しばらくお休みします
r.y.
今はもう会えない 友人の一人が 言っていた事がある
それは 「大きな幸運に恵まれた人は
一生の間に その幸運に釣り合うだけのprice
対価 を支払うことになる」という
つまり 幸運と 不運は 一生の中で帳尻が合う
というのだ
そう考えてみると なるほど と思うこともある
幸運ばかりの一生 それを願っては いけないのか?
おい R いたら返事してくれ
ぼくが 少年だったころ
これから ぼくが 生きていくだろう 一生について
漠然とした 想像のようなものは うっすら あったと思う
しかし それから 実際に生きて見たら
やって来て そして 過ぎていった 現実の人生は
はるかに ぼくの想像を 超えていた
それは決して ぼくが 想像以上に成功した とかいうことではない
それは ぼくが 生きているあいだに たくさんの ではなく
ほんのわずかだが 思ってもみなかった あり得ないような
すばらしい人たちに なぜか ぼくは 出会ってしまった
そのこと その 幸運 奇跡のことを 言っているのだ
その人たちは ぼくに 地位や肩書きを与えてくれたわけではない
その人たちは ぼくを ただ 愛してくれた
虫や鳥や獣 野生動物を愛するように
無条件で ただ 愛してくれた
今日は そのことを 書いておこうと
ぼくの 感謝の気持ちを 書いておこうと思ったのです
山田リオ
rio yamada photo |
「おはよう
コーヒーなんか呑んでないで
はやく あそぼうよ」
と言っています
秋が熟れてゆく でも
わたしは このまま
かわらない
いつも なにがあっても
わたしも 蜘蛛も
鳥獣蟲魚も 草も木も みんなみんな
いっしょに このまま いつも いつまでも
かわらない
山田リオ
rio yamada photo |
吉田健一の「汽車旅の酒」という随筆集の中の「東北本線」という一章に
列車で たまたま隣り合わせた 男との 会話が書かれていて
その男の 話の中で アフリカの ブッシュマンという民族は
土地を 所有する習慣が なかったため
後からやってきた 西洋人に 野生の獣のように 扱われた という
ブッシュマンは 土地を所有することがなく
自然を 荒らしたりすることもなく
自分たちが 自然の一部として 自然を手なずけ
飼い慣らしながら 共に生きているのだという
そういう話を 見ず知らずの男から 聞かされる
その中で 吉田健一は ブッシュマンが住んでいるという
カラハリ砂漠の 夕焼けのことを 書いていて
私は 見たこともない カラハリ砂漠の 夕焼けが
強く 印象に残っている
この本は いつも 目につきやすい場所に 置いてあって
気が向けば ちょっとだけ読んで また そこに戻しておく
つまり 「汽車旅の酒」 の定位置は 本棚ではない
気がつけば 電子書籍の書庫には ずいぶん 「本」が増えた
いくら書籍が増えても 電子書籍は 場所をとらない
海外で出版された本でも あっという間に送信されて 読むことができる
といっても それらの本には 実体がないから 「置き場所」もない
本の表紙に 指先で触れて 紙質を感じたり フォントを 味わったり
本を手に取り その 重みや 厚みを 感じることができない
たしかに 電子書籍に 書かれていることを 読むことはできる
しかし 本棚に並んだ お気に入りの本たちの 背表紙を
順繰りに 眼で愛撫していく そういう 楽しみは ない
読みかけのページに 栞を挟んでおくという よろこびもなく
心に残った部分や 自分が好きな 詩のページに 付箋を貼ることもない
だから 電子書庫をたまに開くとき かすかな虚しさを感じるのは
私だけだろうか 山田リオ
ナタリー・デセイ(フランス)、ソプラノ。