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山田リオ
私は何をするためにここに来たのか。それを考えるとき、いつも鳥獣蟲魚のことを思う。彼らは、何も言わず、不平不満を言わず、生き、食い、傷つき、病み、そして死んでゆく。
でも、鳥獣蟲魚は、見たところ、実に楽しそうだ。歌い、恋をし、交尾し、子育てし、そして当然のように、無言で死んでゆく。そのために生まれてきたからだ。
一方で、わたしは、 ちゃんと食い、恋もし、貧しいながら生きているのに、
不平不満ばっかり言っているのはなぜだろう。
不平不満ばっかり言っているのはなぜだろう。
それは、わたしが鳥獣蟲魚に劣る生き物だからなのか。
わたしが、なぜそんなに不満なのか、と言うと、
それはたぶん、人は育つとき、「みんな」を見て育つからだ。
そして人生に、ある種の期待を持ってしまう。
でもその期待は、多くの場合、満たされることがない。
お金持ちや成功者ほど不平不満が多いことでもわかる。
では、わたしは、ここに、なにをしに来たのか、
と考えるとき、いっそのこと、たとえば、
「わたしは、ここに、夕日を見に来たのだ」
と考えるのが正しいのではないか。
それ以 上のことを人生に願うのは、傲慢というものだ。
ちょっとここに立ち寄った、ただそれだけのこと。
「通りすがりの者です。」そして、すぐにまた、旅立つ。
それは、あっという間のことだ。
人の一生は、スズメが飛んできて、庭の木の枝に止まっている、
ほんの一瞬、あっという間のことだ。
ほんの一瞬、あっという間のことだ。
またすぐに飛び去って、もう枝にスズメはいない。
それが人の一 生だ。
みんなが、所有している、と信じている、家も、財産も、
けっして彼らの本当の所有物ではない。
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我が物ではない我が子とさえ、明日には、別れの時がやってくる。
「あなたは何をするために生まれて来ましたか?あなたの人生の目的は?」
「はい。ちょっと、夕日を見に・・」
(All rights reserved 、2011Rio Yamada
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