2012年4月28日土曜日




                                                                                           山田リオ

自分は母子家庭に育ったので、幼い時から、祖父との交流が濃かった。

祖父は、一応音楽学校を卒業したが、作曲家として世に出ることはなかった。ただ、幾つかの校歌を残しただけだった。
彼はいわゆる趣味人で、江戸俳諧を愛した。
幼い頃から祖父に連れられて、美術館、寄席、能楽堂、骨董屋で過ごした経験は、今になってみれば貴重なもので、今の自分の、人間としての骨格になっている、と言える。

祖父は、説明や、批評家めいた無駄口を一切言わない男で、現物を示すだけで、黙して語らなかったことには、感謝している。

音大に入学して、レコード図書館に入り浸りになった。初めて聞く音楽は無数にあって、時間がいくらあっても足りなかった。ヴァイオリンを練習している暇など、なかった。

その中の、「高田三郎歌曲集」を聞いた時、体が震え、涙が流れた。その女性歌手の低く、太い、腹に響くような声、古風な日本語の響き、その裏にある悲しみに打たれた。
歌手の名は、「柳 兼子」。
調べると、この歌手は、当時、八十代で健在であり、国立音大で教えていて、リサイタルも、その年齢で行っているらしい。
歌手の年齢による衰えは激しく、50才まで演奏活動のできる歌手は稀だ。しかし、柳兼子先生は80を過ぎて、まだ第一線で歌っている。

今と変わらず、その頃もまた若く愚かだったので、すぐに国立の友人に頼んで、弟子入りを懇願した。その結果、有難いことにお目にかかり、弟子にして戴けることになった。
歌は、今でも大の苦手で、カラオケでも苦戦する。ただ、柳兼子の現物を知りたい、その思いがあった。

毎週火曜の午後、お宅に伺う。まず発声、発音を30分ほどレッスンして戴き、お茶になる。
お菓子も、毎回美味しくいただいた。
そして、四方山話。言ってみれば、「デート」だ。自分は18才。お相手は80代だ。

柳先生のご主人は、民芸運動で活躍された柳宋悦先生であることがわかった。
茶器などは、いずれも好ましい陶器ばかりで、嬉しかった。

柳先生の日本語の発音は、能楽の謡曲に影響を受けた、伝統的な美しい日本語であって、クラシックやポピュラーの歌手が日本の歌を歌う時にありがちな、外人が、初めて日本語を歌う時のような稚拙で、不自然なものが全くない。
なるほど、第一印象から惹かれた、その訳がわかった。

柳先生も又、すべてを行動で示す人で、その主張は、毎年行われる銀座、第一ホールのリサイタルで行われた。先生の声は圧倒的で、ホールに溢れ、毎回、それを聞くたびに、涙が流れた。

外国に移住し、お目にかかれない儘、亡くなられたが、その歌声は、今も耳に、心に、残って消えない。Copyright ©2000RioYamada

2012年4月14日土曜日

ダニーボーイ(再録)



■2004/12/15 (水) ダニーボーイ DANNY BOY (アイルランド民謡、作者不詳)
訳:山田 りお



(ダニーボーイです。
『・・・いとしの汝を父君のかたみとし・・』云々という日本語訳は、あまりにも原詩とかけ離れた物なので、ここに英語の原文(伝承)と、できるだけ直訳したものを掲載します。)

ダニーボーイ(ロンドンデリーの唄)
アイルランドで継承されてきたこの唄は、父と、その四人の息子の物語です。

上の三人の息子は、みんな、すでに戦争で死んでしまいました。
一人残った末息子のダニーも今は16歳になり、戦争に行かなければならない年になりました。「笛の音」は、その知らせでした。

そして父は考えます。「もし万が一、ダニーが生きて帰ってくるとしても、自分はそれまで生きていないだろう。それに、全ての息子たちを失うかもしれない不安と悲しみで、自分は死んでしまうかもしれない。」父は、そう覚悟します。

この唄は、父の、末息子への別れの唄です。

Londonderry Air  

Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the flowers are dying
'tis you, 'tis you must go and I must bide.

