2019年10月31日木曜日

笑顔

rio yamada photo

人生は笑って生きるだけでいいんです。

         関 頑亭 (1919~)

2019年10月27日日曜日

Premonition Dream 予知夢

             山田リオ
幼い頃に見た夢を
何度も 繰り返し 見ることがある
永い間 忘れていた
幼い頃の あの晩の あの夢を
ある夜 また そっくり あの時のまま 
もう一度 あらためて 見る
目覚めて ああ あの夢だった と思う
そして 今ここで 現実に起こっていることを
あの時 まえもって 見ていたのだと 気がつく
そういう夢を 今朝また 夜明け前に見た
ああ あの時の あの夢だ
そうだったのか
おしえてくれて ありがとう と
なにか わからないものに向かって 言う
でも それが いったい何の役に立ったのか
わたしは 知らない 

2019年10月26日土曜日

ただ一度

rio yamada


写真は、NY時代に録音したCDアルバムのジャケットの一部です。思い出深いものなので、ここに入れておこうと思います。

説明するのもヤボですが、この四色のデザインは、もちろん、ブラジル、アメリカ、日本、三ヶ国の国旗を意識したものになっております。

全八曲、すべて僕のオリジナル曲ですが、NYのジャズのミュージシャンとブラジルのサンバのミュージシャン、それに、ぼくも演奏したのですが、一発勝負で録音しました。

何しろインプロヴで、やり直しが効かないものなんで、今聞くと、かなりヤバいのもあります。

でも、あの頃、みんなでワイワイやりながらの多国籍セッションは、ホント、懐かしい。
あのメンバーが集まることは、もう不可能です。
二度とできない、やり直しがきかないこと、人生には、いっぱいありますねw。
今は・・
サウダージ。。。
                         山田
  

2019年10月22日火曜日

ここに

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仏法ははるかにあらず
心中にしてすなわち近し

       空海

2019年10月18日金曜日

おはよう、胸の痛み 再録

rio yamada photo
2007/03/29
Ervin Drake(1919-2015) 作詞 訳:山田リオ

おはよう 胸の痛み
あいかわらず 暗いね
おはよう 胸の痛み
昨日の晩 さよなら言ったはずなのに
私が眠れずに 寝返り打っているうちに
あんたは 行ってしまったと思ったのに
夜が明けたら やっぱりここにいる

あんたを 忘れたいのに
あんたは ここに住み着いた
あんたに 初めて会ったのは
私の恋が 去って行った後だった
今じゃ 毎日が あんたへの挨拶で始まる
「おはよう 胸の痛み どう?」

つきまとうのを やめてほしい
でもあんたは ここにいる
一人に なりたいのに
月曜日から 憂鬱で
日曜日まで ずっと憂鬱で

おはよう 胸の痛み
また 一緒だね
あんただけだよ  私をわかってくれるのは
あんたがここにいるのに もう慣れた方がいいね
おはよう 胸の痛み 座りなよ・・・

2019年10月17日木曜日

ねむり

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極上の時は
あたたかい 囲炉裏のそば
炭火のはぜる音 匂い
秋は深まる 夜は更ける
知らないうちに 眠りに落ちて
そんなふうに 一生を終われたら
どんなにか 幸せだろう

        山田リオ

2019年10月12日土曜日

祝杯の意味


Carmen McRae

誰がなんと言おうと、
今日はカーメン・マクレイを聴く。

聴いて、聴いて、聴きまくる。

そう決めたのだ。
そういう日があっても、いいのだ。

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昨日今日、いろんなことがありました。
悲しいことが、たくさん、たくさんあります。
どこかの遠い町でも、すぐそばでも、
僕の年齢になってくると、
知人友人、身近な人、大切な人たちにも、
どうしたらいいかわからないほど、悲しいことが
次々に起こるようになってきます。
それが、生きているということです。
だから、せめて、何か、ほんの小さなことでも、
何か、祝えることがある時には、
祝杯をあげてもいいんじゃないか、と思いました。
たまには、ほんの小さなことでいいから、何か、祝えることがある間は、
祝杯をあげても許されるだろう、と。
そう思いました。          山田

2019年10月9日水曜日

ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記のこと

リチウムイオン電池の吉野彰さんのノーベル化学賞受賞ニュースを見ていて、宮澤賢治が1930年代に書いた「グスコーブドリの伝記」を思い出した。たしか、その中で、潮汐発電のことが書かれていたからだ。潮汐発電、太陽光発電、風力発電、そして、それら全てに必要なリチウムイオン電池、どれも、地球温暖化や環境破壊と戦うための手段なのだが、今から90年も前に、賢治は、もうすでに、そういうことを考えていたんだなあ、と思った。だから、やっぱり、賢治は賢治なんだ。

「グスコーブドリの伝記」と関連して、未完だった「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」と言う作品があって、今ではなかなか手に入らない本だが、青空文庫やKindleなどで読むことができる。これは大好きなお話なのだが、結末が書かれないままに終わっている。あるいは書かれていたが、失われたのかもしれない。
そう言えば、「ペンネンノルデは今はいないよ、太陽の棘を取りに行ったよ」と言うのもあったなあ。でも、どの作品だったのか。思い出せない。

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