2012年1月19日木曜日

雪中庵龍雨、久保田万太郎 再録

 
■2007/12/03 (月) 
雪中庵十二世、益田龍雨

とんだ勘違いをしていたことに気が付きました。
万太郎の一中節を掲載して、その流れで俳句も、と思って俳本を見ていたら、

「繭玉の霞むと見えて雪催い」
(まゆだまのかすむとみえてゆきもよい)

とあって、「雪中庵十二世、益田龍雨」、とありました。
万太郎と思いこんでいた好きな句は、実は、龍雨の作でありました。
実に申し訳ないことをしてしまいました。合掌。

龍雨を検索しても、ほとんど出てきませんね。
龍雨で思い出すのは、寄席の句です。
落語家のみなさん、なんとかなりませんか?
マスコミが無視するものは、自動的にこの世から消え去ってしまう、というのであれば、ネットが存在する意味がなくなります。
江戸最後の俳人、龍雨が忘れ去られてしまうのは、あまりにも悲しいことです。
かく言うわたくしも、龍雨を忘れかけていた一人ですが。

龍雨、万太郎の句を併せて掲載します。    山田

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講釈場すくなくなりし袷(あわせ)かな     

叉一つ寄席なくなりし夜寒かな

一生を前座で通す夜長かな

 さびしさや師走の町の道化者

死ぬことも考へてゐる日向ぼこ

春の灯や立花亭の雪の傘

繭玉(まゆだま)の霞むと見えて雪催い(ゆきもよい)  益田龍雨

****************************************************

短夜(みじかよ)のあけゆく水の匂いかな

神田川祭りの中をながれけり

枯野はも縁の下までつづきおり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな

雪掻いている音ありしねざめかな

ほとほととくれゆく雪の夕(ゆうべ)かな

まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

まゆ玉にさめてふたたび眠りけり

死んでゆくものうらやまし冬ごもり

春の雪待てど格子のあかずけり   (二月二十日、長男耕一、死去)

何か世のはかなき夏のひかりかな       久保田万太郎

*****************************
 2007年11,12月
■2007/11/29 (木) 雪まろげ 「雪まろげ」
一中節、久保田万太郎

水仙の 香もこそ師走 煤はらふ
ことぶき さても あけぼのの
空にのこれる 雲の凍(い)て

かくれ住み 門(かど)さしこめし 老いの身の
見まじ 聞くまじ 語るまじ
心ひとつに 誓へども
葦の枯葉を 渡る風
こぎゆく舟に 立つ波や
日かげ やうやく薄れきて
またもや 雪となりにけり 

数ならぬ 身とな思ひそ 亡き人よ いま亡き人よ
おもかげは 君 火をたけ よきもの見せむ 雪まろげ
よきもの見せむ 雪まろげ

【注:「君火をたけよきものみせむ雪まろげ」は芭蕉の句です。
「雪まろげ」とは、雪を丸める子供の遊びで、
万太郎の「雪まろげ」は言うまでもなく、芭蕉を題材にした一中節ですが、
この詩には、晩年の万太郎を残して逝った最愛の女性に語りかける万太郎がいます。】

ところで、2011年以前の詩日記は、ブログアーカイヴ「2011年5月」のページに保存してあります。

2012年1月12日木曜日

「Aの地下鉄」


「Aの地下鉄で行こう」 ビリー・ストレイホーン 
Take the A train        Billy Strayhorn(1915-1967)
                 訳:山田リオ


Aの地下鉄に乗ればいい
ずっと上の方、ハーレムのシュガーヒルに行くならね
もし、乗り遅れたら
ハーレムに行く最速の電車をのがしたわけだ

さあ、来たぞ、急いで乗ろう
レールのうなりが聞こえるだろう
Aの地下鉄に乗ったら
すぐ、ハーレムのシュガーヒルだ

ハーレムだ、坊や
次の駅がハーレムだ
さあ、乗ろう
Aの地下鉄で行こう 



****************************************************

「A列車で行こう」という題名に、ずっと前からひっかかっていた。「違うなあ。列車、じゃないなあ。」という思いだった。あの頃、と言うか、人生のかなりの部分、時間にすれば一生の約33%、ニューヨークの地下鉄、Aラインの沿線に住んでいたからだ。