But come ye home when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, oh Danny boy, I love you so.

And if you come when all the flowers are dying
And I am dead as dead I well may be
You'll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me.

And I shall hear tho' softly tread above me
And all my dreams will warm and sweeter be
If you'll not fail to tell me that you love me
I'll simply sleep in peace until you come to me.

ダニーボーイ (訳:山田リオ)

おお、ダニー、笛の音は谷から谷へ
山肌を渡っておまえを呼ぶ
夏は去り、すべての花が死んでゆくとき
おまえは行かねばならず、わたしは一人残される

でも、帰っておいで、草地に夏が来るころか
谷間が静まりかえって、雪で白くなるころ
日差しの中で、影の中で、わたしは待っているから
おお、ダニー、おまえを愛しているよ

もしおまえが、すべての花が死ぬ頃に帰ってくるなら
そしてわたしが、もう死んでしまっていたとしても
おまえは、わたしが眠る場所を見つけるだろう
そしてひざまずき、祈りの言葉を言ってくれる

わたしは、わたしの上に、おまえのやわらかな足音を聞くだろう
そしてわたしの見るすべての夢はあたたかく、甘い
もしも、おまえが「愛している」と言ってくれるなら
わたしはただ安らかに、お前が来るまで待っているよ

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2012年4月9日月曜日

ライフログ


ライフログが話題になっているそうだ。

携帯電話やタブレットを使って、個人の生活や行動を、長期にわたって、詳細に記録する、それがライフログだそうだ。

しかし、取捨選択無しで、すべての行動が残ってしまうのは、困るという人も多いと思う。
職業上の機密ということもある。
どこに行って何をした、すべが記録されてしまう。
競馬場へ行った。でも負けた額は記録したくない、思い出したくない、ということもあるだろう。
レストランで食事、でも誰と食事したかは明らかにしたくない、ということもある。
メールなどの内容も、すべて記録されてしまうのか。
収入や出費、電話での会話は?考えるときりがない。

都合の悪いところは、あえて記載しないのが日記の良さだったのではないかと思うが、
ライフログの世界では、違うらしい。
ライフログは、主観を交えないものなのか。

それを突き詰めていくと、一人の人間の「生涯ドキュメンタリー映画」のようなものになってしまうのではないか。
それは、1985年の映画「ブラジル」に描かれた未来社会、コンピューターによってすべての人間が監視される社会を思わせる。あの映画は、ある意味、衝撃的だった。
でもたしかに、あの映画の世界は、わたしたちの現代の生活に重なりつつある。
テリー・ギリアムは、先見の明があったということか。

ライフログで思うのは、英国のローレンス・スターン作、
"The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman"
「紳士トリストラム・シャンディーの生活と意見」という小説だ。

これは夏目漱石の「我輩は猫である」に影響を与えたとされる小説で、1700年代に書かれた 。
ほぼモーツアルトが生きた時代とおなじだ。
当然のことながら、おそろしく長い。全九巻。読破するのは大変だ。
モーツアルトの時代にも、ライフログをやっていた人がいたわけだ。

ところで、1889年に書かれた
"Three Men in a Boat(To Say Nothing of the Dog)"
「ボート中の三人男(犬については、あえて言わない)」
という、こちらも英国の小説だが、このほうが登場人物も、雰囲気も「猫」に近いと思われる。
犬が登場している点も、興味深い。
漱石は、この小説を読んだはずだ。

ちなみに「猫」のほうは1905年に発表された。
「ボートの中の」はずいぶん昔に読んだが、「猫」には遠く及ばないと思った。
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2012年4月7日土曜日

