2013年1月22日火曜日

夜の雨、死刑、彼岸 再録



■2004/11/22 (月)
                   山田リオ

電気の消えた部屋の
窓の外からは
雨の降る音が聞こえてくる
あたたかいベッドの中に横たわって
雨の降る音を聞いている
それは
無数の雨粒が
空の高いところから落下してきて
それぞれの粒が
屋根土石植物水家ガラス
いろんなものの上に落ちて
そしてそれぞれが雨粒から
水というかたちに戻る音なのだが

そうやって聞いていると
わたしが
野の獣や鳥になったような気持ちがする
なんとかして濡れないように
暗い夜のなかで
それぞれの場所でうずくまって
生きようと
朝の光を震えながら待っている
朝が来て
まだ生きていれば
夜の間に降ったきれいな水を飲むことだってできる

あたたかいベッドのなかに横たわって
雨の音を聞いていると
いつかホームレスになる日のことを
想像する
ホームレスになったら
やっぱり
野の獣や鳥のように
真っ暗な空を見上げ
とこか安全なやさしい樹木の陰で
雨に濡れてうずくまり
自分を抱きしめながら
朝が来ることを祈るんだろう
そして朝がきたら
木の葉なんかにたまった雨水を飲んで
陽光に光る梢を見上げながら
なにかに
朝まで生きられたことを
感謝するんだろう
  
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■2004/11/19 (金) 死刑
「死刑」
          山田 りお

死刑になるというそのとき
さいごに一本のタバコを吸わせてくれるということを聞いた
死刑になる人は
生きたいという願いはかなえられないが
いまから死ぬんだということを
前もって知ることができる
そしてそれはぜいたくなことなのかも知れない

死刑にならない普通の人は
自分がいつこの世を去って
あちらがわに行くのかということを
知らされずに
毎日を生きていく
今晩眠っている間に逝くのかもしれず
明日の朝に事故や災害で死ぬかもしれず
あと108年間長生きするかも知れないが
それを前もって知ることが許されないので
占い師やサイキックやいろんなものに
みんなはお金を払って
少しでも安心しようとする

わたしの最期のとき
わたしはタバコなんか欲しくない
そのかわり
どこかの山奥の谷川をさかのぼり源泉まで行って
冷たいきれいな湧き水を飲みたいかもしれない

薪と釜で炊いたばかりのあたたかいご飯を
梅干や海苔やちりめん山椒や焼いた塩鮭や明太と
食べたいかもしれない

何十年もの間毎日聴いてそれでも
まだ聴きたりないあの大切な音楽を
もういちど聴きたいかもしれない

林のなかの湿った空気を呼吸し木々の匂いを嗅ぎ
梢をわたる風の音を聞き
波打ち際の濡れた砂の感触を足の裏でたしかめ
海風と汐の匂いを体で吸い込みながら歩き

ああまだまだいくらでも浮かんでくるけれど
そのなかから
たった一つ選ばなければいけないとしたら
それはとてもできないことです
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■2004/11/30 (火) 彼岸
『彼岸』
                      山田 りお

眠りから引き剥がされるようにして
目が覚めたとき
口の中に苦い味が残っていて
自分はバスの座席で眠っていたようだ
バスはからっぽでほかには誰もいなくて
ふらつく足で立ち上がりバスをおりると
そこは六番街の55丁目あたりのようで
白く雪に覆われた道をバスは
セントラル・パークの方向に走り去る
なぜバスを降りてしまったのか
考えてもよくわからなくて
道に積もった粉砂糖よりも細かい雪が
風に吹き上げられて渦をまいているほかは
人っ子一人いないし車もまるで通らない
日暮れのような夜明け前のような薄明かりの中で
寒さに震えて立ち尽くしている
いくら待ってもバスはもう来ない
この道を歩き続けても家に帰れるとは思えない
どっちの方向に自分の家があるのか
いくら考えてもわからない
ああもしかしたらこれは
夢なのかもしれない
目の前には大きな大きな川があるようで
これはきっとあのハドソン河だと思う
真冬だから河には白い流氷が溢れていて
氷の隙間には真っ黒な冬の水も流れていて
この流氷の上を歩いていったら
無事に向こう岸に着けるような気がする
ああそうだこれが「彼岸」という言葉の意味なのだと
心の中で納得して揺れる氷の塊を踏みしめ
風が強く雪も激しく前がよく見えないのだが
一歩一歩少しずつ進んでゆくのだ
気がつけば自分の前を
自分と同じような海兵隊の防寒コートを着た男が
同じようにうつむいて
氷の上を一歩ずつ歩いて行くのが
雪のむこうにうっすらと見えて
その背中がなんとも言えずなつかしくて
涙がこぼれるような気持ちがするまもなく
もう熱い涙が頬を流れて
ああこのなつかしさを「サウダージ」と言うのだった
お父さんその背中は遠い昔ぼくを捨てて行った
ぼくのお父さんですね
風にゆれるこの流氷の上で
あなたの背中しか見えないけれど
会ったことがなく顔を知らないけれど
その吹雪に霞む背中とこのサウダージそれは
まぎれもなくあなただという証拠です
逃げることはありませんよお父さん
ぼくはあなたを恨んだこともないし
とっくの昔にあなたを許しているんですから
ぼくはただ
あなたのとなりにほんのすこしの間
座っていたかっただけなんです
ただ
それだけのことなんです
ほんとうです

