2017年4月28日金曜日
あの本
山田リオCopyright©2017RioYamada
ずいぶん昔のことだ。
海外旅行中に、飛行機で日本人の男性と乗り合わせた。
永旅で、自然に、会話が始まった。
その方は当時でもご高齢で、わたしはひどく若かったし、かなりの年齢差があった。
今となっては、何を話し合ったのか、まったく憶えていない。
眠ったり、食事を摂ったり、切れ切れにいろいろと話し合ったのだろう。
あの方がどういう職業だったのかも、わからない。
目的地に着き、別れるときに、その男性に一冊の古い本を手渡された。
かなり厚みのある本で、そのとき、見返しにその方のお名前を書いておいた。
その後、落ち着いてから、あのときにいただいたあの本を最初から最後まで読んだ。
小説などではない、学術的な、また随想のような内容で、哲学的でもあった。
著者は、聞いたこともない人だった。
当時の自分には難解だったと思うが、とにかく通読した。
それから永い間、その本を開くことはなかった。
何度も引っ越しを繰り返して、でもその本は手元に残った。
だいぶ大人になってから、引越しの梱包をしているとき「あのときの本」を見つけ、開いてみた。
それから、だんだんに読むようになった。
寝る前に、偶然開いたページを、少しだけ読む。
そうやって読んで行き、何度も、繰り返し、繰り返し読むようになった。
なにか惹かれるものがある。心に響くところがある。
読めば、なにか安心する。慰められる。救われることもあるし、叱られることもある。
だからたぶん、深夜にちょっとだけ読む、ということになったのだろう。
今ではすっかりぼろぼろになって、あちこちテープで止めたりして、まだ読んでいる。
今わかることは、この本は、自分にとっての薬で、導きだ、ということだ。
あのとき、この本を下さったS氏は、そうなることを見越しておられたのだろうか。
おそらく、もうとっくに亡くなられただろう、あのS氏とこの本が、自分の人生を変えてくれた。
S氏と、この本の著者への感謝を、できることなら伝えたい。 Copyright©2017RioYamada
2017年4月21日金曜日
芭蕉、春
雪間より薄紫の芽独活哉
山路来て何やらゆかし菫草
さまざまのこと思ひ出す桜かな
西行の庵もあらん花の庭
命二つの中に生きたる桜かな
前髪もまだ若艸の匂ひかな
何の木の花とはしらず匂かな
草も木も離れ切つたるひばりかな
春なれや名もなき山の朝霞
月花もなくて酒のむ独り哉
松尾 芭蕉(1644 - 1694)
2017年4月14日金曜日
過去
過去は
あなたが置いたと思った場所には
けっして ない。
キャサリン・アン・ポーター(1890-1980)
2017年4月8日土曜日
2017年4月3日月曜日
与謝野晶子 ①
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
舞姫のかりね姿ようつくしき朝京くだる春の川舟
よそほひし京の子すゑて絹のべて絵の具とく夜を春の雨ふる
清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき
いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春
こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露
鳥辺野は御親の御墓あるところ清水坂に歌はなかりき
夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ
京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき
なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇
詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に
くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき
与謝野 晶子(1878-1942)
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