2017年5月2日火曜日

あめつちに


あめつちにわれひとりゐてたつごとき
        このさびしさをきみはほほゑむ 

                 (救世観音を見て、会津八一)

2017年4月28日金曜日

あの本


                 山田リオCopyright©2017RioYamada

ずいぶん昔のことだ。

海外旅行中に、飛行機で日本人の男性と乗り合わせた。
永旅で、自然に、会話が始まった。
その方は当時でもご高齢で、わたしはひどく若かったし、かなりの年齢差があった。
今となっては、何を話し合ったのか、まったく憶えていない。
眠ったり、食事を摂ったり、切れ切れにいろいろと話し合ったのだろう。
あの方がどういう職業だったのかも、わからない。

目的地に着き、別れるときに、その男性に一冊の古い本を手渡された。
かなり厚みのある本で、そのとき、見返しにその方のお名前を書いておいた。
その後、落ち着いてから、あのときにいただいたあの本を最初から最後まで読んだ。
小説などではない、学術的な、また随想のような内容で、哲学的でもあった。
著者は、聞いたこともない人だった。
当時の自分には難解だったと思うが、とにかく通読した。
それから永い間、その本を開くことはなかった。
何度も引っ越しを繰り返して、でもその本は手元に残った。

だいぶ大人になってから、引越しの梱包をしているとき
「あのときの本」を見つけ、開いてみた。
それから、だんだんに読むようになった。
寝る前に、偶然開いたページを、少しだけ読む。
そうやって読んで行き、何度も、繰り返し、繰り返し読むようになった。
なにか惹かれるものがある。心に響くところがある。
読めば、なにか安心する。慰められる。救われることもあるし、叱られることもある。
だからたぶん、深夜にちょっとだけ読む、ということになったのだろう。

今ではすっかりぼろぼろになって、あちこちテープで止めたりして、まだ読んでいる。
今わかることは、この本は、自分にとっての薬で、導きだ、ということだ。
あのとき、この本を下さったS氏は、そうなることを見越しておられたのだろうか。
おそらく、もうとっくに亡くなられただろう、あのS氏とこの本が、自分の人生を変えてくれた。
S氏と、この本の著者への感謝を、できることなら伝えたい。 Copyright©2017RioYamada

2017年4月21日金曜日

芭蕉、春


雪間より薄紫の芽独活哉
 

山路来て何やらゆかし菫草
 

さまざまのこと思ひ出す桜かな
 

西行の庵もあらん花の庭
 

命二つの中に生きたる桜かな
 

前髪もまだ若艸の匂ひかな
 

何の木の花とはしらず匂かな
 

草も木も離れ切つたるひばりかな
 

春なれや名もなき山の朝霞
 

月花もなくて酒のむ独り哉

                      松尾 芭蕉(1644 - 1694)

2017年4月14日金曜日

過去





過去は
あなたが置いたと思った場所には
けっして ない。

           キャサリン・アン・ポーター(1890-1980)


2017年4月8日土曜日


明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは 

                                  親鸞
rio yamada photo


2017年4月3日月曜日

与謝野晶子 ①


なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

舞姫のかりね姿ようつくしき朝京くだる春の川舟

よそほひし京の子すゑて絹のべて絵の具とく夜を春の雨ふる

清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき  

いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春

こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露

鳥辺野は御親の御墓あるところ清水坂に歌はなかりき

夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ

京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき

なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇

詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に

くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき

                               与謝野 晶子(1878-1942)

2017年3月30日木曜日

こよいあふひとみなうつくしき



野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな
                                                    
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ

吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ

ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ

                                                               西行法師

行かむ人來む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花

                                                               大伴家持

いそのかみ古き都を來て見れば昔かざしし花咲きにけり

春霞たなびく山の桜花 うつろはむとや色かはりゆく 

                                                              詠み人知らず

清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき                     
                      
                                       与謝野晶子

わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ

かすかなる風ある空かさくらばな雪片のごともしばし宙舞ふ

しんしんと頭の底にも陽は差してそこも桜の無惨の白さ

花朽ちて沈みてゆきし野の井戸の無明無の水深想ふ

                                    河野裕子  

2017年3月29日水曜日

花冷え

 花冷えの雨のひときは濡らすもの 

花冷えの閉めてしんかんたる障子 

花冷えのみつばのかくしわさびかな

花冷えのうつだけの手はうちにけり

花冷えのうどとくわゐの煮ものかな
 
                  万太郎

やすらへば手の冷たさや花の中
                  岡本松浜

命二つの中に生きたる桜かな

さまざまのこと思い出す桜かな
                  芭蕉


 

