2012年12月31日月曜日

Everything




紅白は、録画しておいたのを早回しで見て、五分で見終わった。
でも、Misiaの歌だけは、はじめから終わりまで、聞いた。
風が吹いていた。

日本は現在、元日の午前三時半ごろ。
こっちは大晦日の朝です。
快晴。

2012年12月25日火曜日

今年のクリスマス

24日、クリスマス・イヴは何の予定もなかったので、テレビで日本からのニュース映像を見ていた。
非常に激しく雪が降っていて、寒そうだ。
こっちも夜は冷え込むが、寒いと言っても、せいぜい零度で、日本の寒さとは比較にならない。
それでも冷たい雨の合間に、ハチドリが家の餌場にやってくる。

夕方になって、暇なので、車で小一時間離れた日本人街に買い物に出た。
イヴということもあって、高速道路は混んでいたが、着いてみると、マーケットは閑散としていた。
餅、黒豆、などを買ってから、近くにある、焼き魚で人気の食堂に行ってみると、中は灯りが消えて真っ暗だった。

しかたなく、もとのマーケットに戻る。
いくつかの食べ物屋はまだ営業していて、通路のテーブルで食事している人たちがいる。
そこで、炭火焼きの焼き鳥屋「新撰組」で「焼き鳥弁当」4ドル(350円)を注文する。
オーダー待ちの人が待っていて、「30分くらい待ちますけど、いいですか?」と聞かれても、いいです、と言うしかない。

炭火で焼ける肉と醤油の、たまらない香りを嗅ぎながら待っていて、気がついたら、そのとなりがシュークリームで人気の「ビアード・パパ」(日本のチェーン店)だということに気がつく。
食後には「フォンダン・オ・ショコラ」を食べよう。
そうしよう。クリスマスだし。今日は特別だ。


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この、温めたフォンダンにスプーンを入れると、中の熱いガナッシュ、生チョコレートがとろりと溶けて流れ出す。
それを想像しながら待っていたら、「49番のお客さん!」という声。
焼き鳥弁当が出来上がったのだ。

通路のわきの貧しいテーブルで、通行人に覗かれながらのクリスマス・イヴのディナーだ。
炭火で焼けた、熱々の鶏肉と葱、そして、つくね、焦げた肉と脂で味と香りが付加された、醤油と砂糖のたれが炊き立てのごはんに染みて、添えられた紅しょうが、そして、ほんのすこしだけ飯にふりかけた刻み葱も、絶妙だ。
飲み物はもちろん、ブルゴーニュの赤ワインでも吟醸酒でもなく、カゴメの六条麦茶だ。

食べ終わって、すぐに、となりのビアード・パパでフォンダン・オ・ショコラ、2ドル50セント(210円)を温めてもらう。
とろとろに溶けたチョコレートの香りがたまらない。あっという間に、食べてしまった。
すると、フォンダン屋の親父、この人は中国人なのだが、休憩に入ったらしい。
隣のテーブルに座って、同じく焼き鳥弁当を食べ始める。

すっかり満足して、おやじに挨拶してから、帰ることにする。
どんなに高価なフランス料理よりも豪華な、今年のクリスマス・ディナーだった。
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2012年12月12日水曜日

「作品第1004番」  

            宮澤賢治

今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
ひるすぎてから
わたくしのうちのまはりを
巨きな重いあしおとが
幾度となく行きすぎました
わたくしはそのたびごとに
もう一年も返事を書かない
あなたがたづねて来たのだと
じぶんでじぶんに教へたのです
そしてまったく
それはあなたのまたわれわれの足音でした
なぜならそれは
いっぱい積んだ梢の雪が
地面の雪に落ちるのでしたから



■2002/05/03 (金) 作品第1054番            
                  
             宮澤賢治

何と言われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである

                      (雫=しずく)

2012年12月11日火曜日

                  山田リオ

ある日、思い立って、旅に出る
どこへ?もちろん、日本へ
日本のどこに行こうか
それはもちろん、雪の降る北国がいい
できることなら、電車を降りて、駅を出たら
そこはもう夜で、雪が降っている
雪で白くなった道を渡れば
そこに、小さな居酒屋があるから
服の雪を払ってから、その居酒屋に入ろう

カウンターに座ったら、その土地の酒を冷で
そして、肴には赤魚の煮魚なんかもたのんで
呑みながら、地元の人の話しも聞き、話し、笑い
すっかり身体もあったまって
お酒もまわってくるから、そこで
一番近い温泉はどこか、と訊ねると
タクシーで30分くらいのところに
小さい温泉宿があるという

電話をかけてもらうと、都合よく、空きがあるというので
お勘定を払って外に出れば
雪はますます激しく降っていて
駅までの道を歩いて行くのも、冷たくて気持ちがいい
そこでタクシーを拾って、さっき聞いた温泉に向かう
宿に着いたら、さっそく露天風呂に入り
あったまったら、部屋に戻って、呑みなおそう
夜の雪山に入って凍えて死んでしまおうなんてことは夢にも思わないで
暖かい布団に入って、いい気持ちで眠ってしまえばいいのさ
                                                         Copyright © 2012Rio Yamada