遠方より来たる



クイーン・メリー号です。
1934年に作られた英国の豪華客船。
かのウインザー公爵夫妻も御用達。

遠くの友人夫妻がお見舞いに来てくれて、
今日はこのクイーン・メリー見物です。
普段なら、まずやらない観光です。
現在は港に停泊したまま、
ホテルとして利用されています。
だれでも泊まることができ、
たくさんあるレストランも、宿泊も、
値段は普通です。

船内は1930年代そのままに保存され、
レストランも客室も信じられない豪華さ。

現在は殆ど手に入らない、
希少な鳥目の楓材が、
ふんだんに使われています。
ほかにも、マホガニー材、
チーク材の廊下の質感をご覧ください。

手すりや柱など、眼に触れない場所にも
当時の彫金や打ち出しの技術を
そこらじゅうで見ることができます。

船内は、ほとんどすべて公開されています。

お見舞いに来てくれた友人夫妻は現在南フランスに住んでいて、
オーベルジュ(泊まれるレストラン)を経営したり、現在、ワインの本を書いていたり、ほかにもいろいろと忙しいのに、わざわざ、ぼくと飲んだり食べたり遊んだりするためだけにカリフォル二アまで来て、また数日で帰るので、まったく申し訳ないことですが、こっちは楽しいのです。

奥さんはイギリスの人で、人生のおおきな部分を中国、台湾、インドシナに住んで働いていたので、と言いいますか、彼女は、つまり「冒険家」なのです。
でも、戦場カメラマンじゃないから、それを仕事にしてるわけじゃないし、本もまだ書いていない。もちろん、写真集も出していません。

ワインを飲みながら、カンボジアの恐ろしく辛い鶏の料理をたべながら、動乱のプノンペンで危ない橋を渡った話をしてくれるときも、本人は涼しい顔です。

それから、彼女は、ネイティヴなみのマンダリン(北京官語)を話すので、いっしょに中華料理を食べに行くと、中国の人たちが驚く顔を見られるのも、毎回楽しみです。

今回、二人と食べた料理は、今日までで、台湾、ペルシャ(イラン)、そしカンボジアなどです。
カンボジア料理というのは生まれて始めて食べましたが、驚きの味でした。

ペルシャ料理は、シルクロードのフランス料理と言う感じの上品な味わいです。
中でも好きなのは、鶏肉を、胡桃とザクロの実で煮込んだ料理。メソポタミアの味(笑)。
世界には、いろいろな味や料理がありますが、そういった分類には入れられない、
と言うか、ユニークで、魅力的な味です。

この二人の友人のことは、またいずれ、ゆっくり書きたいと思っています。
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2012年3月30日金曜日

片思い

13cmX29cm

            山田リオCopyright©2012RioYamada
 
別れは、いつか、やってくる
たとえ残されたものが
人間ではなかった場合も
鳥は鳥、獣は獣なりに
それぞれの感情を抱いて
自分の生涯を生きてゆく

しかし、相手が物であった場合には
そのへんの事情は、ちがってくる
つまり、持ち主が死ねば
物は、残されるわけだから
かってに歩いたり飛んだりして
どこかに行くこともできない

さて、この大きな、重い、青いタイルは
ずっと昔に、ある田舎町で偶然に出会い
生活を共にすることになった
見れば見るほど、得体が知れない
ある意味、不気味でさえあるのだが
いつも気がつけば傍らにあった

他の人にとって、このタイルは
ゴミに見えるかもしれない
ぼくが逝ったあとで、だれが手にするにせよ
この、金銭的には無価値な瀬戸物に
ぼくのような馬鹿げた愛着を持つ人は
おそらく、いないだろう

こういうわだかまりは
なにかを、または誰かを
愛してしまった者の宿命なのだが
人はだれも、旅立つときには
その大切な人や、物を、残して行くしかない

滑稽なことに、物には思いはないのだから
人がいくら物を愛しても、別れを惜しんでも
それはいつでも、人の片思いに終わる
人の勝手な思いなんか、物の知ったことではない。

