2019年12月30日月曜日

すべて

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すべてを失った後 わたしたちはもう一度出会う


この世界でただひとつの喜びは 始めるということだ


   

 チェザーレ・パヴェーゼ(1908~1950 イタリアの詩人)
                    山田リオ訳

2019年12月27日金曜日

ドーナッツの中心

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リンゴを食べた後に残った部分は
ドーナッツの中心部分に似ている
人が立ち去った後には何が残るか
冬の朝陽の中でじっと考えている

         山田リオ

2019年12月24日火曜日

ポスト

          無季自由律俳句

ポストに落としたわが手紙の音ばかり

一日雨音しつとり咳をして居る

帽子の雪を座敷迄持って来た

            尾崎放哉(1885~1926)

2019年12月23日月曜日

見つめる


眠るときも 醒めているときも
一日中 いつでも 常に
そのことから 眼をそらさぬこと
いつもいつでも 笑うときも泣くときも
自分が 必ず 滅びることを
自分の肉体も心も いつか滅びることを
忘れず 眼をそらさず
見つめ続けること
それが 生きるということ

      山田リオ  


2019年12月21日土曜日

生きろ

rio yamada

びっくりするようないいことに
出会うことが たまにある
そういう いいことに出会うには
死なないで 生きていればいいんだ
はんぶん ねていたって いいんだ
ただ 生きてさえいれば いいんだよ

         山田リオ

       

2019年12月20日金曜日

忘れ得ぬ

by E.K.

たとえそれが ある日 全て失われ
無に帰する と わかっていても
それでも 
己れに生ある限り 
忘れ得ないものを

        山田リオ

2019年12月17日火曜日

ノスタルジア

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不思議な心の痛み
懐かしさのあまり 死ぬということ
まだ見ぬものを 決して経験しえないことを
懐かしみ あこがれるあまり
死ぬ ということ

     アレッサンドロ・バリッコ(1958~)
                                                 訳:山田リオ

2019年12月13日金曜日

逃げる

rio yamada

走っても走っても追いかけてくるもの
気がつくともう背中の後ろにきている
どんなにはやく逃げても逃げきれない
でも逃げるのをやめられないので走る

           山田リオ

2019年12月11日水曜日


夢の戸を閉め忘れたる朝と思ふ 筆立てに筆いつぽんもなし

           笹井宏之(1982~2009)

Keiji I. photo

2019年12月8日日曜日

石焼き芋

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遠くから
焼き芋売りのおじさんの 声が聞こえたので
外に出て 走って追いかけて追いついて
路上で すこし立ち話をしてから
焼き芋を買った 小雨の降る寒い晩
熱い熱い焼き芋 うれしい焼き芋を
うす茶色の紙で 包んでくれる
それを持って 走って家に帰るまでに
両手だけは あたたかくなった
でも 耳も顔も まだつめたい
急いで食べよう 今すぐ食べよう
あたたかい 焼き芋

         山田リオ

無言

rio yamada

今日一日だけは
無言で暮らそう
誰にも会わない
空気を読まない
世間話もしない
そういうふうに
静かに暮らそう
今日だけでいい
それができたら
どんなにいいか

        山田リオ

2019年12月2日月曜日

憂慮

「年齢なんて無意味だ。ただし、あなたがチーズなら別だが。」

「アペリティフ(食前酒)の衰退は、われわれの時代における最も憂慮すべき現象だ。」

         ルイス・ブニュエル(1900~1983)      翻訳:山田リオ 
Rio Yamada

全部

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私はここに、私が知らないことを
すべて、ひとつ残らず持っている。
ひとつも、なくしてはいないんだ。

      W.S.マーウィン(1927~2019)

2019年12月1日日曜日

柘榴

rio yamada photo
雨の朝 
ざくろを割ってみた
いい感じに 熟れている
食べてみた
一粒づつ 指でつまんで 口に入れる
甘さ 酸っぱさ 朝の冷たさ 秋の味
ただ この作業は 止まらなくなる
次から次に ひとつぶ ひと粒 
食べて 味わって 種を出し またつまむ
やめられないのが 困ります
そのうえ 深紅の粒々をつまんだ指先が
黒くなるのも困ります    

           山田リオ

2019年11月30日土曜日

小舟

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どこまでも流れ下って行く
金色の光の中を漂いながら
人生が夢でないのなら 何?

