2014年9月29日月曜日

背中が痒い

                        山田リオCopyright ©2014RioYamada

病院の待合室というところは、なんとも言えない、
人生の交差点でございますな。
 座って、順番を待っておりますと、実にいろいろな人がやってきます。
一人で来るひと、杖をついて帰る人、夫婦で、親子で来ている人、
車椅子を誰かに押してもらっている人、眠ったままの人。

やっと検査がおわりまして、薬をいただき、会計を終えて、帰ります。
なにをするにも、待つのが病院というところでね。
でも、ここの病院は非常に能率よく出来ておりまして、余所に比べれば、
もう、いたって楽なもんでございます。

バス停に行き、バスを待っておりますと、妙齢のご婦人(推定八十ン歳)が、
ベンチのお隣に座ります。

みょ「あの、仲御徒町は、ここで?」
やま「上野行きはここです。御徒町で降りれば、仲御徒町は近いと思いますよ」
みょ「あの、日比谷線に乗るんで、仲御徒町から乗りたいんです。こないだ、上野で降りましたら、地下鉄の日比谷線が遠くて、遠くて・・・で、今日は一人で来ましたので、仲御徒・・」
やま「仲御徒町という停留所は、ないと思うんですが、御徒町でお降りになれば・・」
みょ「日比谷線で、北千住まで行きますんで、仲御徒町でないと。こないだ、上野から乗りまして、なにしろ駅が広くて、歩いても歩いても、日比谷線がありませんで・・」

なんて話をしておりますうちに、バスが来ましたので、二人とも乗車いたします。 

みょ「最近、主人が亡くなりまして、付き添いの方がいらっしゃったんですが、こないだも、わたくし一人で、この(ト、高齢者無料券を見せ)券が今月30日で切れますので、それで、こういうもの(ト、パスモを見せ)もいただきまして・・」

などと話しておりますうちに、バスは上野広小路を過ぎ、御徒町に着きます。
妙齢女史を促して、バスを降りますと、地下鉄の入り口は、目と鼻の先でございます。
階段がひじょうに急ですので、

やま「ゆっくりね、ゆっくり降りましょう」
みょ「はい、はい・・・でも、すみませんねえ、送っていただいて」
やま「いえいえ、もう、わたしなんか、ヒマですから」

それにしても、階段の長いこと。そして、かなりの急勾配。目もくらむばかりでございます。
やっとのことで、地の底に着き、日比谷線の改札を探し、やっとのことで見つけ。
それにしても、このせつ、地下鉄に乗るのも楽じゃありませんな。
それから、パスモの使い方を教え、忘れないように、説明しまして、

やま「一度でいいんですからね。ピッと鳴ったら、もう通っていいんですよ」
みょ「どうもご親切にありがとうございました。また病院のほうで、お目に・・」
やま「いえいえ、ではお気をつけて・・」

ト、お辞儀をして、妙齢のご婦人とのお別れをしました。
もう、お会いすることもないかもしれませんが。
でも、私だって、先のことはわからないんで。

いやね、けっして、親切の自慢をしたいわけじゃないんで。
誰もがする、当たり前のことですが、妙齢さんと別れたあと、いろいろ考えちゃったんでね。
それを話そうかな、と、急に思いまして。

近頃じゃ、福祉の充実とかで、なんでも、お国や自治体がやって下さるそうですが。
でも、へそが痒い、背中が痒い、そういうときに、自分で掻けないこともあるわけで、そんならね、
だれでもいいから、そばにいる人が掻いてあげるのがよろしいかな、と。
なにもさ、区役所に電話して、掻き係りの人を呼ばないでも、
だれでもいいから、近所の、若いもんがさ。と、まあ、そう思いました。

そうすれば、背中を掻かれたほうの方も、気持ちがいいんで。
そう言う具合にいけば、お年寄りだって、暮らしやすいんじゃないかと。

たしかに、スマホに集中、とか、誰よりも先に改札を通過したいとか、お気持ちはわかりますが。
ちょっと、時間のおありになるときで、よろしいんで、(揉み手)
若い方々も、どうかよろしく、とお願い申し上げまして、このへんで。
長々と、失礼をば。(お辞儀)
Copyright ©2014RioYamada


2014年9月24日水曜日

吾往矣

自反而縮 
雖千萬人 
吾往矣   
                         孟子
 

みずからをかえりみてなおくんば、
せんまんにんといえども、われゆかん。

(振り返って、もし自分が正しいと思うなら、
敵が千人、万人であっても、自分は一人で戦おう。)

2014年9月22日月曜日

雨の夜(再び)


              山田リオ

一晩中 雨の音が聞こえていた
それを聞きながら
ああ

いいな
これを聞くために
ぼくは 生きていたんだな
これを聞くために
ぼくは 帰ってきたんだなって
そう思った

  Copyright ©2014RioYamada

PS 静かな雨の夜になりましたね。
まったく、いい晩ですねえ。
ところで、写真の左手奥、
遠ざかって行く黒い後ろ姿のあなたは、だれ? 

