2021年12月31日金曜日

なにはともあれ

 赤ワイン

不要不急の 赤ワイン

「他人の顔色をうかがいすぎていないか」

それはともかく

元日は なにはともあれ 赤ワイン   by 山田

因みに「他人の顔色・・」云々は お年玉で頂いた

養老先生の新刊「ヒトの壁」のキャッチコピー

元日の朝 ガラス越しの日差しが あたたかい

rio yamada


2021年12月30日木曜日

歳の終わりと始まりと

 

Feliz e maravilhoso ano novo para você!


波しろき海の極月来たりけり

これやこの冬三日月の鋭きひかり    鋭き(とき

          久保田万太郎(1889~1963)

rio yamada










2021年12月28日火曜日

幸福

『欲しいものが手に入らないという状況は、

幸福であるために不可欠の要因である。』

                 バートランド・ラッセル (1872~1970

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2021年12月21日火曜日

感謝

 Um feliz Natal, repleto de amor, amizade e alegria!

いつも来てくれて ありがとう。

良い年をお迎えください。

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2021年11月28日日曜日

2021年11月27日土曜日

自転車

こよひはたれが逝く斑鳩の参道をまっすぐに来る無人の自転車

              永井陽子 (1951~2000)  斑鳩(いかるが)

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2021年11月25日木曜日

こうさてん

へんくつなうさぎが来るぞほよほよと昔の風の吹く交差点

              永井陽子 (1951~2000)





2021年11月18日木曜日

対価

 今はもう会えない 友人の一人が 言っていた事がある

それは 「大きな幸運に恵まれた人は

一生の間に その幸運に釣り合うだけのprice

対価 を支払うことになる」という 

つまり 幸運と 不運は 一生の中で帳尻が合う 

というのだ

そう考えてみると なるほど と思うこともある

幸運ばかりの一生 それを願っては いけないのか?

