きっぱりとした冬の寒さが窓の外にあります。
朝起きると、窓いっぱいの結露です。
この部屋は日当たりが良いので、
晴れていれば、午前中は徐々に暖かくなり、
午後の陽ざしが衰えると、
寒さが身に沁みてきます。
いつも詩日記を訪問してくださって、
ありがとうございます。
読者は、ごくごく少なくて良い、と思っています。
きちんと読んでくださる方が一人でもいらっしゃれば、と。
永年の読者、藤さん、お元気でいらっしゃるでしょうか。
今も、心おだやかで居られることを、お祈りします。
やまだ
PS。アダンソンハエトリグモ(5mm)も元気でおります。
毎年、この季節、たった一匹だけのここの住人(住蟲)です。
二匹でも三匹でもなく、一匹というのが、なかなかです。
2018年12月25日火曜日
天国は高い
Copyright ©2018RioYamada |
曇天
遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ
晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い
美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい
天国は高い
高い建物の上は夕陽をあびて
そこばかりが天国のつながりのように
金色に光つてゐる
街は夕暮だ
妻よ――
私は満員電車のなかに居る
無題詩
から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ
ま昼の原を掘る男のあくびだ
昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ
無題詩
昨夜 私はなかなか眠れなかつた
そして
湿つた蚊帳の中に雨の匂ひをかいでゐた
夜はラシヤのやうに厚く
私は自分の寝てゐるのを見てゐた
それからよほど夜るおそくなつてから
夢で さびしい男に追はれてゐた
たひらな壁
たひらな壁のかげに
路があるらしい――
そして
その路は
すましこんだねずみか
さもなければ極く小さい人達が
電車に乗つたり子供をつれたりして通る西洋風の繁華な街だ
たひらな壁のかげは
山の上から見える遠くの方の街だ
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尾形 亀之助
2018年12月20日木曜日
Low Down Blues
マディー・ウォータース(1913-1983)
土曜日の晩は大事な晩だ
みんなで魚のフライを作って盛り上がった
おれは50セントとサンドイッチ一個もらって
一晩中演奏したさ。ありがたかった
みんなは、ああいう、心の深いところから来るブルースが
ほんとうに好きだったんだ
あんたたちも、ああいう本物の
純粋のブルースを聴いてみればいい
おれたちが一文無しだったころ持っていた
それは無理っていうもんだ
今、シカゴでブルースをやってるときは
おれは「今のやつ」をやってるんで
それは、おれが生まれた時もうおれの中にあった
あのブルースとは違うもんだ
あのミシシッピーのサウンド
古いレコードに残っている
ミシシッピー河口の、三角州のサウンドだ
きっとあんたにも聞こえるはずだ
あのミシシッピーのサウンド
古いレコードに残っている
ミシシッピー河口の、三角州のサウンドだ
きっとあんたにも聞こえるはずだ
あの、本物の、純粋のブルースを聴いてみろよ
おれたちがほんとうに一文無しだったころ
おれたちがほんとうに一文無しだったころ
おれたちが持っていた
あのブルースのことだ
クリスマスの朝、目が覚めて
あのブルースのことだ
クリスマスの朝、目が覚めて
家には、なにも食べるものがなかった
りんご一個、オレンジ一個、ケーキもなにも
食べるものは、なにひとつ
なーんにもなかったんだ
訳;山田リオ Copyright ©2014RioYamada
(これは歌詞を訳したのではなくて、マディーのさまざまなインタビューの断片をまとめて一つながりにしたもので、歌を探してもむだです)
(これは歌詞を訳したのではなくて、マディーのさまざまなインタビューの断片をまとめて一つながりにしたもので、歌を探してもむだです)
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ブルース
2018年12月14日金曜日
2018年12月11日火曜日
2018年12月5日水曜日
2018年11月21日水曜日
2018年11月7日水曜日
2018年11月3日土曜日
2018年10月23日火曜日
2018年10月5日金曜日
2018年9月30日日曜日
2018年9月29日土曜日
