2014年5月22日木曜日

あの冬




ニューヨークは寒かった
車のドアが凍った
お湯をかけて、ドアをあけた
河には、流氷

彼岸の詩の
あの冬だ
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2014年5月21日水曜日

                         山田リオ      

エラと仕事したときは、その名声にただただ圧倒されていたんだ、と
今になれば思う
世間の眼と耳を借りていただけなんだ
自分の耳で聞いていなかった 
有名だからエライんだとwみんなの後追いしていただけ。

今思えば
エラの声は、どうにも明るすぎる
あのころは、自分は若くて
バカだったな
いまでもバカだけどね

ベティのほうは、仕事のときでも気楽に話していた
なんでも話せるおばさんみたいにね
でも、今になって彼女を聞くと、
ものすごいな
と思うよ
とんでもないね
まったくアホで
話にならんわ
オレンジ
ナランハ

そんだけ。
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2014年5月20日火曜日

風雨





雨と風の今朝、
思い立って、熊谷美術館に行きました。

こういう日にこそ、行くべきだと思いましたので。

29周年展、
実に95作品、一挙公開。

榧さんのカフェで、まずコーヒーを。

窓の外では、雨の中、スズメたちが楽しそう。
見えないけれど、カエルさんも、
アリさんもいるんでしょう。

ここでは、榧さん作のカップでコーヒーが飲めます。
行くたびに、ちがうカップで出してくださいます。
スプーンだって、 榧さんの自作だぜ。

五風十雨。

これは、もりかずさんがよく書いた言葉で、
「雨が五日ふったら、風が十日間吹く、
生きるとはそういうことだよ」、
という意味だと思います。 
だから風雨の日に、もりかずさんを訪問することは、
ぼくにとっては意味があるのです      山田

日々の食事に事欠き、次男陽が肺炎で幼くして命をおとした。
亡骸を前に熊谷は陽の姿を描き始めた。しかし、息子の亡骸でさえ、
描く対象としてしか見ていな い自分に愕然とし、筆をおいた。
十分な治療を受けさせることも出来ずに失った幼い命。
それでも熊谷は、売る為の絵を描くことはできなかった。  





ドービニイの庭 




「手前に緑と薄桃色の草地、
左手には薄紫色の茂みと白っぽい潅木、
中央に薔薇の植え込みがある。
右手には木戸と、垣根があり、
垣根の上には紫色の葉をつけた榛の木。
リラの茂み、刈り込まれた黄色いライムの樹。
背景の家はピンク色で、青みがかった瓦屋根。
ベンチのまわりに椅子が三つ、
傍には黄色い帽子をかぶった黒っぽい人物、
その手前には黒猫。
空はうす緑色。」        訳:山田リオ     

      
ゴッホ(1853-1890)自殺の前、弟テオに宛てた651通の手紙の中で、これが最後の一通だった。

2014年5月19日月曜日

慈愛

149
母がその独り子を命を賭けて守るように 
一切の生きとし生けるものに
無量の慈しみの心を持つべし
鳥にも獣にも蟲にも魚にも草木にも
そして人にさえも
全世界に対し
無量の慈しみの心を持つべし 
全てのものに、恨みなく、敵意なき
慈しみを行うべし
立ちつつ、歩みつつ、座しつつ
眠らずいるかぎり
常に変わることなく
慈しみの心を保ち
そして、慈しみを行うべし     (釈尊の言葉)

2014年5月13日火曜日

鰍沢

 
突然ですが。
藤山先生っていう、精神分析のほうでは、
非常に偉い先生がいらっしゃるんですが。
実は、この先生が、俳句をなさるん。
で、この俳句てえものが、
ほんっ                                 

とに、上手いん。 
あんまり巧いのもねえ。
ともあれ、藤山先生、わたくしが大好きな現代の俳人であります
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衰へて明るき脳や葱の花                                        

写真焼く焔むらさき春の暮

さびしさや焼蛤の噴きこぼれ
 

梅雨寒や高座布団の芯かたき
 

猫死んで桜月極駐車場
 

桜餅餡透けて雨兆すなり
 

思ひ寝のあと草餅のやはらかき
 

草餅の雨の匂ひのしてゐたり
 

抽斗の闇の矩形の寒さかな
                      藤山直樹

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ところで、話変わりますが、
気がついたんですがね。
小林秀雄先生の講演の録音を聞いていてね、
あっ、と思ったん。
これ、志ん生じゃないの。
おんなじ声だよ。この二人。
秀雄と古今亭。
江戸弁もいっしょ。
いや、べつに、だからなんだってわけじゃないんですが。
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2014年5月5日月曜日

祝祭


                                        
                            山田リオ
「ったくなあ」、と思う。
それほど好き、というわけではないけれど、また見たくなる。
テレビの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に出ている蛭子能収さんのことだ。

最近、町歩き、食べ歩き、酒場、旅などの番組などが増えている気がするけれど、あの路線バスの旅での蛭子さんが好き、と言うには語弊があるし、嫌いというわけでもなく、なにか、不思議な生物を観察するような楽しみがある。

ああいう番組に出てくるタレントさんは、ほとんどみんな、仕事の現場で自分が何を求められているかを理解しているものだ。
だから、一生懸命、役割を演じ、行く先々で、町や名所や温泉や景色や食べ物に感動して見せる。それが「仕事」だから。