おい R    いたら返事してくれ



2021年11月10日水曜日

想定外

ぼくが 少年だったころ

これから ぼくが 生きていくだろう 一生について

漠然とした 想像のようなものは うっすら あったと思う

しかし それから 実際に生きて見たら

やって来て そして 過ぎていった 現実の人生は 

はるかに ぼくの想像を 超えていた

それは決して ぼくが 想像以上に成功した とかいうことではない

それは ぼくが 生きているあいだに たくさんの ではなく 

ほんのわずかだが 思ってもみなかった あり得ないような 

すばらしい人たちに なぜか ぼくは 出会ってしまった

そのこと その 幸運 奇跡のことを 言っているのだ

その人たちは ぼくに 地位や肩書きを与えてくれたわけではない

その人たちは ぼくを ただ 愛してくれた

虫や鳥や獣 野生動物を愛するように 

無条件で ただ 愛してくれた

今日は そのことを 書いておこうと

ぼくの 感謝の気持ちを 書いておこうと思ったのです

                 山田リオ

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  「おはよう

コーヒーなんか呑んでないで

はやく あそぼうよ」

と言っています

2021年11月6日土曜日

無常

 秋が熟れてゆく でも

わたしは このまま 

かわらない

いつも なにがあっても 

わたしも 蜘蛛も

鳥獣蟲魚も 草も木も みんなみんな

いっしょに このまま いつも いつまでも 

かわらない

               山田リオ

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2021年11月3日水曜日

書籍のことなど

吉田健一の「汽車旅の酒」という随筆集の中の「東北本線」という一章に 

列車で たまたま隣り合わせた 男との 会話が書かれていて

その男の 話の中で アフリカの ブッシュマンという民族は 

土地を 所有する習慣が なかったため

後からやってきた 西洋人に 野生の獣のように 扱われた という

ブッシュマンは 土地を所有することがなく 

自然を 荒らしたりすることもなく

自分たちが 自然の一部として 自然を手なずけ 

飼い慣らしながら 共に生きているのだという

そういう話を 見ず知らずの男から 聞かされる

その中で 吉田健一は ブッシュマンが住んでいるという 

カラハリ砂漠の 夕焼けのことを 書いていて

私は 見たこともない カラハリ砂漠の 夕焼けが 

強く 印象に残っている

この本は いつも 目につきやすい場所に 置いてあって

気が向けば ちょっとだけ読んで また そこに戻しておく

つまり 「汽車旅の酒」 の定位置は 本棚ではない 


気がつけば  電子書籍の書庫には ずいぶん 「本」が増えた

いくら書籍が増えても 電子書籍は 場所をとらない

海外で出版された本でも あっという間に送信されて 読むことができる

といっても それらの本には 実体がないから 「置き場所」もない

本の表紙に 指先で触れて 紙質を感じたり フォントを 味わったり

本を手に取り その 重みや 厚みを 感じることができない

たしかに 電子書籍に 書かれていることを 読むことはできる

しかし 本棚に並んだ お気に入りの本たちの 背表紙を

順繰りに 眼で愛撫していく そういう 楽しみは ない

読みかけのページに 栞を挟んでおくという よろこびもなく

心に残った部分や 自分が好きな 詩のページに 付箋を貼ることもない

だから 電子書庫をたまに開くとき かすかな虚しさを感じるのは

私だけだろうか         山田リオ





2021年11月2日火曜日

人形のアリア


    オッフェンバッハのオペラ「ホフマン物語」から。

     ナタリー・デセイ(フランス)、ソプラノ。



 

2021年10月23日土曜日

浮揚 その後

9月24日の日記に 浮揚する夢のことを書いてから 

きっちり一ヶ月後

今朝 早朝に 浮揚する夢を見た

子供の頃見て以来だから ずいぶん久しぶりだった

でも 今朝の夢は 

ぼくが 大きなバランスボールにしがみついていて

バランスボールは ぼくをぶら下げたまま 昇って行く

この夢 何かを伝えたいのか 何かの象徴なのか  

とにかく ぼくは バランスボールにつかまったまま

ふわふわ ふらふら 上に向かって 

どんどん 昇っていく

そういう夢だった                   ヤマダ

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2021年10月17日日曜日

 もとは 母の本棚にあった本です

この本は 僕といっしょに あちこち 外国にも行って

そして いまは ぼくの本棚にあります                  やまだ
































2021年10月14日木曜日

ごあいさつ

 私のルームメイトが

朝のごあいさつです                  

3枚の写真、みんな同じに見えるかもしれませんが、

口器(クモの口のこと)が違います。よく見てね。

実は 「おはよう」と言っているのです。

                 やまだ





←「お」と言っています。

口器が閉じているでしょ?







↑ これは、口器が全開です。 「は」と言ったところ。

これは、「よう」と言ったところです。

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では、どうぞ、良い日を。

2021年9月30日木曜日

こんなにもしずかな指でひらくなら手紙の文字はさらさらの砂

                         岸原さや 



2021年9月20日月曜日

過去

 こしかたのゆめまぼろしの花野かな

              久保田万太郎(1889~1963)

2021年9月7日火曜日

猫の名前

猫の名前は、昔からカタカナで二文字、というのが多いようだ。猫に苗字を与える、ということはほとんど行われていない気がする。しかし、猫には、カタカナの下の名前より、きちんとした苗字をつけることが相応しいように 思われる。夏目漱石の「吾輩」の猫には、名前がなかったようだが、「苦沙弥」、とか、「水島」などという名前をつけても良さそうだ。内田百閒が愛した猫は「ノラ」という名前だったが、これも、やや納得が行かない。百鬼園先生の相棒、「平山」なんていうのもいいし、「甘木」という名字もいい。「甘木、ご飯だよ。」「甘木、仕事中だから邪魔するな。」とか。猫で有名な養老孟司先生が愛した、今は亡き「まる」。この「まる」に苗字を与えるとすれば、奥本大三郎の「奥本」、なんてどうかな。あるいは、南方熊楠の、「南方」は?

