■2010/06/14 (月)
「雨」 尾形亀之助(1900-1942)
四日も雨だ――
それでも松の葉はとんがり
「九月の詩」
昼寝
かうばしい本のにほひ
おばけが鏡をのぞいてゐた
「十二月の路」
のつぺりと私をたいらにする影はいつたい何です
蝶のかげでせうか
それとも 少女の微笑なのかしら
晴れた十二月の路に
私のかげは潰されたよりずつと平らです
2014年6月9日月曜日
眠り(第二部)
山田リオ
あれから、しばらくの間
だれに肩を貸すこともなく
電車に乗ったりしていたのだが今朝、しばらくぶりで、動きがあった
早朝、六時すぎ、電車に乗り
空席があったので、そこに座った
わたしのすぐ右にはドアがあって
左には、中学生の女の子が一名
その中学生の、うつむいた頭が
重そうに前に垂れ、それから右に傾き
わたしの肩にではなく、左上腕の前側に触れると
はっと気がついて、体勢を立て直した
しかし、眠気には勝てないらしく
二度、三度、抵抗したあとで、とうとう
あきらめたように、頭の重みを
わたしの左腕に預けてきた
それは、やわらかく、おだやかな重みで
彼女の眠りもまた、おだやかなものだったので
その眠りを受け止めているわたしもまた
同じように、やさしい気持ちになった
電車はやがて、目的の駅につき
わたしは立ち上がって、ドアに向かった
すると、眠っていた少女も立ち上がり
わたしのあとから降りるようだったが
そのあとのことは、知らない。
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眠り
2014年6月6日金曜日
2014年6月1日日曜日
2014年5月21日水曜日
声
山田リオ
エラと仕事したときは、その名声にただただ圧倒されていたんだ、と
今になれば思う
世間の眼と耳を借りていただけなんだ
自分の耳で聞いていなかった
有名だからエライんだとwみんなの後追いしていただけ。
今思えば
エラの声は、どうにも明るすぎる
あのころは、自分は若くて
バカだったな
いまでもバカだけどね
ベティのほうは、仕事のときでも気楽に話していた
なんでも話せるおばさんみたいにね
でも、今になって彼女を聞くと、
ものすごいな
と思うよ
とんでもないね
まったくアホで
話にならんわ
オレンジ
ナランハ
そんだけ。
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エラと仕事したときは、その名声にただただ圧倒されていたんだ、と
今になれば思う
世間の眼と耳を借りていただけなんだ
自分の耳で聞いていなかった
有名だからエライんだとwみんなの後追いしていただけ。
今思えば
エラの声は、どうにも明るすぎる
あのころは、自分は若くて
バカだったな
いまでもバカだけどね
ベティのほうは、仕事のときでも気楽に話していた
なんでも話せるおばさんみたいにね
でも、今になって彼女を聞くと、
ものすごいな
と思うよ
とんでもないね
まったくアホで
話にならんわ
オレンジ
ナランハ
そんだけ。
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声
2014年5月20日火曜日
風雨

雨と風の今朝、
思い立って、熊谷美術館に行きました。
こういう日にこそ、行くべきだと思いましたので。
29周年展、
実に95作品、一挙公開。
榧さんのカフェで、まずコーヒーを。窓の外では、雨の中、スズメたちが楽しそう。
見えないけれど、カエルさんも、
アリさんもいるんでしょう。
ここでは、榧さん作のカップでコーヒーが飲めます。
行くたびに、ちがうカップで出してくださいます。
スプーンだって、 榧さんの自作だぜ。
五風十雨。
これは、もりかずさんがよく書いた言葉で、
「雨が五日ふったら、風が十日間吹く、
生きるとはそういうことだよ」、
という意味だと思います。
だから風雨の日に、もりかずさんを訪問することは、
ぼくにとっては意味があるのです 山田
日々の食事に事欠き、次男陽が肺炎で幼くして命をおとした。
亡骸を前に熊谷は陽の姿を描き始めた。しかし、息子の亡骸でさえ、
描く対象としてしか見ていな い自分に愕然とし、筆をおいた。
十分な治療を受けさせることも出来ずに失った幼い命。
それでも熊谷は、売る為の絵を描くことはできなかった。
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風雨
2014年5月19日月曜日
2014年5月13日火曜日
鰍沢
突然ですが。
藤山先生っていう、精神分析のほうでは、