Aラインの快速地下鉄は、はるか遠く、南東のロッカウェイをスタートすると、 ブルックリン、クイーンズを通ってずいぶん走って、いいかげん疲れた頃、やっとマンハッタンに入る。快速だから、止まらない駅もある。

マンハッタンの南端、ウオール街を抜けたら、すぐチャイナタウン、それから、マンハッタン島の西側を、ずっとハドソン川に沿って北上する。ユニオンスクエア、鉄道のペンシルヴァニア駅から長距離バスのポート・オーソリティー・バス・ターミナルを過ぎたら、すぐにタイムズスクエアのブロードウエイ劇場街。

カーネギー・ホール、そしてリンカーンセンター、ジュリアード音楽院を過ぎれば、すぐにコロンビア大学、そしてハーレムだ。ジョージ・ワシントン橋を過ぎたと思ったら、ブロンクスの一歩手前で止まる。そこが207丁目の終点。

だからどうしたって?いや、なつかしいだけですよ。    山田

蛇の足ですが。
Harlem、ハーレムはオランダ語で、その昔、ニューヨークに移り住んだオランダ移民が作った町です。女性を集めておく部屋とは無関係です。
一方、HAREM、ハレムは、イスラムのサルタンに属する女性の部屋という意で、日本では、しばしば混同して「ハーレム」と間違って言われることがあります。






2012年1月8日日曜日

風の朝

 

今朝、起きたら風が強かった

背の高い椰子の木が弓なりになっている

このところ、朝晩は冷え込むので

義母が何本も送ってくれた手ぬぐいを首に巻いた

冷暖房は好きではないので

夜、眠るときも首には手ぬぐい

そして頭にも手ぬぐいを姉さんかぶりに巻く
                                  (あねさん)

タオルやガーゼは気にいらない

そこはやはり、日本手ぬぐいがさらっとして

しかも暖かく、いちばん肌に合うのです。

 

2012年1月6日金曜日

雨の頃の物語

雨の頃の物語            
         小柳玲子 (1935~2022)
ねえ、きみ
その実、僕に見えているものは殆んどない
きみの永遠などについてはなおのことだ
僕が見たのは
僅かな街の、夕暮れの
と、ある角を曲がって来た
男の、たとえば貧しい帽子
そのうしろにひろがっていく
海のようなもの
ごくとりとめのないもの
 
見えていない。
地鳴りより深いものは聴けない
僕を、僕は恥じている
僕の猫背の恥の姿勢は
くだもの屋の横で
傘をひろげる
傘が落すわずかな世界の
その仮の安らぎの中に
くるまって 歩く
そこ以外、辿りつく
国はない、と言ったように
ちヾこまって。
 
降りしきる雨の果に
僕の国はみえない
きみの火のような言葉に
きみのこゝろを聴かない
きみはどこにいますか
僕が一心になって
深い雨の裡に佇つと
きみはいちまいのレインコオトだ
雨よりもけぶっている
それから僕は雨のような、
きみのような、声をきく
「遠いところ!」
僕は傘をひろげていた
僕には見えない
遠いところについて
僕の恥の起源について
考えていた
僕の仮の国の中の
水たまりのようなもの
帽子のようなもの
ごくとりとめのないものをよぎって歩いた
 