 「鏡の中のアリス」より 山田リオ訳
  ルイス・キャロル(1832~1898) 

*******************************
「鏡」の最後の最後の三行です。

アリスは、いわゆる童話とは別の物だと思います。
子供向きに簡略化してはいけないし、もちろん、アニメにした物は、最も大切な部分が失われてしまっています。
そして、「不思議の国のアリス」も、「鏡の国のアリス」も、機会があったら原作を、英語で読んでいただけたら、と心から思います。 やまだ

2019年11月29日金曜日

Estate (夏)
      ブルーノ・ブリゲッティ(イタリア) 翻訳:山田リオ

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夏は 過ぎ去った口付けのように熱く
なくしてしまった恋でいっぱいだ
もう なにもかも忘れてしまいたい 夏

私たちをあたためてくれた 夏
それは素晴らしい夕日をもたらし
今はただ わたしを激しく焼く

やがて冬がめぐって来て
無数のバラの花びらは散り
雪がすべてをおおいつくして
束の間の平和を与えてくれる

花々に香りをもたらした 夏
私たちの恋を創造してくれた 夏
あの素晴らしい夏が去った今
残されたのは 心の痛みだけ

************************
イタリア人のブルーノ・ブリゲッティが作詞した「夏」は、
ブラジル人のジョアン・ジウベルトが歌って有名になりました。どうも、知らない言葉が多いなあ、と思ったら、ポルトガル語ではなく、イタリア語だったわけです。
イタリア語の歌詞をそのまま歌ったということで、ブラジルでは珍しい歌です。 山田

2019年11月25日月曜日

まぼろし

   (イルザオン・トア)
      詩:アウフレド・ジョセ・シウヴァ(ブラジル)訳:山田リオ

見てごらん あなたの眼から たった一日分の距離
ほんの少しの差で わたしは 愛を失ってしまった
いまは 全世界が ひどく悲しいだけの場所だから
それでも なぜか あなたは今も すぐそばにいる
もう あの ひそかな思いなんか捨ててしまおうと
そう思い切ることができた自分に 感謝していても
そう あの たった一人に向ける ひそかな思いが
でも あなたは それに 全く気がつかないままで
あなたのまぼろしの重さに 打ちひしがれている私
  

2019年11月23日土曜日

朝露

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雨と風の日々がつづいて 
やっと 陽がさしてきた 
いいことがありそうな朝

2019年11月17日日曜日

無言

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人は、時には、語らなければいけない。
無言が全てを語ってしまうのを避けるために。

      ヘルタ・ミュラー(1953~)

2019年11月14日木曜日

向日葵


ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり

             永井陽子(1951~2000)
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2019年11月12日火曜日

つわぶきの花


いくたびか時雨のあめのかかりたる
石蕗の花もつひに終わりぬ

       斎藤茂吉(1882~1953)

                                 時雨 (しぐれ)
        石蕗 (つわぶき)

2019年11月7日木曜日

茂吉


うつしみはついに悲しとおもへども
迫り来ひとのいのちの悲しさ

          斎藤茂吉(1882~1953)

2019年11月6日水曜日

初霜


門の辺の八つ手の霜を思ふかな

かどのべのやつでのしもをおもうかな

       久保田万太郎(1889~1963)


 

2019年11月5日火曜日


さあここであなたは海になりなさい
鞄は持っていてあげるから

         笹井宏之(1982~2009)

