2017年3月21日火曜日

ミモザ



                    山田リオ
 

ミモザを思い出すとき、その後ろに見えるのは、マルホーランド・ドライヴだ。
ハリウッドとヴァリーを分ける低い山脈、というほどでもない、丘の上を行く尾根道、片側一車線の狭い道。
ところどころに、ちょっと車を止めて休むところがあって、そこに、かならずと言っていいほど、黄色いミモザが咲いていた。
そういえば、マルホーランド・ドライヴという映画があったな。
よく通った尾根道、南カリフォルニアの陽射し、青い空、ミモザ。
さっき、それを、一ぺんに思い出した。
すっかり忘れていたが、今朝の日差しが思い出させてくれた。

2017年3月19日日曜日


鶯の根岸の里や蜆汁

鶯の来ぬ春の日となりにけり

                正岡 子規 (1867 - 1902)

2017年3月6日月曜日

あんしん

                     山田リオCopyright©2017RioYamada
しょうがくせいのとき
くらくなってから でかけて
ちかくの いけにいった

そこは ひるま ひとりで くちぼそをつったり
アメンボが すいめんをすべるのをみたりする
おきにいりの すきなばしょだった

このひは よるになってから いけにいった
いけのそばで しゃがんでいた
まっくらな いけのほうから カモのこえがきこえた

みんな ちいさいこえで はなしていた 
「おい」「いるか」「いる」「よし」
「ここ」「だいじょぶ」「いる」「うん」

そんなふうに みじかいことばで 
「ここ」「げんき」「いる」「うん
「ねたか」「おきてる」「うん」「だいじょぶ」

すこしだけ なにもきこえなくて で また
「おい」「なに」「だいじょぶ」「うん」「いっしょ」
「あんしん」「うん」「いっしょ」「あんしん
ちいさいこえで きれぎれに 

さむくなってきたから かえろうとおもった
たって いけをみたけど なにもみえない
くらいみちを だまって ひとり あるいた
かもは あんしん
かもは あんしん
ぼくはだまって ひとりあるいた Copyright©2017RioYamada
 

2017年2月6日月曜日

生きなさい


「生きなさい。あなたが生きる時間は短く、
あなたが死んでいる時間は、おそろしく永いから。
忘れないで!」

       スコットランドのことわざ



(本当にそうだね。比率で考えると、
自分が生きている時間は、全部合わせても、ほんの一瞬。
自分が死んでいる時間は、ほぼ無限、未来永劫だ。 やまだ)

2016年12月18日日曜日

祭りの日

                山田リオ
祭りだなあ
と 思う
生きているのは
祭りだ
つくづく そう思う
それは ときどきやってくる祭りではなくて
今日 一日だけの祭りだ

べつに 気の合った仲間たちと集まって
盛り上がる いな事ではなくて
それは 一人きりでいいんだ
ときには 二人だってかまわない
今 外で鳴いている鳥でもいいし 昆虫とだっていい
それもべつに いてもいなくても
あってもなくても いいんだ

今日
そして今 ここにこうしていること
それが祭りだと思う
それこそが祭りだ
それはまったくすごいことで
ありがたいことだ

だから 今日は祭りの日で
今はまだ 生きている
そして 今日がもうすぐ終わって
明日の朝 もしも目が覚めて
その時 ぼくがまだ呼吸しているのなら
明日 祭りの日だ
ほんとうにありがたい
めでたい 祭りの日だCopyright©2016RioYamada


2016年11月30日水曜日

平城山(ならやま)


        北見志保子(1885-1955)

ひと恋ふは かなしきものと 平城山に
もとほり来つつ 堪へがたかりき

いにしへも 夫(つま)にこひつつ 越えしとふ
平城山のみちに 涙おとしぬ

2016年11月21日月曜日

西行

今よりはいとはじ命あればこそ
かかるすまひのあはれをも知れ

あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ
来む世もかくや苦しかるべき

なにごとも変はりのみゆく世の中に 
おなじかげにてすめる月かな

秋はただ今宵一夜の名なりけり 
同じ雲居に月はすめども    *今宵一夜(こよいひとよ)

いつとなく思ひに燃ゆるわが身かな
浅間の煙しめる世もなく

なき人のかたみにたてし寺に入りて
跡ありけりと見て帰りぬる

風になびく富士の煙の空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな   *煙(けぶり)

                                       西行法師(1118-1190)