これが雨の頃の
かなり正確な僕の物語だと
そう思ってくれ給え
きみ。
 
 
 「小さい男」    小柳玲子


  朝 名前もつけられない小さな男が一ぴき 私の歯の中から冬の中

  に出ていった。彼は歯科医のうがい台の中 その細い管の奥へまぎ

  れてしまったので 私はわざわざ呼びとめなかった。その後男をみ

  かけないので この小さい男の物語は終りになった。「顔はどうだ

  ったか」と友達はきくが――顔があったかどうか思い出せない。そ

  れに思い出しても一向に役に立たないことを思い出すのは何とも苛

  苛するではないか。

  もっともある夕方 枕もとの水薬の中 あのうす青いビンの底に

  あの男がいた「私でしょうが いつかの男は」と彼は自分の鼻を指

  しながら言った。だけど私は高熱のため脂汗をしぼって呻いていた

  ので思わず「バカバカ」と怒鳴ってしまった。おまけに「あんな男

  の話は嘘にきまってるだろ」なんて本音を吐いてしまったのだ。



「見えている部分・いちにち」     小柳玲子

   めまいに似た夏の朝
   ペチュニアの真紅を植える
   街は急に白いビルが多くなり
   従妹たちはよく笑う
   ホテルのプールは花みたい……
   ね? などとはしゃぎあう
   角の雑貨屋ばかりが
   どうしてだか私には鮮明に見える
   店先に忠雄伯父がよく呉れた
   デンキ花火が出ている
   夜更けて伯父は西の街へ還ったものだ
   戦争があって、さらに遠く
   永劫の方へ還っていった。
   「マシュマロ、買おう」
   「あら、ボンボンの方がいヽ」
   地下街の仏蘭西菓子店で
   従妹たちの
   匂うような、レースのような
   おしゃべりをきいている

   雲が湧き
   傾斜はくらいと思う
   喉の奥の深い傾斜のことだ
   焼けてしまった、あの二階家が
   そんな深さに未だ在って
   乏しい灯が入ると
   兄やわたしや
   かぼちゃの皿を囲んだ。
   夕食だった。

   テレビが海水浴のニュースを始める
   みがいたキッチンに佇つと
   こんな無益な孤りの果に
   単純な夜が落ちてくるのが
   不思議だ、と
   夏の、さびしい魚たちを
   鍋に入れる


 
 
 
 
 
 

2012年1月2日月曜日

おせち 弐

東京の知人から来た「Y」のおせち料理です。
写真が来たのです。おせち料理と刺身を、ここまで宅配便で送るのは、無理ですよw。


「Yのおせちです。お刺身は、大海老、イカ、ひらめ、はまち、子持ち昆布、中トロ、など。二の重はレンコン、ゴボウ、里芋、ニンジン、あわび、青いザーサイ、これがおいしい、野沢菜、大海老のおにがらやき、ホタテの串刺し、数の子、タコ、そうだ、お刺身にもタコがあった。伊達巻、かまぼこ、白身魚の焼いたの、にしん、鮭が中に入ってて他のお魚で巻いてあるの、あとはいわゆるおせちの定番、栗きんとん、黒豆、松前漬け、イカの塩辛、たらこ、なぜかドライの明太子、イクラ、田作り、それからヒレ酒用のヒレ、きっとまだ忘れてるのがあると思うよ。そうだ、クルミの佃煮みたいのがあった。掘っても掘っても出てくるかんじだった。おいしかったよ。」

2011年12月20日火曜日

岡本松浜の句




春雪やうす日さし来る傘の内

褄取れば片手に重し傘の雪

寝かさなき母になられし蒲団かな

やすらへば手の冷たさや花の中

かげろふや土に坐つて鉦たたき

月の海灯の世に遠き泳ぎかな

ががんぼを吹けば飛ぶなり形代も

口紅のあとをとゞめて秋扇

露今宵生まるゝものと死ぬものと

露けさの一つの灯さへ消えにけり

 岡本松浜(しょうひん)1879~1939

2011年12月14日水曜日

ライムのジャム


悲しみのないサンバは
酔わない酒と同じ
とリオデジャネイロの詩人は言った
それはともかく
酸味のないジャムは
ただの砂糖だよ
と南カリフォルニアの山田は言った

K先生の庭のライムの樹に
今年もいっぱい実がなった
それをたくさんいただいたので
ライムのジャムを作ることにした
ライムは緑色と思っていたら
熟したら一見、レモン風
でも切ってみれば、やっぱりライム色

ジャムになっても
強力な酸味は薄れるどころか
ますますそのパンチ力を増しますw
サワードウのバゲットをトーストして
バターといっしょにのせて口に入れれば
うーうまいのだ
でも、うー酸っぱい
じゃ、じゃむの魂は
やっぱり酸味なのだよV

         山田リオ

2011年12月10日土曜日

85歳のソロ・デビュー

 
今朝、運転しながらラジオで偶然聞いたんだけどね。
ブルースのピアノです。
ピアニストの名は、ボイド・リー・ダンロップ。85歳。

ニューヨーク州、バッファローの老人ホームの住人。
そこに偶然、写真撮影で訪れた写真家、ブレンドン・バノンがボイドのピアノを聴いて、アルバムをプロデュースする気になったという。

ボイド・リー・ダンロップは、生涯の大半、鉄工所で働いた。
弟のフランキー・ダンロップは小さいときに兄のボイドに教えられてドラマーになり、後にセロニアス・モンクやチャーリー・ミンガスなどと共演したレコーディングがあるという。

