2015年12月31日木曜日

朝 再録

Copyright ©2012RioYamada

                  山田リオ
今朝
昨日の朝でも
去年の朝でもなく
過ぎ去った朝でも
いつかやって来るはずの朝でもない
それはいまここにある
そしてすぐにどこかへ行ってしまう
この朝  Copyright ©2012RioYamada

              

2015年12月30日水曜日

蟲入り

Copyright ©2015RioYamada

                  山田リオ
リサイクルショップで
琥珀のペンダントを見つけた
見ると、いろいろなものが内包されている
木の葉の破片のようなもの
小さい半透明の花びらのようなもの
なんだかわからない細かいもの
はっきりとわかるのは
小さい羽虫が一匹

何万年か昔
木の表面から流れた樹液が固まったとき
そこにいた蟲や花弁や
なにやかやがみんないっしょに固められて
その日そのとき時間が止まった
そうやって固まった松脂が
何万年か経って
こんな透明な宝石になった
そういう偶然でこの羽虫さんは
腐ることも土に還ってしまうこともなく 
あの日のままのすがたで     
今日はここにいるのです Copyright ©2015RioYamada


PS この羽虫さんは、あの蜘蛛の餌にはちょうどいい大きさですが、
   蜘蛛さんは羽虫さんに触ることできません。右上隅にいるのが羽虫さん

2015年12月24日木曜日

蜘蛛 ①


たまに、家の中で蜘蛛を見るようになった。
おそろしく小さい蜘蛛で、陽の当たる窓辺の壁などに止まっている。
体長は5mmくらいだと思われる。

その小さい、黒い蜘蛛が、PCモニターの左側の壁に出てくるようになった。
陽の当たる窓がすぐそこにあるし、モニター自体も温かいのだろう。
夜でも、気がつくと、モニターの左側、15cmほどの位置にあらわれて、
そこでじっとしている。
そして、気がつくと、もういない。

調べてみると、この黒い蜘蛛は、アダンソンハエトリグモのオスらしい。
といわれても、蠅を捕らえて食べるには、この蜘蛛は、あまりにも小さい。
たとえ、蚊と戦ったとしても、勝てるとは思えない。
ダニなども、食べるそうだ。

水を飲むかどうかわからないが、
小さな平たいさかずきに水を少しだけ張って、モニター脇に置いてみた。
飲んだのかどうかは、わからない。

しかし、この黒くて小さな蜘蛛は、
今日も、白い壁を音もなく登ってくる。
そして、しばらくの間、じっとしていてから、
また物陰に帰っていく。 Copyright ©2015RioYamada

2015年12月23日水曜日

冬の句


さびしさは木をつむ遊びつもる雪
いまは亡き人とふたりや冬籠(ふゆごもり)
雪掻いている音ありしねざめかな
ほとほととくれゆく雪の夕(ゆうべ)かな
死んでゆくものうらやまし冬ごもり   

                     久保田万太郎
 

雪を漕いで来た姿で朝の町に入る
雪空にじむ火事の火の遠く恋しく
雪の戸をあけてしめた女の顔
師走の木魚たたいて居る
小さい島に住み島の雪
師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり 

                    尾崎放哉
 

さびしさや師走の町の道化者
春の灯や立花亭の雪の傘
叉一つ寄席なくなりし夜寒かな   

                    益田龍雨
 

褄取れば片手に重し傘の雪   
                    岡本松浜

2015年12月17日木曜日

真鍋呉夫


夜の雲やラムネの玉は壜の中
 

鐡帽に軍靴をはけりどの骨も
 

約束の螢になつて來たと言ふ  

               真鍋呉夫(1920 - 2012)

2015年12月9日水曜日

田のかんさ~


NHKの、火野正平さんの「こころ旅」、
鹿児島のところを見ていたら、出会ってしまいました。

田のかんさー、(田の神様)です。
写真をご覧いただければ、
それで伝わるかと存じます。
付け加える言葉は、ございません。  山田

2015年12月4日金曜日

易 2011

2011年8月16日火曜日に掲載




中国から来た偉い易の先生に会えるというので、
その老人が滞在するというホテルに行った。
老人の前に座って、何の質問もなく、
姓名、生年月日を書かされた。
そしてぼくの面相、手相を見る。
しばらくして、おもむろに老人が言う。
「おかしいですな。あなたはすでに死んでいます」
ケンシロウのようだな、と思うが、黙って聞く。
更に、「五年ほど前にあなたの運勢は尽きた。そこからは、何も見えない。今はもう生きているはずのないあなたがここにいる。」
そこで、2008年に起こったことを話した。
「なるほど。あなたは科学の進歩で生きているわけですな」
「しかし、だからといって、いつまでも生きるわけではない」
「楽しく生きなさい。一分一秒を楽しんで生きることだけを考えなさい」
「ではさようなら。あなたに幸運を」 Copyright ©2011RioYamada
PS この、右側の写真の品ですが、なかなかの大物です。
ずいぶん永いつきあいになりました。
ずっと一緒に暮らしてきて、日本に一緒に帰ってきました。
もしかしたら、守ってくれているのかも。
この出会いと、つきあいにも物語があります。それは、またの機会に。