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2012年3月24日土曜日

蟲のように


                       山田リオ

 手術のまえに 医師から言われたことは
術後の平均生存年数が十年だ ということだった
それを聞いたときに思ったのは
十年の間 なにをすればいいのか ということだった

あれから三年半たった 今
計算上 あと六年半の命のはずが
昨日 検査があって そのあとで 医師が言った
感染症もなく ほかに何の問題もない こういうケースは希であって
これなら 十年以上生きられる ということ
それどころか 医療技術の進歩を考えれば
十五年か それ以上 生きられるかも知れない

十五年か
十五年 なにをすればいいのか
というふうには もう 考えなかった

ただ生きればよいのだ と思った
鳥のように 獣のように 魚のように
蟲のように でも 蟲よりも ずっとずっと永い間
ただ 生きればよいのだと
ぼくは そう思った

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2012年3月21日水曜日

茨木のり子 再録

■2006/09/14 (木) 自分の感受性くらい
 「自分の感受性くらい」  茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

2012年3月16日金曜日

おかえり。




今日、仲良しのリスが帰って来ました。ほぼ三ヶ月ぶりの訪問です。

猫かカラスにやられたと思っていたので、驚くやら、嬉しいやら。

他のリスは来ていたのですが、うちの彼女とちがって、肩に登ったり、家の中まで入って来たりしないので、すぐに別のリスだとわかりました。だからアーモンドもあげなかった。

久しぶりの彼女は、おなかのあたりがだいぶ痩せているので、冬眠していたようです。

いつものように、入り口で正座のご挨拶のあと、
アーモンドを8個、一気に食べました。

今日は、お祝いです。

2011年、12月2日にも、リスさんの記事があります。 
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2012年3月13日火曜日

途中


 
ジェレミー・アイアンズ曰く、
「わたしは努力を信じない。もしそれが困難なら、やめておく。そして、それがそっちから自分のほうにやって来るまで待つ。
それがいつか、自然に起こるまで、待っていればいい。」 

待っていたら、けっして来ず、忘れていたらやって来る、ということもあるけれど。
じゃ、待たないほうがいいのか。 

わたしの場合、何一つ、「やりとげたこと」
がない。
「この道ひとすじ」の正反対だ。
「この道ひとすじ」の職人さんは尊敬するけれど。
自分は、なにをやっても、中途半端。
今でも、すべてにおいて、三歳児だ。
大目に見ても、せいぜい中身は、幼稚園。
発展しない、ずっと永遠に途中、っていうのもある。

手を動かして、身体を使ってなにかいろいろ作っていれば、
生きてさえいれば、なにかしら、可能性はあるのではないか。
たとえそれが、毛虫やミミズの一歩分の成長だったとしても。

何歳になっても、途上、いや途中か。それがいい。
ずっとそうやって、毛虫のように、動いて、
そして笑っていられたらいいと思う。 
でも、たぶん、毛虫は、笑わないと思う。


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2012年3月3日土曜日


遠くの山には雪がありませんが、これは夏に撮影したからで
今は白く雪がつもっています。

昨日の夜で、仕事が一段落しました
ほとんどの場合、仕事をくれるのは初対面の人で
なぜか、ぼくを信じて、仕事をまかせてくれるわけで
リスクも伴うのに、ありがいことです
多くの場合、数日、または数ヶ月、いっしょに働いて
またさよならを言って、別れるわけですが
そのときに、あのひとたちはぼくのなかに、いつも
おおきな勇気を置いていってくれます
感謝です

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2012年2月29日水曜日

ぽっかり


めずらしくこの二週間ほど仕事の日がつづいて、
今朝はやっと朝寝しました
今日だけ、ぽっかり何もない日の贅沢

日曜は、ほんとの砂漠の真ん中の、
なにもない所で、一日、居ました

昨日は朝の6時から仕事で、
終わったのが午前3時だったので、
家に帰って、まずお風呂であったまったら、
さすがに足がむくんでいたので、
足裏マッサージをしてから寝ました

