2016年12月31日土曜日
2016年12月18日日曜日
祭りの日
祭りだなあ
と 思う
生きているのは
祭りだ
つくづく そう思う
それは ときどきやってくる祭りではなくて
今日 一日だけの祭りだ
べつに 気の合った仲間たちと集まって
盛り上がる みたいな事ではなくて
それは 一人きりでいいんだ
ときには 二人だってかまわない
今 外で鳴いている鳥でもいいし 昆虫とだっていい
それもべつに いてもいなくても
あってもなくても いいんだ
今日
そして今 ここにこうしていること
それが祭りだと思う
それこそが祭りだ
それはまったくすごいことで
ありがたいことだ
だから 今日は祭りの日で
今はまだ 生きている
そして 今日がもうすぐ終わって
明日の朝 もしも目が覚めて
その時 ぼくがまだ呼吸しているのなら
明日は 祭りの日だ
ほんとうにありがたい
めでたい 祭りの日だCopyright©2016RioYamada
Labels:
祭りの日
2016年12月14日水曜日
2016年12月10日土曜日
2016年11月30日水曜日
2016年11月21日月曜日
2016年11月7日月曜日
「生々流転」2007 再録
■2007/12/28 (金) 生々流転
「生々流転」 山田リオCopyright©2007RioYamada
テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ
その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。Copyright©2007RioYamada
「生々流転」 山田リオCopyright©2007RioYamada
テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ
その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。Copyright©2007RioYamada
Labels:
「生々流転」
2016年10月28日金曜日
マリリン・チン ②
Old Asian Hand
中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ
年老いた アジアの手
年老いた アジアの手よ
わたしの ハタハタと羽ばたく場所に 触れよ
わたしの心臓 わたしの身体の蝶々
すみれ色の 椿の花が
真夜中に 鼓動する
年老いた アジアの手よ
月が おまえの左半分を 切り取る
黄色いのは 草
身もだえすることを 学ばなかった 草
年老いた アジアの手よ
蒼い赤道の下に
秋の初めの 湿った温かい地衣類を
見つけたか?
新たな 民族離散という
泥炭層の すぐ下には
すきとおった水が 流れる
Copyright©2016RioYamada
中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ
年老いた アジアの手
年老いた アジアの手よ
わたしの ハタハタと羽ばたく場所に 触れよ
わたしの心臓 わたしの身体の蝶々
すみれ色の 椿の花が
真夜中に 鼓動する
年老いた アジアの手よ
月が おまえの左半分を 切り取る
黄色いのは 草
身もだえすることを 学ばなかった 草
年老いた アジアの手よ
蒼い赤道の下に
秋の初めの 湿った温かい地衣類を
見つけたか?
新たな 民族離散という
泥炭層の すぐ下には
すきとおった水が 流れる
Copyright©2016RioYamada
Labels:
マリリン・チン
2016年10月21日金曜日
マリリン・チン ①
■2005/08/13 (土) SAD GUITAR
中国系アメリカ人女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。
Sag Guitar「悲しいギター」
マリリン・チン 訳:山田リオ
盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ
*
お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?
*
見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある
*
おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す
*
わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する
*
あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。
Copyright©2005RioYamada
昨日の晩、この詩の最後の部分「あなたが聞こえる」以下を夢に見ました。そこで、今朝、このなつかしい詩を再度掲載することにしました。2016 山田リオ
中国系アメリカ人女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。
Sag Guitar「悲しいギター」
マリリン・チン 訳:山田リオ
盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ
*
お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?