2012年12月6日木曜日

柴田佳美再録






■2006/09/19 (火) 柴田佳美さんの歌


何にでもなり得た今もなれるかも夢忘れただ生きていないか 

古里の景色はスローモーションで過ぎる駅には昔の私

「お帰り」と受け取る服で余寒知り言うのを止めた孤育ての愚痴

わりかんの散らし寿司など食べ終えてまだ話題あるおんなで楽し

2012年12月3日月曜日

草の根っこ

カマドウマ(ベンジョコオロギ)
                         山田リオ
小さいときから、自分には、(これだ、とは言えないのだが、)
人間として、重大な欠陥がある、という確信のようなものがあった。
それは今でも、自分の中にある。
雑草取りをしたあとに残った、深い根っこのように残っている。
普段は忘れているのだが、それは今もそのまま、土の中にある。

しかし、今思うと、あの、抜き残した雑草の根は
自分だけの物ではないような気がする。
それはたぶん、多くの人が持っているのだが、すっかり忘れていて
でも、心の裏側の、日陰の、湿った
カマドウマが棲むあたりの土の中に埋まっていて
普段は忘れているのだが、なにかの拍子に思い出す
あの、古い後悔のような、草の根っこのことだ。      
                              Copyright © 2012Rio Yamada
 

2012年11月11日日曜日

尾形亀之助 ②

                        尾形亀之助(1900-1942)

昼の部屋

テーブルの上の皿に

りんごとみかんとばなな ―― と

昼の

部屋の中は
ガラス窓の中にゼリーのやうにかたまつてゐる

一人 ―― 部屋の隅に

人がゐる



 商に就いての答

もしも私が商(あきなひ)をするとすれば

午前中は下駄屋をやります
そして
美しい娘に卵形の下駄に赤い緒をたててやります

午後の甘まつたるい退屈な時間を

夕方まで化粧店を開きます
そして
ねんいりに美しい顔に化粧をしてやります
うまいところにほくろを入れて 紅もさします
それでも夕方までにはしあげをして
あとは腕をくんで一時間か二時間を一緒に散歩に出かけます

夜は

花や星で飾つた恋文の夜店を出して
恋をする美しい女に高く売りつけます



女の顔は大きい

私は馬車の中で

妻を盗まれた男から話をしかけられてゐる

だんだん話を聞いてゐるうちに

妻を盗まれたのはどうも私であるらしい

で ――

それはほんのちよつと前のことだとその男が云ふのでした

×


私は いつのまに馬車を降りたのか

妻の顔を恥かしそうに見てゐました

2012年11月7日水曜日

帰宅

昨晩、帰ってきた。

ドアをあけて、一歩、入って

現実の世界に引き戻された、墜落した

やわらかい雲のなかのような場所から

岩盤のような固いところへ、たたきつけられ

自分の中を見ると

そこは、怒りでいっぱいなので

わけのわからない言葉を何度もつぶやいて

何に対する、誰に対しての怒りなのか

よくわからないのだが

黒いものが、口からあふれてきそうだ

こういうときに人は

なにか、とんでもないことを

わけもわからず、やってしまうのかもしれない
Copyright © 2012Rio Yamada

2012年10月21日日曜日

毎日

ヴェトナム、タイ、ヴェトナム、タイ、

たまに韓国。

それでいいのか?

それでいいのだ。

2012年10月14日日曜日

Entre les Bras

フランスのドキュメンタリー映画、”Entre les Bras”を見てきました。
この映画のことで頭がいっぱい。 

この映画は、北海道にあるミシェル・ブラス・トーヤ・ジャポンというフランス料理の店、その本店は当然フランスにあるんですが。

その店の主人が引退することになって、
長男が店を引き継ぐまでの一年間のドキュメンタリー。

一年間の四季の移り変わりが、たまらない。
俳優では絶対にできない、本物の生活、仕事、言葉の数々。

題名は「腕と腕の間」という意味で、親から子に引き継ぐ、それと、Bras は、 親子の苗字であり、レストランの名前でもあります。、
そういう二重の意味があって、また映画の中のパーティ-の場面でも、二人を、みんなが腕から腕に渡していく遊びがあって、これもまた、題名に含まれているんです。

そして、現在洞爺湖のレストランで出されている料理のいくつかが、どういうふうに発想され、考えられ、試行錯誤され、レストランのメニューに載るまでがカメラに捉えられています。
久しぶりに、どきどきしました。