2017年3月26日日曜日

今日から春

今日から春。
なぜかというと、冬の間、姿が見えなかった
アダンソンハエトリグモが、
今朝、無事に、再登場したから。
場所はキッチン。暖かいところを選んで、ということか。
去年と同一個体かどうかは、不明。
あるいは、ぼくの友達のアダンソン君の子孫かも。
なにはともあれ、よかった、よかった。

2017年3月21日火曜日

ミモザ



                    山田リオ
 

ミモザを思い出すとき、その後ろに見えるのは、マルホーランド・ドライヴだ。
ハリウッドとヴァリーを分ける低い山脈、というほどでもない、丘の上を行く尾根道、片側一車線の狭い道。
ところどころに、ちょっと車を止めて休むところがあって、そこに、かならずと言っていいほど、黄色いミモザが咲いていた。
そういえば、マルホーランド・ドライヴという映画があったな。
よく通った尾根道、南カリフォルニアの陽射し、青い空、ミモザ。
さっき、それを、一ぺんに思い出した。
すっかり忘れていたが、今朝の日差しが思い出させてくれた。

2017年3月19日日曜日


鶯の根岸の里や蜆汁

鶯の来ぬ春の日となりにけり

                正岡 子規 (1867 - 1902)

2017年3月6日月曜日

あんしん

                     山田リオCopyright©2017RioYamada
しょうがくせいのとき
くらくなってから でかけて
ちかくの いけにいった

そこは ひるま ひとりで くちぼそをつったり
アメンボが すいめんをすべるのをみたりする
おきにいりの すきなばしょだった

このひは よるになってから いけにいった
いけのそばで しゃがんでいた
まっくらな いけのほうから カモのこえがきこえた

みんな ちいさいこえで はなしていた 
「おい」「いるか」「いる」「よし」
「ここ」「だいじょぶ」「いる」「うん」

そんなふうに みじかいことばで 
「ここ」「げんき」「いる」「うん
「ねたか」「おきてる」「うん」「だいじょぶ」

すこしだけ なにもきこえなくて で また
「おい」「なに」「だいじょぶ」「うん」「いっしょ」
「あんしん」「うん」「いっしょ」「あんしん
ちいさいこえで きれぎれに 

さむくなってきたから かえろうとおもった
たって いけをみたけど なにもみえない
くらいみちを だまって ひとり あるいた
かもは あんしん
かもは あんしん
ぼくはだまって ひとりあるいた Copyright©2017RioYamada
 

2017年2月6日月曜日

生きなさい


「生きなさい。あなたが生きる時間は短く、
あなたが死んでいる時間は、おそろしく永いから。
忘れないで!」

       スコットランドのことわざ



(本当にそうだね。比率で考えると、
自分が生きている時間は、全部合わせても、ほんの一瞬。
自分が死んでいる時間は、ほぼ無限、未来永劫だ。 やまだ)

2016年12月18日日曜日

祭りの日

                山田リオ
祭りだなあ
と 思う
生きているのは
祭りだ
つくづく そう思う
それは ときどきやってくる祭りではなくて
今日 一日だけの祭りだ

べつに 気の合った仲間たちと集まって
盛り上がる いな事ではなくて
それは 一人きりでいいんだ
ときには 二人だってかまわない
今 外で鳴いている鳥でもいいし 昆虫とだっていい
それもべつに いてもいなくても
あってもなくても いいんだ

今日
そして今 ここにこうしていること
それが祭りだと思う
それこそが祭りだ
それはまったくすごいことで
ありがたいことだ

だから 今日は祭りの日で
今はまだ 生きている
そして 今日がもうすぐ終わって
明日の朝 もしも目が覚めて
その時 ぼくがまだ呼吸しているのなら
明日 祭りの日だ
ほんとうにありがたい
めでたい 祭りの日だCopyright©2016RioYamada