バノンの言葉:

「初めて彼と会ったのは、バッファローの老人ホームだった。
そこに行ったのは、老人ホームで写真撮影をするプロジェクトについて、
そこの医師と話し合うためだった。
ボイドは待合室みたいなところに座っていて、すぐ会話が始まった。
彼はピアノのことを言い始めて、カフェテリアにピアノがあるから、
ピアノを弾いて聞かせてくれる、ということになった。
そのピアノを見たら、ところどころ、キーが取れて、なくなっているんだ。。
重症だったな。
でも、ボイドはそのピアノと格闘しているようにも見えたが、
出てくる音は美しかった。」

そんなわけで、このアルバムができました。

アルバムの名はBoyd's Blues、「ボイドのブルース」、
音楽と記事のリンクを「お気に入り」に貼っておきます。聞いてみてください。
音楽のリンクは、写真の下、左手にあります。

NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)
Weekend Edition: Boyd Lee Dunlop's debut album, Boyd's Blues.

2011年12月2日金曜日

毎朝の訪問者

rio yamada photo


り 「おはようございます。あーもんどください」

山 「おはよう。それはいいけど、コーヒー入れてるから、ちょっとまって。それから、その線から中に入らないでね。」

り 「はい。あーもんどあーもんど」

山 「また入った・・そこまで!あんた、どんどん大胆になるね。。ほら、絨毯踏まないで」

り 「あーもんどくれたら、帰りますから」

山 「それからね、網戸ひっかいて起こすのやめてくれるかな、ゆっくり寝たいんで」

り 「はいはい。早く。あーもんど!」           Copyright ©2009RioYamada 

                             

2011年11月25日金曜日

ダウントン・アビー、気になる二人


ダウントン・アビーの人々は、みんな魅力的ですが、現在、気になっているのが二人います。

まず貴族の末娘のスィビル。
若く美しい女性で、かつ天使のように純真なんですが、それだけに、彼女がどうなっていくのか心配です。あとの二人の姉は、それぞれに、違った「したたかさ」があるので、何があっても生き残れるような気がしますが、この娘はねえ。ほんとに心配・・・
彼女の絶えず変化する表情、しぐさ、そしてドレスを見るのも楽しみ。

もう一人の注目人物は、召使のトーマス。これは、とんでもない悪党です。
悪い人間ですが、その影の部分、隠された部分が気になります。
彼にどんな過去があるのか、そしてどんな運命がトーマスくんを待っているのか。

ところで、第二話で、トーマスに対して、ある人物が言い放つ言葉が心に残りました。

それは、"One swallow doesn't make it a summer."
これはイディオム(慣用句)で、意味は、
「ツバメが一羽来たからと言って、夏になったとは限らない」ですが、
この場面で、この言葉の意味は、「一度だけの親密な関係があったからと言って、それが愛につながるとは限らない。」というくらいの意味でしょう。
はっきりと言わずに、でも言いたい事はしっかり伝わる、そういうわけです。

この「ツバメ」は、いろいろな場面で使えます。
たとえば、スポーツで「最初に優勢だったからと言って、勝利できるとはかぎらない。」
というように。 (ヤクルト・スワローズの話ではありませんが。でもツバメだね・・)

しかし、直接的な言い方のほうが現代の会話では多いような気がします。
ぼくはアメリカでの暮らしが永いのですが、不勉強で、こういうイディオムは、小説や映画以外ではあまり気にしないで来ました。
今、改めて、ダウントン・アビーの第一シーズンを見ていて、会話の中で使われるイディオムの婉曲、柔軟さ、その間接的な、でもユーモアと含みを持たせながら相手に意思を伝える力、それは、英国の伝統の力だなあ、と思いました。
ウッドハウス P.G.Wodehouse の小説が好きなのも、たぶん同じ理由です。

