■2008/01/04 (金) 夜明け
Novo Alvorecer (ブラジル)
「夜明け」 詩:D.イヴォニ・ララウ 訳:山田リオ
見てごらん 花が燃え立つ
一日が始まるとき
痛みは消え 希望が生まれる
一晩の疲労と不安に
美しいものが とってかわる
海は唄い 潮が満ちてくる
それは 悲しみのように
わたしの魂を 呑みこむ
わたしは答を求め 歌う
悲しみのなかで 目を覚ましてはいけない
幸福にみたされ 目を覚まそう
やさしい歌はいつも 夜明けの方からやってくる
けっして 真夜中の 痛ましい叫びの方からではない
夜明けの色は やわらかい
夜明けの色は 自由の色
夜明けは 魂の安らぐ場所
*******************************************************************
サンバ・カンサオン、「歌うサンバ」の詩です。
サンバは、宗教的な内容、それと愛国的な内容が多いのです。
ですから、ただ踊り騒ぐだけかのように見えるカルナヴァウ(カーニヴァル)のサンバも、
その歌詞には「わたしたちの主(しゅ)」「主と聖霊と」などの言葉が頻繁に現れます。
カーニヴァルは、日本人には馴染みがないでしょうが、つまりはキリスト教の祭りなのです。
一方で、またサンバには、愛や生活といった、叙情的な内容のものも多いのです。
2017年12月29日金曜日
2017年12月14日木曜日
2017年12月13日水曜日
2017年11月18日土曜日
雪渡り
■2010/12/25 (土) 雪渡り
「雪渡り」 宮澤賢治
雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、
空も冷たい滑らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。
「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
お日様がまっ白に燃えて百合の匂を撒きちらし又雪をぎらぎら照らしました。
木なんかみんなザラメを掛けたやうに霜でぴかぴかしてゐます。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」
四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。
こんな面白い日が、またとあるでせうか。
いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、
すきな方へどこ迄でも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。
そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のやうにキラキラキラキラ光るのです。(後略)
「雪渡り」 宮澤賢治
雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、
空も冷たい滑らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。
「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
お日様がまっ白に燃えて百合の匂を撒きちらし又雪をぎらぎら照らしました。
木なんかみんなザラメを掛けたやうに霜でぴかぴかしてゐます。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」
四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。
こんな面白い日が、またとあるでせうか。
いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、
すきな方へどこ迄でも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。
そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のやうにキラキラキラキラ光るのです。(後略)
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雪渡り
2017年10月30日月曜日
ジャンゴ
えーと、ぼくは元気です。
昨日、あるCDを手に入れた、というか、おそろしく安くて
まあ、もらったようなものなんですが
今どきの音楽ファンは、ジャンゴなんて聴かないんだろうね。
それは、初めて見るジャンゴ・ラインハルトのアルバムで
あまり馴染みのない録音と、聴いたことがあるのも少し
全部で23曲も入っているアルバムです。
ステファンといっしょのが数曲と
あとはいろいろなひとと一緒のがたくさんたくさん23曲、
うれしくって、しょうがないです。
今日は、聴いているうちにどんどん元気になってきました。
と、いうお知らせでした。 やまだ
1949年にローマで録音と書いてある。
CDは、I saw starsで始まる。ジャンゴのギターにステファンが加わる。
更にピアノも。これはジャンニ・サフレド、イタリア人のジャズピアニストらしい。
一曲ごとにメンバーも編成も変わる。これは宝物。
二人は1935年ぐらいからいっしょに演奏していたらしい。
ジャンゴは1910年生まれ、1953年に亡くなっている。
ステファンは1908 年生まれ、1997年没。
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ジャンゴ・ラインハルト
2017年10月18日水曜日
蜘蛛 ⑤
アダンソンハエトリグモが室内に現れるようになって
もう何年にもなる。
九月半ばまでは、机に向かい、PCの電源をいれると、
モニターの左下のほうから、するすると壁を登ってきた
スタンドの電球の光、熱、またはPCモニターの?