で、さっき起きて、うんと遅い朝ごはん。

風が変わったという感じはありますが、
どっちに変わるのか、それは考えないようにしています
考えると、「こうなって欲しい」と願うから。
先のことを考えないでいれば、人は苦しくないです

写真はトロフィエというパスタです
手作りのパスタということですが、見た目は、どう見たって、いもむし。
中は からっぽではなくて、芯まで粉でありまする
なのでー、じんわりとした歯ごたえがあって、おいしい。
これは、オマール海老のソースで食べましたが


でもしかし、なんといっても、この青豆。
この青豆が絶妙の半生、といいますか、
アルデンテに料理してあって、まだ生きていますから
それを歯で噛むすときに感じる
すこしだけ硬い抵抗感が、もうたまらんのです

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2012年2月22日水曜日

鍋貼



近所で一番気に入っている鍋貼。(焼き餃子)
なぜかどこも油っこいんだよね。
ここのは、ぜんぜん油を感じさせない。
カリカリ、軽い、さっぱり。
そして中には肉汁がいっぱい。








この店は、台湾から来た夫婦でやってる。
これは葱油餅。これもカリッとして、
焼けた葱の香りが、もーたまらん。
これを食べたくなって、またこの店に来てしまう。








これまた珠玉の蒸し餃子。
中は野菜。でもなぜかトロトロ。クリーミー。
中国人のお客さんは、かならずこれを食べる。

とゆーわけで、
今日もまた、粉物でしたw。

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2012年2月21日火曜日

ダウントン二年目が終わった


ダウントン・アビーのシーズン2が終わった。
疾風怒濤。諸行無常。

ドラマ開始一年目の冒頭の第一話を飾った、
料理見習いのデイジー(Daisy)、初々しかった少女。
働く女子中学生、という感じだった彼女の人生も、
ある重い、圧倒的な出来事で、大きく変わった。
ドラマの上では三年の歳月が流れ、
実際には一年の間にデイジーはやや太って、
落ち着いた大人の女になってきた。

二十台の若々しい青年だった召使のウイリアムス(Williams, the footman)も、すっかり中年太りした。三年でおじさんになった。
彼もまた、他人の知らない物語を抱いて生きる。

そして、料理長の太ったおばさん、パトモア夫人(Mrs.Patmore)がいい。
少しずつ、この人の心の中が見えてくる。
ほんとうはどういう人なのか、という発見がある。

登場人物は、すでに30人を超え、
その一人一人、それぞれの過去と現在と未来が、
幸福が、不幸が、願望が、不安が、愛が、憎しみが、善意が、悪意が、
けっして「群像」としてではなく、
一人一人、一つ一つ、丁寧に照明をあてられ、
あぶりだされて行く。
これは、「お殿様を中心に、みんなが集まり、結束し」、
というようなドラマではない。

つまらない人生、などというものは存在しない。
すべての人が、それぞれの物語を持っている。
それが作者ジュリアン・フェロウズの信じていることであり、
それがこのドラマの類を見ない魅力であり、
既存の映画やテレビドラマとは大きく異なる点だ。

シーズン3を見るまでは、死ねないぞ。
じゃ、シーズン4は、5はどうなんだ?(笑)  山田
 
「ダウントン・アビー」についての記事は、今のところ全部で六つです。ブログ右側の「ラベル」の「ダウントン・アビー」をクリックすると、全部一度に読めます。


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2012年2月19日日曜日

朝市

日曜の朝市。トマトいろいろ。手前はシラントロ

エルサルバドルのお好み焼き、ププサ。チーズ入り
こっちはメキシコ。エンチラーダ。粉物大会です
ヴェトナム人のクレープ屋。かなり本格

2012年2月7日火曜日

オリーヴの空


雲を見れば、夏のよう。
日差しも強くなってきた。
オリーヴの木は、ますます元気。

子供のころ、くりかえし読んだ、ルイジ・カプアーナ作「シチリアの少年」(岩波少年文庫)のなかに、オリーヴの枝で羊の肉を焼く場面があった。おいしそうだったので、今でも憶えている。

日曜は、ロシアのボリショイ劇場から中継が、映画館の大画面で見られるので、行った。
これは、ヨーロッパやロシアの劇場からバレーやオペラの公演を中継し、それを大画面で見ることができる。
日本でもやっているのかな?