そう言えば、日本では、今は亡き吉行淳之介さんの対談や小説にも、
そういう芳醇さがあったなあ。                          山田リオ
 
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2011年11月20日日曜日

空


空が砕けた

道端に、割れた鏡が捨ててあった

その砕けた破片一つずつに空があった

最近、どういうわけか

光という言葉をよく使う

数年前まで、夜の闇が怖かった

今は、怖くない、と言うより、安心

そこが変わったと思う

光はいい

でも闇だって、悪くない

                   山田リオ

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2011年11月9日水曜日

山と雲


雨があがった朝の透明な空気
空いっぱいに雲が動く
空気が洗われて
遠くの山がはっきり見える

ガラスが汚れているのは残念だ
でもあの山と風とあの雲と
今朝だけのすきとおった空気
またすぐ山はスモッグで霞む
だから撮れるのは今だけ
それにしても
ガラスが汚いのが残念だ

2011年11月7日月曜日

一石路の俳句


シャツ雑草にぶっかけておく

麦負うて来て汗うつくしき青年なり

一日のポケットから何もかもつかみだした

屋根屋根の夕焼けくる明日も仕事がない

暗い山のほかはびっしり星だ

お前が死んでからも来る新聞を畳にひろげる

けもののごとく来てがさがさと冬の部屋をさがす

平和がほしい誰にもにおう夜の木の芽

                          栗林一石路(1894~1961)

2011年11月1日火曜日

散歩道



近所の遊歩道
右にすこし見えるのが車が通る道路で
これは人と自転車だけが通る道
左が自転車専用で右は徒歩の人間
または犬もいっしょ
これを全部歩くと片道約二時間
けっこうな距離
朝日が昇ってくる
むこうから誰か歩いて来る
近所の雄鶏がコケコッコー
通訳いたしますとつまり
「アサーーーー!」
と言っているのです

2011年10月21日金曜日

可能性

ヴァルタの樫の木
                  ヴィスワヴァ・シンボルスカ(訳:山田リオ)
わたしは映画のほうが好き
わたしは猫のほうが好き
わたしはヴァルタの樫の木のほうが好き
わたしはドストエフスキーよりも、ディッケンズのほうが好き
わたしは自分が人類を愛するよりも、
自分が人間たちを好きなほうがいい
わたしは糸を通した針がそばにあるのが好き
わたしは緑のほうが好き
わたしはすべてのことを知性のせいにすることを
あえて主張しないほうが好き
わたしは例外のほうが好き
わたしは、まだ始まる前にその場を離れるほうが好き
わたしはお医者さんとなにか違う話をするほうが好き
わたしは古びたイラストレーションのほうが好き
わたしは詩を書かないことを笑われるよりも、
詩を書くことを笑われるほうが好き
わたしはみんなから毎日祝ってもらうよりも、
過ぎ去った愛の記念日のほうが好き
わたしはなにもわたしに約束してくれない
道徳家のほうが好き
だまされやすい善意よりも、
計算された善意のほうが好き
わたしは市民生活の中にある地球のほうが好き
わたしは征服する国々よりも、
征服されてしまう国々が好き
わたしは反対だ、と言えるほうが好き
わたしは整然とした地獄よりも、混沌とした地獄が好き
わたしは新聞の一面よりも、グリム童話のほうが好き
わたしは葉のない花よりも、花のない葉のほうが好き
わたしは尻尾を切っていない犬のほうが好き
わたしは青い目のほうが好き、私の目は黒いから
わたしは引き出しのほうが好き
わたしはここに書かなかったたくさんの物よりも、
まだここに書いていないたくさんの物のほうが好き
わたしは揃えて番号をつけた結び目よりも、
ゆるく結んだ結び目のほうが好き
わたしは正確な時間よりも、昆虫の時間のほうが好き
わたしは木にさわるほうが好き
わたしは「あとどのくらい時間」、とか、「いつ」、とか
聞かないほうが好き
わたしは存在には理由がある、その可能性があると
そう考えるほうが好き。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ
(1923年生まれ、ポーランドの女性詩人)

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2011年10月12日水曜日

ひとりのとき

        山田リオ   
友人の家を訪問して
そこには二匹の犬がいた
自分は犬やさまざまな
群れで生きる生きものを
苦手だと思う

猫が逝って何年になるだろう
思い出せないほどの月日がたって
いまだに次の猫は来ない
わけはほかにもあるけれど
かれが、最後の猫だった

飼い犬に華麗な服を着せて
着せ替え人形のように扱う
人の気持ちがわからない
それでも犬は、人に従う
いつでも犬は、人を見ている

動物も人も、ひとりのとき
窓の外や、空を見て
じっと、見えないことを思う
そういうとき、ひとりのとき
生き物は、ほんとうに生きている。

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2011年10月7日金曜日

あまつかぜ

山田リオ
飯を炊く釜が来た
万古焼の硬くて重い釜
これで飯を炊いて
麦藁手の茶碗で食う
みなべの梅干がうんと
昨日よりおいしくなった
紫蘇昆布も茄子の糠漬けも
みんなおいしくなった