2019年11月3日日曜日

光る海

           山田リオ
rio yamada

海に出て行くというとき
豪華客船を選ぶ人がいる
決して沈まない そのまま一生 
安全安定の 船で行く旅

一方 少し大きな波が来たら
すぐに沈んでしまいそうな 小舟
そういう舟で 海に出る
そんな航海も ある

運悪く 小舟が転覆した時には
また別の小舟を見つけ 旅を続ける
毎日が冒険 明日はどうなるか わからない
でも 毎日が新しくて ドキドキする旅

そして 旅の終わりが来たら
「楽しかったね」「面白かったね」
そう言って笑えるような そういう
小舟の旅を 選ぶ人もいるんだよ

2019年11月2日土曜日

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あの猫のことを思い出している時間

             山田リオ

2019年10月31日木曜日

笑顔

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人生は笑って生きるだけでいいんです。

         関 頑亭 (1919~)

2019年10月27日日曜日

Premonition Dream 予知夢

             山田リオ
幼い頃に見た夢を
何度も 繰り返し 見ることがある
永い間 忘れていた
幼い頃の あの晩の あの夢を
ある夜 また そっくり あの時のまま 
もう一度 あらためて 見る
目覚めて ああ あの夢だった と思う
そして 今ここで 現実に起こっていることを
あの時 まえもって 見ていたのだと 気がつく
そういう夢を 今朝また 夜明け前に見た
ああ あの時の あの夢だ
そうだったのか
おしえてくれて ありがとう と
なにか わからないものに向かって 言う
でも それが いったい何の役に立ったのか
わたしは 知らない 

2019年10月26日土曜日

ただ一度

rio yamada


写真は、NY時代に録音したCDアルバムのジャケットの一部です。思い出深いものなので、ここに入れておこうと思います。

説明するのもヤボですが、この四色のデザインは、もちろん、ブラジル、アメリカ、日本、三ヶ国の国旗を意識したものになっております。

全八曲、すべて僕のオリジナル曲ですが、NYのジャズのミュージシャンとブラジルのサンバのミュージシャン、それに、ぼくも演奏したのですが、一発勝負で録音しました。

何しろインプロヴで、やり直しが効かないものなんで、今聞くと、かなりヤバいのもあります。

でも、あの頃、みんなでワイワイやりながらの多国籍セッションは、ホント、懐かしい。
あのメンバーが集まることは、もう不可能です。
二度とできない、やり直しがきかないこと、人生には、いっぱいありますねw。
今は・・
サウダージ。。。
                         山田
  

2019年10月22日火曜日

ここに

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仏法ははるかにあらず
心中にしてすなわち近し

       空海

2019年10月18日金曜日

おはよう、胸の痛み 再録

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2007/03/29
Ervin Drake(1919-2015) 作詞 訳:山田リオ

おはよう 胸の痛み
あいかわらず 暗いね
おはよう 胸の痛み
昨日の晩 さよなら言ったはずなのに
私が眠れずに 寝返り打っているうちに
あんたは 行ってしまったと思ったのに
夜が明けたら やっぱりここにいる

あんたを 忘れたいのに
あんたは ここに住み着いた
あんたに 初めて会ったのは
私の恋が 去って行った後だった
今じゃ 毎日が あんたへの挨拶で始まる
「おはよう 胸の痛み どう?」

つきまとうのを やめてほしい
でもあんたは ここにいる
一人に なりたいのに
月曜日から 憂鬱で
日曜日まで ずっと憂鬱で

おはよう 胸の痛み
また 一緒だね
あんただけだよ  私をわかってくれるのは
あんたがここにいるのに もう慣れた方がいいね
おはよう 胸の痛み 座りなよ・・・

2019年10月17日木曜日

ねむり

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極上の時は
あたたかい 囲炉裏のそば
炭火のはぜる音 匂い
秋は深まる 夜は更ける
知らないうちに 眠りに落ちて
そんなふうに 一生を終われたら
どんなにか 幸せだろう