*
見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある
*
おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す
*
わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する
*
あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。
Copyright©2005RioYamada
昨日の晩、この詩の最後の部分「あなたが聞こえる」以下を夢に見ました。そこで、今朝、このなつかしい詩を再度掲載することにしました。2016 山田リオ
Labels:
悲しいギター
2016年10月11日火曜日
八木 重吉 ②
秋のひかり
ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
雨
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
石
ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
響
秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる
無題
ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった
八木 重吉(1898-1927)
ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
雨
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
石
ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
響
秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる
無題
ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった
八木 重吉(1898-1927)
Labels:
八木 重吉
2016年9月20日火曜日
雨
雨 詩:エンリケ・カディカモ(1900-1999)
ブエノスアイレス、アルゼンチン 訳:山田リオ
夜は けだるい冷たさでいっぱいで
風が 聞きなれない 悲しい唄を運んでくる
それは まるで 夜の 切れぎれの断片
その影のなかを ゆっくり進む
そして 雨だ
雨は わたしの心臓に刺さる 棘のようだ
このあまりにも冷たい夜は
そのまま私だ 私の中の空虚だ
それをちぎって 捨てて 忘れようとしても
記憶は・・・
雨 悲しみ 一人 舗道の上に凍りついている心臓
氷の冷たさに 忘れていた傷から 雨は滴る
ただ 道に迷って
影の中をさまよう 幽霊のように
雨そのもののように
夜は けだるい冷たさでいっぱいで
道を渡るものは だれもいない
街灯に 照らされて 舗道が光る
そして 私は ただの紙くず
永遠に 一人だということを
思い出せ
雨滴が 私の心の水たまりに 落ちる
骨に沁みる この 屈辱 苦痛
また 風がやってきて
わたしの背中を 押す・・ Copyright©2016RioYamada
《「雨」は、アルゼンチン・タンゴの歌詞です。
ブエノスアイレス、アルゼンチン 訳:山田リオ
夜は けだるい冷たさでいっぱいで
風が 聞きなれない 悲しい唄を運んでくる
それは まるで 夜の 切れぎれの断片
その影のなかを ゆっくり進む
そして 雨だ
雨は わたしの心臓に刺さる 棘のようだ
このあまりにも冷たい夜は
そのまま私だ 私の中の空虚だ
それをちぎって 捨てて 忘れようとしても
記憶は・・・
雨 悲しみ 一人 舗道の上に凍りついている心臓
氷の冷たさに 忘れていた傷から 雨は滴る
ただ 道に迷って
影の中をさまよう 幽霊のように
雨そのもののように
夜は けだるい冷たさでいっぱいで
道を渡るものは だれもいない
街灯に 照らされて 舗道が光る
そして 私は ただの紙くず
永遠に 一人だということを
思い出せ
雨滴が 私の心の水たまりに 落ちる
骨に沁みる この 屈辱 苦痛
また 風がやってきて
わたしの背中を 押す・・ Copyright©2016RioYamada
《「雨」は、アルゼンチン・タンゴの歌詞です。
Labels:
雨
2016年9月15日木曜日
2016年9月10日土曜日
あの日 311短歌 再録
2014年3月19日水曜日
あの日 311短歌
この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った 新妻愛美
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった
あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは 山崎節子
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし
生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月
かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ
「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声 斉藤梢
寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと 半谷八重子
差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ
遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと 佐藤成晃
鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから 渡邊穂
いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる
廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか 佐藤祐偵
ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青
ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか 三原由紀子
Labels:
311短歌
2016年9月8日木曜日
2016年8月25日木曜日
2016年8月5日金曜日
2016年7月28日木曜日
2016年7月18日月曜日
2016年7月1日金曜日
2016年6月29日水曜日
嵐
山田リオ
最近、思うんだけど、
人一人の生命と、蟲一匹の生命は、同じ重さじゃないのか。
どれほどの名声を残そうと、どんなに大きなビルを建てようと、
全巻96冊の作品全集を残して逝こうが、
死んでいく時には、わたしたちは何一つ持っては行けない。
燃えるゴミか、燃えないゴミか、どっちかになるしかない。
蜘蛛がどんなに立派な左右対称の巣を作っても、
夜のあいだに雨が降れば、朝にはその巣は消えている、
それと同じことだ。
猫のまわりに、猫の中に、
すごく巨きな平安を、平和を感じることがある。
木の枝で鳴いている小鳥を見ていると、小鳥のしあわせを思う。
こっちの勝手な思い込みだろうか?
壁にとまっている、いつもの蜘蛛をどんなに見ていても、
そこに何の苦しみも、葛藤も感じることができない。
それは、こっちが鈍感なせいか?