よくわからないが、
すくなくとも、蜘蛛は、ぼくという人間の動きに反応しているとは思えない。
それほどの知能はないように思うのだが。
思うよりもずっと素早く、壁紙の上を滑るように動く。
そして止まる。急に動き、急に止まる。
しばらく不動、そして、突然動く、というよりも滑走する。
九月末になって、動きが鈍くなってきたようだ。
そして、ここ数日、現れない。
暖房を入れてみたが、それでも出てこない。
ときどき壁を見回してみても、蜘蛛はいない。
生き物同士としての交流のようなものは、ない。
でも、出てこなくなると、なんだか、気になる。 山田リオ
もう何年にもなる。
九月半ばまでは、机に向かい、PCの電源をいれると、
モニターの左下のほうから、するすると壁を登ってきた
スタンドの電球の光、熱、またはPCモニターの?
よくわからないが、
すくなくとも、蜘蛛は、ぼくという人間の動きに反応しているとは思えない。
それほどの知能はないように思うのだが。
思うよりもずっと素早く、壁紙の上を滑るように動く。
そして止まる。急に動き、急に止まる。
しばらく不動、そして、突然動く、というよりも滑走する。
九月末になって、動きが鈍くなってきたようだ。
そして、ここ数日、現れない。
暖房を入れてみたが、それでも出てこない。
ときどき壁を見回してみても、蜘蛛はいない。
生き物同士としての交流のようなものは、ない。
でも、出てこなくなると、なんだか、気になる。 山田リオ
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蜘蛛
2017年10月13日金曜日
2017年10月12日木曜日
2017年10月5日木曜日
吉野秀雄
食はむもの全く絶えしゆふべにて梅干し一つしやぶり水飲む
いまの世に正しき者は貧しなどいひける頃は余裕ありにき
あらし雨そそぐあかつき五時半に声をかぎりの法師蝉一つ
うらなりの南瓜ころがる縁側に日ざしいつしか秋づきにけり
夕餉にはうどん煮るとてその事を朝より待てリわれも子どもも
幻聴と知りつつかなし秋雨のしぶく夜更けにすすり泣く声
暮れ来る部屋に怒りをこらへをり今朝バイブルを読みたりしかば
苦しみて今朝得し金も一日といはず午後にはもはや空しき
*白木蓮の花の千万青空に白さ刻みてしづもりにけり *白木蓮(はくれん)
青空の染めむばかりの濃き藍に*皓さ磨けり*白木蓮の花 *皓さ(しろさ)
しろたへの*白木蓮空にまかがよひ地には影しつ花さながらに
吉野秀雄(1902-1967)
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吉野秀雄
2017年9月13日水曜日
2017年8月21日月曜日
2017年8月17日木曜日
2017年8月8日火曜日
2017年7月29日土曜日
2017年7月18日火曜日
2017年7月17日月曜日
2017年7月10日月曜日
2017年7月8日土曜日
2017年7月5日水曜日
マルメロの陽光
友人が「マルメロの陽光」,"El sol del Membrillo"というスペイン映画を教えてくれました。
すごく気に入って、これからも繰り返し見ることになると思います。
マルメロですが、日本では花梨、かりん、ですね。
スペイン語では、Membrillo、メンブリージョと言います。
うちの近所の路上に、この花梨の木があって、夏の終わりには、ちゃんと実がなります。
スペインでは、このメンブリージョ、マルメロの実でようかんのようなものを作ります。
それで、スペインでは極めて大切なチーズ、「国チーズ」とも言えるような、Queso Manchego、マンチェゴ・チーズというのを食べるんですが、そして、このチーズを食べる時には、必ず、儀式の様に、このマルメロのメンブリージョようかんといっしょに食べます。
これは、マルメロの実の上品な甘さと、かすかな酸味が、塩味のチーズと 完璧に合って、たまりません。スペインの人たちにとって、そのくらい、このチーズとようかんは大切なものなんですね。
スペインの料理屋では、必ずと言っていいほど、この組み合わせを出すことが不文律になっているそうです。
でも、日本では、悲しいことに、このマンチェゴ・チーズを出してくれる店は非常に少なくて、したがって、スペイン料理の店で、「メンブリージョをくれ」といっても「それなに??」ということに。
で、さっきの、あの映画の題名が「マルメロの陽光」になっているのは、
今書いたような、そういう意味もこもっているんだろうな、と、勝手に思っています。Copyright©2017RioYamada
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マルメロ、花梨
パンと水
パンと水(タンゴ)
エンリケ・カディカモ(アルゼンチン、1900-1999)訳:山田リオ
古い 悲しい記憶のなかから
過ぎ去った日々が 起き上がってくる
どれだけの歳月が 過ぎ去っただろう
まるで 昨日のことのようだ
わたしの愛したものは 今 どこにある?