2015年11月27日金曜日

八木 重吉




ながいこと考えこんで
きれいに諦めてしまって外へ出たら
夕方ちかい樺色の空が
つめたくはりつめた
雲の間に見えてほんとにうれしかった

冬の野

死ぬことばかり考えているせいだろうか
枯れた茅のかげに
赤いようなものを見たとおもった


八木 重吉(1898 - 1927)

2015年10月31日土曜日

おかえり 再録

■2006/01/28 (土) おかえり

「おかえり」
                山田リオ
知り合いの、あの猫がいなくなってから
三週間がたちました
それは薄汚れた灰色の雄猫で
夜の散歩のときに、彼は
いつも、あそこの塀の上にいて
逢えばいろいろ話をしたのですが
年が明けてから見えなくなったのでした

昨日の晩、あの塀のそばを歩いていて
あの猫が、きゅうに塀の上に現れました
いつもなら、「どうしたの?」「元気だった?」などと訊き
彼のほうは、「にゅ」とか「ぷ」とか
短い言葉で返事する、そういう対話になるのですが

昨日は、塀の上に伸びたジャカランダの木で
爪をといだり、頬をすりつけたりしてから
ちゃんとわたしの目を見て
かなり長いセンテンスで話をしてくれたのでした

わたしは、猫語がすべて理解できるわけではありませんが
それでも、「また会えて、うれしいよ」という部分と
「明日も来るのかい?」という部分は理解できました

大げさな別れは、好きではありませんから
「じゃ、またね」そう言って背中を向けて立ち去って
曲がり角まで来て、振り返ると
もう塀の上に、あの猫の影はなくて

どこか秘密の場所に帰って行ったのだな
そう思いながら、気持ちがあたたかくなって
わたしも家に帰りましたCopyright ©2006Rio Yamada

2015年10月30日金曜日

オレゴンから

■2006/01/24 (火)
「オレゴンから」
                山田リオ

オレゴンは毎日雨です
雲は空いっぱいにあふれて動き
すべての森は樅の木で
羊歯と苔、川と湖
その上に霧のような細かい雨が降っていますから
人はいつも、湿った空気を呼吸することになります

今は午前四時、ポートランドのホテルの部屋で
窓から街路を見下ろしています
車も人も通らないので、静かです
暗いなかで、すべてが濡れて光っているので
今も、目に見えないほど細かい雨が
降っていることがわかります
では、もうすこし眠ることにします  Copyright ©2006Rio Yamada


2015年9月30日水曜日

どんぐり 再録

■2009/04/05 (日) 

「そんなら、かう言ひわたしたらいゝでせう。このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなつてゐないやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
山猫はなるほどといふふうにうなづいて、それからいかにも気取つて、繻子(しゆす)のきものの胸(えり)を開いて、黄いろの陣羽織をちよつと出してどんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しづかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちやくちやで、てんでなつてゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ。」
どんぐりは、しいんとしてしまひました。それはそれはしいんとして、堅まつてしまひました。

2015年9月12日土曜日

やなぎ



気に入らぬ風もあろうに柳かな

                   仙崖

2015年9月10日木曜日

和風は河谷いっぱいに吹く

                                                        
                                             宮澤賢治(1896-1933)  

たうとう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は
いま小さな白い花をひらめかし
しづかな飴いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
あゝ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖し
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
茎稈弱く徒長して
穂も出し花もつけながら、
つひに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまひ
うへには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
あゝ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つなからうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっかうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代りには
十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
わづかの苗のつくり方のちがひや
燐酸のやり方のために
今日はそろってみな起きてゐる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
いまさはやかな蒸散と
透明な汁液サップの移転
あゝわれわれは曠野のなかに
蘆とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りない

2015年8月31日月曜日

さびしいとき


                金子 みすゞ(1903 - 1930)

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。
 
わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。
 
わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
 
わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。

2015年8月21日金曜日

一歩


                山田リオ

毛蟲の一歩。
                         Copyright ©20015RioYamada



2015年8月7日金曜日

ドクダミ

 
                        山田リオ

ハエトリグモさん、おはようございます
シジュウカラさん、しあわせそうですね
ヒキガエルさん、あなたはしあわせですか?
ドクダミさん、あなたはどうですか?
枯れてしまったハイビスカスさん、
あなたの一生はしあわせでしたか?
ぼくですか?ぼくはいま、しあわせです
今朝は、すこし曇っているのでね。 Copyright ©2015RioYamada