それに比べて、わたしたちの心のなかに吹き荒れる嵐は、なにごとか。
あの蟲、鳥獣蟲魚の心の中にも、私たちと同じような暴風雨があるのか。
訊いてみないとわからないことだが、
窓の外の小鳥の答えは、おそらく明快だろうと思う。
それもこれも、すべては、こっちの思い込みか?Copyright©2016RioYamada
最近、思うんだけど、
人一人の生命と、蟲一匹の生命は、同じ重さじゃないのか。
どれほどの名声を残そうと、どんなに大きなビルを建てようと、
全巻96冊の作品全集を残して逝こうが、
死んでいく時には、わたしたちは何一つ持っては行けない。
燃えるゴミか、燃えないゴミか、どっちかになるしかない。
蜘蛛がどんなに立派な左右対称の巣を作っても、
夜のあいだに雨が降れば、朝にはその巣は消えている、
それと同じことだ。
猫のまわりに、猫の中に、
すごく巨きな平安を、平和を感じることがある。
木の枝で鳴いている小鳥を見ていると、小鳥のしあわせを思う。
こっちの勝手な思い込みだろうか?
壁にとまっている、いつもの蜘蛛をどんなに見ていても、
そこに何の苦しみも、葛藤も感じることができない。
それは、こっちが鈍感なせいか?
それに比べて、わたしたちの心のなかに吹き荒れる嵐は、なにごとか。
あの蟲、鳥獣蟲魚の心の中にも、私たちと同じような暴風雨があるのか。
訊いてみないとわからないことだが、
窓の外の小鳥の答えは、おそらく明快だろうと思う。
それもこれも、すべては、こっちの思い込みか?Copyright©2016RioYamada
Labels:
嵐
2016年6月24日金曜日
いぬのおまわりさん
さとうよしみ作詞・大中恩作曲
まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは どこですか
おうちをきいても わからない
なまえをきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン
まいごのまいごの こねこちゃん
このこのおうちは どこですか
からすにきいても わからない
すずめにきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン
Labels:
いぬのおまわりさん
2016年6月22日水曜日
2016年6月6日月曜日
2016年5月27日金曜日
山崎方代 ②
©2016RioYamada |
あきらめは天辺の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる
まっ黒いさくらの花がぽたぽたと散りあらそへり瞳(め)は盲いてゆく
なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない
新聞紙に腰をおろしてからっぽの頭の先を陽に干している
人間はかくの如くにかなしくてあとふりむけば物落ちている
鬼のようにしゃがんでいるとまた一つ銀杏の実が土を鳴らせり
もう何も申し上げません夜は早く灯を消して眠るにしかず
こともなくわが指先につぶされしこの赤蟻の死はすばらしい
耳もとでささやいているずっしりと小屋を囲んで雪が止んでいる
日が昇って来るなりこくいっこくのせまり来る死ぞ
山崎方代(1914-1985)
Labels:
山崎方代
2016年5月16日月曜日
2016年5月6日金曜日
2016年4月29日金曜日
2016年4月12日火曜日
ホームレス短歌、川柳
テント小屋冬はそのまま冷蔵庫捨て弁当も腐りません
坪内政夫
途方もなく空広かりきリュック背負い ホームレスの道踏み出ししとき
言ひ値にて雑誌を売りて得たる金三日の命を養ふに足る
宇堂健吉
説教と引き換へに配るパンならば生きる為には説教を聞く
名も知らぬブラジル人のその後を想ひて今朝の寒さに耐へる
親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
公田耕一
***********************
食べ物の賞味期限は舌に聞け
年賀状住所無き身に届かない
公園の闇夜で一人忘年会
パンの耳鳩にやるなら俺にくれ
アルミ缶空を集めて中身買う
プレゼント応募したいが住所なし
春の夜は同じ寝床の猫元気
寝袋に花びら一つ春の使者
お茶一本水で薄めて五本分
炊き出しで嫌いなものが好きになる
(ビッグイシューより)
Labels:
ホームレス川柳
2016年4月9日土曜日
2016年4月7日木曜日
2016年4月1日金曜日
2016年3月28日月曜日
2016年3月26日土曜日
2016年3月22日火曜日
花冷え
花冷えの雨のひときは濡らすもの
花冷えの閉めてしんかんたる障子
花冷えのみつばのかくしわさびかな
花冷えのうつだけの手はうちにけり
花冷えのうどとくわゐの煮ものかな
万太郎
やすらへば手の冷たさや花の中
岡本松浜
命二つの中に生きたる桜かな
さまざまのこと思い出す桜かな
芭蕉
2016年3月20日日曜日
2016年3月19日土曜日
リスのこと
リスちゃんと仲良くしていた頃の写真です。
アマンダ・レモンツリーという名前をつけていました。
メスのリスです。
子育ての時期だけはいなくなって、
それが済めば、何もなかったように帰ってきます。
まったく物怖じしないというか、
信頼されていたようです。
黙っていると、どんどん家の中に入ってきます。
野性の獣なので、きっちり線引きして、
「そこまで。」と言えば、
ちゃんとわかって、それ以上は入りません。
アーモンドを食べたら、帰ります。
ぼくの身体に登ってくるし、
外を歩けば、並んで歩くし。
なんだったんだろう、あのリスは。
今となっては、あまりにも遠い。
彼女、元気なのかな・・
PSこのリスの記事は、ほかにもたくさんあります。
Labels:
リス
2016年3月16日水曜日
苦しむ、でも死なない
ネウソン・サルジェント(ブラジル、1924~)
Agoniza Mas Não Morre
Nelson Sargento(1924~)
訳:山田リオCopyright ©2016RioYamada