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2013年1月20日日曜日

花は咲く

                                             岩井 俊二


花は花は花は咲くいつか生まれるきみに花は花は花は咲くわたしは何を残しただろう

2013年1月14日月曜日

坂道


            山田リオ
また、坂だ
この坂を登りきったら
そのむこうに、なにが見えるか
それは、いまはわからない
だから、登るしかない

わかっていることは
あそこに、なかなか良い雲が浮かんでいること
でも、この坂を登りきったとき
まだあそこに、あの雲があるという保証はない

いまはゆっくり、登って行こう
あたりはいちめん鳥の声 

Copyright © 2013Rio Yamada

2013年1月8日火曜日

斉藤茂吉  



          (1882-1953)

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

(あかあかと一本の道とおりたりたまきはる我が命なりけり)


かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり

(かがやけるひとすじの道はるけくてこうこうと風は吹きゆきにけり)


しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり

(しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬のまなこはまたたきにけり)


橡の太樹をいま吹きとほる五月かぜ嫩葉たふとく諸向きにけり

(とちのふときをいま吹きとおるさつき風若葉尊くもろ向きにけり)


草づたふ朝の蛍よみじかかるわれの命を死なしむなゆめ

(草づたう朝の蛍よ短かるわれの命を死なしむなゆめ)われ←「おまえ」の意


ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

(夕されば大根の葉にふるしぐれいたく寂しく降りにけるかも)

2013年1月1日火曜日

あけました。



おめでとうございます。
本年も、どうか宜しく。

今朝は、元日なので、
朝から山登りに行きました。
ごらんのとおり、高い山ではありません。

トレイルはかなり広範囲なので、
その気になれば、長い トレッキングもできます。

写真は、二枚とも今朝撮影しましたw 

2012年12月31日月曜日

Everything




紅白は、録画しておいたのを早回しで見て、五分で見終わった。
でも、Misiaの歌だけは、はじめから終わりまで、聞いた。
風が吹いていた。

日本は現在、元日の午前三時半ごろ。
こっちは大晦日の朝です。
快晴。

2012年12月25日火曜日

今年のクリスマス

24日、クリスマス・イヴは何の予定もなかったので、テレビで日本からのニュース映像を見ていた。
非常に激しく雪が降っていて、寒そうだ。
こっちも夜は冷え込むが、寒いと言っても、せいぜい零度で、日本の寒さとは比較にならない。
それでも冷たい雨の合間に、ハチドリが家の餌場にやってくる。

夕方になって、暇なので、車で小一時間離れた日本人街に買い物に出た。
イヴということもあって、高速道路は混んでいたが、着いてみると、マーケットは閑散としていた。
餅、黒豆、などを買ってから、近くにある、焼き魚で人気の食堂に行ってみると、中は灯りが消えて真っ暗だった。

しかたなく、もとのマーケットに戻る。
いくつかの食べ物屋はまだ営業していて、通路のテーブルで食事している人たちがいる。
そこで、炭火焼きの焼き鳥屋「新撰組」で「焼き鳥弁当」4ドル(350円)を注文する。
オーダー待ちの人が待っていて、「30分くらい待ちますけど、いいですか?」と聞かれても、いいです、と言うしかない。

