クモ ヒト メダカ コガネムシ
コノ ウツクシイ ホシニスム
ミンナ ダレモガ オダヤカニ
山田リオ
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八木重吉(1898~1927)
わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
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2011 © rio yamada |
「現代詩手帖 12月号」(思潮社)の「今年度の収穫」で、詩人の須永紀子さんに、私の詩集「ときのおわり」 を取り上げて頂きました。
「病を得て悪化したころから書きはじめたという詩人の、ポエジーあふれる第一詩集。何度読んでも清々しさに魅了される。」須永紀子
また、同欄で、詩人の荒川洋治さん、岡本勝人さんも、「ときのおわり 」を取り上げてくださいました。ありがとうございました。 山田リオ
大きい山 小さい山 大きい川 小さい川
大きい人 小さい人 大きい手 小さい手
大きい窓 小さい窓 大きい空 小さい空
大きい雲 小さい雲 大きい音 小さい音
山田リオCopyright©2023RioYamada
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山田リオ
遺言は もう 書いてしまった
さて 次は 何を書こうか
なにか 軽くて ユーモアのある ドルチェ? 甘いもの?
ああ でも そういうものは
軽い と言ったって なんだか 気が重い
何を書いたとしても それは 蛇の足 蛙の尻尾
みたいな気がするのは ぼくの頭が おかしいのか
それとも すべては 気候変動のせいなのか
まだ 秋が来ないうちに もう 冬が来てしまったのは 誰のせいか
そうだ 遺言の 続編を 書けばいいんだ そうしよう
そうすれば 蛇さんも 蛙さんも きっと 喜ぶんじゃないかな
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秋が くると いふのか
なにものとも しれぬけれど
すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか
姓は苗字、名は名前、英語だと、Last name and first name.
ああ、そうだ。surname, given name という言い方もある。
surname が苗字で、given name が・・
でも、「下の名前」という言い方には、なんだろう、違和感がある。
ぼくの名前の「リオ」は、ポルトガル語、またはスペイン語で「河」という意味だ。
そして、河は、海に向かって流れて行く。そう。いつか、海に出会う。
だから何だって? だから、ね、そういうことなのさ。
ところで、一生の間には、一度くらい、
この写真のような日没に出会う幸運も、あるんだよね。 Rio
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■2010/05/20 (木) |
セミの声が聞こえない夏 いつまでも終わらない夏
スイカを買おうと スーパーマーケットに行った
プラスチックの箱に入れた 細かく刻んだスイカの破片が
ほんの少し あるだけだった
それで 八百屋さんに行ったら
三日月の形のスイカがあったので すぐ 買った
八百屋さんが 「もうすぐ スイカは 終わりなんですよ」 と言う
そうか 今年の夏は 終わらないんだと思っていたら
スイカさんの世界では 夏は もうすぐ 終わるんだな
それなら 気がつかなかったけど 季節は まだ あるんだ
「そうだよ 夏は もう 終わるんだよ」 スイカさんが そう言っています
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rio yamada photo |
今日は 雲の祭り なので 「雲の日」に決めました
これは 個人的な祝日です
雲が どんどん動いて行く 新しい雲が生まれる
そんな日なので わたしは 一日 空ばかり見ている
雲の祭り 雲の日
Copyright©2023RioYamada 山田リオ
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On the Road |
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詩集「ときのおわり」に、嬉しい感想を頂きましたので、掲載します。どうもありがとうございます。
「(略)無国籍のような、無所属(性を超えて、
でも 貧しい私には 夢しかないのです
私は あなたの足元に 私の夢を広げました
やさしく歩いてください
あなたは 私の夢の上を歩くのですから
W.B.イエーツ「葦を吹く風」より 山田リオ訳
大事なことは詩を理解することではなくて、詩を書くことであり、
他人の詩を理解することではなくて、自分の詩を書くことである。
僕らは断じて批評家になってはならぬ。
石原吉郎 (1915~1977)
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俺を 車の中では 死なせないでくれ
俺は 広い野原に 横たわって
蛇たちに 俺の皮膚を吸わせ
ミミズたちに 友達になってもらい
鳥たちに 俺の眼を 食ってもらう
そうして 横たわる 俺の上を
雲が 過ぎて行くんだ
ジム・モリソン (1943~1971)
訳:山田リオ
ルイス・キャロルの「アリス」と「鏡の国」、
本当に長い付き合いで、お世話になりっぱなし。
ジョン・テニエルのイラストレーションも。
そして、散りばめられている詩、ナーサリーライムの世界が、もう・・・・・・。
「ハンプティーダンプティー」、「セイウチ大工の二人連れ」、
そしてもちろん、「ジャバーウオッキー」、ね。
このライムは「鏡文字」、裏返しの文字で書かれたもので始まるんだけど、
言うまでもなく、これは「鏡の国」につながる。
でも、こういう説明とかは、いらないと思う。
ライムの謎解きも、意味不明の造語ばっかりの詩の謎解きも、面白いけど、
解説書とかは読まない。僕はいつも、読みながら、自分で考えて楽しむ。
アガサ・クリスティーの小説と同じで、自分で考えるのが楽しい。
題名の、"Through the looking-glass"は、誰かに、鏡を通り抜けてもらうんじゃなくて、
自分自身で、鏡の中に入って行く、それがいいんだと思う。
ミュート、または、弱音器といいます。
ヴァイオリンの駒の部分に取り付けると、
音量を抑えるだけではなく、音色を劇的に変えます。
作曲家がミュートを指定して曲を書くこともあります。
しっとりした音、ささやくような音、寂しげな音、いやいや、
音色を言葉で表すのは、不可能。だから音楽や、絵がある。
黒いのは黒檀、白い方は、たぶん、牛骨で作った物だと思う。
やまだ
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ピシンギーニャ(ブラジル, 1897~1973)の作品です。
カリニョーソは、ブラジルの第二国歌とも言われます。
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CARINHOSO (やさしさ) (訳:山田 リオ2001)
なぜだろう。Sidney Bechet (1897~1959)
歩いている なにも考えないで 歩いている
そうやって 歩いていると 笑顔になる
いつもの キジバトに会えば もっと笑顔になる
キジバトに キミは可愛いねえ とか 言いながら
一緒に歩く キジバトは逃げないで 付き合ってくれる
一喜一憂 笑ったり泣いたりしながら それでも 歩く
今 この日に この一日になって 歩く
今日の到達点も 明日の心配もなく 今を 歩く
山田リオ
ピシンギーニャ © rio yamada |
Les Roseaux (葦)
フランソワ・クープラン(1668~1733)、フランスの作曲家
(この音楽は、一つ前の「晩年」という詩とは、無関係です。)
音楽用語のFinale, フィナーレのことから。
クラシックのソナタ形式で、最初に第一楽章、ね?
それが終わって、次は第二楽章、みたいに進んでいって、
とうとう最後に来るのが、フィナーレ、意味は、最終章。
これで終わりですよ、ということなんだけど、でも、たまに、
フィナーレの最後のところにCoda, コーダというのがくっつくことがある。
まだなんか言い残したことがあるので、くっつけるんだけど、まあ、尻尾ね。
意味は、日本語では、結尾とか結句とかいって、わかりにくいけど、
つまり、コーダは、「終わりの、おしまいの、おまけ」。
最後に、もう一言だけ言わせてね、みたいなことです。
山田リオ
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