わたしが失ったものは?
思い出は 悲しみを連れてくる
その悲しみは いつまでも 消えない
パレルモ・ヴィエホ だったか
心に 蘇える
今はもういない 友人たち
思い出す・・
あのヴェランダで過ごした 夕暮れ
喜びと幸せにあふれた 夜々
シャンパングラスの間から聞こえた
あのタンゴが 今また 聞こえる
「パンと水」・・
遠くのほうから聞こえてくる あのタンゴが
耳に やさしく響く
なつかしい 感傷的な余韻
なによりも大切な あのタンゴを奪った
そして あなたのことも 奪い去って行った
あの嵐が 今また 思い出を連れてくる Copyright©2016RioYamada
エンリケ・カディカモ(アルゼンチン、1900-1999)訳:山田リオ
古い 悲しい記憶のなかから
過ぎ去った日々が 起き上がってくる
どれだけの歳月が 過ぎ去っただろう
まるで 昨日のことのようだ
わたしの愛したものは 今 どこにある?
わたしが失ったものは?
思い出は 悲しみを連れてくる
その悲しみは いつまでも 消えない
パレルモ・ヴィエホ だったか
心に 蘇える
今はもういない 友人たち
思い出す・・
あのヴェランダで過ごした 夕暮れ
喜びと幸せにあふれた 夜々
シャンパングラスの間から聞こえた
あのタンゴが 今また 聞こえる
「パンと水」・・
遠くのほうから聞こえてくる あのタンゴが
耳に やさしく響く
なつかしい 感傷的な余韻
なによりも大切な あのタンゴを奪った
そして あなたのことも 奪い去って行った
あの嵐が 今また 思い出を連れてくる Copyright©2016RioYamada
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パンと水
2017年6月25日日曜日
時代(再録)
■2002/05/03 (金)掲載
「時代」 中島みゆき、昭和50年9/25
今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけれど
そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくりかえし
今日は別れた恋人達も 生まれ変わってめぐりあうよ
旅を続ける人々は いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく 冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ 時代はめぐる 別れと出会いをくりかえし
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩きだすよ。
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時代
2017年6月20日火曜日
海
山田リオ
Oさんの詩が 好きで
下手くそな お習字で
その詩を 紙に書いて
部屋の壁に 貼っている
それを見ていると
Mさんの絵を 思い出す
ぼくのなかでは
この詩とあの絵が つながっているらしく
Mさんの美術館にいるときも
雀の声を聞きながら あの絵を見ていて
自然に あの詩がうかんでくる
そういうふうに 絵をみたり 詩を読むのは
まちがっているのかもしれない
でも それが 見えたり きこえたりするのは
どうにも しかたがないことで
今朝も 雨の音をききながら
雀は 鳴いてはいないけれど
あの 下手くそな お習字の詩を見て
いつものように こころの眼に
あの絵が 浮かんでくるのです Copyright©2017RioYamada
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海
2017年6月17日土曜日
2017年6月5日月曜日
麦
空豆と麦の青きがうち続く畑中の道を・・(後不明)
という短歌を、何年かに一度、思い出す。
記憶違いかも知れない。
でも、ほぼ、こんなふうな意味の歌だったような気がする。
もしかして、最後の七音は「春の風吹く」だったかしら?