炭火で焼ける肉と醤油の、たまらない香りを嗅ぎながら待っていて、気がついたら、そのとなりがシュークリームで人気の「ビアード・パパ」(日本のチェーン店)だということに気がつく。
食後には「フォンダン・オ・ショコラ」を食べよう。
そうしよう。クリスマスだし。今日は特別だ。


Copyright © 2012Rio Yamada
この、温めたフォンダンにスプーンを入れると、中の熱いガナッシュ、生チョコレートがとろりと溶けて流れ出す。
それを想像しながら待っていたら、「49番のお客さん!」という声。
焼き鳥弁当が出来上がったのだ。

通路のわきの貧しいテーブルで、通行人に覗かれながらのクリスマス・イヴのディナーだ。
炭火で焼けた、熱々の鶏肉と葱、そして、つくね、焦げた肉と脂で味と香りが付加された、醤油と砂糖のたれが炊き立てのごはんに染みて、添えられた紅しょうが、そして、ほんのすこしだけ飯にふりかけた刻み葱も、絶妙だ。
飲み物はもちろん、ブルゴーニュの赤ワインでも吟醸酒でもなく、カゴメの六条麦茶だ。

食べ終わって、すぐに、となりのビアード・パパでフォンダン・オ・ショコラ、2ドル50セント(210円)を温めてもらう。
とろとろに溶けたチョコレートの香りがたまらない。あっという間に、食べてしまった。
すると、フォンダン屋の親父、この人は中国人なのだが、休憩に入ったらしい。
隣のテーブルに座って、同じく焼き鳥弁当を食べ始める。

すっかり満足して、おやじに挨拶してから、帰ることにする。
どんなに高価なフランス料理よりも豪華な、今年のクリスマス・ディナーだった。
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2012年12月12日水曜日

「作品第1004番」  

            宮澤賢治

今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
ひるすぎてから
わたくしのうちのまはりを
巨きな重いあしおとが
幾度となく行きすぎました
わたくしはそのたびごとに
もう一年も返事を書かない
あなたがたづねて来たのだと
じぶんでじぶんに教へたのです
そしてまったく
それはあなたのまたわれわれの足音でした
なぜならそれは
いっぱい積んだ梢の雪が
地面の雪に落ちるのでしたから



■2002/05/03 (金) 作品第1054番            
                  
             宮澤賢治

何と言われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである

                      (雫=しずく)

2012年12月11日火曜日

旅

                  山田リオ

ある日、思い立って、旅に出る
どこへ?もちろん、日本へ
日本のどこに行こうか
それはもちろん、雪の降る北国がいい
できることなら、電車を降りて、駅を出たら
そこはもう夜で、雪が降っている
雪で白くなった道を渡れば
そこに、小さな居酒屋があるから
服の雪を払ってから、その居酒屋に入ろう

カウンターに座ったら、その土地の酒を冷で
そして、肴には赤魚の煮魚なんかもたのんで
呑みながら、地元の人の話しも聞き、話し、笑い
すっかり身体もあったまって
お酒もまわってくるから、そこで
一番近い温泉はどこか、と訊ねると
タクシーで30分くらいのところに
小さい温泉宿があるという

電話をかけてもらうと、都合よく、空きがあるというので
お勘定を払って外に出れば
雪はますます激しく降っていて
駅までの道を歩いて行くのも、冷たくて気持ちがいい
そこでタクシーを拾って、さっき聞いた温泉に向かう
宿に着いたら、さっそく露天風呂に入り
あったまったら、部屋に戻って、呑みなおそう
夜の雪山に入って凍えて死んでしまおうなんてことは夢にも思わないで
暖かい布団に入って、いい気持ちで眠ってしまえばいいのさ
                                                         Copyright © 2012Rio Yamada




2012年12月6日木曜日

柴田佳美再録






■2006/09/19 (火) 柴田佳美さんの歌


何にでもなり得た今もなれるかも夢忘れただ生きていないか 

古里の景色はスローモーションで過ぎる駅には昔の私

「お帰り」と受け取る服で余寒知り言うのを止めた孤育ての愚痴

わりかんの散らし寿司など食べ終えてまだ話題あるおんなで楽し

2012年12月3日月曜日

草の根っこ

カマドウマ(ベンジョコオロギ)
                         山田リオ
小さいときから、自分には、(これだ、とは言えないのだが、)
人間として、重大な欠陥がある、という確信のようなものがあった。
それは今でも、自分の中にある。
雑草取りをしたあとに残った、深い根っこのように残っている。
普段は忘れているのだが、それは今もそのまま、土の中にある。