 自分の生半可な生き方を、後ろから蹴飛ばされた気分です。

料理写真のリンクをお気に入りに貼っておきます。    山田 Copyright © 2012Rio Yamada

2012年10月1日月曜日

ひと




                                                                          山田りお

ひとは、ごはんをたべるから生きているんじゃないんだな

ひとは、希望で生きているんだな

希望をもらって、生きていられるんだな

だから、ひとは

ほんとうに失望したら、死ぬんだな

もう、希望をもらえなくなったら、死ぬんだな


        Copyright © 2012Rio Yamada

2012年9月29日土曜日

尾形亀之助 ①

■2008/08/17 (日) 
            尾形亀之助(1900~1942)
「無題詩」
 

夜になると訪ねてくるものがある

気づいて見ると
なるほど毎夜訪ねてくる変んなものがある

それは ごく細い髪の毛か
さもなければ遠くの方で土を堀りかへす指だ

さびしいのだ
さびしいから訪ねて来るのだ

訪ねて来てもそのまま消えてしまつて
いつも私の部屋にゐる私一人だ

****************************

「彼の居ない部屋」
           
部屋には洋服がかかつてゐた

右肩をさげて
ぼたんをはづして
壁によりかかつてゐた

それは
行列の中の一人のやうなさびしさがあつた
そして
壁の中にとけこんでゆきさうな不安が隠れてゐた

私は いつも
彼のかけてゐる椅子に坐つてお化けにとりまかれた

*******************************

「夜の花をもつ少女と私」          

眠い――
夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた

××
これから夢です

もうとうに舞台も出来てゐる
役者もそろつてゐる
あとはベルさえなれば直ぐにも初まるのです

べルをならすのは誰れです
××

夜の花をもつ少女の登場で
私は山高をかるくかぶつて相手役です

少女は静かに私に歩み寄ります
そして

そつと私の肩に手をかける少女と共に
私は眠り――かけるのです

そして次第に夜の花の数がましてくる


2012年9月28日金曜日

ダウントン・アビー 

  (2011/09/11に掲載した記事ですが、検索できないとのご指摘があり、再度掲載しました)

                 山田りお

 
英国の大河(?)ドラマ、Downton Abbey  (ダウントン・アビー)ダウントン修道院という意味ですが、実際は巨大なダウントン城。その城に住むたくさんの人々の人生を描いた連続テレビドラマです。一年目が終わり、九月から英国で二年目のシーズンが始まります。
(これから書くのは、ぼくの感想で、批評ではありません)
ぼくは現在、完全にはまっています。
アメリカではPBSが放送しているので、録画しておいて何度もくりかえし見て、さらに英国で放送された版のDVDも買いました。こっちのはアメリカ版よりかなり長くて、細部が丁寧です。
細かい説明は避けますが、何度見ても、また見たくなるのには困ります。

大まかな主役グループみたいなものは、あるようで、ないようで、主役も脇役もない、と言ったほうが正しいと思います。
一見小さな役に見えても、登場人物の数だけ、たくさんの物語りがあるということです。
見る人は、貴族も、平民も、召使も、さまざまな人々の内面までを、しっかりと細部まで目撃し、何度でも噛み締めることができる。そういうドラマになっています。ぼくとしては、あたらしい映画「ジェーン・エア」とあわせて見ることをお勧めします。
このドラマの作家で、プロデューサーのジュリアン・フェロウズがテレビのインタビューで言った言葉を引用(直訳)します。
『1912年は、とてつもなく興味深い時代だと思う。なぜなら、近代社会が始まろうとしていて、自動車はすでにあり、電話と電気が広がっていく、女性に対する社会の見方が変わり始める。
もし、そういう細部を正しく 表現できれば、もちろん(現代の)多くの人が、その細部自体を知らなくてもいいのだ。(細部を正しく表現できれば)このドラマ全体が、言わば「信じられ る」ものになる。そして見る人はこう思う、「ああ、そうか。こういう生きかたもあったんだな。」』
日本では、まだDVDが出ていないんですが、ぼくの勝手な憶測では、このドラマは、「絵面」では、大人向けの、難しいドラマに見えるようなので、若者志向の強い、配給関係の偉いおじさまたちは敬遠するんでしょう。
でも実際は、ダウントン・アビーは世界的人気になってきていて、とくにヨーロッパとアメリカ大陸ではブームが始まっています。
支持層は女性が多いような気がしますが、女性に限らず、男性にも、そして広い年齢層に、根強い人気があると思います。
それは、Downton Abbey には、「十代から中高年まで、みんなが夢中になる長編マンガ的要素がすべて満載されている」というのが人気の理由だと思われます。

ぼくも、時間さえ許せば、毎日でも見ちゃう。何度見てもどきどきする。
「あのシーン、もう一回見よう」そういう見方もできる。非常に困る。危険なテレビドラマですが、おかげで人生が豊かになりました。

ひとつだけ言いたいことは、このドラマでは、「あらすじ」は無意味だということ。
フェロウズ氏が言うとおり、細部を楽しむことができる人、一人一人の人間の内面に興味を持つことができる人にとって、ダウントン・アビーは、すばらしいワインです。
しかし、日本語字幕をどうするのか、というのが心配なところですが。
なにしろ1900年代初めごろの英国貴族の英語、非常に丁寧で繊細な、言わば文学的な言い回しがいっぱいです。そして庶民の英語も当然あります、
一方で、字幕翻訳には、長さの制限があります。しかし、このドラマに限っては、ハリウッド映画の字幕のような「現代簡略日本語スラング」を使うと、大変に妙なことになります。
でも、画面の広さにも、時間にも限りがある。うーん。どうなりますか。
ちょっとだけ、直訳してみます。貴族の若い女性と、やや身分の劣る若い男性がワインを飲んでいる場面です。雰囲気が伝わるといいのですが。。直訳ですので悪しからず。
(ヴィデオを見ながらの聞き書きなので、自信がありませんが)
Lが女性、Mは男性です。