一日降った雨がやんで
朝から風が吹いている
この谷の空気が洗われて
遠くの山がはっきり見える
高いところを雲が動いていく
天津風が雲を押していくので
高いところの光が変化していく
地上を雲の影が移動する

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2011年10月3日月曜日

実生

Copyright © 2011Rio Yamada
                       山田リオ
地に落ちた種子は発芽し
幸運にも実生となって育った
雨の降る日は一日喜び
雪の降る日々を耐え
実生はきれいな若木になった
今日、森の奥では
光が無言のお祝いをする

(註:実生=みしょう)Copyright © 2011Rio Yamada


2011年10月1日土曜日

夕日

rio yamada photo
           山田リオ 

私は何をするためにここに来たのか。それを考えるとき、いつも鳥獣蟲魚のことを思う。彼らは、何も言わず、不平不満を言わず、生き、食い、傷つき、病み、そして死んでゆく。

でも、鳥獣蟲魚は、見たところ、実に楽しそうだ。歌い、恋をし、交尾し、子育てし、そして当然のように、無言で死んでゆく。そのために生まれてきたからだ。

一方で、わたしは、 ちゃんと食い、恋もし、貧しいながら生きているのに、
不平不満ばっかり言っているのはなぜだろう。
それは、わたしが鳥獣蟲魚に劣る生き物だからなのか。

わたしが、なぜそんなに不満なのか、と言うと、
それはたぶん、人は育つとき、「みんな」を見て育つからだ。
そして人生に、ある種の期待を持ってしまう。
でもその期待は、多くの場合、満たされることがない。
お金持ちや成功者ほど不平不満が多いことでもわかる。

では、わたしは、ここに、なにをしに来たのか、
と考えるとき、いっそのこと、たとえば、
「わたしは、ここに、夕日を見に来たのだ」
と考えるのが正しいのではないか。
それ以 上のことを人生に願うのは、傲慢というものだ。
ちょっとここに立ち寄った、ただそれだけのこと。
「通りすがりの者です。」そして、すぐにまた、旅立つ。

それは、あっという間のことだ。
人の一生は、スズメが飛んできて、庭の木の枝に止まっている、
ほんの一瞬、あっという間のことだ。
またすぐに飛び去って、もう枝にスズメはいない。
それが人の一 生だ。

みんなが、所有している、と信じている、家も、財産も、
けっして彼らの本当の所有物ではない。
rio yamada photo
我が物ではない我が子とさえ、明日には、別れの時がやってくる。

「あなたは何をするために生まれて来ましたか?あなたの人生の目的は?」

「はい。ちょっと、夕日を見に・・」

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2011年9月24日土曜日

彼岸花

                山田リオ
彼岸花が咲いている
そこに立ち、花を見おろす人
その顔に、地に咲く花の色が反映して
喉や顎、鼻腔のあたりに
やわらかい赤橙の光が
その人を見あげる彼岸花が
顔の凹凸をうっすらと照らすとき
背後に見える空はもう暮れかけて
どんどん青く黒くなって行く
足もとの花からさして来る光だけが
その貌を紅く照らして
さまざまな思いも
彼岸花が、あたり一面に
広がり、咲いていたことも
なにもかも忘れてしまって
今はただ、薄闇のなか
赤橙の夕映えだけが
立ち尽くす人の顔の上で
ゆっくりと衰え
死に絶えていく
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2011年9月23日金曜日

風船画伯

風船画伯は内田百閒(ひゃっけん)の挿絵を描いていた版画家だった。谷中安規という。
百閒はずいぶん彼の版画を愛したようだ。

古本屋で、一ドルの古本を買った。ドイツ文学者の池内紀という人の随筆集だ。
そのなかに、偶然、谷中安規の死について書いたものを見つけた。
それは、淡々とした、しかし深い悲しみに満ちた文だった。