2016年11月30日水曜日

平城山(ならやま)


        北見志保子(1885-1955)

ひと恋ふは かなしきものと 平城山に
もとほり来つつ 堪へがたかりき

いにしへも 夫(つま)にこひつつ 越えしとふ
平城山のみちに 涙おとしぬ

2016年11月21日月曜日

西行

今よりはいとはじ命あればこそ
かかるすまひのあはれをも知れ

あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ
来む世もかくや苦しかるべき

なにごとも変はりのみゆく世の中に 
おなじかげにてすめる月かな

秋はただ今宵一夜の名なりけり 
同じ雲居に月はすめども    *今宵一夜(こよいひとよ)

いつとなく思ひに燃ゆるわが身かな
浅間の煙しめる世もなく

なき人のかたみにたてし寺に入りて
跡ありけりと見て帰りぬる

風になびく富士の煙の空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな   *煙(けぶり)

                                       西行法師(1118-1190)

2016年11月7日月曜日

「生々流転」2007 再録

■2007/12/28 (金) 生々流転

「生々流転」      山田リオ
Copyright©2007RioYamada
 

テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ

その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。
Copyright©2007RioYamada

2016年10月28日金曜日

年老いたアジアの手

Old Asian Hand 
  

 中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ


 
年老いた アジアの手 

      マリリン・チン 山田リオ訳


年老いた アジアの手よ

わたしの ハタハタと羽ばたく

ここに 触れよ

この わたしの心臓 

わたしの 胸の蝶々

すみれ色の 椿の花

この心臓が 真夜中に 鼓動する


年老いた アジアの手よ

おまえの体の 左半分を 

今 月光が 切り取っている

あの 黄色いもの あれは 草

身もだえすることを 

学ぶことがなかった 草だ


年老いた アジアの手よ             

蒼い赤道の下に 秋の初めの 

湿った 温かな 地衣類が 見えるか?


新たな 民族離散という名の

泥炭層 その すぐ下には

透明な 冷たい水が 流れている 

copyright2005© rio yamada


2016年10月11日火曜日

八木 重吉 ②

秋のひかり

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう



窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう




ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた


草に すわる

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる

草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる



秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる

無題

ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった

                八木 重吉(1898-1927)

2016年9月20日火曜日

雨      詩:エンリケ・カディカモ(1900-1999)
          ブエノスアイレス、アルゼンチン 訳:山田リオ

夜は けだるい冷たさでいっぱいで
風が 聞きなれない 悲しい唄を運んでくる
それは まるで 夜の 切れぎれの断片
その影のなかを ゆっくり進む
そして 雨だ
雨は わたしの心臓に刺さる 棘のようだ

このあまりにも冷たい夜は
そのまま私だ 私の中の空虚だ
それをちぎって 捨てて 忘れようとしても
記憶は・・・

雨 悲しみ 一人 舗道の上に凍りついている心臓
氷の冷たさに 忘れていた傷から 雨は滴る
ただ 道に迷って
影の中をさまよう 幽霊のように
雨そのもののように

夜は けだるい冷たさでいっぱいで
道を渡るものは だれもいない
街灯に 照らされて 舗道が光る
そして 私は ただの紙くず
永遠に 一人だということを 
思い出せ

雨滴が 私の心の水たまりに 落ちる
骨に沁みる この 屈辱 苦痛
また 風がやってきて
わたしの背中を 押す・・
  Copyright©2016RioYamada 

《「雨」は、アルゼンチン・タンゴの歌詞です。

2016年9月15日木曜日

グラン・ジュテ

ニジンスキー、「薔薇の精」
「心が変われば、運命も人生も変わる」

「不幸な過去は変えられないが、未来は変えることができる」

「人が回復するのに、締め切りはありません」

「グラン・ジュテは、バレエ用語で『跳躍』という意味です。
私は、人には誰でも必ずグラン・ジュテがあると思ってます。」

「人は、いくつになっても『跳躍』して、変わることができるんだ。」

                 夏刈郁子(1954~) 

