2014年5月5日月曜日
祝祭
山田リオ
「ったくなあ」、と思う。
それほど好き、というわけではないけれど、また見たくなる。
テレビの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に出ている蛭子能収さんのことだ。
最近、町歩き、食べ歩き、酒場、旅などの番組などが増えている気がするけれど、あの路線バスの旅での蛭子さんが好き、と言うには語弊があるし、嫌いというわけでもなく、なにか、不思議な生物を観察するような楽しみがある。
ああいう番組に出てくるタレントさんは、ほとんどみんな、仕事の現場で自分が何を求められているかを理解しているものだ。
だから、一生懸命、役割を演じ、行く先々で、町や名所や温泉や景色や食べ物に感動して見せる。それが「仕事」だから。
でも、蛭子さんは違う。タレントとして、番組の要請に答えることを心配することもなく、
いつでも、のびのびと、好き勝手に、自由にふるまっているように見える。
「周囲が、世間が、自分をどう思い、どう見ているのか」、だけを心配しながら育ち、24時間、週七日、一年中、一生、絶えず、世間の眼を意識しながら生きてきた、これは、わたしのことだが、
そういう、普通の人間が持っている心配や、配慮や、自意識から自由な人、それが蛭子能収という稀有の人なのではないか。
そういう珍な人を観察できることは、一種、贅沢でもある。
自分は、あの番組を見ながら、蛭子さんのああいう自由さを、どこかバカにしているつもりでいても、
深いところには、いつも彼を羨望する気持ちがある、と思う。
わたしは、なんとかして、この社会に溶け込みたい、受け入れられたい、という気持ちが、いつもどこかにあるようだ。そのことに、ときどき気がつく。
子供の頃から、学校や仕事や仲間の中で、みんなでパス回しをしながら、でも、わたしは自分ではシュートを打たず、その小社会からはじき出されることがないように、仲間はずれにされないように、 いじめられないように、そして、みんなから受け入れられたいと、いつも願っていた気がする。
そういう中で培われた性癖は、何十年海外に住んでも、消えることはなかった、ということだ。
そういう自分を、どこか疎ましく思う気持ちはあるのだが、思ったところで、幼い頃から身に染み付いたものは、簡単に変えられるはずもない。
一方、蛭子さんはといえば、仕事に飽きれば、「ああつかれた」
心配ごとといえば、「パンツ二枚しか持ってこなかったから、コインランドリーに行かないと」
願いはといえば、「競艇場に行きたいなあ」、「パチンコでもいいや」
そして、おいしそうに、夢中で、大好きな揚げ物を食う。土地の名物など眼中にない。
ダイエットも、栄養バランスも、考えることはない。
眠くなれば、いつでも、どこででも眠る。たとえ撮影中でも。
蛭子さんは、自分と比べると、鳥のように自由だ。
すくなくとも、わたしにはそう見える。
蛭子さんにとって、人生は、祝祭なのか。
そういう祝祭には、孤立も孤独死もなければ、人身事故も、起こりえない。
わたしも、あんなふうに、
自分の人生は祭りだと、そう信じていた時代があった。
もし許されるなら、あの信念を、取り戻したい。
ああいう人に、わたしも、なりたい。
Copyright ©2014RioYamada
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