今回はボリショイ・バレーの「コッペリア」だった。
もう、このバレー団がなくなれば失われてしまう、19世紀のロシアの演出を、現代の、ロシアのダンサーたちが踊った。
見られて、ほんとうに幸運だった。

コッペリアはロボットが出てくるバレーだ。
そう言えば、オペラの「ホフマン物語」も、ロボットが登場する。
19世紀のフランスでは、女性型のロボットが人気だったのだな。
どちらも、出てくるロボットは、今の「アシモ」より美しい。
でも、最近よくテレビで見る、大阪大学の石黒教授の女性型アンドロイドもいいね。




2012年2月3日金曜日

早春賦  2012




          吉丸 一昌(1873-1916) 


春は名のみの、風の寒さや
谷の鶯、歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷溶け去り、葦は角ぐむ
「さては時ぞ」と 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば、知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの このごろか。

急かるる=せかるる)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
あのころ、ニューヨークの冬は厳しかった。
路上駐車した車のドアが凍って、開けられなくなった。
お湯をかけて溶かしたことがある。
河も結氷した。上流から、氷が流れてくる。

テレビを見ていると、日本が、どうもそういう風になっているらしい。
そんなわけで、早春賦を掲載しました。 

2012年1月19日木曜日

雪中庵龍雨、久保田万太郎 再録

 
■2007/12/03 (月) 
雪中庵十二世、益田龍雨

とんだ勘違いをしていたことに気が付きました。
万太郎の一中節を掲載して、その流れで俳句も、と思って俳本を見ていたら、

「繭玉の霞むと見えて雪催い」
(まゆだまのかすむとみえてゆきもよい)

とあって、「雪中庵十二世、益田龍雨」、とありました。
万太郎と思いこんでいた好きな句は、実は、龍雨の作でありました。
実に申し訳ないことをしてしまいました。合掌。

龍雨を検索しても、ほとんど出てきませんね。
龍雨で思い出すのは、寄席の句です。
落語家のみなさん、なんとかなりませんか?
マスコミが無視するものは、自動的にこの世から消え去ってしまう、というのであれば、ネットが存在する意味がなくなります。
江戸最後の俳人、龍雨が忘れ去られてしまうのは、あまりにも悲しいことです。
かく言うわたくしも、龍雨を忘れかけていた一人ですが。

龍雨、万太郎の句を併せて掲載します。    山田

***********************************************

講釈場すくなくなりし袷(あわせ)かな     

叉一つ寄席なくなりし夜寒かな

一生を前座で通す夜長かな

 さびしさや師走の町の道化者

死ぬことも考へてゐる日向ぼこ

春の灯や立花亭の雪の傘

繭玉(まゆだま)の霞むと見えて雪催い(ゆきもよい)  益田龍雨

****************************************************

短夜(みじかよ)のあけゆく水の匂いかな

神田川祭りの中をながれけり

枯野はも縁の下までつづきおり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな

雪掻いている音ありしねざめかな

ほとほととくれゆく雪の夕(ゆうべ)かな

まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

まゆ玉にさめてふたたび眠りけり

死んでゆくものうらやまし冬ごもり

春の雪待てど格子のあかずけり   (二月二十日、長男耕一、死去)