いや、まったく、定かではない。
ぼくの記憶の中では、この歌は、おぼろげながら、山口瞳と繋がっていて、
でも、どうも、山口が作った短歌、という気がしない。
もしかしたら、山口の妻、治子さんの作かも知れない。でも、わからない。
どなたか、作者を、または正しい短歌を、
この永年の宿題の答えをご存知の方がいらっしゃったら、
お教えください。お願いいたします。 山田
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麦
2017年5月21日日曜日
新生
山田リオ
「今日は昨日のつづき」というのが、まず間違いだ
昨日感じたことを、今日また同じように感じることは不可能だ
あの時「自分は感じている」、と思ったことを今日になって思い出そうとしても
昨日はすでに終わっている。過ぎ去ったことだ
今、それを思い出そうとしているおれは
すでに死んでしまった、昨日の死体にすぎない
むしろ、一日が終わるときに、その日の映像も出来事も、すべて削除して
そして夜が明け、今日の朝日が昇るときには
感情もなにもかも、すべてを更新し、生の最初の一歩を歩む
夜が明けるたびに、新たな生を享け、新たな情緒を生きる
日々、新生児として、今の、この瞬間だけの情緒を生きる
それが、今、生きてあることの意味だ。Copyright©2017RioYamada
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新生
2017年5月6日土曜日
2017年4月28日金曜日
あの本
山田リオCopyright©2017RioYamada
ずいぶん昔のことだ。
海外旅行中に、飛行機で日本人の男性と乗り合わせた。
永旅で、自然に、会話が始まった。
その方は当時でもご高齢で、わたしはひどく若かったし、かなりの年齢差があった。
今となっては、何を話し合ったのか、まったく憶えていない。
眠ったり、食事を摂ったり、切れ切れにいろいろと話し合ったのだろう。
あの方がどういう職業だったのかも、わからない。
目的地に着き、別れるときに、その男性に一冊の古い本を手渡された。
かなり厚みのある本で、そのとき、見返しにその方のお名前を書いておいた。
その後、落ち着いてから、あのときにいただいたあの本を最初から最後まで読んだ。
小説などではない、学術的な、また随想のような内容で、哲学的でもあった。
著者は、聞いたこともない人だった。
当時の自分には難解だったと思うが、とにかく通読した。
それから永い間、その本を開くことはなかった。
何度も引っ越しを繰り返して、でもその本は手元に残った。
だいぶ大人になってから、引越しの梱包をしているとき
「あのときの本」を見つけ、開いてみた。
それから、だんだんに読むようになった。
寝る前に、偶然開いたページを、少しだけ読む。
そうやって読んで行き、何度も、繰り返し、繰り返し読むようになった。
なにか惹かれるものがある。心に響くところがある。
読めば、なにか安心する。慰められる。救われることもあるし、叱られることもある。
だからたぶん、深夜にちょっとだけ読む、ということになったのだろう。
今ではすっかりぼろぼろになって、あちこちテープで止めたりして、まだ読んでいる。
今わかることは、この本は、自分にとっての薬で、導きだ、ということだ。
あのとき、この本を下さったS氏は、そうなることを見越しておられたのだろうか。
おそらく、もうとっくに亡くなられただろう、あのS氏とこの本が、自分の人生を変えてくれた。
S氏と、この本の著者への感謝を、できることなら伝えたい。 Copyright©2017RioYamada
それから、だんだんに読むようになった。
寝る前に、偶然開いたページを、少しだけ読む。
そうやって読んで行き、何度も、繰り返し、繰り返し読むようになった。
なにか惹かれるものがある。心に響くところがある。
読めば、なにか安心する。慰められる。救われることもあるし、叱られることもある。
だからたぶん、深夜にちょっとだけ読む、ということになったのだろう。
今ではすっかりぼろぼろになって、あちこちテープで止めたりして、まだ読んでいる。
今わかることは、この本は、自分にとっての薬で、導きだ、ということだ。
あのとき、この本を下さったS氏は、そうなることを見越しておられたのだろうか。
おそらく、もうとっくに亡くなられただろう、あのS氏とこの本が、自分の人生を変えてくれた。
S氏と、この本の著者への感謝を、できることなら伝えたい。 Copyright©2017RioYamada
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本
2017年4月21日金曜日
2017年4月3日月曜日
与謝野晶子 ①
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
舞姫のかりね姿ようつくしき朝京くだる春の川舟
よそほひし京の子すゑて絹のべて絵の具とく夜を春の雨ふる
清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき
いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春
こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露
鳥辺野は御親の御墓あるところ清水坂に歌はなかりき
夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ
京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき
なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇
詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に
くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき
与謝野 晶子(1878-1942)
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与謝野晶子
2017年3月30日木曜日
こよいあふひとみなうつくしき
吉野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ
吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ
ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ
西行法師
行かむ人來む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花
大伴家持
いそのかみ古き都を來て見れば昔かざしし花咲きにけり
春霞たなびく山の桜花 うつろはむとや色かはりゆく
詠み人知らず
清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき
与謝野晶子
わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ
かすかなる風ある空かさくらばな雪片のごともしばし宙舞ふ
しんしんと頭の底にも陽は差してそこも桜の無惨の白さ
花朽ちて沈みてゆきし野の井戸の無明無限の水深想ふ
河野裕子
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花
2017年3月29日水曜日
2017年3月26日日曜日
2017年3月25日土曜日
2017年3月21日火曜日
2017年3月6日月曜日
あんしん
山田リオCopyright©2017RioYamada
しょうがくせいのとき
くらくなってから でかけて
ちかくの いけにいった
そこは ひるま ひとりで くちぼそをつったり
アメンボが すいめんをすべるのをみたりする
おきにいりの すきなばしょだった
このひは よるになってから いけにいった
いけのそばで しゃがんでいた
まっくらな いけのほうから カモのこえがきこえた
みんな ちいさいこえで はなしていた
「おい」「いるか」「いる」「よし」
「ここ」「だいじょぶ」「いる」「うん」
そんなふうに みじかいことばで
「ここ」「げんき」「いる」「うん」
「ねたか」「おきてる」「うん」「だいじょぶ」
すこしだけ なにもきこえなくて で また
「おい」「なに」「だいじょぶ」「うん」「いっしょ」
「あんしん」「うん」「いっしょ」「あんしん」
ちいさいこえで きれぎれに
さむくなってきたから かえろうとおもった
たって いけをみたけど なにもみえない
くらいみちを だまって ひとり あるいた
かもは あんしん
かもは あんしん
ぼくはだまって ひとりあるいた Copyright©2017RioYamada
しょうがくせいのとき
くらくなってから でかけて
ちかくの いけにいった
そこは ひるま ひとりで くちぼそをつったり
アメンボが すいめんをすべるのをみたりする
おきにいりの すきなばしょだった
このひは よるになってから いけにいった
いけのそばで しゃがんでいた
まっくらな いけのほうから カモのこえがきこえた
みんな ちいさいこえで はなしていた
「おい」「いるか」「いる」「よし」
「ここ」「だいじょぶ」「いる」「うん」
そんなふうに みじかいことばで
「ここ」「げんき」「いる」「うん」
「ねたか」「おきてる」「うん」「だいじょぶ」
すこしだけ なにもきこえなくて で また
「おい」「なに」「だいじょぶ」「うん」「いっしょ」
「あんしん」「うん」「いっしょ」「あんしん」
ちいさいこえで きれぎれに
さむくなってきたから かえろうとおもった
たって いけをみたけど なにもみえない
くらいみちを だまって ひとり あるいた
かもは あんしん
かもは あんしん
ぼくはだまって ひとりあるいた Copyright©2017RioYamada
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あんしん
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