非常に偉い先生がいらっしゃるんですが。
実は、この先生が、俳句をなさるん。
で、この俳句てえものが、
ほんっ
とに、上手いん。
あんまり巧いのもねえ。
ともあれ、藤山先生、わたくしが大好きな現代の俳人であります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
衰へて明るき脳や葱の花
写真焼く焔むらさき春の暮
さびしさや焼蛤の噴きこぼれ
梅雨寒や高座布団の芯かたき
猫死んで桜月極駐車場
桜餅餡透けて雨兆すなり
思ひ寝のあと草餅のやはらかき
草餅の雨の匂ひのしてゐたり
遠くまで行く切符なり冬の雲
紙ほどの薄さのこゑの冬鴎
抽斗の闇の矩形の寒さかな
藤山直樹
抽斗の闇の矩形の寒さかな
藤山直樹
冬鴎(ふゆかもめ)
抽斗(ひきだし) 高座布団(こうざぶとん。寄席の高座で使う座布団)
鰍沢(かじかざわ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、話変わりますが、
気がついたんですがね。
小林秀雄先生の講演の録音を聞いていてね、
あっ、と思ったん。
これ、志ん生じゃないの。
おんなじ声だよ。この二人。
秀雄と古今亭。
江戸弁もいっしょ。
いや、べつに、だからなんだってわけじゃないんですが。
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、話変わりますが、
気がついたんですがね。
小林秀雄先生の講演の録音を聞いていてね、
あっ、と思ったん。
これ、志ん生じゃないの。
おんなじ声だよ。この二人。
秀雄と古今亭。
江戸弁もいっしょ。
いや、べつに、だからなんだってわけじゃないんですが。
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藤山直樹
2014年5月5日月曜日
祝祭
山田リオ
「ったくなあ」、と思う。
それほど好き、というわけではないけれど、また見たくなる。
テレビの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に出ている蛭子能収さんのことだ。
最近、町歩き、食べ歩き、酒場、旅などの番組などが増えている気がするけれど、あの路線バスの旅での蛭子さんが好き、と言うには語弊があるし、嫌いというわけでもなく、なにか、不思議な生物を観察するような楽しみがある。
ああいう番組に出てくるタレントさんは、ほとんどみんな、仕事の現場で自分が何を求められているかを理解しているものだ。
だから、一生懸命、役割を演じ、行く先々で、町や名所や温泉や景色や食べ物に感動して見せる。それが「仕事」だから。
でも、蛭子さんは違う。タレントとして、番組の要請に答えることを心配することもなく、
いつでも、のびのびと、好き勝手に、自由にふるまっているように見える。
「周囲が、世間が、自分をどう思い、どう見ているのか」、だけを心配しながら育ち、24時間、週七日、一年中、一生、絶えず、世間の眼を意識しながら生きてきた、これは、わたしのことだが、
そういう、普通の人間が持っている心配や、配慮や、自意識から自由な人、それが蛭子能収という稀有の人なのではないか。
そういう珍な人を観察できることは、一種、贅沢でもある。
自分は、あの番組を見ながら、蛭子さんのああいう自由さを、どこかバカにしているつもりでいても、
深いところには、いつも彼を羨望する気持ちがある、と思う。
わたしは、なんとかして、この社会に溶け込みたい、受け入れられたい、という気持ちが、いつもどこかにあるようだ。そのことに、ときどき気がつく。
子供の頃から、学校や仕事や仲間の中で、みんなでパス回しをしながら、でも、わたしは自分ではシュートを打たず、その小社会からはじき出されることがないように、仲間はずれにされないように、 いじめられないように、そして、みんなから受け入れられたいと、いつも願っていた気がする。
そういう中で培われた性癖は、何十年海外に住んでも、消えることはなかった、ということだ。
そういう自分を、どこか疎ましく思う気持ちはあるのだが、思ったところで、幼い頃から身に染み付いたものは、簡単に変えられるはずもない。
一方、蛭子さんはといえば、仕事に飽きれば、「ああつかれた」
心配ごとといえば、「パンツ二枚しか持ってこなかったから、コインランドリーに行かないと」
願いはといえば、「競艇場に行きたいなあ」、「パチンコでもいいや」
そして、おいしそうに、夢中で、大好きな揚げ物を食う。土地の名物など眼中にない。
ダイエットも、栄養バランスも、考えることはない。