        山田リオ

2019年10月12日土曜日

祝杯の意味


Carmen McRae

誰がなんと言おうと、
今日はカーメン・マクレイを聴く。

聴いて、聴いて、聴きまくる。

そう決めたのだ。
そういう日があっても、いいのだ。

********************************

昨日今日、いろんなことがありました。
悲しいことが、たくさん、たくさんあります。
どこかの遠い町でも、すぐそばでも、
僕の年齢になってくると、
知人友人、身近な人、大切な人たちにも、
どうしたらいいかわからないほど、悲しいことが
次々に起こるようになってきます。
それが、生きているということです。
だから、せめて、何か、ほんの小さなことでも、
何か、祝えることがある時には、
祝杯をあげてもいいんじゃないか、と思いました。
たまには、ほんの小さなことでいいから、何か、祝えることがある間は、
祝杯をあげても許されるだろう、と。
そう思いました。          山田

2019年10月9日水曜日

ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記のこと

リチウムイオン電池の吉野彰さんのノーベル化学賞受賞ニュースを見ていて、宮澤賢治が1930年代に書いた「グスコーブドリの伝記」を思い出した。たしか、その中で、潮汐発電のことが書かれていたからだ。潮汐発電、太陽光発電、風力発電、そして、それら全てに必要なリチウムイオン電池、どれも、地球温暖化や環境破壊と戦うための手段なのだが、今から90年も前に、賢治は、もうすでに、そういうことを考えていたんだなあ、と思った。だから、やっぱり、賢治は賢治なんだ。

「グスコーブドリの伝記」と関連して、未完だった「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」と言う作品があって、今ではなかなか手に入らない本だが、青空文庫やKindleなどで読むことができる。これは大好きなお話なのだが、結末が書かれないままに終わっている。あるいは書かれていたが、失われたのかもしれない。
そう言えば、「ペンネンノルデは今はいないよ、太陽の棘を取りに行ったよ」と言うのもあったなあ。でも、どの作品だったのか。思い出せない。

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2019年9月30日月曜日

足音

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遠くから近付いて来る足音を聞いている

           山田リオ

2019年9月29日日曜日

Meaning of life

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もしかしたら
わたしにとって 生きる意味とは
お気に入りの コーヒーポットで淹れた
とろりと濃い デミタスの珈琲の 
味と香りを楽しみながら 
あの ゆるやかで 静かな音楽を聴く
それだけのこと なのかも 知れない

         山田リオ



********************************

いま、カーソン・マッカラーズという作家の「心は孤独な狩人」という小説に出会って、
なんだか、とてもぴったりくるので、夢中になって読んでいます。
この作家はアメリカの女性ですが。
いや、ただそれだけなんですけど、急に書きたくなったので。    やまだ

PS  掲載して、あとから気がついたけど、このコーヒーの詩、江國香織さんのにすごく似ているよね汗;;;すみません・・・
PPS でもね、この写真、気に入っているんだよね・・(自己満足)
    

2019年9月25日水曜日

曼珠沙華

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まんじゅ沙華さけるを見つつ心さへ
つかれてをかの畑こえにけり

               茂吉

2019年9月24日火曜日

ひとり

                    山田リオ    
あなたのまわりを流れる時間は
ほかのどんな時間にも似ていない
あなたから生まれる言葉は
ほかのどんな言葉ともちがう
どんな人間にも
動物にも植物にも鉱物にも
あなたは似ていない
なぜならあなたは
この宇宙に
たったひとり    Copyright©2016RioYamada

2019年9月21日土曜日

浜辺

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いつしかついて来た犬と浜辺に居る


      尾崎放哉(1885-1926)

2019年9月16日月曜日

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雨に濡れる 石蕗(つわぶき)
子供の頃は つわぶき ではなく
艶蕗(つやぶき)だと 思っていた
でも大人は つわぶきだ と言うので
なんでだろう と思った
今見る 雨の石蕗は 
湿り気を帯びた 空気の中  
ぬれぬれとして つややかで
なつかしい

         山田リオ

2019年9月15日日曜日

完璧


完璧な行動は、完全な無頓着によってのみ生まれる」

                 チェザーレ・パヴェーゼ (1908-1950)
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2019年9月14日土曜日

Last rose of summer


一人で生きていけるほど 強くはない でも
仲間がいないと不安になるほど 弱くもない

                山田リオ

 

2019年9月11日水曜日

2019年9月8日日曜日

海の

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ここから波音きこえぬほどの海の青さの

         尾崎放哉(1885-1926)