何か世のはかなき夏のひかりかな       久保田万太郎

*****************************
 2007年11,12月
■2007/11/29 (木) 雪まろげ 「雪まろげ」
一中節、久保田万太郎

水仙の 香もこそ師走 煤はらふ
ことぶき さても あけぼのの
空にのこれる 雲の凍(い)て

かくれ住み 門(かど)さしこめし 老いの身の
見まじ 聞くまじ 語るまじ
心ひとつに 誓へども
葦の枯葉を 渡る風
こぎゆく舟に 立つ波や
日かげ やうやく薄れきて
またもや 雪となりにけり 

数ならぬ 身とな思ひそ 亡き人よ いま亡き人よ
おもかげは 君 火をたけ よきもの見せむ 雪まろげ
よきもの見せむ 雪まろげ

【注:「君火をたけよきものみせむ雪まろげ」は芭蕉の句です。
「雪まろげ」とは、雪を丸める子供の遊びで、
万太郎の「雪まろげ」は言うまでもなく、芭蕉を題材にした一中節ですが、
この詩には、晩年の万太郎を残して逝った最愛の女性に語りかける万太郎がいます。】

ところで、2011年以前の詩日記は、ブログアーカイヴ「2011年5月」のページに保存してあります。

2012年1月12日木曜日

「Aの地下鉄」


「Aの地下鉄で行こう」 ビリー・ストレイホーン 
Take the A train        Billy Strayhorn(1915-1967)
                 訳:山田リオ


Aの地下鉄に乗ればいい
ずっと上の方、ハーレムのシュガーヒルに行くならね
もし、乗り遅れたら
ハーレムに行く最速の電車をのがしたわけだ

さあ、来たぞ、急いで乗ろう
レールのうなりが聞こえるだろう
Aの地下鉄に乗ったら
すぐ、ハーレムのシュガーヒルだ

ハーレムだ、坊や
次の駅がハーレムだ
さあ、乗ろう
Aの地下鉄で行こう 



****************************************************

「A列車で行こう」という題名に、ずっと前からひっかかっていた。「違うなあ。列車、じゃないなあ。」という思いだった。あの頃、と言うか、人生のかなりの部分、時間にすれば一生の約33%、ニューヨークの地下鉄、Aラインの沿線に住んでいたからだ。

Aラインの快速地下鉄は、はるか遠く、南東のロッカウェイをスタートすると、 ブルックリン、クイーンズを通ってずいぶん走って、いいかげん疲れた頃、やっとマンハッタンに入る。快速だから、止まらない駅もある。

マンハッタンの南端、ウオール街を抜けたら、すぐチャイナタウン、それから、マンハッタン島の西側を、ずっとハドソン川に沿って北上する。ユニオンスクエア、鉄道のペンシルヴァニア駅から長距離バスのポート・オーソリティー・バス・ターミナルを過ぎたら、すぐにタイムズスクエアのブロードウエイ劇場街。

カーネギー・ホール、そしてリンカーンセンター、ジュリアード音楽院を過ぎれば、すぐにコロンビア大学、そしてハーレムだ。ジョージ・ワシントン橋を過ぎたと思ったら、ブロンクスの一歩手前で止まる。そこが207丁目の終点。

だからどうしたって?いや、なつかしいだけですよ。    山田

蛇の足ですが。
Harlem、ハーレムはオランダ語で、その昔、ニューヨークに移り住んだオランダ移民が作った町です。女性を集めておく部屋とは無関係です。
一方、HAREM、ハレムは、イスラムのサルタンに属する女性の部屋という意で、日本では、しばしば混同して「ハーレム」と間違って言われることがあります。






2012年1月8日日曜日

風の朝

 

今朝、起きたら風が強かった

背の高い椰子の木が弓なりになっている

このところ、朝晩は冷え込むので

義母が何本も送ってくれた手ぬぐいを首に巻いた

冷暖房は好きではないので

夜、眠るときも首には手ぬぐい

そして頭にも手ぬぐいを姉さんかぶりに巻く
                                  (あねさん)