眠くなれば、いつでも、どこででも眠る。たとえ撮影中でも。
蛭子さんは、自分と比べると、鳥のように自由だ。
すくなくとも、わたしにはそう見える。
蛭子さんにとって、人生は、祝祭なのか。
そういう祝祭には、孤立も孤独死もなければ、人身事故も、起こりえない。
わたしも、あんなふうに、
自分の人生は祭りだと、そう信じていた時代があった。
もし許されるなら、あの信念を、取り戻したい。
ああいう人に、わたしも、なりたい。
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蛭子能収
ダービー
■2010/05/02 (日) My Old Kentucky Home
マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム スティーヴン・フォスター
(訳:山田リオ)

ケンタッキーの、あの古い家に陽は照りわたり
時は夏、みんな楽しげで
トウモロコシは実り、野原は花でいっぱいだし
鳥は一日中、歌っている
小さな家の床に、子供たちが寝そべって
みんな、はしゃいで、幸福で、輝いて
苦しい時は終わったと、ドアを叩くものがある
そして、ケンタッキーの古い家よ、おやすみ。
もう泣かないで、わたしのレイディー
今日はもう、泣かないで。
さあ、ケンタッキーの、あの古い家のために歌おう、
いまは遠い、あのケンタッキーの古い家のために
"My Old Kentucky Home"
The sun shines bright in My Old Kentucky Home,
'Tis summer, the people are gay;
The corn-top's ripe and the meadow's in the bloom
While the birds make music all the day.
The young folks roll on the little cabin floor,
All merry, all happy and bright;
By 'n' by hard times comes a knocking at the door,
Then My Old Kentucky Home, good night!
Weep no more my lady
Oh weep no more today;
We will sing one song
For My Old Kentucky Home
For My Old Kentucky Home, far away
*********************************************
毎 年、五月の第一土曜日は、ケンタッキー・ダービーの日です。
なにがあっても、この日はこの競馬を見る習慣を、わたしは生涯の大部分、休まず続けてきまし た。
そしてレースの直前、競馬場では、みんなで必ず、この歌を歌います。
競馬とは、切っても切れない縁ですが、この日はことさら、わたしにとって特別な日で す。
一年に一度だけ、この日に、この歌を歌うたびに、涙が流れます。
「ああ、また一年、生き延びた。」そう、声に出さず、自分の中で、言います。
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マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム スティーヴン・フォスター
(訳:山田リオ)

ケンタッキーの、あの古い家に陽は照りわたり
時は夏、みんな楽しげで
トウモロコシは実り、野原は花でいっぱいだし
鳥は一日中、歌っている
小さな家の床に、子供たちが寝そべって
みんな、はしゃいで、幸福で、輝いて
苦しい時は終わったと、ドアを叩くものがある
そして、ケンタッキーの古い家よ、おやすみ。
もう泣かないで、わたしのレイディー
今日はもう、泣かないで。
さあ、ケンタッキーの、あの古い家のために歌おう、
いまは遠い、あのケンタッキーの古い家のために
"My Old Kentucky Home"
by Stephen Foster
The sun shines bright in My Old Kentucky Home,
'Tis summer, the people are gay;
The corn-top's ripe and the meadow's in the bloom
While the birds make music all the day.