2015年8月4日火曜日

熱中時代

 
                山田リオ
道端にセミがあおむけに倒れている
指を出してみると、つかんでくる

次のセミは、動かない
すでに死んでいるようだ
セミも熱中症になるらしい Copyright ©2015RioYamada

2015年7月15日水曜日

山崎方代 ①

降りやみし雪うすうすと受けとめし朴の葉っぱのそのやさしさよ
移りゆく冬の時雨にぬれながら石青々と静まりかえる 
そして夜は雨が激しく降ってきてただ暗がりにひとり寝るだけ
外燈のかさをかこみて雪が降るただそこだけを舞っているのだ
約束があって生まれて来たような気持になって火を吹き起こす
とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる
一本の傘をひろげて降る雨をひとりしみじみ受けておりたり
遠い遠い空をうしろにブランコが一人の少女を待っておる
小海線の電車の窓からふんわりと麦藁帽子がころげ降りたり
人間はかくのごとくに悲しくてあとふりむけば物落ちている
シグナルの青と赤とのまたたきよ平和はここに溢るるばかり
ああここはこの世の涯かあかあかと花がだまって咲いている
こんな夜にかぎって雨が降り出でて空の徳利を又ふってみる
                  山崎方代(1914-1985)

 


2015年6月1日月曜日

歴史

                山田リオ
朝から風が吹いていて
木の葉も枝も、ゆれている
揺れる木の葉の音のむこう
オナガがさっきから、くりかえし
なにかをしつこく主張している
ムクドリが負けずに、言い返す
ほかのオナガも、加わって
みんなでうるさく、言い争う
すこしはなれて、ヒヨドリが
なにか、短い言葉をはさんだ
そんなことは、おかまいなし
シジュウカラは、ゆれながら
楽しいことを唄っている

ここでねているわたくしが
ねむくてしかたがないことを
あの鳥たちは、すこしも知らない
何千年も、してきたように
風はやっぱり木々を吹いて
鳥もいっしょにゆれている
にんげんたちに何があろうと
そんなことは、おかまいなし
これから先の、何千年
やっぱり風は木々を吹いて
鳥もいっしょにゆれながら
楽しいことを唄うだろう
       Copyright ©2015RioYamada

 



2015年5月18日月曜日

実桜


 
               山田リオ

ソメイヨシノの実は、とても小さい
拾って、なにも考えず
このお皿に入れたら
居心地がよさそうなので
しばらくこのまま
いてもらうことにした 

 Copyright ©2015RioYamada

2015年5月10日日曜日

イマゴ・ムンディ


精神分析のほうの、よくわかりませんが非常に有名な、藤山直樹先生という方がいらっしゃって、
この先生が俳句もされます。この人の俳句が非常に好きなんですが。

もう一人、ドイツ生まれの小児心理学者で、ピーター・ブロスという人を、友人を介して知りました。この人も、偶然ですが、詩人なんですね。Peter Blos (1904-1997)。 この人の、イマゴ・ムンディ Imago Mundi という詩集を戴きまして、今も手元にあります。
これが、詩集の題名が、よくわからないんですが。ラテン語です。
題名はラテン語でも、本の内容は英語で書かれています。

イマゴ、は辞書を引きますと、
1)成虫、つまり昆虫の成体、幼虫が変態を繰り返して、成虫になる。
2)心理学用語で、「理想化された自己のイメージ」、という意味だそうです。
なんのことやら。。

更に、ムンディは、世界ですが、いや、そう簡単にはいきません。いろいろと意味があるということで。わからないことをいくら検索しても、やっぱり分からないんで。
ハンミョウ
なんだろう。幼虫が自己の成虫としての理想的なイメージを持ちながら、成長し、変態し、最後に大人の蟲になり、世界に出て行くのかな?あはは。汗。

このピーター・ブロスさんは若い頃からドイツ語で詩を書いていたそうですが、彼は80歳になって、突然、英語で詩を書き始めた。そして、90歳までの10年間に書きためた英語詩集が、このイマゴ・ムンディです。
人生の最後の10年間という時間で、変態を終えられたのでしょうか。
この詩集を出版されて、しばらくして、亡くなられました。

だからなんだ、というわけではないんですが、この本を、読んでいます。
このブロス先生と、藤島先生には、勇気を戴いています。    山田リオCopyright ©2015RioYamada

2015年4月25日土曜日

靴下


                     山田リオ

靴下は、ひとつでは一足にはならない
両足分、二つそろって、一足になる
かたっぽだけの靴下は
クリスマスイヴにサンタさんから
プレゼントをもらうとき、役に立つけれど
私の場合、サンタさんには忘れられてしまったし
足は二つあるから、靴下でもソックスでも
やっぱり二つないと、穿いたことにはならない

