞こえるはずのない ひぐらしが鳴いている
ここには ひぐらしどころか
セミもホタルも いないのだから
ほんとうのひぐらしを聞いたのは
何十年も昔のことだ
それでも まるで縁側にかかった葦簾(よしず)の外
杉林の奥 峠のほうから また谷から
遠く 近く ひぐらしがひびく

わたしが 逝くときには
涼しい風の通る 夕暮れの座敷で
ひぐらしを聞きながら 逝きたい
畳の上に 横になり
真新しい畳の匂いを 嗅いでいると
ああ 風にのって 遠く 近く
ひぐらしが 聞こえる
そうだ
死に水は よく冷えた冷茶を
あの 紅色の薩摩切子のコップで 呑むことにしよう
Copyright ©2006Rio Yamada

2018年7月27日金曜日

バックミラーの件

             
                                                山田リオ

「人生は一瞬の夢」 だ という
そうだとすると ずいぶん長編の夢だ
スペイン語だと グランデス・スペクタクロ
映画なら 娯楽超大作 一大スペクタクル

希望 失意 僥倖 幸福 破局 絶望 終焉
それなら あれもこれも なにもかもが 
一瞬の夢 だったのか
長いながい ローラーコースター
日本語だと ジェットコースター
ほんとうに あれもこれも 全部 夢なのか
もし そうだとしても たとえば
99パーセントが 夢で
1パーセントくらいは もしかして
夢ではなかった ということも あるかも しれない

それなら それなら 
すわりなおして ていねいに 

順番に 思い出して
夢の分類 を してみようか
ほんの一滴でも いいから
夢ではなかった ほんとうに ほんとうの一瞬を
見つけること

いやいや
後ろを振り返るのは やめよう
時間は 振り返って見るものではない
人生に バックミラーは ついてない
英語では リアヴューミラーだ
前だけ見て ゴールまで
とりあえず 生中 いや
とりあえず 最後まで 
前だけ見て 直進だ   Copyright ©2018RioYamada

2018年7月21日土曜日

アルヘンティナ

■2007/02/11 (日) アルヘンティナ

              山田リオ
アストルの店の中には
アルヘンティナが充満している

入ってすぐのガラスのケースには、いろいろなパンやケーキが並び
その後ろのキッチンでは、ほかのどんな店でも食べられない
アルヘンティナのビーフシチューや
薄く薄く切ったイギリスパンに、ハムやチーズをはさんで
フライパンで焼き色をつける、あのサンドイッチを作っていて

そこでスペイン語しか話さない女の子たちに挨拶して
フランスパンの生地をぐるぐるねじって棒にして油で揚げて
それに粗い砂糖をふりかけた、ブエノスアイレスのドーナッツや
たっぷり熱いミルクの入ったカフェコンレチェをたのんで

奥の広間に入ると、大画面のテレビでは当然フトボル
つまりサッカーを大声で応援する人たちの声が爆発している
その一方で、チェスをしている人たちもいて
その喧騒に混じって、あのピアツォラの音楽が聞こえてくるから
自分は今、カリフォルニアなんかではなく
まぎれもなく、アルヘンティナにいるんだということがわかる

だからここで、喧騒と食べ物とコーヒーの匂いとこの空気の中で
わたしはアルヘンティナ人でもブラジル人でもなく、
中国人でも、韓国人でも、アメリカ人でもないけれど
そして日本人の知人には、おまえなんかもう、日本人ではないと
そう言われるわたしも、ここ、アストルの喧騒の中にひとり座れば
人生は祭りなのだということがわかる、いや
どんな人間にとっても、人生は祭りなのだということを
もういちど、ここでひとり
自分にむかって、言い聞かせよう。Copyright ©2007RioYamada

(注:アルヘンティナはスペイン語で「或善珍」のことです)


2018年7月19日木曜日

もりかずさん


人間というものは、かわいそうなものです。
絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、
でき上がったものは大概アホらしい。
どんな価値があるのかと思います。
しかし人は、その価値を信じようとする。
あんなものを信じなければならぬとは、
人間はかわいそうなものです。     熊谷守一(画家、1880-1977)

2018年7月16日月曜日

遠い渚


ここから波音きこえぬほどの海の青さの
                        
                    尾崎放哉(1885-1926)
                      (おざきほうさい、無季自由律俳句) 
 
いつも、要町にある、もりかずさんの海の絵を思い出す。
あれも、ずっと遠いところで波が砕けているのが見える 
でも、聞こえない Copyright ©2015RioYamada

2018年7月6日金曜日

尾形亀之助

                            (1900-1942)
曇天

遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ

晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い

美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい

無題詩

ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと

春の街の飾窓

顔をかくしてゐるのは誰です

私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです

無題詩

から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ

ま昼の原を掘る男のあくびだ

昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ

                                    尾形亀之助(1900-1942)

2018年7月5日木曜日

万太郎 夏の句 再録


ふりしきる雨となりにけり蛍籠(ほたるかご)
亡き人に肩叩かれし衣替え

神田川祭りのなかを流れけり

抜け裏をぬけうらをゆく日傘かな

運不運ひとの上にぞ雲の峰

わが老いの業はねむれず明けやすき

月も露も涼しき永久(とわ)のわかれかな

ひとりむしいかなる明日のくるならむ

短夜の明けゆく水の匂いかな            *短夜(みぢかよ)


       久保田万太郎(1889-1863)