(夜、ダイニング・ルーム。二人が、テーブルでワインを楽しんでいる)
L 「あなたは、物事の礼儀について、うるさくありません?ちがいます?」
M 「あなたはどうなんです?」
L 「あなたが思われるほどでもありませんわ・・・ 
スィビルを救ってくださってありがとう。とても勇敢なのですね。
あなたが、あの男を殴り倒した、と聞きました」
M 「義務を果たせたのなら、よかったです」
L 「あはたは義務に従う生き物なのですか?」 
M 「完全にそうだとは言えません」
L 「あなたがわたくしといっしょに、笑ったり、ふざけたりしていらっしゃる時も、あなたは義務を果たしているわけですか?慣習に従って、世間から期待されることを、そのまま行っているわけですね」
M 「わたしを遊び道具にするのはおやめなさい。わたしが何をしました?あなたに言われたくはありません」
L 「スィビルを傷つけたら、許しませんわよ。彼女は、あなたを好きになり始めているんですから」
M 「あなたがそういうことになる(人を好きになる)とは、誰ひとり思わないでしょうね」
L 「それはわかりませんわ」
M 「あなたの言うことすべてに、からかいの響きがあります」
L 「ご自分に自信を持たれたほうがよろしいと思いますわ」
M 「思い出させてさしあげましょうか。わたしがここに初めて来た日、あなたはわたしを形容して、非常に選び抜かれた(つまり残酷な)言葉を使われました。
あの言葉は私の記憶の中に、あなたが言われた、あの日そのままに、今でも、鮮やかに生きているのです」
L 「何度も申し上げましたでしょう?私の申し上げることを、本気になさってはいけませんわ」(キスする) 
 
「ダウントン・アビー」についての記事は、今のところ全部で六つです。ブログ右側の「ラベル」の「ダウントン・アビー」をクリックすると、全部一度に読めます。


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2012年9月26日水曜日

こたつたこ



                         内野真澄
こたつたこ

いかとかい

くらげらく

えいのいえ

らりらりら


すなになす
せみのみせ
ごまのまご
さかさかさ
らりらりら

2012年9月18日火曜日

渥美清の言葉 再録


2007/10/19 (金) 渥美清の言葉
「インタビューより」               渥美清

こんなふうに、(寅さんのように)生きていけたら、
いちばん幸せですね。
ところが、やはりそうじゃないんですね。
いろんな、社会人としての規律みたいなものもあるし、
わずらわしい、人との付き合いも、あるだろうし。
だから、ほんとに、カバンひとつ持って、
チョウチョやトンボのように、ふらっと、いつでも、
自分の好きなところに出かけて行って、生涯を終れるんだったら、
末は野たれ死んでもいいんじゃないですかね。

村の子供が、小さなほこらのところで、
「どっかのおじさんが、丸くなって寝ているよ」
「ああ、そういえば、昨日、道端で、なんか売ってたおじさんだね」
そばに寄って見ると、もう、冷たくなってた、
というような、そういう終り方がいいんじゃないかな。
なかなか、でも、それは、大変なことですけどもね、
そんなふうにして、こう、なんにも自分を縛る物っていうか、
そういうものがなくなって、逝けたらいいなって。

あの映画を見てくださってる男の方で、
ずいぶんそう思っている人がいるんじゃないんでしょうか。
やってる僕がそう思っているくらいですからね。
はっはっは・・・・

2012年9月14日金曜日

最強。


豉椒帯子、 帆立貝の豆豉(黒豆の浜納豆)、青唐辛子のソース

乾扁四季豆、インゲンの超高温速攻炒め、豚ひき肉添え

梅菜扣肉、 豚三枚肉と梅菜の漬物、蒸し煮 

豉油皇炒麵。
極細麺の甘い醤油焼きそば、硬くもない。柔らかくもない。




2012年8月30日木曜日

万太郎、夏の句 (再録)


ふりしきる雨となりにけり蛍籠(ほたるかご)

亡き人に肩叩かれし衣替え


神田川祭りのなかを流れけり


抜け裏をぬけうらをゆく日傘かな


運不運ひとの上にぞ雲の峰


わが老いの業はねむれず明けやすき


月も露も涼しき永久(とわ)のわかれかな


ひとりむしいかなる明日のくるならむ


短夜の明けゆく水の匂いかな


       久保田万太郎

2012年8月19日日曜日

マサラドーサ

大きいマサラドーサのむこうには
小さいマサラドーサ
どうです、大きいでしょう
でも中身はほとんど空気です

これは南インド、パキスタン、
バングラデッシュなどの主食で
薄い薄いクレープのようなものです
パリっとした食感。

フランスのクレープみたいに
ふにゃふにゃしたものではなくて、
歯に心地よく、
でも、どこか、やわらかさもあるのです

中には、ジャガイモをつぶして塩とスパイスで味付けしたものが
すこしだけ入っています

すこしづつ手でちぎって、ジャガイモを包んだりして
ヨーグルト、辛いカレー味、すこし甘いの
などのソースをつけたり
つけなかったりしながら食べます

マサラドーサは、ニューヨーク時代に、
バングラデッシュから来たタクシーの運転手が集まる店で、
初めて出会って以来のお気に入りです  
                                                                                                    Copyright © 2012Rio Yamada

2012年8月15日水曜日

種子

窓の外の木に、
今頃になると、実がなります
この木は常緑樹で、かなり大きいです
名前がわからないので、
「リスの木」と呼んでいます。
暑い夏の日差しを遮ってくれる木。
部屋の中にいるときでも、
四六時中、実の落ちる固い音がします
見ると、実ではなく、種そのもの。