The young folks roll on the little cabin floor,
All merry, all happy and bright;
By 'n' by hard times comes a knocking at the door,
Then My Old Kentucky Home, good night!
Weep no more my lady
Oh weep no more today;
We will sing one song
For My Old Kentucky Home
For My Old Kentucky Home, far away
*********************************************
毎 年、五月の第一土曜日は、ケンタッキー・ダービーの日です。
なにがあっても、この日はこの競馬を見る習慣を、わたしは生涯の大部分、休まず続けてきまし た。
そしてレースの直前、競馬場では、みんなで必ず、この歌を歌います。
競馬とは、切っても切れない縁ですが、この日はことさら、わたしにとって特別な日で す。
一年に一度だけ、この日に、この歌を歌うたびに、涙が流れます。
「ああ、また一年、生き延びた。」そう、声に出さず、自分の中で、言います。
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ダービー
2014年5月2日金曜日
眠り
山田リオ
電車に乗っていて
偶然、となりに座ったひとが眠りにおちる
そういうことが、最近、三回あった
眠りにおちた三人のひとたちは
みんな、そのとき、ぼくの肩を利用したのだ
そして、偶然だろうか
三人とも、女性だった
最初は、二十歳くらいのひとで
ぼくがとなりに座ると、すぐに体重を預けてきた
寝息をたて、深く眠っているようで
非常に気持ちよさそうなのだが
頭が乗っているので、肩が重い
ある駅に電車が着くと、すっと立ち上がって
何事もなかったように、降りて行った
二人目は、かなり年配の女性だった
何回か、こちらに傾き、また戻る
それを繰り返してから、頭が降りてきた
控えめに、ゆっくりと体重がかかってくる
でも、三つ目の駅で、咳をし始めた
手で口をおさえて、まっすぐに座りなおしてから
そのまま、正しい姿勢で降りていった
三人目の女性は、ほどよい年齢
座ると、眠いらしく、肩が触れてくる
我慢していても、けっきょく、眠気には勝てず
すこし、うつむくように、顔を伏せて
肩に、頭の重さを預けてくる
目的の駅に着くと、なんのためらいもなく
ごく自然に立ち上がって、降りていった
わたしは、といえば
三回とも
眠りに落ちることは、なかった
今までの永い人生の中で
男性の睡眠のために
肩を利用されたことは
まだ、一度もない。 Copyright ©2014RioYamada
電車に乗っていて
偶然、となりに座ったひとが眠りにおちる
そういうことが、最近、三回あった
眠りにおちた三人のひとたちは
みんな、そのとき、ぼくの肩を利用したのだそして、偶然だろうか
三人とも、女性だった
最初は、二十歳くらいのひとで
ぼくがとなりに座ると、すぐに体重を預けてきた
寝息をたて、深く眠っているようで
非常に気持ちよさそうなのだが
頭が乗っているので、肩が重い
ある駅に電車が着くと、すっと立ち上がって
何事もなかったように、降りて行った
二人目は、かなり年配の女性だった
何回か、こちらに傾き、また戻る
それを繰り返してから、頭が降りてきた
控えめに、ゆっくりと体重がかかってくる
でも、三つ目の駅で、咳をし始めた
手で口をおさえて、まっすぐに座りなおしてから
そのまま、正しい姿勢で降りていった
三人目の女性は、ほどよい年齢
座ると、眠いらしく、肩が触れてくる
我慢していても、けっきょく、眠気には勝てず
すこし、うつむくように、顔を伏せて
肩に、頭の重さを預けてくる
目的の駅に着くと、なんのためらいもなく
ごく自然に立ち上がって、降りていった
わたしは、といえば
三回とも
眠りに落ちることは、なかった
今までの永い人生の中で
男性の睡眠のために
肩を利用されたことは
まだ、一度もない。 Copyright ©2014RioYamada
2014年4月29日火曜日
ホース・ウィスパラー
「馬はいつだって変わらない。論理的だ。
馬は、自分にとっていちばん楽なことをする。
もし馬にとって、いちばん楽なことが、人を振り落としたり蹴ったりすることなら、
もし、そういうふうに人間がしむけるなら、馬はきっとそうする。間違いなくそうするよ。
でも、もし馬が、リラックスして、おだやかで、そして正確に行動することがいちばん楽なように、