2016年11月7日月曜日

「生々流転」2007 再録

■2007/12/28 (金) 生々流転

「生々流転」      山田リオ
Copyright©2007RioYamada
 

テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ

その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。
Copyright©2007RioYamada

2016年10月28日金曜日

年老いたアジアの手

Old Asian Hand 
  

 中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ


 
年老いた アジアの手 

      マリリン・チン 山田リオ訳


年老いた アジアの手よ

わたしの ハタハタと羽ばたく

ここに 触れよ

この わたしの心臓 

わたしの 胸の蝶々

すみれ色の 椿の花

この心臓が 真夜中に 鼓動する


年老いた アジアの手よ

おまえの体の 左半分を 

今 月光が 切り取っている

あの 黄色いもの あれは 草

身もだえすることを 

学ぶことがなかった 草だ


年老いた アジアの手よ             

蒼い赤道の下に 秋の初めの 

湿った 温かな 地衣類が 見えるか?


新たな 民族離散という名の

泥炭層 その すぐ下には

透明な 冷たい水が 流れている 

copyright2005© rio yamada


2016年10月11日火曜日

八木 重吉 ②

秋のひかり

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう



窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう




ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた


草に すわる

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる

草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる



秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる

無題

ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった

                八木 重吉(1898-1927)

2016年9月20日火曜日

雨      詩:エンリケ・カディカモ(1900-1999)
          ブエノスアイレス、アルゼンチン 訳:山田リオ

夜は けだるい冷たさでいっぱいで
風が 聞きなれない 悲しい唄を運んでくる
それは まるで 夜の 切れぎれの断片
その影のなかを ゆっくり進む
そして 雨だ
雨は わたしの心臓に刺さる 棘のようだ

このあまりにも冷たい夜は
そのまま私だ 私の中の空虚だ
それをちぎって 捨てて 忘れようとしても
記憶は・・・

雨 悲しみ 一人 舗道の上に凍りついている心臓
氷の冷たさに 忘れていた傷から 雨は滴る
ただ 道に迷って
影の中をさまよう 幽霊のように
雨そのもののように

夜は けだるい冷たさでいっぱいで
道を渡るものは だれもいない
街灯に 照らされて 舗道が光る
そして 私は ただの紙くず
永遠に 一人だということを 
思い出せ

雨滴が 私の心の水たまりに 落ちる
骨に沁みる この 屈辱 苦痛
また 風がやってきて
わたしの背中を 押す・・
  Copyright©2016RioYamada 

《「雨」は、アルゼンチン・タンゴの歌詞です。

2016年9月15日木曜日

グラン・ジュテ

ニジンスキー、「薔薇の精」
「心が変われば、運命も人生も変わる」

「不幸な過去は変えられないが、未来は変えることができる」

「人が回復するのに、締め切りはありません」

「グラン・ジュテは、バレエ用語で『跳躍』という意味です。
私は、人には誰でも必ずグラン・ジュテがあると思ってます。」

「人は、いくつになっても『跳躍』して、変わることができるんだ。」

                 夏刈郁子(1954~) 

2016年9月10日土曜日

あの日 311短歌 再録  

2014年3月19日水曜日

あの日 311短歌


この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った       新妻愛美
 
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった

あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは        山崎節子
 
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし

生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月

かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ

「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声       斉藤梢


寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと      半谷八重子

差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ 

遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと       佐藤成晃 

鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから          渡邊穂 


いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる

廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか        佐藤祐偵

 ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青

ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか        三原由紀子

2016年9月8日木曜日

端唄

夕暮れ

夕暮に 眺め見渡す隅田川 月に風情を待乳山
帆上げた船が見ゆるぞえ アレ鳥が鳴く 
鳥の名も 都に名所があるわいな

有明

有明の灯す油は菜種なり 蝶が焦がれて逢いに来る
もとをただせば深い仲 死ぬる覚悟で来たわいな
気安めかだます心か知らねども 今朝の別れにしみじみと
辛抱せよとの一言が たより無き身の力草
今朝も羽織の綻びを わしに縫えとは気が知れぬ
嫌な私に縫わすより 好いたあの娘に頼まんせ

秋の夜

秋の夜は長いものとはまん丸な 月見る人の心かも
更けて待てども来ぬ人の 訪ぬるものは鐘ばかり
数うる指も寝つ起きつ わしゃ照らされているわいな

永井龍男の句

戸を立てし吾が家を見たり夕落葉

魚 の ご と 栖 ひ て 谷 戸 の 星 月 夜
   
月 島 は 宵 宮 の 雨 が 癖 と い ふ
 
格 子 木 戸 二 月 の 月 の あ る 気 配

橋多き深川に来て月の雨

谷戸谷戸に友どち住みて良夜かな

大船の横町狭し鰻食う   

建前の木遣りが呼びし初雪か

       永井龍男(1904~1990)

