ジェレミー・アイアンズ曰く、
「わたしは努力を信じない。もしそれが困難なら、やめておく。そして、それがそっちから自分のほうにやって来るまで待つ。
それがいつか、自然に起こるまで、待っていればいい。」
待っていたら、けっして来ず、忘れていたらやって来る、ということもあるけれど。
じゃ、待たないほうがいいのか。
待っていたら、けっして来ず、忘れていたらやって来る、ということもあるけれど。
じゃ、待たないほうがいいのか。
わたしの場合、何一つ、「やりとげたこと」
がない。
「この道ひとすじ」の正反対だ。
「この道ひとすじ」の職人さんは尊敬するけれど。
自分は、なにをやっても、中途半端。
今でも、すべてにおいて、三歳児だ。
大目に見ても、せいぜい中身は、幼稚園。
発展しない、ずっと永遠に途中、っていうのもある。
手を動かして、身体を使ってなにかいろいろ作っていれば、
生きてさえいれば、なにかしら、可能性はあるのではないか。
たとえそれが、毛虫やミミズの一歩分の成長だったとしても。
何歳になっても、途上、いや途中か。それがいい。
ずっとそうやって、毛虫のように、動いて、
そして笑っていられたらいいと思う。
でも、たぶん、毛虫は、笑わないと思う。
でも、たぶん、毛虫は、笑わないと思う。
(All rights reserved 、2012 Rio Yamada
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