淋しさの底ぬけて降るみぞれかな
内藤丈草 (1662~1704)
歩いている なにも考えないで 歩いている
そうやって 歩いていると 笑顔になる
いつもの キジバトに会えば もっと笑顔になる
キジバトに キミは可愛いねえ とか 言いながら
一緒に歩く キジバトは逃げないで 付き合ってくれる
一喜一憂 笑ったり泣いたりしながら それでも 歩く
今 この日に この一日になって 歩く
今日の到達点も 明日の心配もなく 今を 歩く
山田リオ
ピシンギーニャ © rio yamada |
Les Roseaux (葦)
フランソワ・クープラン(1668~1733)、フランスの作曲家
(この音楽は、一つ前の「晩年」という詩とは、無関係です。)
音楽用語のFinale, フィナーレのことから。
クラシックのソナタ形式で、最初に第一楽章、ね?
それが終わって、次は第二楽章、みたいに進んでいって、
とうとう最後に来るのが、フィナーレ、意味は、最終章。
これで終わりですよ、ということなんだけど、でも、たまに、
フィナーレの最後のところにCoda, コーダというのがくっつくことがある。
まだなんか言い残したことがあるので、くっつけるんだけど、まあ、尻尾ね。
意味は、日本語では、結尾とか結句とかいって、わかりにくいけど、
つまり、コーダは、「終わりの、おしまいの、おまけ」。
最後に、もう一言だけ言わせてね、みたいなことです。
山田リオ
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