2016年8月25日木曜日

江戸の都都逸 ②


三千世界のからすを殺し
ぬしと朝寝がしてみたい  *ぬし(おまえ、あなた)

がつくほどつねっておくれ 
あとでのろけの種にする

明けの鐘 
ゴンと鳴るころ三日月形の
櫛が落ちてる四畳半

上を思えば限りがないと 
下むいて咲く百合の花

嫌なお方の親切よりも
好いたあんたの無理が

ひぐらしが
鳴けば来る秋わたしは今日で
三晩泣くのに来ない人

こうしてこうすりゃこうなるものと 
知りつつこうしてこうなった

道楽も

酒も博打も女もやらず 
百まで生き馬鹿がいる 

2016年8月15日月曜日

やめた

               山田リオCopyright©2016RioYamada

価値判断をするのを やめた
もう これからは 期待しない ふりかえらない

だれにも どんなものにも どんなことにも 
世界にも 期待しない
自分にも 他人にも 期待しない
人生に 期待しない 後悔もしない

だれがなんと言おうと ほめられても けなされても
なにかを 約束されても なにも約束されなくても
だれにも どこにも なにに対しても 期待しない
蜘蛛にも 蟻にも 蝶々に 期待しない
どんなものにも 期待しない
奇跡のように なにかいいことがあったら
おどろい よろこんで そして ありがたいとおもう

思い通りにならないとき がっかりしても 後悔しても 怒っても
なに変わらない ただ 悲しいだけ
だから 空の雲を見送るように だまって見送
そして そのまま 通り過ぎ

自分にたいしても 同じこと
自分 ゼニ苔やダンゴムシと 同じ
だから 自分に期待するの もう やめた Copyright©2016RioYamada

2016年8月5日金曜日

住宅顕信


ポストが口あけている雨の往来

レントゲンの早春の冷たさを抱く

点滴びんに散ってしまったわたしの桜

深夜、静かに呼吸している点滴がある

許されたシャワーが朝の虹となる

雨音にめざめてより降りつづく雨

降れば一日雨を見ている窓がある

歩きたい廊下に爽やかな夏の陽がさす

点滴と白い月とがぶらさがっている夜

「一人死亡」というデジタルの冷たい表示

秋が来たことをまず聴診器の冷たさ

        住宅顕信(すみたくけんしん)(1961-1987)

2016年7月28日木曜日

会話


買ったときには気がつかなかったのだが、
エアコンが「話しかけてくる」のだ。

お正月の元日には「明けましておめでとうございます」、と言う。
「暑くなりましたね」などと、余計なことも言う。
違和感を感じながらも、無視してきた。

しかし、最近、自分も無意識に「返答」するようになってきたことに気がついた。

「おはようございます」と言えば、自分も「はい、おはよう。」などと答えている。
我ながら驚く。
まったく迷惑で、不愉快なことだが、むりに黙らせることは、あえてしない。
困ったことだ・・・
           山田
 
 

2016年7月18日月曜日

谷崎潤一郎


庭先の石のはさまに蜥蜴の尾みえかくれして山梔の咲く    蜥蜴(とかげ)山梔(くちなし)

いしだんを数へて登る乙女子の袖にちり来る山ざくらかな   
乙女子(おとめご)
 

柿の実の熟れたる汁にぬれそぼつ指の先より冬は来にけり

しめやかに団欒しをればさやさやと障子にあたる薄雪のおと  団欒(まどゐ)

                                谷崎潤一郎(1886年-1965)

2016年7月1日金曜日

河合先生の本のなかに、
アメリカ先住民、ナヴァホ族の神話のはなし
人間に知恵を授ける存在として、フクロウのことがあった。

アイヌ神謡集で、フクロウは「神」として登場している。
梟神、「カムイカップ」、とある。
いろいろな鳥、獣が登場する中で、梟だけが「フクロウ神」。
「銀のしずく降る降る・・」という、あれだ。

                            やまだ

2016年6月24日金曜日

いぬのおまわりさん


               さとうよしみ作詞・大中恩作曲

まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは どこですか
おうちをきいても わからない
なまえをきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン

まいごのまいごの こねこちゃん
このこのおうちは どこですか
からすにきいても わからない
すずめにきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン

2016年6月22日水曜日

おなかのへるうた

                阪田寛夫作詞・大中恩作曲

どうして おなかが へるのかな
けんかをすると へるのかな
なかよししてても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

どうして おなかが へるのかな
おやつをたべないと へるのかな
いくらたべても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