まるで「かやの木山の」の歌のようです。
となりに「象の小箱」を置きましたが、
小箱は4,5cmX7cmの大きさです。
種は色も形も大きさも大豆です。

そのまま根が出て、実生が育ちます。 Copyright © 2012Rio Yamada

2012年7月30日月曜日

+++++++++++++++++++++++++++++++ 山田リオ

繰り返し読む文庫本の背がゆるんできて
放っておくとページがなくなったりするのが嫌なので
テープであちこち補強してみたが、この本の余命は短い
ぼくが去れば、この本を読む人は、もういない

一日物言わず、か。
毎日、何も言わないでいると、日本語も英語も
話す言葉をどんどん忘れていくようで、怖ろしくなる
でも一人言は言わない、歌ったりも、しない

病院でたくさんの人に触られたり、話しかけられたり
切られたり縫われたり注射されたり検査されたり
そうやって死んでいくのはたしかに、孤独死ではないのだろうが
ひとはやっぱり逝くときには、誰でも、一人で逝くのだ

村人たちが、引っ越したり、立ち去って、いなくなってしまった
そんな廃墟のような山村で一人、野菜をつくったりして
ゆっくりとめぐる季節のなかで終わっていけたら
これほど贅沢な旅立ちはない。それは孤独死なんかではない

雨音が聞こえる、ここには降るはずもない、日本の静かな雨の音が聞こえる
昼も夜も、雨音を聞きながら、草木と同じように、雨に濡れて
不平不満を言わず、他人の噂話をせず、世間のニュースも知らぬまま
草木や生き物たちのように、何も言わず、立ち去っていくことができたら。

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2012年7月5日木曜日


1954年のイタリア映画、「道」から一部抜粋。 山田訳。




阿呆「俺は無知だ。でも本は読める。おまえは信じないかも知れないが、この世に無駄な物なんてないんだ。たとえば、この小石・・
 
ジェルソミーナ「どの石?」
 
阿呆「どれでもだ。どの石にも、役目がある。」

ジェルソミーナ「なんの?」
 
阿呆「それは・・わからないけど、たとえば俺が全知全能だとしよう。でも、だれがいつ生まれて、いつ死ぬのか、俺はわからない。
誰にも、そんなこと、わからないだろう?
だからおれも、この石が何の役に立つかなんて知らない。
でも、この石はきっと何かの役に立つんだ。
どんな物にだって、役目があるんだ。
空の星にだってな。」     
   
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2012年6月21日木曜日

酒と念力の日々

永らく休みましたが、じつは、ぼくが育ったニューヨークに里帰りしていたのです。

お世話になったスイス人のM夫人と、親しい友人でアメリカ人のP、この二人のお見舞い、という名目だったのだが、泊まっていたのはM夫人の娘、Sさんとそのご主人でイタリア人のGさんの家。
中学生の頃からずっと親しい、日本人の友人、Iくん、そのほかにも各国に散らばっている人たちが、うまくニューヨークにいる時期だったのも幸運だった。

そんなわけで、ともかく、夜はワイン、たまに大吟醸。昼もまた、ワインもしくは純米酒。
一番多かったのがイタリア料理で、そのため、ワインになってしまうのだが。
Gの山の家での、二日連続の大掛かりなバーベキュー。
フランスに住むワインのプロ、Bが連れていったくれた、エルムハーストという町の正宗四川料理。
その街がまた凄くて、中国人だけでなく、タイ、ヴェトナム、シンガポール、マレーシア、カンボジアなどのアジア人でごったがえす町だった。
日本人のヴァイオリニスト、Iくんが招待してくれた、秘密クラブのような、日本の正しい居酒屋、「酒蔵」もまた。
最後の晩には、音楽家のP夫妻も加わって、移民の町、アストリアでの夕食。ギリシャ料理だった。
大きななスズキの丸ごと一匹炭火焼、タコ、海老なども炭火焼。ここでもワイン。

そのあと、二次会は、スロヴァキア人のJさんの案内で、正しいチェコのピルスナー・ビールが呑める広い広い野外ビヤホール。しかし、ワインの後なので、そんなには呑めなかったのが残念。
あっという間に、十日間が過ぎていった。
まったく、あんなふうに、来る日も来る日も酒を呑んだのは何年ぶりだったろう。

疾風怒涛のニューヨークが終わって、飛行機で西海岸の自宅に深夜着いたら、日本からメールが届いていた。
開くと、それは、Y氏とM氏からの、東京の中学からの古い友人、T君の訃報だった。

お酒が大好きだったT君。
あのニューヨークでの10日間の出来事は、T君が「のみなさい。もっと呑みなさい」と、遠い日本から、念を送っていたのだろうと思う。

T君、あなたとNYでいっしょに呑んだこともあったね。
念力をありがとう。ほかにもたくさんのこと、ありがとう。

合掌。

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2012年6月7日木曜日

巡礼

巡礼に憧れがあるのだろうか。
NHKの衛星放送で流れている、
火野正平さんが自転車でめぐる旅の番組を見る。

以前には、卓球の選手などが歩いて日本の各地を巡るのを見ていた。

とくに、雨の降る日のエピソードは録画して、くりかえし見る。
日本に降る雨は、なにか、自分にとって、たいせつなもののように思われる。
雨の少ない、砂漠のような土地に住んでいるせいだろうか、
わたしはいつも、ただ、呆然と、雨の降る日本の道の風景を、
何度も、何度も、くりかえし見ている。