タオルやガーゼは気にいらない

そこはやはり、日本手ぬぐいがさらっとして

しかも暖かく、いちばん肌に合うのです。

 

2012年1月6日金曜日

雨の頃の物語

雨の頃の物語            
         小柳玲子 (1935~2022)
ねえ、きみ
その実、僕に見えているものは殆んどない
きみの永遠などについてはなおのことだ
僕が見たのは
僅かな街の、夕暮れの
と、ある角を曲がって来た
男の、たとえば貧しい帽子
そのうしろにひろがっていく
海のようなもの
ごくとりとめのないもの
 
見えていない。
地鳴りより深いものは聴けない
僕を、僕は恥じている
僕の猫背の恥の姿勢は
くだもの屋の横で
傘をひろげる
傘が落すわずかな世界の
その仮の安らぎの中に
くるまって 歩く
そこ以外、辿りつく
国はない、と言ったように
ちヾこまって。
 
降りしきる雨の果に
僕の国はみえない
きみの火のような言葉に
きみのこゝろを聴かない
きみはどこにいますか
僕が一心になって
深い雨の裡に佇つと
きみはいちまいのレインコオトだ
雨よりもけぶっている
それから僕は雨のような、
きみのような、声をきく
「遠いところ!」
僕は傘をひろげていた
僕には見えない
遠いところについて
僕の恥の起源について
考えていた
僕の仮の国の中の
水たまりのようなもの
帽子のようなもの
ごくとりとめのないものをよぎって歩いた
 
これが雨の頃の
かなり正確な僕の物語だと
そう思ってくれ給え
きみ。
 
 
 「小さい男」    小柳玲子


  朝 名前もつけられない小さな男が一ぴき 私の歯の中から冬の中

  に出ていった。彼は歯科医のうがい台の中 その細い管の奥へまぎ

  れてしまったので 私はわざわざ呼びとめなかった。その後男をみ

  かけないので この小さい男の物語は終りになった。「顔はどうだ

  ったか」と友達はきくが――顔があったかどうか思い出せない。そ

  れに思い出しても一向に役に立たないことを思い出すのは何とも苛

  苛するではないか。

  もっともある夕方 枕もとの水薬の中 あのうす青いビンの底に

  あの男がいた「私でしょうが いつかの男は」と彼は自分の鼻を指

  しながら言った。だけど私は高熱のため脂汗をしぼって呻いていた

  ので思わず「バカバカ」と怒鳴ってしまった。おまけに「あんな男

  の話は嘘にきまってるだろ」なんて本音を吐いてしまったのだ。



「見えている部分・いちにち」     小柳玲子

   めまいに似た夏の朝
   ペチュニアの真紅を植える
   街は急に白いビルが多くなり
   従妹たちはよく笑う
   ホテルのプールは花みたい……
   ね? などとはしゃぎあう
   角の雑貨屋ばかりが
   どうしてだか私には鮮明に見える
   店先に忠雄伯父がよく呉れた
   デンキ花火が出ている
   夜更けて伯父は西の街へ還ったものだ
   戦争があって、さらに遠く
   永劫の方へ還っていった。
   「マシュマロ、買おう」
   「あら、ボンボンの方がいヽ」
   地下街の仏蘭西菓子店で
   従妹たちの
   匂うような、レースのような
   おしゃべりをきいている

   雲が湧き
   傾斜はくらいと思う
   喉の奥の深い傾斜のことだ
   焼けてしまった、あの二階家が
   そんな深さに未だ在って
   乏しい灯が入ると
   兄やわたしや
   かぼちゃの皿を囲んだ。
   夕食だった。

   テレビが海水浴のニュースを始める
   みがいたキッチンに佇つと
   こんな無益な孤りの果に
   単純な夜が落ちてくるのが
   不思議だ、と
   夏の、さびしい魚たちを
   鍋に入れる