2014年9月21日日曜日

なみだこぼるる



何事のおはしますをば知らねども 
かたじけなさに涙こぼるる

                       西行法師

2014年9月19日金曜日

期待

一人こっちを見てる


あなたが、だれにたいしても、
なにひとつ期待しなければ、
あなたはけっして失望することがない。

      シルビア・プラス(詩人) 1932-1963


あなたが、だれにたいしても、自分自身にたいしても
何にたいしても、人生にたいしても、なにひとつ期待しなかったとしても、それでも
あなたは、やっぱり、結局は、失望するだろう

          山田リオ

(いま、Max Ernst のほうをふりかえって、
「あなたはどう思います?」と尋ねたら、 
すぐに「うん、うん」と二度返事したよ。 at 23:53)

(更に数日後の深夜、ここで本を読んでいたら、またMax氏が、なにか言ってる。
気がついたら、そのとき読んでいた本の作者が、彼と同じ国の人だったのさ。)

2014年9月12日金曜日

Stand




Stand up for what you believe, 
even if it means standing alone.


信じることのために立ち上がれ。
たとえそれが 孤立を意味するとしても。

2014年9月7日日曜日

駱駝の匣

                     山田リオ Copyright ©2014RioYamada

正確には、駱駝(ラクダ)の骨で作られた匣(はこ)だと、
これを譲ってくださった方が、自信満々で、そう言いました。
その男性は、そのとき、たぶん素面(しらふ)だったと思います。

どういうわけが、古い小匣が好きで、
自然に、匣のほうが、ぼくに寄ってきます。
数多く集めているわけでもなく、
手に入れば、愛着がでて、
ためつすがめつ、こすったり、磨いたり、
また眺めたり。
大事な小物を入れたり、出したり、
目に付くところに置いたり、移動したり、
まあ、そんな感じであります。

アラビア半島ではないか、
と素面氏は言っていますが、
ぼくはひそかに、西域、それこそ、
シルクロードの産物ではないかと、
何の根拠もなく思っています。

駱駝の骨かも知れないし、牛骨かもしれない。
薄く切った骨を貼り付けて、そのうえに、毛彫りでアラベスク模様が描かれています。
今は、それなりに嬉しく、時間がたつにつれて、さらに嬉しさが増していくのが、
古い匣を手に入れて、持っていることの喜びではあります。
驢馬の次は自然の流れで駱駝になりました。さて、駱駝の次に来るのは何でしょうか。

こういう所有欲、玩物喪志、煩悩は、所有者の死によって終わるものでもなくて、
そういう惑乱はまた別の人間にバトンタッチされることもあり、
また可能性としてはこいつが燃えるゴミとして姿を消すことも当然あるわけですが
結局はまた大自然や宇宙に還っていくのは間違いのないことであります、はは、ははは。
                                         Copyright ©2014RioYamada

2014年9月6日土曜日

驢馬と共に天国へ行くための祈り 

■2010/09/30 (木) 
Francis Jammesフランシス・ジャム(フランス)
                                          訳;山田リオ Copyright ©2010RioYamada  
 

わたしがあなたのもとに召される時、

主よ、わたしは祈ります
どうか、その日が安息日で、埃っぽい道を

わたしが、この世での旅をする時とおなじように
行く道を自分で選ぶことをお許しください
天国へ、昼の星が輝くところにむかって
わたしはステッキを手に、道を行くでしょう
そして、わたしの友である驢馬に言います
「わたしはフランシス・ジャムだ、そしてわたしは天国に行くんだ。
慈愛深い主の御国(みくに)には、地獄なんか無いからね」
それからわたしは驢馬たちに言います
「おいで、わたしの、青空のやさしい友、
虐待や蜂、蝿から自分を護るのに、耳をパタパタさせたり
首を振るくらいのことしかできない、かわいそうな友」              
どうかわたしを驢馬たちと共に

主よ、御国にお召しださい 
かれらも、あんなにおとなしくお辞儀をしていますから
小さい足を、あんなふうにやさしく揃えて           
あなたの慈悲をお願いしておりますから          
わたしが天国に着きますときは
何千という驢馬の耳を従えて                       
みんな、背中に籠を背負い、あるいは木の車を引いて    
羽根ばたきや、台所用品や、でこぼこのバケツも背負い
お腹の大きな雌驢馬たちは、立ち止まったり、つまづいたり
あんなに渦を巻いて、酔っぱらいみたいに唸る蝿が     
背中の湿った青い鞍ずれの傷に集まるので             
あんなふうに白い足先を振って追い払おうとするのです       
主よ、どうかわたくしを、あの驢馬たちと共にお召しください       
天使たちに導かれ、やすらかに
木陰の小川にほそやかなサクランボの枝が              
少女たちの笑いのように揺れる主の国の、魂の天国で          
聖なる水の流れに首をさしのべる                    
そんな驢馬たちを、わたしは見ます                     
あの驢馬たちの、謙虚なやさしい貧しさが            
主の永遠の愛とおなじように、わたしには、くっきりと見えるのです。   

Copyright ©2010RioYamada