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2012年6月3日日曜日

胡蝶蘭

去年の蘭が、一年後にまた咲きました。
花も不ぞろいで、茎は曲がりくねっています。
素人が育てた証拠。
割り箸を立てたり、凧糸でしばったりで、辛うじて倒れないでいる状態であります。

蘭の愛好家が見たら、怒り狂うことでしょー。

お風呂場の窓際に置いたのがよかったようです。
適度の湿気と、朝の光ですね。

2012年5月25日金曜日

カッコウの日

今日は「カッコウの日」でした。
いつか「カッコウ」という詩に書いた、ああいう日だったということです。

一日中、気持ちのいい風が吹いていて、でもそれは、やわらかな風ではなくて、大きな樹が全身で身もだえするような強い風でした。
同時に、日差しの中にいても、冷たさや、いい匂いを運んでくる、そういう風でした。

車を洗ってくれているのを待っている場所から、大きな森が見えました。
その森の右半分は比較的に静かなのに、左側の樹々は激しく風の中で揺れていました。

永い間日記が書けませんでしたが、ぼくは元気です。
左腕は、まだ良くなってはいません。
左のズボンのポケットから財布を出す時が、一苦労です。
それ以外は、もう慣れたので、それほど不自由は感じません。

ギプスを付けないのはお医者さんの判断で、罅が肘のすぐ傍のため、ギプスで固めると、肘の関節が動かなくなる恐れがある、という理由です。

では、また書きます。

かっこう。

2012年5月17日木曜日

セピア色の写真

リンクに貼ったのは、ディジタル・カメラはおろか、
カラー写真もなかった頃の
古い写真ばかりを集めたブログです

写真を見ていると、楽しくなります
セピア色の時代に生きていた人々は、なぜか
現代の、カラー写真の人たちよりも
生き生きと生きているように見えます

山や木や川や街、すべてが
大きく深く呼吸しているように感じるのは
わたしの想像でしょうか。



2012年5月13日日曜日

診てもらったところ、やはり左の前腕の骨、肘の近くに罅が入っていました。
不便なことは、ドアノブをまわすなどの軸転運動をする時に痛いこと、
ごはんの茶碗を持ち上げる動作もダメ。もちろんゴルフも。
六週間から八週間で完治するそうです。

2012年5月9日水曜日

ずいぶん永いこと書いていなかった気がする。

季節のサイクルが、すこしづつ狂ってきていると思う。
今年は「曇りの五月」が、あっという間に終わってしまった。
椰子の梢を吹く風を見上げる間もなく、昨日から夏になった。

だいぶ前から痛んでいる左腕の骨は、どうやら罅が入っているようなので、
明日、病院に行きます。
脳にも罅が入っているようです。
暑苦しい晩です。

2012年5月3日木曜日

怪傑

怪傑えみちゃんねる、大阪のローカル番組なので、
東京の人は見られないそうです。
なんと気の毒な・・・
と書いたところで’調べたら、つたやで借りられるようです。
興味がおありでしたら。

2012年5月1日火曜日

スズメ




                     山田リオ
家の車を駐めている場所があって
真上に蛍光灯がぶら下がっている。

見ると、蛍光灯の上から、藁や小枝がはみ出している
ああ、だれかが巣を造ったんだなと思って見ていると
スズメのお母さんが顔を出した。
目が合って、お母さんは飛び去ったが
しばらくすると、また戻って、抱卵しているようだ
抱卵となったら、もう巣は撤去できない
そういうことは、ねえ。

雛が生まれたら、当然、糞は、車の上から降り注ぐ
それを勘定に入れても、なお
あの巣を撤去する根性はない。
雛が巣立つまでの、我慢だ、いや、楽しみだ

2012年4月28日土曜日




                                                                                           山田リオ

自分は母子家庭に育ったので、幼い時から、祖父との交流が濃かった。

祖父は、一応音楽学校を卒業したが、作曲家として世に出ることはなかった。ただ、幾つかの校歌を残しただけだった。
彼はいわゆる趣味人で、江戸俳諧を愛した。
幼い頃から祖父に連れられて、美術館、寄席、能楽堂、骨董屋で過ごした経験は、今になってみれば貴重なもので、今の自分の、人間としての骨格になっている、と言える。

祖父は、説明や、批評家めいた無駄口を一切言わない男で、現物を示すだけで、黙して語らなかったことには、感謝している。

音大に入学して、レコード図書館に入り浸りになった。初めて聞く音楽は無数にあって、時間がいくらあっても足りなかった。ヴァイオリンを練習している暇など、なかった。

その中の、「高田三郎歌曲集」を聞いた時、体が震え、涙が流れた。その女性歌手の低く、太い、腹に響くような声、古風な日本語の響き、その裏にある悲しみに打たれた。
歌手の名は、「柳 兼子」。
調べると、この歌手は、当時、八十代で健在であり、国立音大で教えていて、リサイタルも、その年齢で行っているらしい。
歌手の年齢による衰えは激しく、50才まで演奏活動のできる歌手は稀だ。しかし、柳兼子先生は80を過ぎて、まだ第一線で歌っている。

今と変わらず、その頃もまた若く愚かだったので、すぐに国立の友人に頼んで、弟子入りを懇願した。その結果、有難いことにお目にかかり、弟子にして戴けることになった。
歌は、今でも大の苦手で、カラオケでも苦戦する。ただ、柳兼子の現物を知りたい、その思いがあった。