でも、蛭子さんは違う。タレントとして、番組の要請に答えることを心配することもなく、
いつでも、のびのびと、好き勝手に、自由にふるまっているように見える。

「周囲が、世間が、自分をどう思い、どう見ているのか」、だけを心配しながら育ち、24時間、週七日、一年中、一生、絶えず、世間の眼を意識しながら生きてきた、これは、わたしのことだが、
そういう、普通の人間が持っている心配や、配慮や、自意識から自由な人、それが蛭子能収という稀有の人なのではないか。

そういう珍な人を観察できることは、一種、贅沢でもある。
自分は、あの番組を見ながら、蛭子さんのああいう自由さを、どこかバカにしているつもりでいても、
深いところには、いつも彼を羨望する気持ちがある、と思う。

わたしは、なんとかして、この社会に溶け込みたい、受け入れられたい、という気持ちが、いつもどこかにあるようだ。そのことに、ときどき気がつく。

子供の頃から、学校や仕事や仲間の中で、みんなでパス回しをしながら、でも、わたしは自分ではシュートを打たず、その小社会からはじき出されることがないように、仲間はずれにされないように、 いじめられないように、そして、みんなから受け入れられたいと、いつも願っていた気がする。
そういう中で培われた性癖は、何十年海外に住んでも、消えることはなかった、ということだ。

そういう自分を、どこか疎ましく思う気持ちはあるのだが、思ったところで、幼い頃から身に染み付いたものは、簡単に変えられるはずもない。

一方、蛭子さんはといえば、仕事に飽きれば、「ああつかれた」
心配ごとといえば、「パンツ二枚しか持ってこなかったから、コインランドリーに行かないと」
願いはといえば、「競艇場に行きたいなあ」、「パチンコでもいいや」
そして、おいしそうに、夢中で、大好きな揚げ物を食う。土地の名物など眼中にない。
ダイエットも、栄養バランスも、考えることはない。
眠くなれば、いつでも、どこででも眠る。たとえ撮影中でも。

蛭子さんは、自分と比べると、鳥のように自由だ。
すくなくとも、わたしにはそう見える。

蛭子さんにとって、人生は、祝祭なのか。
そういう祝祭には、孤立も孤独死もなければ、人身事故も、起こりえない。

わたしも、あんなふうに、
自分の人生は祭りだと、そう信じていた時代があった。

もし許されるなら、あの信念を、取り戻したい。
ああいう人に、わたしも、なりたい。
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ダービー

■2010/05/02 (日) My Old Kentucky Home

マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム  スティーヴン・フォスター                    
                (訳:山田リオ)

ケンタッキーの、あの古い家に陽は照りわたり
時は夏、みんな楽しげで
トウモロコシは実り、野原は花でいっぱいだし
鳥は一日中、歌っている

小さな家の床に、子供たちが寝そべって
みんな、はしゃいで、幸福で、輝いて
苦しい時は終わったと、ドアを叩くものがある
そして、ケンタッキーの古い家よ、おやすみ。

もう泣かないで、わたしのレイディー
今日はもう、泣かないで。
さあ、ケンタッキーの、あの古い家のために歌おう、
いまは遠い、あのケンタッキーの古い家のために

 "My Old Kentucky Home"
by Stephen Foster

The sun shines bright in My Old Kentucky Home,
'Tis summer, the people are gay;
The corn-top's ripe and the meadow's in the bloom
While the birds make music all the day.

The young folks roll on the little cabin floor,
All merry, all happy and bright;
By 'n' by hard times comes a knocking at the door,
Then My Old Kentucky Home, good night!


Weep no more my lady
Oh weep no more today;
We will sing one song
For My Old Kentucky Home
For My Old Kentucky Home, far away


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毎 年、五月の第一土曜日は、ケンタッキー・ダービーの日です。
なにがあっても、この日はこの競馬を見る習慣を、わたしは生涯の大部分、休まず続けてきまし た。
そしてレースの直前、競馬場では、みんなで必ず、この歌を歌います。
競馬とは、切っても切れない縁ですが、この日はことさら、わたしにとって特別な日で す。
一年に一度だけ、この日に、この歌を歌うたびに、涙が流れます。
「ああ、また一年、生き延びた。」そう、声に出さず、自分の中で、言います。 
Copyright ©2010RioYamada 

2014年5月2日金曜日

眠り

                        山田リオ

電車に乗っていて
偶然、となりに座ったひとが眠りにおちる
そういうことが、最近、三回あった
眠りにおちた三人のひとたちは
みんな、そのとき、ぼくの肩を利用したのだ
そして、偶然だろうか
三人とも、女性だった

最初は、二十歳くらいのひとで
ぼくがとなりに座ると、すぐに体重を預けてきた
寝息をたて、深く眠っているようで
非常に気持ちよさそうなのだが
頭が乗っているので、肩が重い
ある駅に電車が着くと、すっと立ち上がって
何事もなかったように、降りて行った

二人目は、かなり年配の女性だった
何回か、こちらに傾き、また戻る
それを繰り返してから、頭が降りてきた
控えめに、ゆっくりと体重がかかってくる
でも、三つ目の駅で、咳をし始めた
手で口をおさえて、まっすぐに座りなおしてから
そのまま、正しい姿勢で降りていった

三人目の女性は、ほどよい年齢
座ると、眠いらしく、肩が触れてくる
我慢していても、けっきょく、眠気には勝てず
すこし、うつむくように、顔を伏せて
肩に、頭の重さを預けてくる
目的の駅に着くと、なんのためらいもなく
ごく自然に立ち上がって、降りていった

わたしは、といえば
三回とも
眠りに落ちることは、なかった
今までの永い人生の中で
男性の睡眠のために
肩を利用されたことは
まだ、一度もない。              Copyright ©2014RioYamada