2012年4月9日月曜日

ライフログ


ライフログが話題になっているそうだ。

携帯電話やタブレットを使って、個人の生活や行動を、長期にわたって、詳細に記録する、それがライフログだそうだ。

しかし、取捨選択無しで、すべての行動が残ってしまうのは、困るという人も多いと思う。
職業上の機密ということもある。
どこに行って何をした、すべが記録されてしまう。
競馬場へ行った。でも負けた額は記録したくない、思い出したくない、ということもあるだろう。
レストランで食事、でも誰と食事したかは明らかにしたくない、ということもある。
メールなどの内容も、すべて記録されてしまうのか。
収入や出費、電話での会話は?考えるときりがない。

都合の悪いところは、あえて記載しないのが日記の良さだったのではないかと思うが、
ライフログの世界では、違うらしい。
ライフログは、主観を交えないものなのか。

それを突き詰めていくと、一人の人間の「生涯ドキュメンタリー映画」のようなものになってしまうのではないか。
それは、1985年の映画「ブラジル」に描かれた未来社会、コンピューターによってすべての人間が監視される社会を思わせる。あの映画は、ある意味、衝撃的だった。
でもたしかに、あの映画の世界は、わたしたちの現代の生活に重なりつつある。
テリー・ギリアムは、先見の明があったということか。

ライフログで思うのは、英国のローレンス・スターン作、
"The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman"
「紳士トリストラム・シャンディーの生活と意見」という小説だ。

これは夏目漱石の「我輩は猫である」に影響を与えたとされる小説で、1700年代に書かれた 。
ほぼモーツアルトが生きた時代とおなじだ。
当然のことながら、おそろしく長い。全九巻。読破するのは大変だ。
モーツアルトの時代にも、ライフログをやっていた人がいたわけだ。

ところで、1889年に書かれた
"Three Men in a Boat(To Say Nothing of the Dog)"
「ボート中の三人男(犬については、あえて言わない)」
という、こちらも英国の小説だが、このほうが登場人物も、雰囲気も「猫」に近いと思われる。
犬が登場している点も、興味深い。
漱石は、この小説を読んだはずだ。

ちなみに「猫」のほうは1905年に発表された。
「ボートの中の」はずいぶん昔に読んだが、「猫」には遠く及ばないと思った。
Copyright ©2012 Rio Yamada

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