毎週火曜の午後、お宅に伺う。まず発声、発音を30分ほどレッスンして戴き、お茶になる。
お菓子も、毎回美味しくいただいた。
そして、四方山話。言ってみれば、「デート」だ。自分は18才。お相手は80代だ。

柳先生のご主人は、民芸運動で活躍された柳宋悦先生であることがわかった。
茶器などは、いずれも好ましい陶器ばかりで、嬉しかった。

柳先生の日本語の発音は、能楽の謡曲に影響を受けた、伝統的な美しい日本語であって、クラシックやポピュラーの歌手が日本の歌を歌う時にありがちな、外人が、初めて日本語を歌う時のような稚拙で、不自然なものが全くない。
なるほど、第一印象から惹かれた、その訳がわかった。

柳先生も又、すべてを行動で示す人で、その主張は、毎年行われる銀座、第一ホールのリサイタルで行われた。先生の声は圧倒的で、ホールに溢れ、毎回、それを聞くたびに、涙が流れた。

外国に移住し、お目にかかれない儘、亡くなられたが、その歌声は、今も耳に、心に、残って消えない。Copyright ©2000RioYamada

2012年4月14日土曜日

ダニーボーイ(再録)



■2004/12/15 (水) ダニーボーイ DANNY BOY (アイルランド民謡、作者不詳)
訳:山田 りお



(ダニーボーイです。
『・・・いとしの汝を父君のかたみとし・・』云々という日本語訳は、あまりにも原詩とかけ離れた物なので、ここに英語の原文(伝承)と、できるだけ直訳したものを掲載します。)

ダニーボーイ(ロンドンデリーの唄)
アイルランドで継承されてきたこの唄は、父と、その四人の息子の物語です。

上の三人の息子は、みんな、すでに戦争で死んでしまいました。
一人残った末息子のダニーも今は16歳になり、戦争に行かなければならない年になりました。「笛の音」は、その知らせでした。

そして父は考えます。「もし万が一、ダニーが生きて帰ってくるとしても、自分はそれまで生きていないだろう。それに、全ての息子たちを失うかもしれない不安と悲しみで、自分は死んでしまうかもしれない。」父は、そう覚悟します。

この唄は、父の、末息子への別れの唄です。

Londonderry Air  

Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the flowers are dying
'tis you, 'tis you must go and I must bide.

But come ye home when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, oh Danny boy, I love you so.

And if you come when all the flowers are dying
And I am dead as dead I well may be
You'll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me.

And I shall hear tho' softly tread above me
And all my dreams will warm and sweeter be
If you'll not fail to tell me that you love me
I'll simply sleep in peace until you come to me.

ダニーボーイ (訳:山田リオ)

おお、ダニー、笛の音は谷から谷へ
山肌を渡っておまえを呼ぶ
夏は去り、すべての花が死んでゆくとき
おまえは行かねばならず、わたしは一人残される

でも、帰っておいで、草地に夏が来るころか
谷間が静まりかえって、雪で白くなるころ
日差しの中で、影の中で、わたしは待っているから
おお、ダニー、おまえを愛しているよ

もしおまえが、すべての花が死ぬ頃に帰ってくるなら
そしてわたしが、もう死んでしまっていたとしても
おまえは、わたしが眠る場所を見つけるだろう
そしてひざまずき、祈りの言葉を言ってくれる

わたしは、わたしの上に、おまえのやわらかな足音を聞くだろう
そしてわたしの見るすべての夢はあたたかく、甘い
もしも、おまえが「愛している」と言ってくれるなら
わたしはただ安らかに、お前が来るまで待っているよ

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2012年4月9日月曜日

ライフログ


ライフログが話題になっているそうだ。

携帯電話やタブレットを使って、個人の生活や行動を、長期にわたって、詳細に記録する、それがライフログだそうだ。

しかし、取捨選択無しで、すべての行動が残ってしまうのは、困るという人も多いと思う。
職業上の機密ということもある。
どこに行って何をした、すべが記録されてしまう。
競馬場へ行った。でも負けた額は記録したくない、思い出したくない、ということもあるだろう。
レストランで食事、でも誰と食事したかは明らかにしたくない、ということもある。
メールなどの内容も、すべて記録されてしまうのか。
収入や出費、電話での会話は?考えるときりがない。

都合の悪いところは、あえて記載しないのが日記の良さだったのではないかと思うが、
ライフログの世界では、違うらしい。
ライフログは、主観を交えないものなのか。

それを突き詰めていくと、一人の人間の「生涯ドキュメンタリー映画」のようなものになってしまうのではないか。
それは、1985年の映画「ブラジル」に描かれた未来社会、コンピューターによってすべての人間が監視される社会を思わせる。あの映画は、ある意味、衝撃的だった。
でもたしかに、あの映画の世界は、わたしたちの現代の生活に重なりつつある。
テリー・ギリアムは、先見の明があったということか。

ライフログで思うのは、英国のローレンス・スターン作、
"The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman"
「紳士トリストラム・シャンディーの生活と意見」という小説だ。

これは夏目漱石の「我輩は猫である」に影響を与えたとされる小説で、1700年代に書かれた 。
ほぼモーツアルトが生きた時代とおなじだ。
当然のことながら、おそろしく長い。全九巻。読破するのは大変だ。
モーツアルトの時代にも、ライフログをやっていた人がいたわけだ。