あ、これ、本気にしないでね。酔っ払いのたわ言ですからw。







2021年9月3日金曜日

 飯が炊ける香り

湯気の色

薪がはぜる音 

炎の色

いま ここにある 

いま 目の前を過ぎて行く

この 時間を 見ている

いま  

       山田リオ 09/04/2021

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2021年9月1日水曜日

しばしばもわれに虚のときありぬうしろにかならず猫が来てゐる

街はもうポインセチアのころとなり生老病死みな火と思ふ

                小島ゆかり (1956~)




2021年8月27日金曜日

過ぎて行く(ブラジル)


 

サンバです。ボサノヴァではありません。「過ぎて行く」という唄。

これを聞いて、元気を出してください。

僕の中では、これ、サンバの名曲、「サンバの中のサンバ」です。

これを聞けば、リオの人たちがカルナヴァウに一晩中踊れる理由がわかります。

歌詞は非常に長いので、訳さないでおきます。

この歌のだいたいの内容は、サンバの過去、現在、そして未来のこと。「過ぎて行く」のはサンバの楽隊とダンスの行列でもあり、音楽家たちも、人々も、苦しみも悲しみも、時代も、何もかも、すべてが過ぎ去っていく。でも、最後には、ある日、とうとう、あのカルナヴァウが、喜びを連れて、やって来る。

あの時代に、この道を過ぎて行ったサンバは、今も目の前の石畳の上を過ぎて行くけれど、サンバはこれからも、永久に、決して滅びない。そういう唄です。この唄を書いたのも、この動画で歌っているのもチコ・ブアルキです。

もし可能なら、ですが、踊りながら聞いてください。



2021年8月23日月曜日


さびしさはみづがねいろの雲となりながれてゆきぬこの世のほかへ

                                                              永井陽子(1951~2000)

2021年8月20日金曜日

黄色いシャツ Camisa Amarela

                               アリ・バホーズ (1903~1964, ブラジル) 

                   訳:山田リオ

大通りで 黄色いシャツを着た あいつに出会った

花売りの唄を 歌いながら 花売りの唄を

あいつに 一緒にうちに来ない? と言ったら

あいつは 皮肉な笑みを浮かべて

つむじ風のように消えた

ほんとうに つまらない男

あいつは 食べ過ぎて 太っていたし

物干しで ヒラヒラ 風にゆれていたんだから

しばらくして ラルゴ・ラパのカフェで あいつを見つけた

五杯目のカシャサを飲んでいるところを

冗談じゃない

あいつは 朝の七時に戻ってきた

水曜日の 朝の七時にだ それに 酔っ払って

庭師の唄を歌いながら そう 庭師の唄を

重曹入りの水を飲みながら あいつは私に話しかけた

まったく ろくでもないやつ

ベッドにぶっ倒れて 靴も脱がなかった

そのまま 一週間 いびきをかき続けた

目覚めて あいつは私に 喧嘩をふっかけた

なんてやつ でも いいんだ

それに あいつは 亭主関白

でも そこがおもしろい あいつは最高だよ

だから 何があっても 気にしない

黄色いシャツなんか 燃やしてやる

あんなあいつが 好きだから

冗談じゃない

あいつは 私だけのもの

私の 大好きな 男だから









2021年8月16日月曜日

 短夜(みじかよ)のあけゆく水の匂いかな

          久保田万太郎 (1889~1963)

2021年8月9日月曜日

日々

 日々 戦場を行く

コンビニまで ミルクを買いに行くとき

バスを待っているとき

弾丸が いくつも 耳のそばを飛び過ぎる音が聞こえる

でも まるで 何事もないふりをして

知らん顔で 空を見る 花を見る

そういう 日々 

いつ終わるとも知れない

そういう 日々

           山田リオ

               

rio yamada


2021年8月7日土曜日

雨の日


                       Carmen McRae   カーメン・マクレイ (1922~1994) 

2021年8月6日金曜日

2021年8月5日木曜日

終わらない夏がだれにもあることをさやいんげん刻みつつ思へり

            笹井宏之 (1982~2009)