2018年6月24日日曜日

そばにいるひと

         山田リオ

なぜぼくが
たとえば あの人の詩ばっかり
何度も何度もくりかえし 読んでいるのか
それは あの人に ある時 
出会ってしまったからで
出会ってからというもの
ぼくが 生きていくなかで 
いつも そばにいてくれて
ぼくが すくわれてきたからで
それは あのひとの詩 ばかりじゃないんだけど

出会ったのは だれに薦められたわけでもなく
じぶんで ひとりで
そのひとと 出会って
それから 読むたびに
つらくなったり かなしくなったり
気持ちが楽になったり たすかったり
そういうことが あってから

きがつけば また読んだり 
あのひとのことを 思い出したり
つまり ああいう いくつかの言葉だけではなく

あのひとが 生きたことや なにもかもが 
ぼくの いきていることの 一部になったのです
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2018年6月22日金曜日

花芙蓉


花の写真を撮るのは
気がすすまない
でもなぜか
撮った 

この時期は
気持ちが沈むから
それでかな
花芙蓉

花の俳句も
あまり好きじゃない
夏の海も
Copyright ©2018RioYamada         RY

2018年6月20日水曜日


ムラサキシジミ
完璧な 無私
蝶は 

自分が 美しいことを
知らない 
ただ 林の中に消えて行く

      ジャック・ケルアック(1922 – 1969)
      訳:山田リオ 

2018年6月16日土曜日

尾崎放哉 ⑭


一日物云はず蝶の影さす

               尾崎放哉(1885-1926)

         (おざきほうさい、無季自由律俳句)

2018年6月15日金曜日

梅雨寒


どっちみち梅雨の道へ出る地下道

                        池田澄子(1936~)



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タカラモノ。
写真は、子供の頃、祖父に貰ったガラスの文鎮です。
直径、約6cm。
祖父が何時、どこで手に入れたかは知りません。 やまだ

2018年6月10日日曜日

鐡齊

須耐煩書

「須く煩に耐うべし」(すべからくはんにたうべし)

「面倒なことでも、我慢してやりなさい」

                   大正十年一月 八十六歳 

 鐡齊錬 (富岡鉄斎 1837-1924)

2018年6月7日木曜日

放哉

https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhjDbkI72Ccv1Tvf6W09hu0zSL9y8dTv4ovKJsqs1EVpc_80uVZBwZHkIF8Pa5mv7It9i6ve1f7dZ_eWXUabkuoJPKwCNtaVP-p4YDlBKs9g5nFjYcVZUwMmd8eeKAsGBnmcRnSmtvxdYmq/s200/spiderDoingFine+-+%25E3%2582%25B3%25E3%2583%2594%25E3%2583%25BC.jpg 
蜘蛛もだまって居る私もだまって居る


              尾崎放哉(1885-1926)

    

2018年5月30日水曜日

八木 重吉 ④

悲しみ

かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく

草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる

雨の日

雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう



虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

水や草は いい方方である

はつ夏の
さむいひかげに田圃がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえてる
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした



雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい

                        八木 重吉(1898 - 1927)

2018年5月7日月曜日

万太郎


東京に江戸のまことのしぐれかな

何がうそでなにがほんとの露まろぶ

ぬけうらを抜けうらをゆく日傘かな

おもかげをしのぶ六日のあやめかな

こしかたのゆめまぼろしの花野かな

一生を悔いてせんなき端居かな

余命いくばくもなき昼寝むさぼれり

すべては去りぬとしぐるる芝生みて眠る

           久保田万太郎(1889-1963)

2018年5月4日金曜日

よかったら

川口有美子さんの、
難病ALSについてのラジオ対談番組の録音を
「おきにいり」に掲載しましたので、
よかったら聴いてみてください。     やまだ

2018年5月3日木曜日

ねむい

         山田リオ   
風の強い晩に
永い間 沈黙していたアレが
いきなり また 話し始めた
なぜかは しらない
ただ ねむい

2018年4月30日月曜日

なにもしないで

Do Nothin' Till You Hear from Me
(わたしが言うまでなにもしないで)

歌:エラ・フィッツジェラルド
テナーサックス:ベン・ウェブスター
ヴァイオリン:スタッフ・スミス
1956年録音

ベンはいろいろ聞いたけど、これが一番好き。
スタッフ・スミスは、ぼくがNYハーレムのジャズ学校に行ってたときに、
だれかが教えてくれた。今でも大好きなヴァイオリニスト。

2018年4月22日日曜日

狂う


・・・そしてわたしは一生の間、
わたしが惹かれた人たちの後を追いかけて、
酔っぱらいみたいに、よろよろ歩きながら生きてきた。
わたしが惹かれたのは、狂った人たちだった。
狂ったように生き、狂ったように語り、
狂ったように救いを求め、すべてを飢えたように願い、
同時に、そのひとたちは、けっしてあくびなんかしないし、
みんなが言うようなことは絶対に言わない。
ただ、燃える、燃える、燃える、燃える、
ローマ時代の黄色いロウソクが
宇宙にむかって爆発するように・・・
      ジャック・ケルアック(1922 – 1969)
      訳:山田リオ  

2018年4月21日土曜日

Orchid


少なくとも五年ほど 葉っぱだけで
なんだかわからず
ほったらかしておいたのですが
気がついたら 先日 
花が咲いていました
大きな花
蘭 だということはわかります
何という蘭かは 知りません
             やまだ

2018年4月17日火曜日

おやすみ

 「人生は、喜びに溢れた悲劇だ」 
           バーナード・マラマッド(ユダヤ系アメリカ人)

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 体調がイマイチなので、しばらくお休みします。
まだ生きているので、だいじょぶです
                 やまだ

2018年4月12日木曜日

若葉


花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ

               杉田久(1890-1946)