正平さんのこと
山田リオ
二つの、性質が違う美術展に行った。
時間がたってから、すこしづつ、
自分の受けた感じが変質してくる。。
ボディー・ブロウのように、後から効いてきているというか、
あるいは、深い部分の内出血のように、か。
身体の中が、少しづつ活性化してくるような気がする。
そして、気がつけば、言葉で考えることをやめていた。
ただそこにいるだけの、静かな自分になってくる。
昨晩から、しきりに松田正平さんのことを思っている。
展覧会に行った直後は、いろいろと頭で考えるだけだったのが、
今は、虫のように、言葉にならないところで、
ぼーっとしている。
そうしていると、時間がたつにつれて、
心が自由になってくる。
二つの、性質が違う美術展に行った。
時間がたってから、すこしづつ、
自分の受けた感じが変質してくる。。
ボディー・ブロウのように、後から効いてきているというか、
あるいは、深い部分の内出血のように、か。
身体の中が、少しづつ活性化してくるような気がする。
そして、気がつけば、言葉で考えることをやめていた。
ただそこにいるだけの、静かな自分になってくる。
昨晩から、しきりに松田正平さんのことを思っている。
展覧会に行った直後は、いろいろと頭で考えるだけだったのが、
今は、虫のように、言葉にならないところで、
ぼーっとしている。
そうしていると、時間がたつにつれて、
心が自由になってくる。
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美術展
2018年9月26日水曜日
波
©RioYamada |
at 2004 04/18 06:40 編集
山田リオ
渚に佇んで
遠くをみている
波は
つぎからつぎに
水平線のほうからやってきて
盛り上がり泡立ち崩れ落ち砕ける
でも
あの波は
わたしが待っている
波ではない
どの波が
それなのか
ずっと
待っているその波は
どの波なのかは
よくわからない
でも
それは
あの波でもなく
その次の波でもなくて
それは
こうやって渚に死ぬまで佇んでいても
永久にやってこない波なのかも知れない
しかし
ある日
水平線のほうから
それは
奇跡のように
輝きながらやってきて
盛り上がり反射し散乱し透き通り
泡立ち崩れ落ち砕けるだろう
そしてその波が
まさに
わたしが待っているはずの
あの波であったとしても
それで
どうなるというのか
わからない
でも
生きているかぎり
渚に佇み
はるか遠い水平線のほうを見て
押し寄せてくる波を見て
あの波が
まっていたなつかしいあの波が
渚めがけて
押し寄せ輝き
そして崩れ落ちる日を
今日も
ただ
じっと
佇んで
待っていよう
Copyright ©2004RioYamada
じっと
佇んで
待っていよう
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波
2018年9月14日金曜日
別荘生活
しばらくの間、よんどころ無い理由で、別荘におりました。
やっと今日、出所の運びとなり、おつとめ、ごくろうさん。
別荘生活で辛いのは、まず、生活空間の狭さ。
四人部屋でしたので、生活音や、声、
その他、人間起因の音が四六時中24時間、
途切れることがありません。なので、不眠になります。
さらにマイるのは、食事です。
それは味が原因で、毎食、ひたすら食欲が出ません。
極端に薄味だし。「美味しく食べさせよう」なんて配慮は、
ございませんので。
エスプレッソのコーヒーがほしい、とか、贅沢は通用しない世界です。
お注射とか、切った貼った、出血なんかは、通過儀礼ですので、まあ、我慢できました。
看守のみなさんも、にこやかで、やさしくて、よろしいんですがね。
とにもかくにも、めでたく自由の身に戻れましたです。
今夜は、なにか、美味しい物をいただきたいと思います。
PS 別荘で必要不可欠なものは、なんと、スマホ。おかげで、助かった!
や
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べっそう
2018年9月9日日曜日
2018年9月7日金曜日
オリーヴの空
雲を見れば、夏のよう。
日差しも強くなってきた。
オリーヴの木は、ますます元気。
子供のころ、くりかえし読んだ、ルイジ・カプアーナ作「シチリアの少年」(岩波少年文庫)のなかに、オリーヴの枝で羊の肉を焼く場面があった。おいしそうだったので、今でも憶えている。
日曜は、ロシアのボリショイ劇場から中継が、映画館の大画面で見られるので、行った。
これは、ヨーロッパやロシアの劇場からバレーやオペラの公演を中継し、それを大画面で見ることができる。
日本でもやっているのかな?