サンバは苦しむ
でも死なない
最後の息が止まるまえに
だれかがいつも
サンバを救う
サンバは黒くて、強い
サンバは怖れない
街角で、酒場で、裏庭で
サンバは激しい迫害を受けた
サンバは純粋で
しっかり土に根を張っている
サンバは高貴な隣人だ
サンバは抱きしめる
サンバは包み込む
社会のかたちが変わり
ほかの文化が押し付けられても
サンバは
気にもしなかった
サンバは苦しむ
でも死なない
最後の息が止まるまえに
だれかが
かならず
サンバを救う
Agoniza Mas Não Morre
Nelson Sargento(1924~)
訳:山田リオCopyright ©2016RioYamada
サンバは苦しむ
でも死なない
最後の息が止まるまえに
だれかがいつも
サンバを救う
サンバは黒くて、強い
サンバは怖れない
街角で、酒場で、裏庭で
サンバは激しい迫害を受けた
サンバは純粋で
しっかり土に根を張っている
サンバは高貴な隣人だ
サンバは抱きしめる
サンバは包み込む
社会のかたちが変わり
ほかの文化が押し付けられても
サンバは
気にもしなかった
サンバは苦しむ
でも死なない
最後の息が止まるまえに
だれかが
かならず
サンバを救う
Labels:
サンバ
2016年3月10日木曜日
3・11
あの日 3・11短歌
この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った 新妻愛美
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった
あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは 山崎節子
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし
生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月
かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ
「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声 斉藤梢
寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと 半谷八重子
差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ
遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと 佐藤成晃
鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから 渡邊穂
いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる
廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか 佐藤祐偵
ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青
ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか 三原由紀子
Labels:
3・11短歌
2016年3月5日土曜日
2016年2月28日日曜日
2016年2月18日木曜日
尾形亀之助 ⑤
雨の祭日
雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ
雨が降る
夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる
うす曇る日
私は今日は
私のそばを通る人にはそつと気もちだけのおじぎをします
丁度その人が通りすぎるとき
その人の踵のところを見るやうに
静かに
本のページを握つたままかるく眼をつぶつて
首をたれます
うす曇る日は
私は早く窓をしめてしまひます
無題詩
ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと
無題詩
から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ
ま昼の原を掘る男のあくびだ
昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ
馬
三十になれば――
そんなことを思ひつづけて暮らしてしまつた
一日
ずつと年下の弟にわけもなくうらぎられて
あとは 口ひとつきかずに白靴を赤く染めかへるのに半日もかかつて
何を考へるではなしいつしんに靴をみがいてゐたんだ
そして夜は雨降りだ
尾形亀之助 (1900 - 1942)
Labels:
尾形亀之助
2016年2月6日土曜日
2016年1月25日月曜日
2016年1月5日火曜日
2016年1月1日金曜日
歌人鳥居
揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
空しかない校舎の屋上ただよひて私の生きる意味はわからず
慰めに「勉強など」と人は言ふ その勉強がしたかつたのです
姉さんは煙草を咥へ笑ひたくない時だつて笑へとふかす
待ち受けの(旦那と子ども)を見やる人 緞帳(どんちょう)あがりポールに絡まる
履いたきり脱げなくなつたと笑ひけり踊り子たちの冷たい裸
ラベンダー遺品となりし枯野にて病みゆく母の怒鳴る声抱く
生きている人より死んだ人ばかりくっきりと見える輪郭の淵
身寄りなき赤子は強く泣きつづけ疲れを知って一人静まる
刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁
揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
歌人 鳥居
Labels:
歌人鳥居
登録:
投稿 (Atom)