そういうふうに人間がしむけてあげれば、
そしてそれが、人と馬との共同作業としての美しいダンスになるのなら、
もう、すぐに馬は、それをやりたくてしかたがなくなる。「やろう、やろう」、って言い出す。人間と同じようにね。
何でもそうなんだ。
馬が楽にできるように、そう人がしむけてあげれば、
それはきっと、その馬の得意技になるんだよ。」
ダン・バック・ブラナマンはアメリカの馬の調教師。
実在するホース・ウィスパラー(馬にささやく人)。
ニコラス・エヴァンスの小説のモデルになった人です。
映画の邦題は「モンタナの風に吹かれて」とかいうものに変えられてしまいましたが、
この劇映画の本来の題名は、言うまでもなく 、「ホース・ウィスパラー」です。
そして彼の馬の教育法は、そのまま人間の教育にも当てはまる気がします。
また、彼を題材にしたドキュメンタリー映画 "Buck" は、サンダンス映画祭などで高い評価を受けました。 Copyright ©2014RioYamada
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馬、教育
2014年4月20日日曜日
2014年4月17日木曜日
2014年4月12日土曜日
2014年4月9日水曜日
鶸の雨
我が命惜しと悲しといはまくを恥ぢて思ひしは皆昔なり
我が心萎(しな)えてあれや街を行く人の一人も病めりとも見ず
山椒の花はみのらず花咲かぬ山椒の木に實はむすぶとふ
知らなくてありなむものを一夜ゆゑ心はいまは昨日にも似ず
かくのみに心はいたく思へれや目さめて見れば汗あえにけり
あかしやの花さく蔭の草むしろねなむと思ふ疲れごゝろに
人は我ははかなきものかひたすらに悲しといふもわがためにのみ
打ち萎え我にも似たる山茶花の凍れる花は見る人もなし
山茶花のわびしき花よ人われも生きの限りは思ひ嘆かむ
山茶花は萎えていまは凍れども命なる間は豈(あに)散らめやも
障子張る紙つぎ居れば夕庭にいよいよ赤く葉頭(けいとう)は燃ゆ
唐鶸(からひわ)の雨をさびしみ鳴く庭に十もとに足らぬ黍(きび)垂れにけり
長塚節(1879-1915) 「ながつかぶし」ではありません
「ながつかせつ」でもありません
ながつかたかし、と読みます
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長塚節
2014年4月4日金曜日
2014年4月1日火曜日
ダウントン・アビー四年目
![]() |
| Ponte Vecchio |
英国のテレビドラマ、ダウントン・アビーも、シーズン4が終わりました。
このシーズン、第三回には、ゲストとして、ソプラノ歌手、キリ・テ・カナワが出演しています。
劇中で、彼女は、ドヴォルジャークの「わが母の教え給いし歌」と、
プッチーニのオペラ「ジャン二・スキッキ」から「O mio babbino caro」を歌いました。
写真は、言うまでもなく、この歌に歌われている橋です。
このシーズンは、心配していたことが現実となった感が・・
この春、NHKで放映が始まるので、詳しいことは書かないでおきます。 山田 Copyright©2000RioYamada
「ダウントン・アビー」についての記事は、今のところ全部で六つです。ブログ右側の「ラベル」の「ダウントン・アビー」をクリックすると、全部一度に読めます。
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ダウントン・アビー,
ダウントン・アビー第四シーズン
2014年3月31日月曜日
レンギョウ
連翹に小雨来るや八つ時分
連翹の奥や碁を打つ石の音 夏目漱石
散り敷ける花連翹に今朝の雨 星野立子
連翹に落花の風のいたりけり
連翹やたそがれそめし一ところ
庭ざくら連翹もつれ咲きにけり
連翹やかくれ住むとにあらねども 久保田万太郎
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連翹、レンギョウ、久保田万太郎
2014年3月27日木曜日
蜜吸い
暖かい朝。花を見に散歩に出る。
近くのソメイヨシノは、今朝、二分か三分咲きくらい。
ひこばえが真っ先に開花している。
太い幹から、じかに小さい花房が開花しているのを見るのは、
なんともいえず、うれしい。
たくさんのヒヨドリが蜜を吸いに来ている。
蜜吸いと言えばハチドリだが、ここには生息していない。
日本の蜜吸いなら、やっぱりメジロ。
メジロを探したけれど、一羽も見つからない。
冬が厳しかったので、北上が遅れているのか。 かわりに、コガラを発見。
コガラはヤマガラやシジュウカラの仲間で、
そのなかで一番小柄なのがコガラ。