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2021年7月31日土曜日

 ひとが死ぬニュースばかりの真昼間の私はついにからっぽの舟

               笹井宏之(1982~2009)

rio yamada














2021年7月28日水曜日

イワシという名のロゼワイン

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イワシ という名のロゼワイン
このワインを わたしは好きなので
昨日の夕食の時に 呑むことにした
オマール海老を 買ってきたので
海老をグリルで焼いて それと一緒に
よく冷やした イワシ を呑んだ
綺麗なバラ色のイワシワインは 私を 
短い間だけれど しあわせにしてくれた
今は朝 窓の外は 何か不穏な雰囲気で
雨が来そうな 空気が重たい そういう朝
               ヤマダ 
 

2021年7月22日木曜日

ココニイル


 人々が みんな立ち去っても 私 ここにいるわ

         12/01/1984  松任谷由実 (「ノーサイド」という歌から)

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2021年7月8日木曜日

 生きているどのことよりも明々といま胸にある海までの距離                     明々(あかあか

                                                          永井 陽子(1951-2000)


2021年7月1日木曜日

雨の日

 出かけたくない気持ちもあったけれど

好きなパンが食べられないと困るので

激しい雨の中遠くのパン屋まで行った

パン屋は静かで欲しかったパンが買えた

帰り道では雨がずいぶんやさしくなった

雨の日は好きだから行ってよかったと思う

               R.Y.

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2021年6月30日水曜日

お、

 おにぎりがもらえるまであるくから もらえないってことはないんだな。

               山下清(1922~1971)




2021年6月25日金曜日

 透き通る桃に歯ブラシ当ててみる(こすってはだめ)こすってはだめ

                笹井宏之(1982~2009)

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2021年6月22日火曜日

安心の

 この 色 堅さ 香り  

そして 小麦とライ麦の 深い味

存在自体が 心の やすらぎ    

                やまだ

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2021年6月17日木曜日

そうだ

 旅に出よう どこか 遠いところへ

ボスニア なんていいな

乗り継ぎが けっこう多いけど

それでも 行きたいなあ

もし それが無理なら

そうだ 大須へ行こう

そうしよう          ヤマダ



         

2021年6月9日水曜日

いつでも 手で触れられる場所に 置いてある 虹

私だけの 専用の 虹

この貝殻は ヴァイオリンの弓のフロッグ(持ち手)の一部にもなる

音楽を奏でる時にも 虹は必要なのだ

                  山田

アワビは 死んでしまったあとに こんなきれいな 虹を置いて行く

ぼくは いったい なにを置いて行くんだろう    やまだ 


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2021年6月3日木曜日

Orchid

今年も また 忘れずに 咲いてくれました

              ありがとう

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2021年5月28日金曜日

だれかを思い出すのは その人の声を思い出すということ

だれかを忘れられないのは その声が忘れられないということ

だれかがなつかしいと思うのは その人の声がなつかしいということ

                山田リオCopyright ©2021RioYamada





2021年5月26日水曜日

野鼠

そして 満たされない日々と 

満たされない夜々
 
人生は 草を揺らさずにすり抜けて行く野鼠のように 

あっという間に 過ぎ去る

         エズラ・パウンド(1885~1972) 山田リオ訳

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檸檬

 「他人のせいにするのはコスパが悪い。」

「他人は変えられないが、自分は変われる。自分が変わるほうが簡単。」

「見方を変えればレモンも甘い。」

                                                                    中野信子

2021年5月18日火曜日

梅雨寒

いつの間に世に無き人ぞ梅雨寒し

                                                  (さて、誰の句だっけ・・)

              


2021年5月13日木曜日

 いちばん大切なのは、あなたがどれほどうまく火の中を歩いて行けるか、ということだ。

                     チャールス・ブコウスキ



              