今回はボリショイ・バレーの「コッペリア」だった。
もう、このバレー団がなくなれば失われてしまう、19世紀のロシアの演出を、現代の、ロシアのダンサーたちが踊った。見られて、ほんとうに幸運だった。
コッペリアはロボットが出てくるバレーだ。
そう言えば、オペラの「ホフマン物語」も、ロボットが登場する。
19世紀のフランスでは、女性型のロボットが人気だったのだな。
どちらも、出てくるロボットは、今の「アシモ」より美しい。
でも、最近よくテレビで見る、大阪大学の石黒教授の女性型アンドロイドもいいね。Copyright © 2012Rio Yamada
でも、最近よくテレビで見る、大阪大学の石黒教授の女性型アンドロイドもいいね。Copyright © 2012Rio Yamada
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オリーヴの空
2018年9月2日日曜日
2018年8月30日木曜日
2018年8月25日土曜日
2018年8月17日金曜日
2018年8月13日月曜日
2018年8月6日月曜日
Anaïs, Anaïs
訳:山田リオ
*深く生きる人は 死を恐れない。
*人は 他人を救うことはできない
ただ 愛することはできる。
*女性の強さを怖れる男たちを わたしは憎む。
*わたしはきっと 人魚
だって わたしは 深さを怖れない
そして 浅薄な生活を 心から怖れるから。
*あなたを 愛すること
それは わたしとあなたが
おなじ幻想を おなじ狂気を 共有するということを意味する。
アナイース・ニン(1903 – 1977)
*深く生きる人は 死を恐れない。
*人は 他人を救うことはできない
ただ 愛することはできる。
*女性の強さを怖れる男たちを わたしは憎む。
*わたしはきっと 人魚
だって わたしは 深さを怖れない
そして 浅薄な生活を 心から怖れるから。
*あなたを 愛すること
それは わたしとあなたが
おなじ幻想を おなじ狂気を 共有するということを意味する。
アナイース・ニン(1903 – 1977)
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アナイース・ニン
2018年7月31日火曜日
ひぐらし
■2006/08/16 (水) ひぐらし
山田リオ
ニューヨークに住んでいたころ
近くには川があり 小さい公園もあった
夏の夜 毎年のようにホタルが集まり
あの黄色いようなうす緑のような 不思議な色で光った
それぞれ ばらばら勝手に光るのではなくて
なにか秘密の暗号で 指令が出ているかのように
夜の闇のなか みんなそろって 何百何千のホタルの光が
一度に灯り 揃って消える
そういう不思議な光景を毎年 見に行った
でも ホタルを見に来るのは
わたしたち以外には 誰もいなかったのだ
ホタルの光を見て楽しむのは 日本人だけのようだった
ひぐらしが聞こえる
いまは ひぐらしがしきりに鳴いている
耳の中で 心の奥で
聞こえるはずのない ひぐらしが鳴いている
ここには ひぐらしどころか
セミもホタルも いないのだから
ほんとうのひぐらしを聞いたのは
何十年も昔のことだ
それでも まるで縁側にかかった葦簾(よしず)の外
杉林の奥 峠のほうから また谷から
遠く 近く ひぐらしがひびく
わたしが 逝くときには
涼しい風の通る 夕暮れの座敷で
ひぐらしを聞きながら 逝きたい
畳の上に 横になり
真新しい畳の匂いを 嗅いでいると
ああ 風にのって 遠く 近く
ひぐらしが 聞こえる
そうだ
死に水は よく冷えた冷茶を
あの 紅色の薩摩切子のコップで 呑むことにしよう
Copyright ©2006Rio Yamada
山田リオ
ニューヨークに住んでいたころ
近くには川があり 小さい公園もあった
夏の夜 毎年のようにホタルが集まり
あの黄色いようなうす緑のような 不思議な色で光った
それぞれ ばらばら勝手に光るのではなくて
なにか秘密の暗号で 指令が出ているかのように
夜の闇のなか みんなそろって 何百何千のホタルの光が
一度に灯り 揃って消える
そういう不思議な光景を毎年 見に行った
でも ホタルを見に来るのは
わたしたち以外には 誰もいなかったのだ
ホタルの光を見て楽しむのは 日本人だけのようだった
ひぐらしが聞こえる
いまは ひぐらしがしきりに鳴いている
耳の中で 心の奥で
聞こえるはずのない ひぐらしが鳴いている
ここには ひぐらしどころか
セミもホタルも いないのだから
ほんとうのひぐらしを聞いたのは
何十年も昔のことだ
それでも まるで縁側にかかった葦簾(よしず)の外
杉林の奥 峠のほうから また谷から
遠く 近く ひぐらしがひびく
わたしが 逝くときには
涼しい風の通る 夕暮れの座敷で
ひぐらしを聞きながら 逝きたい
畳の上に 横になり
真新しい畳の匂いを 嗅いでいると
ああ 風にのって 遠く 近く
ひぐらしが 聞こえる
そうだ
死に水は よく冷えた冷茶を
あの 紅色の薩摩切子のコップで 呑むことにしよう
Copyright ©2006Rio Yamada
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ひぐらし
2018年7月27日金曜日
バックミラーの件
山田リオ
「人生は一瞬の夢」 だ という
そうだとすると ずいぶん長編の夢だ
スペイン語だと グランデス・スペクタクロ
映画なら 娯楽超大作 一大スペクタクル
希望 失意 僥倖 幸福 破局 絶望 終焉
それなら あれもこれも なにもかもが
一瞬の夢 だったのか
長いながい ローラーコースター
日本語だと ジェットコースター
ほんとうに あれもこれも 全部 夢なのか
もし そうだとしても たとえば
99パーセントが 夢で