終戦直後、風船画伯は、世間から忘れられ、ホームレスになり、食うものもなくて栄養失調になり、釘のように痩せた後に、足も目もむくんで死んでいったという。

ぼくもある時期、病気のせいで顔のむくみがずいぶん酷くなってきていたから、風船画伯の死のありさまを読んで、他人事とは思えなかった。

百閒先生に発見されてから、風船画伯はたくさんの版画を残した。
友人だった棟方志巧とは違って、亡くなったあとも無名のままだった。
今は、少しは評価されているのだろうか。

でも、あの百鬼園という独歩の人に愛されたのだから、マスコミにもてはやされ、百万人に人気を博すよりも、ある意味、満足な一生だったのではないか。
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2011年9月20日火曜日

ダウントン・アビーその後

一昨日、「ダウントン・アビー」がエミー賞で、作品賞、脚本賞、監督賞、助演女優賞を受賞しました。製作部門を独占でしたね。
脚本賞は、ジュリアン・フェロウズ、監督賞はブライアン・パースィヴァル、そして助演女優賞は、あのマギー・スミスでした。
ダウントン・アビーは、主役のないアンサンブル劇なので、すべての役が主役だ、とぼくは思っているのです。だから、助演の受賞で十分です。全員に助演賞をあげたいところです。
おめでとうございました!    やまだ
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ジャカランダの実

六月に紫の花をいっぱいつけていたジャカランダは、いまは実がなっています。
高いところには、たくさんなっていても、
なかなか落ちてきません。
毎日、通るたびに探していて、
やっと、今朝早く、一個ありました。

皿に置いてみると、ラムチョップ、
子羊の焼肉にも見えます。


 
 そう。二枚貝です。
あこや貝。真珠貝。
開いてみるとこんなです。
まるで貝殻ですね。
種が見えますか?
下のほう、二個、
種を殻から出してみました。

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2011年9月17日土曜日

びっくり。

夕方、窓から外を見ていたら、遠くの木にリスの影が。。
そういえば食事の時間だ。
というわけで、アーモンドを持って外に出た。
見渡しても、どこにもいない。
垣根の上に両肘を置いて、
「ちっちっち」と呼んでみた。
しばらくして、突然、なにか毛深いものがぼくの身体を登ってくる。
足からわき腹を通って、わきの下から首のところをぬけて、
数センチの距離で、眼と眼を見つめあう。
アーモンドを二つ、口に入れると、
あっという間に、オレンジの木の上に消えた。
なれなれしさと、野生。
理想的な隣人だ。

2011年9月12日月曜日

茉莉花忌


                                           山田リオ
また九月11日がめぐってきて、松本よし子さんのことを思い出します。
毎日の生活のなかで、忘れないと思っていた人のことを、気が付いたら忘れてしまっていた。
こういう日が来て、やっと思い出す、大切な友達のこと。
2006年に書いた「友よ」を、あらためて掲載します。

あのころ、ぼくたちはニューヨークに住んでいたので、あそこで働いていた知人友人も多かったのです。

あの日、亡くなった方は2977人。
その約88%がアメリカ国籍の人たち、そして約12%が外国籍の人たちで、それは合計九十カ国以上になります。
すべては書ききれないが、少しだけ拾ってみます。

イギリス、67人。ドミニカ、47人、インド、41人、韓国、28人、日本、24人。カナダ、24人、コロンビア、17人、フィリピン、16人、ジャマイカ、16人。メキシコ、16人。トリニダード・トバゴ、14人。オーストラリア、11人。ドイツ、11人。イタリア、10人。パキスタン、8人。アイルランド、6人。バングラデシュ、6人。ポーランド、6人、イスラエル、5人。ペルー、5人、そしてポルトガルは5人の方たちが亡くなりました。

4人以下の被害の国々は、アルゼンチン、べラルース、ベルギー、ブラジル、チリ、中国、コートジヴォアール、コンゴ、エル・サルヴァドル、エクアドル、エチオピア、フランス、ガーナ、ガイアナ、ハイチ、ホンデュラス、インドネシア、ヨルダン、レバノン、リトアニア、マレーシア、モルドヴァ、オランダ、ニュージーランド、ナイジェリア、ルーマニア、ロシア、南アフリカ、スペイン、スエーデン、スイス、台湾、ウクライナ、ウズベキスタン、バミューダ、ヴェネズエラ、などの国々でした。

合掌。