■2009/04/29 (水) 靴の話
山田リオ
フリーマーケット(FLEA MARKET、蚤の市)で古い靴を見つけた。
ちょうど一年前、病気が悪化してどんどん体重が減っていくので、着るものがなくなり、古着を探しに行ったときだった。
それは、やわらかい、なめし革の革靴で、底はゴム製だった。
おそろしく汚れていて、革もカビが生えたようになっていて、でもなにか気になって、300円払って、買って帰った。
それから入院して手術、そして退院、自宅での永い回復期の間に、あの古靴が気になって、出してきた。
靴屋できれいにしてもらったが、まだ納得がいかず、自分で少しずつ磨いていった。
馬具、鞍や乗馬の長靴に使うミンク・オイルをよくすりこんで磨いていくと、灰色だった革が、だんだんと、きれいな薄茶色になり、それに、飴色というか、ハチミツ色の、やわらかな、ねっとりとした光沢が出てきて、なんとも言えない、いい味になってくる。
履いてみると、足に、まるで革の手袋のようにフィットする。
なんとも、気持ちがいい。
それから、散歩、仕事、どこへ行くにもその靴を履くようになった。
高価なイタリアの靴にも、ロンドンで、足に合わせて作らせたスエードの靴にも、もう見向きもしない。
すべての人が「美しい」と信じる物が、自分にとって美しいとは限らない。
すべての人が「つまらない」「汚らしい」「みすぼらしい」とする物が、自分にとって何よりも美しかったら、それで良い。
それはむしろ、幸運なことだ。実は、それこそが、人生からの贈り物だ。
それが、自分が自分という人間に生まれたことの意味だ。
さあ、その古靴を履いては磨き、磨いては履く毎日になった。(つづく)
■2009/04/29 (水) 靴の話(その2) |
気になったのは、どこで作られた靴か、ということと、ゴム底なので、取替えが効かない点だ。
革靴なら、何度でも底革を替えてもらって、一生、履いていくことが出来る。こっちでは、それが当たり前のことだ。
しかし、ゴム底の靴は、そうはいかない。ゴムの終わりが、靴の終わり、だ。
そうなると、困った性格で、同じ靴がどうしても欲しい。
そこで、この靴の調査を始めた。当然、インターネットが役に立つ。
消えかかっていた靴底のマークから、アメリカで作られたことがわかった。
その靴屋に写真を送って問い合わせると、この靴は大変に古いもので、もう作っていないが、よく似たモデルならある、ということで、すぐに注文した。
やっと宅配で届いた靴を見ると、なるほど、同じ靴であって、しかし、全く違う靴だ。
なにが違うか。あのハチミツのような飴色のやわらかな革の光沢がない。
当然ながら、時間の経過を人の力で再現することは困難だ。
それに気がついて、憑き物が落ちたようになった。
なんのことはない。この靴を買った直後に、自分は、あの病院で死んでいた筈なのだ。
もし死んでいたら、もちろん、あの靴を履くこともなかっただろう。
トルストイの民話の主人公のように、棺おけに入ってから履くわけにはいかない。
私はあのとき、幸運にも生き延びたが、それでも、間違いなく、将来、この靴のほうが自分より長生きするだろう。
この靴が手に入った。そしてこの靴を毎日、好きなだけ履ける。
この幸運を感謝しよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