しかし、今思うと、あの、抜き残した雑草の根は
自分だけの物ではないような気がする。
それはたぶん、多くの人が持っているのだが、すっかり忘れていて
でも、心の裏側の、日陰の、湿った
カマドウマが棲むあたりの土の中に埋まっていて
普段は忘れているのだが、なにかの拍子に思い出す
あの、古い後悔のような、草の根っこのことだ。      
                              Copyright © 2012Rio Yamada
 

2012年11月11日日曜日

尾形亀之助 ②

                        尾形亀之助(1900-1942)

昼の部屋

テーブルの上の皿に

りんごとみかんとばなな ―― と

昼の

部屋の中は
ガラス窓の中にゼリーのやうにかたまつてゐる

一人 ―― 部屋の隅に

人がゐる



 商に就いての答

もしも私が商(あきなひ)をするとすれば

午前中は下駄屋をやります
そして
美しい娘に卵形の下駄に赤い緒をたててやります

午後の甘まつたるい退屈な時間を

夕方まで化粧店を開きます
そして
ねんいりに美しい顔に化粧をしてやります
うまいところにほくろを入れて 紅もさします
それでも夕方までにはしあげをして
あとは腕をくんで一時間か二時間を一緒に散歩に出かけます

夜は

花や星で飾つた恋文の夜店を出して
恋をする美しい女に高く売りつけます



女の顔は大きい

私は馬車の中で

妻を盗まれた男から話をしかけられてゐる

だんだん話を聞いてゐるうちに

妻を盗まれたのはどうも私であるらしい

で ――

それはほんのちよつと前のことだとその男が云ふのでした

×


私は いつのまに馬車を降りたのか

妻の顔を恥かしそうに見てゐました

2012年11月7日水曜日

帰宅

昨晩、帰ってきた。

ドアをあけて、一歩、入って

現実の世界に引き戻された、墜落した

やわらかい雲のなかのような場所から

岩盤のような固いところへ、たたきつけられ

自分の中を見ると

そこは、怒りでいっぱいなので

わけのわからない言葉を何度もつぶやいて

何に対する、誰に対しての怒りなのか

よくわからないのだが

黒いものが、口からあふれてきそうだ

こういうときに人は

なにか、とんでもないことを

わけもわからず、やってしまうのかもしれない
Copyright © 2012Rio Yamada

2012年10月21日日曜日

毎日

ヴェトナム、タイ、ヴェトナム、タイ、

たまに韓国。

それでいいのか?

それでいいのだ。

2012年10月14日日曜日

Entre les Bras

フランスのドキュメンタリー映画、”Entre les Bras”を見てきました。
この映画のことで頭がいっぱい。 

この映画は、北海道にあるミシェル・ブラス・トーヤ・ジャポンというフランス料理の店、その本店は当然フランスにあるんですが。

その店の主人が引退することになって、
長男が店を引き継ぐまでの一年間のドキュメンタリー。

一年間の四季の移り変わりが、たまらない。
俳優では絶対にできない、本物の生活、仕事、言葉の数々。

題名は「腕と腕の間」という意味で、親から子に引き継ぐ、それと、Bras は、 親子の苗字であり、レストランの名前でもあります。、
そういう二重の意味があって、また映画の中のパーティ-の場面でも、二人を、みんなが腕から腕に渡していく遊びがあって、これもまた、題名に含まれているんです。

そして、現在洞爺湖のレストランで出されている料理のいくつかが、どういうふうに発想され、考えられ、試行錯誤され、レストランのメニューに載るまでがカメラに捉えられています。
久しぶりに、どきどきしました。