あめふりくまのこ

                   鶴見正夫作詞・湯山昭作曲


おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました

いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました

なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました

それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました

なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました

2016年6月6日月曜日

蜘蛛 ④


全長5mm。
春すぎて 夏来にけらし、と言っても、まだ梅雨の入りですが。
あの蜘蛛との再会がありました。
今朝のこと、いつものPCモニターの脇に、忽然と現れました。

元気です。
非常に活発に動き回っております。
「わたしは元気です」と言うかのようです。
そんなわけで、小雨ですが、めでたい日になりました。
ご報告まで。
           やまだ

2016年6月2日木曜日

かふぇ・こん・れちぇ 2000

               山田リオ Copyright ©2000RioYamada

         

きみは 神様から跳び蹴りをもらったことがある?

ぼくは あるんだ

あのときは 気がつかなかったんだけど

あとで思ったら あのときの あれって

きっと 飛び蹴りだったんだな と思う


ずっとまえ 二月の 雪の降る日暮れ

ぼくは マンハッタン島の先っぽの 

雪の積もり始めた道を 歩いていた

その時 ぼくはたぶん 小さかったころの

あの冬のことを 思い出していたんだろう

あの日  いじめられたぼくは 今みたいに

雪じゃなくて  雨が降る夕暮れの街を

口の中で なにか言いながら歩いていた


あの日 頭の中でぐるぐる考えていたことを

今も同じように ぐるぐるぐるぐる考えながら

雪の道を歩いていると 今 歩いているのは

大人になった自分で そのなさけない自分を

ぼくは 許すことができなくて

それは ずっと 変わらなくて


ずいぶん歩いてから思った 寒い

雪は さっきよりも激しくなっていて

ぼくは 小さい 古い 食堂の

湯気で曇った ガラス窓の前にいて

店の中は 明るくて 暖かそうだった 


何かに背中を押されて 店の中に入る

脂で汚れたカウンター テーブルが二つ

目に前の カウンターの椅子に腰掛ける 

湯気の中から現れた 大きな人 それは

中南米のオーラを放つ 「母」だった

「母」は でっかい声でぼくに言った 

「スープ!?」

ぼくは 小さい声で答えた 「すーぷ。」


黙って スープを待っていると 

少しだけ 手指が暖まってくる

あっという間に「母」は 戻ってきた

スープ皿に 盛り上がっている「スープ」が

大きな手で カウンターに置かれる

それは 溶けかかったジャガイモ 玉ネギ

ニンジン 肉が 骨から離れ始めた 鶏肉

それらが 皿に溢れ 湯気を上げている

中南米の労働者が 米飯と食べる 食事

飯を スープに入れ 肉や芋と飯を混ぜ  

黙って 喰う

砂漠を彷徨ったあげく 生還した人のように

ぼくは スープを喰った


食べ終わって 一息つく 体があたたまって

汗といっしょに 少し 涙も流れていたので

紙ナプキンで拭いて 冷たい水を呑む

身体の奥の方に 力が戻ってきている

跳び蹴りのダメージから回復してきたのだ

その時 ぼくは思った

「カフェ・コン・レチェが飲みたい。」

カフェ・コン・レチェ それは 

鼻と 舌と 胃袋に 強烈に響く あれ

中南米が世界に誇る 濃厚なコーヒーに 

脂肪分の多い 熱々のミルクを合わせた 

あの カフェ・コン・レチェの力があれば 

きっと ぼくはまた 立ち上がって戦える 

そう思った時 「母」が再び カウンターの向こうに現れて

でっかい声でぼくに言った。「カフェ・コン・レチェ?!」

ぼくは でっかい声で答えた。 「かふぇ・こん・れちぇ!」





2016年5月27日金曜日

山崎方代 ②


 ©2016RioYamada
ふるさとを捜しているとトンネルの穴の向こうにちゃんとありたり

あきらめは天辺の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる

まっ黒いさくらの花がぽたぽたと散りあらそへり瞳(め)は盲てゆく

なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない

新聞紙に腰をおろしてからっぽの頭の先を陽に干している

人間はかくの如くにかなしくてあとふりむけば物落ちている

鬼のようにしゃがんでいるとまた一つ銀杏の実が土を鳴らせり

もう何も申し上げません夜は早く灯を消して眠るにしかず

こともなくわが指先につぶされしこの赤蟻の死はすばらしい

耳もとでささやいているずっしりと小屋を囲んで雪が止んでいる

日が昇って来るなりこくいっこくのせまり来る死ぞ

                山崎方代(1914-1985)