靴下には右用と左用があって
左用は、いつでも左足に穿く
なぜかというと、どの靴下も
左のほうがゆるくできているので
わたしの左足にはゆるい靴下を
右足のほうにはすこしだけきつい靴下を
はくのがきまりになっていて
右用のを左足に穿くと、きつくてたまらないし
左用のを右足に穿くと、ゆるくて気持ちが悪い
だから穿く前に、注意して右か左かを判断する

一度で左足用を左に穿けたら成功で
右足のほうは、のこった一つを穿くだけでいい
でも、たいていのばあい
右用の靴下を左足に穿いてしまって
あわてて脱いで、もう一つのほうを
左足に穿いてみて、やっと安心する
そんなふうに、同じように見える靴下も
一足だというので二ついっしょに買ったのに
ふたつの靴下は、けっして同じではない

人間も靴下とおなじで
ふたりおんなじ人間というのは存在しない
かりに、二人が一卵性双生児だったとしても
二人はやっぱり、どこかちがっているわけで
人も、靴下とおなじように、同じものは二つない
では、こんどいつか、靴下ではなく
足袋や、下駄や、靴の話もしようね。
Copyright ©2015RioYamada

2015年4月8日水曜日

葉桜

Copyright ©2000RioYamada


葉桜の上野は闇となりにけり      正岡子規
 

葉桜や忘れし傘を取りに来ず       安住敦
 

葉桜にとかくの義理のつらきかな  久保田万太郎   
 

行く人にとどまる人に花吹雪     富安風生

2015年4月2日木曜日

花筏


春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり

花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける
 

風さそふ花のゆくへは知らねども惜しむ心は身にとまりけり
 

世の中を思えばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ    西行法師
                                                                 

                           

2015年3月29日日曜日


                 山田リオ
ライトアップも
商店会の赤いちょうちんもなく
ワインやホットドッグを売る店も
飲み食いし、騒ぐグループも音楽もなく
延々続々とやってくる群衆もいない
桜がひとり咲いているだけ
そういう、静かな時間がすきなので
小学校の裏道の
あの、一本の桜の木に
今日もまた、会いに行きます
             Copyright ©2015RioYamada

○藍染めの端裂(はぎれ)を集めています。ずいぶんたくさんになりました○
○昔のものはいいです。だんだん写真を撮って公開したいと思います○ やまだ

2015年3月25日水曜日

遠い渚


ここから波音きこえぬほどの海の青さの
                       尾崎放哉 (おざきほうさい、無季自由律俳句)    


いつも、要町にある、もりかずさんの海の絵を思い出す。
あれも、ずっと遠いところで波が砕けているのが見える 
でも、聞こえない Copyright ©2015RioYamada

2015年3月16日月曜日

春の雨

              山田リオ

ずっと体調が良くなくて
なんだか冷たい日が続き
すっかり弱ってしまったようで
でも、今は夜で、雨が降っています
こういうあたたかい雨の夜は
なんだか身体も心もあたたかく
こうして夜の中に横たわって
静かな雨の音を聞いていると
身体の奥から力が湧いてくるようです
朝になったら、起きて立ち上がり
雨上がりの新しい季節の中に
ゆっくり歩いて出て行こうと
そう思いながら眠ります
               Copyright ©2015RioYamada

2015年2月23日月曜日

Without Wings

                         山田リオCopyright ©2015RioYamada
一日ごとに、すこしずつ
風の匂いが変わり
羽に触れる空気の感触
土、草木、そういうものが
動き出そうとする、その前に
鳥のなかで、なにかが蠢き始める
なにを思うというわけでもなく
わけのわからないものに突き動かされ
鳥は飛び立って
はるか遠くのどこかへ向かって翔んでゆく
鳥はいつでもそれができる
鳥は身一つだから、翼があるから
鞄もバッグも袋もポケットもリュックも財布も
家も財産も家具も蔵書もなにもないから
ひとり、どこか遠くのほうへ
翔んでゆくことができる

人は、なかなか、それができない
財産と言う名の粗大ゴミや
燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミ、
クズ、ガラクタ、名前のつけられない
数え切れないモノたちから
人は自分を引き剥がせないから
なかなか飛び立つ機会がないまま
食い、眠り、老いていく

それでも、時が来て
風の匂いが変わり
歩む地面の感触が変わり
住む世のトポロジーが歪み始め
そして、とうとう、その日が来ると
人もまた、鳥とおなじように
旅立つ
ほんとうに一人で
何一つ持たず
全てのゴミ、クズ、ガラクタを後に残して
裸体で旅立ってゆくわたしたちは
翼のない鳥のようだ
 Copyright ©2015RioYamada