 自分の生半可な生き方を、後ろから蹴飛ばされた気分です。

料理写真のリンクをお気に入りに貼っておきます。    山田 Copyright © 2012Rio Yamada

2012年10月1日月曜日

ひと




                                                                          山田りお

ひとは、ごはんをたべるから生きているんじゃないんだな

ひとは、希望で生きているんだな

希望をもらって、生きていられるんだな

だから、ひとは

ほんとうに失望したら、死ぬんだな

もう、希望をもらえなくなったら、死ぬんだな


        Copyright © 2012Rio Yamada

2012年9月29日土曜日

尾形亀之助 ①

■2008/08/17 (日) 
            尾形亀之助(1900~1942)
「無題詩」
 

夜になると訪ねてくるものがある

気づいて見ると
なるほど毎夜訪ねてくる変んなものがある

それは ごく細い髪の毛か
さもなければ遠くの方で土を堀りかへす指だ

さびしいのだ
さびしいから訪ねて来るのだ

訪ねて来てもそのまま消えてしまつて
いつも私の部屋にゐる私一人だ

****************************

「彼の居ない部屋」
           
部屋には洋服がかかつてゐた

右肩をさげて
ぼたんをはづして
壁によりかかつてゐた

それは
行列の中の一人のやうなさびしさがあつた
そして
壁の中にとけこんでゆきさうな不安が隠れてゐた

私は いつも
彼のかけてゐる椅子に坐つてお化けにとりまかれた

*******************************

「夜の花をもつ少女と私」          

眠い――
夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた

××
これから夢です

もうとうに舞台も出来てゐる
役者もそろつてゐる
あとはベルさえなれば直ぐにも初まるのです

べルをならすのは誰れです
××

夜の花をもつ少女の登場で
私は山高をかるくかぶつて相手役です

少女は静かに私に歩み寄ります
そして

そつと私の肩に手をかける少女と共に
私は眠り――かけるのです

そして次第に夜の花の数がましてくる


2012年9月28日金曜日

ダウントン・アビー 

  (2011/09/11に掲載した記事ですが、検索できないとのご指摘があり、再度掲載しました)

                 山田りお

 
英国の大河(?)ドラマ、Downton Abbey  (ダウントン・アビー)ダウントン修道院という意味ですが、実際は巨大なダウントン城。その城に住むたくさんの人々の人生を描いた連続テレビドラマです。一年目が終わり、九月から英国で二年目のシーズンが始まります。
(これから書くのは、ぼくの感想で、批評ではありません)
ぼくは現在、完全にはまっています。
アメリカではPBSが放送しているので、録画しておいて何度もくりかえし見て、さらに英国で放送された版のDVDも買いました。こっちのはアメリカ版よりかなり長くて、細部が丁寧です。
細かい説明は避けますが、何度見ても、また見たくなるのには困ります。

大まかな主役グループみたいなものは、あるようで、ないようで、主役も脇役もない、と言ったほうが正しいと思います。
一見小さな役に見えても、登場人物の数だけ、たくさんの物語りがあるということです。
見る人は、貴族も、平民も、召使も、さまざまな人々の内面までを、しっかりと細部まで目撃し、何度でも噛み締めることができる。そういうドラマになっています。ぼくとしては、あたらしい映画「ジェーン・エア」とあわせて見ることをお勧めします。
このドラマの作家で、プロデューサーのジュリアン・フェロウズがテレビのインタビューで言った言葉を引用(直訳)します。
『1912年は、とてつもなく興味深い時代だと思う。なぜなら、近代社会が始まろうとしていて、自動車はすでにあり、電話と電気が広がっていく、女性に対する社会の見方が変わり始める。
もし、そういう細部を正しく 表現できれば、もちろん(現代の)多くの人が、その細部自体を知らなくてもいいのだ。(細部を正しく表現できれば)このドラマ全体が、言わば「信じられ る」ものになる。そして見る人はこう思う、「ああ、そうか。こういう生きかたもあったんだな。」』
日本では、まだDVDが出ていないんですが、ぼくの勝手な憶測では、このドラマは、「絵面」では、大人向けの、難しいドラマに見えるようなので、若者志向の強い、配給関係の偉いおじさまたちは敬遠するんでしょう。
でも実際は、ダウントン・アビーは世界的人気になってきていて、とくにヨーロッパとアメリカ大陸ではブームが始まっています。
支持層は女性が多いような気がしますが、女性に限らず、男性にも、そして広い年齢層に、根強い人気があると思います。
それは、Downton Abbey には、「十代から中高年まで、みんなが夢中になる長編マンガ的要素がすべて満載されている」というのが人気の理由だと思われます。