2016年9月10日土曜日

あの日 311短歌 再録  

2014年3月19日水曜日

あの日 311短歌


この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った       新妻愛美
 
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった

あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは        山崎節子
 
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし

生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月

かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ

「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声       斉藤梢


寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと      半谷八重子

差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ 

遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと       佐藤成晃 

鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから          渡邊穂 


いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる

廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか        佐藤祐偵

 ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青

ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか        三原由紀子

2016年9月8日木曜日

端唄

夕暮れ

夕暮に 眺め見渡す隅田川 月に風情を待乳山
帆上げた船が見ゆるぞえ アレ鳥が鳴く 
鳥の名も 都に名所があるわいな

有明

有明の灯す油は菜種なり 蝶が焦がれて逢いに来る
もとをただせば深い仲 死ぬる覚悟で来たわいな
気安めかだます心か知らねども 今朝の別れにしみじみと
辛抱せよとの一言が たより無き身の力草
今朝も羽織の綻びを わしに縫えとは気が知れぬ
嫌な私に縫わすより 好いたあの娘に頼まんせ

秋の夜

秋の夜は長いものとはまん丸な 月見る人の心かも
更けて待てども来ぬ人の 訪ぬるものは鐘ばかり
数うる指も寝つ起きつ わしゃ照らされているわいな

永井龍男の句

戸を立てし吾が家を見たり夕落葉

魚 の ご と 栖 ひ て 谷 戸 の 星 月 夜
   
月 島 は 宵 宮 の 雨 が 癖 と い ふ
 
格 子 木 戸 二 月 の 月 の あ る 気 配

橋多き深川に来て月の雨

谷戸谷戸に友どち住みて良夜かな

大船の横町狭し鰻食う   

建前の木遣りが呼びし初雪か

       永井龍男(1904~1990)

2016年8月25日木曜日

江戸の都都逸 ②


三千世界のからすを殺し
ぬしと朝寝がしてみたい  *ぬし(おまえ、あなた)

がつくほどつねっておくれ 
あとでのろけの種にする

明けの鐘 
ゴンと鳴るころ三日月形の
櫛が落ちてる四畳半

上を思えば限りがないと 
下むいて咲く百合の花

嫌なお方の親切よりも
好いたあんたの無理が

ひぐらしが
鳴けば来る秋わたしは今日で
三晩泣くのに来ない人

こうしてこうすりゃこうなるものと 
知りつつこうしてこうなった

道楽も

酒も博打も女もやらず 
百まで生き馬鹿がいる 

2016年8月15日月曜日

やめた

               山田リオCopyright©2016RioYamada

価値判断をするのを やめた
もう これからは 期待しない ふりかえらない

だれにも どんなものにも どんなことにも 
世界にも 期待しない
自分にも 他人にも 期待しない
人生に 期待しない 後悔もしない

だれがなんと言おうと ほめられても けなされても
なにかを 約束されても なにも約束されなくても
だれにも どこにも なにに対しても 期待しない
蜘蛛にも 蟻にも 蝶々に 期待しない
どんなものにも 期待しない
奇跡のように なにかいいことがあったら
おどろい よろこんで そして ありがたいとおもう

思い通りにならないとき がっかりしても 後悔しても 怒っても
なに変わらない ただ 悲しいだけ
だから 空の雲を見送るように だまって見送
そして そのまま 通り過ぎ

自分にたいしても 同じこと
自分 ゼニ苔やダンゴムシと 同じ
だから 自分に期待するの もう やめた Copyright©2016RioYamada

2016年8月5日金曜日

住宅顕信


ポストが口あけている雨の往来

レントゲンの早春の冷たさを抱く

点滴びんに散ってしまったわたしの桜

深夜、静かに呼吸している点滴がある

許されたシャワーが朝の虹となる

雨音にめざめてより降りつづく雨

降れば一日雨を見ている窓がある

歩きたい廊下に爽やかな夏の陽がさす

点滴と白い月とがぶらさがっている夜

「一人死亡」というデジタルの冷たい表示

秋が来たことをまず聴診器の冷たさ

        住宅顕信(すみたくけんしん)(1961-1987)