ところで、1889年に書かれた
"Three Men in a Boat(To Say Nothing of the Dog)"
「ボート中の三人男(犬については、あえて言わない)」
という、こちらも英国の小説だが、このほうが登場人物も、雰囲気も「猫」に近いと思われる。
犬が登場している点も、興味深い。
漱石は、この小説を読んだはずだ。

ちなみに「猫」のほうは1905年に発表された。
「ボートの中の」はずいぶん昔に読んだが、「猫」には遠く及ばないと思った。
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2012年4月7日土曜日

遠方より来たる



クイーン・メリー号です。
1934年に作られた英国の豪華客船。
かのウインザー公爵夫妻も御用達。

遠くの友人夫妻がお見舞いに来てくれて、
今日はこのクイーン・メリー見物です。
普段なら、まずやらない観光です。
現在は港に停泊したまま、
ホテルとして利用されています。
だれでも泊まることができ、
たくさんあるレストランも、宿泊も、
値段は普通です。

船内は1930年代そのままに保存され、
レストランも客室も信じられない豪華さ。

現在は殆ど手に入らない、
希少な鳥目の楓材が、
ふんだんに使われています。
ほかにも、マホガニー材、
チーク材の廊下の質感をご覧ください。

手すりや柱など、眼に触れない場所にも
当時の彫金や打ち出しの技術を
そこらじゅうで見ることができます。

船内は、ほとんどすべて公開されています。

お見舞いに来てくれた友人夫妻は現在南フランスに住んでいて、
オーベルジュ(泊まれるレストラン)を経営したり、現在、ワインの本を書いていたり、ほかにもいろいろと忙しいのに、わざわざ、ぼくと飲んだり食べたり遊んだりするためだけにカリフォル二アまで来て、また数日で帰るので、まったく申し訳ないことですが、こっちは楽しいのです。

奥さんはイギリスの人で、人生のおおきな部分を中国、台湾、インドシナに住んで働いていたので、と言いいますか、彼女は、つまり「冒険家」なのです。
でも、戦場カメラマンじゃないから、それを仕事にしてるわけじゃないし、本もまだ書いていない。もちろん、写真集も出していません。

ワインを飲みながら、カンボジアの恐ろしく辛い鶏の料理をたべながら、動乱のプノンペンで危ない橋を渡った話をしてくれるときも、本人は涼しい顔です。

それから、彼女は、ネイティヴなみのマンダリン(北京官語)を話すので、いっしょに中華料理を食べに行くと、中国の人たちが驚く顔を見られるのも、毎回楽しみです。

今回、二人と食べた料理は、今日までで、台湾、ペルシャ(イラン)、そしカンボジアなどです。
カンボジア料理というのは生まれて始めて食べましたが、驚きの味でした。

ペルシャ料理は、シルクロードのフランス料理と言う感じの上品な味わいです。
中でも好きなのは、鶏肉を、胡桃とザクロの実で煮込んだ料理。メソポタミアの味(笑)。
世界には、いろいろな味や料理がありますが、そういった分類には入れられない、
と言うか、ユニークで、魅力的な味です。

この二人の友人のことは、またいずれ、ゆっくり書きたいと思っています。
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2012年3月30日金曜日

片思い

13cmX29cm

            山田リオCopyright©2012RioYamada
 
別れは、いつか、やってくる
たとえ残されたものが
人間ではなかった場合も
鳥は鳥、獣は獣なりに
それぞれの感情を抱いて
自分の生涯を生きてゆく

しかし、相手が物であった場合には
そのへんの事情は、ちがってくる
つまり、持ち主が死ねば
物は、残されるわけだから
かってに歩いたり飛んだりして
どこかに行くこともできない

さて、この大きな、重い、青いタイルは
ずっと昔に、ある田舎町で偶然に出会い
生活を共にすることになった
見れば見るほど、得体が知れない
ある意味、不気味でさえあるのだが
いつも気がつけば傍らにあった

他の人にとって、このタイルは
ゴミに見えるかもしれない
ぼくが逝ったあとで、だれが手にするにせよ
この、金銭的には無価値な瀬戸物に
ぼくのような馬鹿げた愛着を持つ人は
おそらく、いないだろう

こういうわだかまりは
なにかを、または誰かを
愛してしまった者の宿命なのだが
人はだれも、旅立つときには
その大切な人や、物を、残して行くしかない

滑稽なことに、物には思いはないのだから
人がいくら物を愛しても、別れを惜しんでも
それはいつでも、人の片思いに終わる
人の勝手な思いなんか、物の知ったことではない。

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2012年3月24日土曜日

蟲のように


                       山田リオ

 手術のまえに 医師から言われたことは
術後の平均生存年数が十年だ ということだった
それを聞いたときに思ったのは
十年の間 なにをすればいいのか ということだった

あれから三年半たった 今
計算上 あと六年半の命のはずが
昨日 検査があって そのあとで 医師が言った
感染症もなく ほかに何の問題もない こういうケースは希であって
これなら 十年以上生きられる ということ
それどころか 医療技術の進歩を考えれば
十五年か それ以上 生きられるかも知れない

十五年か
十五年 なにをすればいいのか
というふうには もう 考えなかった

ただ生きればよいのだ と思った
鳥のように 獣のように 魚のように
蟲のように でも 蟲よりも ずっとずっと永い間
ただ 生きればよいのだと
ぼくは そう思った

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