2019年9月3日火曜日

退屈な話

          山田リオ
ある街角で ふと
路上に立ち止まり
一杯の 赤ワインを思う
背後には 曇り空の下
伸びている まっすぐな道
一杯の赤ワイン 曇り空
まっすぐな道 それだけ

あとは 背後の 道の上 
点々と残った 自分の 足跡
幸運 という名の 足跡 
それにしても 何という退屈な話だ 
そう たしかに 酒の相手として  
これほど 退屈な奴もいない

しかし 誰を楽しませるために
立ち止まったわけでもなく
自分の不運に対する 恨み言も無いので
そんなわけで 路上に立ち止まり
うっすら笑って 一杯の赤ワインを思う
それにしても 何という
退屈な話だ 

2019年8月31日土曜日

rio yamada photo

             山田リオ
足が冷たい
真っ暗で 何も見えない 
立っている場所は
何処なのか わからないが
足首から下が 水の中にあって
水のつめたさが 上がってくる
目を閉じ 方向を定め
右足を一歩 前に出す
空気は 動かない
水の匂いがする 音は聞こえない
つめたい 浅瀬の水の上を
歩き始める ゆっくりと 
一歩 一歩 たしかめながら
つめたい 水の中を 目を閉じ 歩いて行く

2019年8月24日土曜日

親しいハエトリグモ


この季節、室内でよく出会うハエトリグモくんです。
今朝は、すぐそばまできてくれたので ちょっと写真を。
非常に元気で 動きも機敏なので、
体調は良さそうです。

わたしの大切な知人 いや 知蜘蛛です。
こっちが勝手に「親しい」なんて思っているだけでしょうけれど。
でもね、水滴をあげると、
ちゃんと飲みます。 
この子がいてくれて、ダニを食べてくれるので
夏も快適に暮らせるのです。
「ぎゃー、クモ!!!」とか、
嫌わないであげてくださいね。

2019年8月23日金曜日


何処やらむかすかに虫の鳴くごとき心細さを今日もおぼゆる

              石川啄木(1886-1912)

2019年8月19日月曜日

篋底

宮澤賢治の短文に「おきなぐさ」というのがある。
今日は、そのおきなぐさの写真を載せることにした。

この詩日記を始めたのは2002年で、最初の詩日記は引越しを余儀なくされたため、
ここでは、日記の目次の最初のページは2011年から始まっている。
実際は、2011年の部分には、2002年4月20日から2011年の5月30日までを掲載した、
約、九年分の記事が詰まっていることになる。
かなり大量のデータだが、自分で書いたものだから、
読み返すと、やっぱり懐かしい。
色々あった時期の日記を読むと、忘れていたことも思い出す。 
                            山田
おきなぐさ 

2019年8月16日金曜日

空耳


              山田リオ
rio yamada photo
蝉の声がやんで 遠くから
なにか 聞こえたような気がして
耳を澄ませる 
何も聞こえない 蝉の声だけ
気のせいか 
遠雷も夕立も 希望的空耳
ポツポツ アスファルトに雨粒が落ちて
それから 涼しい風が立つ 
雨だ 真夏の夕立 いや
wishful thinking だな
そう うまくはいかないよ 
でも なんという湿度
むっとして 帰れば庭に柳かな か
むっとする 湿度の中で 今日も生きるのだな
でも 夕立が来ないのはなぜか
わたしは 夕立に見放されたのか
おい 夕立 なぜ来ない なんとか言え
ゴロゴロとでも 言ってみろ


2019年8月14日水曜日

虚無


「言葉はすべて、沈黙と虚無とに付着した無要な汚れのようなものだ。」

             サミュエル・ベケット(1906-1989)  (山田リオ訳)

2019年8月13日火曜日


短夜のあけゆく水の匂かな      短夜(みじかよ)

          久保田万太郎(1889-1963)

2019年8月11日日曜日

Rio Yamada Photo

運不運人の上にぞ雲の嶺

       久保田万太郎(1889-1963)