2011年5月10日火曜日

 「わたしはかえっていくであろう」

■2007/04/26 (木) Madalena

『マダレーナ』   
                     Ronaldo Monteiro de Souza(ブラジル)
          ホナウドゥ・モンテイル・ジ・スーザ 訳:山田リオ

  
マダレーナ、
わたしの胸が受け止めたものは
海だったのか、それとも、その一滴に過ぎなかったのか
わたしの涙を見れば、たしかなはずだ。
わたしたちの愛は醒めてしまったのか
太陽でさえ、心が迷えば
山のむこうに隠れてしまう。

マダレーナ、
壊れてはいない
心は、それを認めない
疑いの中にあっても
心は、月でさえ、繋ぎ止める
二人の愛は、ここにある
それが強くても、こわれやすくても。
楽しくても、悲しくても。

(お気に入りに掲載した「マダレーナ」の訳です。歌詞を読みながら音楽を聞いてみてくださいね。当然、踊りながら聞くのが正しい。。

ところで、ロナウド、ロナウジーニョというのは、日本式の読み方で、ブラジルではホナウド、ホナウジーニョに近い「喉音」で発音します。)  

(All rights reserved 、2007 Rio Yamada
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■2007/04/19 (木) 理想の惑星

『理想の惑星』
                 山田リオ
真夜中に
この小さな星があるべき姿を想像しました。
それは、この星に住む全ての人が、
たった一つの共通原語を話すことではありません。
全ての人が、同じ内容の食事を食べることでもなく
全ての人が、たった一種類の音楽を聞くことでもなく
全ての人が、同じ衣服を着、同じカバンや時計を持ち
同じスーパーで買い物をすることでもありません。
この星に住む全ての人が、
同一の神や価値基準を信じることでもありません。

この星があるべき姿は
この星に無数にあるすべての村、町、部落、
たった数人しか住まないベルベル人のテントや
聞いたこともない少数民族の、それぞれの村落
そして、それぞれの土地に固有な四季、気候、風土
それぞれのグループが大切にする無数の異なった文化
それぞれの、独自の、無数の言語、音楽、食べ物、衣服、習慣、宗教
そして無数にある伝統的な行事やしきたり、
それぞれのグループに伝わる、無数の「祭り」
それぞれが信じる、全ての神、オニ、ブッダ、菩薩
精霊、魔物、トロール、ザシキワラシ、ありとあらゆるもの
それらを、すべての人が互いに尊重しあい、認めあい、楽しみ
お互いの違いを喜びあい、尊敬しあい、愛しあって
共存していくことができることが
この星があるべき姿なのです

もしそれが出来ない、と言うのなら
おそらくこの惑星に生まれ、生きている、わたしたち人間は
お互いの違いを憎しみあい、殺しあって
その数を急速に減らしていくことでしょう
そして
この惑星の将来は、自ずと
まっすぐに生きる、口数の少ない、素朴な生き物
たとえば、昆虫たちに託されることになるはずです。
あの昆虫たちなら、きっとこの美しい惑星を
私たちがやってくる以前の
平和な状態に戻してくれるはずです。
あの、昆虫たちになら
太陽が燃え尽きる、その日まで
この惑星を
安心して任せられるというものです。

(All rights reserved 、2007 Rio Yamada
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■2007/04/08 (日) わたしは帰って行くであろう

『わたしは帰って行くであろう』
                   山田リオ

ずっと昔に読んだ詩、それは
「わたしは帰って行くであろう」で始まる
あとは、おぼえていない
「イブキトラノオに蜂が群れている樅の林に」*  
そういう部分もあったような気がする
誰が書いたのかも、わからない

「わたしは帰っていくであろう」
そう言えるだけの思いは、わたしにもある
ただ、そんなふうに帰って行くことができるのは
わたしが、死んだあとのような気がする

くり返し夢に見る
さまざまな、日本の自然の断片は
めぐりゆく季節のこと
それから、水や水蒸気にかかわること
さまざまな雨の形態、小雨、霧雨、夕立
霧、霞、あられ、みぞれ、雹、雪、吹雪 **
朝の林に漂う水分、水蒸気、湿気

砂漠に住んでいると
空気の中に水分が満ち満ちて
あふれているということが
奇跡の様に思われる

それだからこそ、できれば
そういう湿度があふれた林に
それも、ナラやクヌギの広葉樹林のなか
たっぷりと湿り気をおびた黒い腐葉土のなかに
わたしの身体を埋めてもらいたいと思う

そして、あたたかく湿った腐葉土のなかで
まぎれもない日本の微生物や菌類によって
静かに、ゆっくりと分解され
土に帰ってゆけるのなら、そのときはじめて
「わたしは帰ってきたのだ」と思えるだろうし
晩秋の、やわらかな細かい雨も
きっと、わたしの上にふってくれることだろう

*(樅=もみ)**(雹=ひょう)

(All rights reserved 、2007 Rio Yamada
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