連翹の黄色い花はもうすでに、終わりかけている。
何十年ぶりの日本の春だろうか。
そんなこと、話したって、誰一人、信じないだろう。
Cien Años de Soledad と同じ、絵空事と思うにちがいない。
あああ。これが春か。
なつかしい、日本の春なのか。
Copyright ©2014RioYamada
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ヒヨドリ、メジロ、コガラ
2014年3月19日水曜日
あの日 311短歌
この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った 新妻愛美
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった
あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは 山崎節子
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし
生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月
かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ
「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声 斉藤梢
寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと 半谷八重子
差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ
遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと 佐藤成晃
鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから 渡邊穂
いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる
廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか 佐藤祐偵
ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青
ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか 三原由紀子
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3・11短歌
尾形亀之助 ③
尾形亀之助(1900-1942)
無題詩
![]() |
| Rio Yamada photo |
そして
湿つた蚊帳の中に雨の匂ひをかいでゐた
夜はラシヤのやうに厚く
私は自分の寝てゐるのを見てゐた
それからよほど夜るおそくなつてから
夢で さびしい男に追はれてゐた
うす曇る日
私は今日は
私のそばを通る人にはそつと気もちだけのおじぎをします
丁度その人が通りすぎるとき
その人の踵のところを見るやうに
静かに
本のページを握つたままかるく眼をつぶつて
首をたれます
うす曇る日は
私は早く窓をしめてしまひます
小石川の風景詩
空
電柱と
尖つた屋根と
灰色の家
路
新らしいむぎわら帽子と
石の上に座る乞食
たそがれどきの
赤い火事
情慾
何んでも私がすばらしく大きい立派な橋を渡りかけてゐました ら――
向ふ側から猫が渡つて来ました
私は ここで猫に出逢つてはと思ふと
さう思つたことが橋のきげんをそこねて
するすると一本橋のやうに細くなつてしまひました
そして
気がつくと私はその一本橋の上で
びつしよりぬれた猫に何か話しかけられてゐました
そして猫には
すきをみては私の足にまきつこうとするそぶりがあるのです
小さな庭
もはや夕暮れ近い頃である
一日中雨が降つてゐた
泣いてゐる松の木であつた
雨日
午後になると毎日のやうに雨が降る
今日の昼もずいぶんながかつた
なんといふこともなく泣きたくさへなつてゐた
雨の祭日
雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ
雨が降る
夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる
Labels:
尾形亀之助
2014年3月16日日曜日
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