2021年5月7日金曜日

義務

 「詩人には、政治的義務が一つだけある。

それは、自国語を腐敗から守るという義務だ。」

                                          W.H.オーデン(1907~1973)

rio yamada


2021年4月30日金曜日

小舟

                                   ホベルト・メネスカウ 山田リオ訳

光の朝 太陽の祭り

そして やわらかな水色の海の上を 

小舟は滑って行く

すべてが夏 愛が生まれる

小舟は 海の上を

どこまでも どこまでも 滑って行く

知らないうちに 私たちの唄は海を離れ

そして太陽が 小舟と 光に くちづけする

限りなく青い日々

海を覆う太陽も やがて薄れて

小舟は 滑りつづける

そして 私は ただ 歌いたくて

南の島々 青い 青い 空

そして この小舟も 心も

唄の中を 滑って行く

すべてのやすらぎと あらゆるものを乗せて 

夏の静けさ そして 

小舟は行く

夕暮れが来る

小舟は行く

夕暮れが・・・

rio yamada


小舟


「小舟」というブラジルの歌です。
歌手は、ナラ・レアン。
今は、ときどきこの歌を聴きます。
私にとって、これ、心の薬です。
よく効きますw。

2021年4月24日土曜日

夕日

 (前略)

俊徳 (はじめて窓に向き)僕にも見えますよ。

級子 え? あなた・・・見えるの?

俊徳 見えるんですよ、あの真っ赤な空が。

級子 あなた! 見えるんですか? どうして今まで・・・

俊徳 これだけが見えるんです。はっきりと、事こまかに。

級子 まあ・・・

俊徳 あなたは入日だと思っているんでしょう。夕映えだと思っているんでしょう。違いますよ。あれはね、この世のおわりの景色なんです。(立って行って級子の肩に手をかける)いいですか。あれは夕日じゃありません! (後略)

三島由紀夫作 近代能楽集より、「弱法師」抜粋

弱法師(よろぼし)俊徳(としのり)級子(しなこ)




2021年4月18日日曜日

おかえり

 自分が 何を思っているのか 

自分が どんな人間なのかを

自分自身は ほとんど知らない 

それに気がつくことが 時々ある

今朝 出かけて帰ってきたら ドアの傍に

いつも その辺にいる あの ヤマバトが

じっと だれかを待っていた 

そして あの ヤマバトの声で「おかえり」と

ぼくに そう言った ような気がした

ヤマバトは そのまま ぼくを見ているので

しばらく ヤマバトに いろいろと話をしたあと

ヤマバトとは 別れた

そのあと 一日中 ずっと うれしかった

つまり ぼくは 人と会うより 鳥や虫と会う方が うれしいんだ

自分はそういう人なんだ ということに 気が付いた

あの ヤマバトとの時間を思い出すと うれしい気持ちになる

                         山田リオ



  



2021年4月16日金曜日

曇りの

 ジャカランダの花の絵を描きました

直径5cmの絵 豆絵

もうすぐ 曇りの五月がきます

あの街では ジャカランダが咲く頃です

今から 五月のことをいうのは どうかと思うけど

ジャカランダを思うと 少しだけ 心が明るくなるので

この絵を 見えるところに 飾ります

                  RY

rio yamada


2021年4月9日金曜日

小さな

 朝の 最初の 一杯の珈琲の出来によって その日の幸福の度合いが左右される 豆を挽いて その都度コーヒーを入れる 豆はブレンドしているが いつも同じ組み合わせではない 豆の焙煎と水分含有量が重要なので そのへんが上手くいって 理想的な一杯が 朝食と一緒に呑めれば その日は 良い日になる

表現生活の方では 最近 やっと一枚 納得できる作品が出来た これを手掛かりにして さらに突き詰めていけたらと思っている でも ネットなどで発表することはしない 何枚か貯まったら どこか 小さな珈琲屋さんなんかで 個展を開くのが夢だ これは 小さな夢だが そこを目指して歩こう 山田リオ

ダンボールのパレット

2021年4月7日水曜日

Anaïs, Anaïs

 私たちは旅をする ある人は永遠に あるいは違う状態を求めて または違う人生を 違う魂を求めて。

          アナイース・ニン


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