2011年9月12日月曜日

『友よ』(第一回) 再録

■2006/12/17 (日) 友よ                   山田リオ
九月十一日の朝、机に向かって何か書き物をしていたら、電話が鳴った。
会社にいる妻からで、「窓の外、見て。テレビつけて」彼女はそう言った。
窓から見ると、ダウンタウンのほう、国際貿易センターのあたりから黒煙が高く空に昇っている。テレビをつけると、そこには映画のような光景が映っていた。
国際貿易センターで働いている数人の友達に電話したが、誰にもつながらなかった。


数 日後にやっとわかったのだが、このやろ女史は十日の深夜に友人が空港に着き、眠ったのが三時すぎになって寝過ごしてしまった。それで地下鉄で貿易セン ターにある会社に向かったのだが、マンハッタンで地下鉄が止まり、道路も通行止めで、8時間歩いてブルックリン橋を渡って家に帰った。いつもなら、このや ろ女史は朝八時に出勤だったはずだから、間違いなく事件にまきこまれただろう。
松本よし子さんは、九時出勤だったが、貿易センターの前の朝市で花を買っていたそうだ。そしてその時、あの事件が起こった。空から人が降って来た。
看護婦であるよし子さんも、どうすることもできなかった。


それから一年ほどしてから、あの事件で命が助かった松本よし子さんの癌が再発した。
それまで、よし子さん自身が癌の生還者だったので、彼女は個人的にニューヨークに住む日本人、とくに女性で、乳ガンや子宮ガンの患者や生還者の相互支援グループを作って、ミーティングをしたり、訪問したり、よし子さんは、それだけでも寝る時間もないほどだった。
それ以外にも、日本人が性交渉でエイズ感染する、あるいは麻薬使用者が注射器が原因でエイズや肝炎に感染するケースが多発していた、それもよし子さんは一人で駆け回って若い日本人との連絡網を作り、相談相手になっていた。
また、日本人女性が家庭内暴力を受ける、それは相手の男性が日本人に限らず、どんな国の人の場合でも起こっている問題で、そういう女性の相談を松本よし子さんは朝でも夜中でも引き受けていた。
よし子さんが倒れれば、そういう支援組織がすべて止まってしまう。(つづく)

(All rights reserved 、2006Rio Yamada
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