2014年4月9日水曜日
鶸の雨
我が命惜しと悲しといはまくを恥ぢて思ひしは皆昔なり
我が心萎(しな)えてあれや街を行く人の一人も病めりとも見ず
山椒の花はみのらず花咲かぬ山椒の木に實はむすぶとふ
知らなくてありなむものを一夜ゆゑ心はいまは昨日にも似ず
かくのみに心はいたく思へれや目さめて見れば汗あえにけり
あかしやの花さく蔭の草むしろねなむと思ふ疲れごゝろに
人は我ははかなきものかひたすらに悲しといふもわがためにのみ
打ち萎え我にも似たる山茶花の凍れる花は見る人もなし
山茶花のわびしき花よ人われも生きの限りは思ひ嘆かむ
山茶花は萎えていまは凍れども命なる間は豈(あに)散らめやも
障子張る紙つぎ居れば夕庭にいよいよ赤く葉頭(けいとう)は燃ゆ
唐鶸(からひわ)の雨をさびしみ鳴く庭に十もとに足らぬ黍(きび)垂れにけり
長塚節(1879-1915)
「ながつかぶし」ではありません
「ながつかせつ」でもありません
ながつかたかし、と読みます
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