1パーセントくらいは もしかして
夢ではなかった ということも あるかも しれない
それなら それなら
すわりなおして ていねいに
順番に 思い出して
夢の分類 を してみようか
ほんの一滴でも いいから
夢ではなかった ほんとうに ほんとうの一瞬を
見つけること
いやいや
後ろを振り返るのは やめよう
時間は 振り返って見るものではない
人生に バックミラーは ついてない
英語では リアヴューミラーだ
前だけ見て ゴールまで
とりあえず 生中 いや
とりあえず 最後まで
前だけ見て 直進だ Copyright ©2018RioYamada
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バックミラーの件
2018年7月21日土曜日
アルヘンティナ
■2007/02/11 (日) アルヘンティナ
山田リオ
アストルの店の中には
アルヘンティナが充満している
山田リオ
アストルの店の中には
アルヘンティナが充満している
入ってすぐのガラスのケースには、いろいろなパンやケーキが並び
その後ろのキッチンでは、ほかのどんな店でも食べられない
アルヘンティナのビーフシチューや
薄く薄く切ったイギリスパンに、ハムやチーズをはさんで
フライパンで焼き色をつける、あのサンドイッチを作っていて
その後ろのキッチンでは、ほかのどんな店でも食べられない
アルヘンティナのビーフシチューや
薄く薄く切ったイギリスパンに、ハムやチーズをはさんで
フライパンで焼き色をつける、あのサンドイッチを作っていて
そこでスペイン語しか話さない女の子たちに挨拶して
フランスパンの生地をぐるぐるねじって棒にして油で揚げて
それに粗い砂糖をふりかけた、ブエノスアイレスのドーナッツや
たっぷり熱いミルクの入ったカフェコンレチェをたのんで
フランスパンの生地をぐるぐるねじって棒にして油で揚げて
それに粗い砂糖をふりかけた、ブエノスアイレスのドーナッツや
たっぷり熱いミルクの入ったカフェコンレチェをたのんで
奥の広間に入ると、大画面のテレビでは当然フトボル
つまりサッカーを大声で応援する人たちの声が爆発している
その一方で、チェスをしている人たちもいて
その喧騒に混じって、あのピアツォラの音楽が聞こえてくるから
自分は今、カリフォルニアなんかではなく
まぎれもなく、アルヘンティナにいるんだということがわかる
つまりサッカーを大声で応援する人たちの声が爆発している
その一方で、チェスをしている人たちもいて
その喧騒に混じって、あのピアツォラの音楽が聞こえてくるから
自分は今、カリフォルニアなんかではなく
まぎれもなく、アルヘンティナにいるんだということがわかる
だからここで、喧騒と食べ物とコーヒーの匂いとこの空気の中で
わたしはアルヘンティナ人でもブラジル人でもなく、
中国人でも、韓国人でも、アメリカ人でもないけれど
そして日本人の知人には、おまえなんかもう、日本人ではないと
そう言われるわたしも、ここ、アストルの喧騒の中にひとり座れば
人生は祭りなのだということがわかる、いや
どんな人間にとっても、人生は祭りなのだということを
もういちど、ここでひとり
自分にむかって、言い聞かせよう。Copyright ©2007RioYamada
(注:アルヘンティナはスペイン語で「或善珍」のことです)
わたしはアルヘンティナ人でもブラジル人でもなく、
中国人でも、韓国人でも、アメリカ人でもないけれど
そして日本人の知人には、おまえなんかもう、日本人ではないと
そう言われるわたしも、ここ、アストルの喧騒の中にひとり座れば
人生は祭りなのだということがわかる、いや
どんな人間にとっても、人生は祭りなのだということを
もういちど、ここでひとり
自分にむかって、言い聞かせよう。Copyright ©2007RioYamada
(注:アルヘンティナはスペイン語で「或善珍」のことです)
2018年7月19日木曜日
2018年7月16日月曜日
2018年7月6日金曜日
尾形亀之助
(1900-1942)
曇天
遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ
晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い
美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい
無題詩
ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと
春の街の飾窓
顔をかくしてゐるのは誰です
私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです
無題詩
から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ
ま昼の原を掘る男のあくびだ
昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ
尾形亀之助(1900-1942)
曇天
遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ
晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い
美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい
無題詩
ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと
春の街の飾窓
顔をかくしてゐるのは誰です
私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです
無題詩
から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ
ま昼の原を掘る男のあくびだ
昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ
尾形亀之助(1900-1942)
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尾形亀之助
2018年7月5日木曜日
万太郎 夏の句 再録
ふりしきる雨となりにけり蛍籠(ほたるかご)
亡き人に肩叩かれし衣替え
神田川祭りのなかを流れけり
抜け裏をぬけうらをゆく日傘かな
運不運ひとの上にぞ雲の峰
わが老いの業はねむれず明けやすき
月も露も涼しき永久(とわ)のわかれかな
ひとりむしいかなる明日のくるならむ
短夜の明けゆく水の匂いかな *短夜(みぢかよ)
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久保田万太郎
2018年6月24日日曜日
そばにいるひと
山田リオ
なぜぼくが
たとえば あの人の詩ばっかり
何度も何度もくりかえし 読んでいるのか
それは あの人に ある時
出会ってしまったからで
出会ってからというもの
ぼくが 生きていくなかで
いつも そばにいてくれて
ぼくが すくわれてきたからで
それは あのひとの詩 ばかりじゃないんだけど
出会ったのは だれに薦められたわけでもなく
じぶんで ひとりで
そのひとと 出会って
それから 読むたびに
つらくなったり かなしくなったり
気持ちが楽になったり たすかったり
そういうことが あってから
きがつけば また読んだり
あのひとのことを 思い出したり
つまり ああいう いくつかの言葉だけではなく
あのひとが 生きたことや なにもかもが
ぼくの いきていることの 一部になったのです
Copyright ©2018RioYamada
なぜぼくが
たとえば あの人の詩ばっかり
何度も何度もくりかえし 読んでいるのか
それは あの人に ある時
出会ってしまったからで
出会ってからというもの
ぼくが 生きていくなかで
いつも そばにいてくれて
ぼくが すくわれてきたからで
それは あのひとの詩 ばかりじゃないんだけど
出会ったのは だれに薦められたわけでもなく
じぶんで ひとりで
そのひとと 出会って
それから 読むたびに
つらくなったり かなしくなったり
気持ちが楽になったり たすかったり
そういうことが あってから
きがつけば また読んだり
あのひとのことを 思い出したり
つまり ああいう いくつかの言葉だけではなく
あのひとが 生きたことや なにもかもが
ぼくの いきていることの 一部になったのです
Copyright ©2018RioYamada
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そばにいるひと
2018年6月22日金曜日
2018年6月15日金曜日
2018年5月30日水曜日
八木 重吉 ④
悲しみ
かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
雨の日
雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう
虫
虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる
水や草は いい方方である
はつ夏の
さむいひかげに田圃がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえてる
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした
雨
雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい
八木 重吉(1898 - 1927)
かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
雨の日
雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう
虫
虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる
水や草は いい方方である
はつ夏の
さむいひかげに田圃がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえてる
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした
雨
雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい
八木 重吉(1898 - 1927)
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八木 重吉
2018年5月7日月曜日
2018年4月30日月曜日
2018年4月22日日曜日
2018年4月17日火曜日
おやすみ
「人生は、喜びに溢れた悲劇だ」
バーナード・マラマッド(ユダヤ系アメリカ人)
**********************
体調がイマイチなので、しばらくお休みします。
まだ生きているので、だいじょぶです
やまだ
バーナード・マラマッド(ユダヤ系アメリカ人)
**********************
体調がイマイチなので、しばらくお休みします。
まだ生きているので、だいじょぶです
やまだ
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