ぼくも、時間さえ許せば、毎日でも見ちゃう。何度見てもどきどきする。
「あのシーン、もう一回見よう」そういう見方もできる。非常に困る。危険なテレビドラマですが、おかげで人生が豊かになりました。

ひとつだけ言いたいことは、このドラマでは、「あらすじ」は無意味だということ。
フェロウズ氏が言うとおり、細部を楽しむことができる人、一人一人の人間の内面に興味を持つことができる人にとって、ダウントン・アビーは、すばらしいワインです。
しかし、日本語字幕をどうするのか、というのが心配なところですが。
なにしろ1900年代初めごろの英国貴族の英語、非常に丁寧で繊細な、言わば文学的な言い回しがいっぱいです。そして庶民の英語も当然あります、
一方で、字幕翻訳には、長さの制限があります。しかし、このドラマに限っては、ハリウッド映画の字幕のような「現代簡略日本語スラング」を使うと、大変に妙なことになります。
でも、画面の広さにも、時間にも限りがある。うーん。どうなりますか。
ちょっとだけ、直訳してみます。貴族の若い女性と、やや身分の劣る若い男性がワインを飲んでいる場面です。雰囲気が伝わるといいのですが。。直訳ですので悪しからず。
(ヴィデオを見ながらの聞き書きなので、自信がありませんが)
Lが女性、Mは男性です。

(夜、ダイニング・ルーム。二人が、テーブルでワインを楽しんでいる)
L 「あなたは、物事の礼儀について、うるさくありません?ちがいます?」
M 「あなたはどうなんです?」
L 「あなたが思われるほどでもありませんわ・・・ 
スィビルを救ってくださってありがとう。とても勇敢なのですね。
あなたが、あの男を殴り倒した、と聞きました」
M 「義務を果たせたのなら、よかったです」
L 「あはたは義務に従う生き物なのですか?」 
M 「完全にそうだとは言えません」
L 「あなたがわたくしといっしょに、笑ったり、ふざけたりしていらっしゃる時も、あなたは義務を果たしているわけですか?慣習に従って、世間から期待されることを、そのまま行っているわけですね」
M 「わたしを遊び道具にするのはおやめなさい。わたしが何をしました?あなたに言われたくはありません」
L 「スィビルを傷つけたら、許しませんわよ。彼女は、あなたを好きになり始めているんですから」
M 「あなたがそういうことになる(人を好きになる)とは、誰ひとり思わないでしょうね」
L 「それはわかりませんわ」
M 「あなたの言うことすべてに、からかいの響きがあります」
L 「ご自分に自信を持たれたほうがよろしいと思いますわ」
M 「思い出させてさしあげましょうか。わたしがここに初めて来た日、あなたはわたしを形容して、非常に選び抜かれた(つまり残酷な)言葉を使われました。
あの言葉は私の記憶の中に、あなたが言われた、あの日そのままに、今でも、鮮やかに生きているのです」
L 「何度も申し上げましたでしょう?私の申し上げることを、本気になさってはいけませんわ」(キスする) 
 
「ダウントン・アビー」についての記事は、今のところ全部で六つです。ブログ右側の「ラベル」の「ダウントン・アビー」をクリックすると、全部一度に読めます。


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2012年9月26日水曜日

こたつたこ



                         内野真澄
こたつたこ

いかとかい

くらげらく

えいのいえ

らりらりら


すなになす
せみのみせ
ごまのまご
さかさかさ
らりらりら

2012年9月18日火曜日

渥美清の言葉 再録


■2007/10/19 (金) 渥美清の言葉
「インタビューより」               渥美清

こんなふうに、(寅さんのように)生きていけたら、
いちばん幸せですね。
ところが、やはりそうじゃないんですね。
いろんな、社会人としての規律みたいなものもあるし、
わずらわしい、人との付き合いも、あるだろうし。
だから、ほんとに、カバンひとつ持って、
チョウチョやトンボのように、ふらっと、いつでも、
自分の好きなところに出かけて行って、生涯を終れるんだったら、
末は野たれ死んでもいいんじゃないですかね。

村の子供が、小さなほこらのところで、
「どっかのおじさんが、丸くなって寝ているよ」
「ああ、そういえば、昨日、道端で、なんか売ってたおじさんだね」
そばに寄って見ると、もう、冷たくなってた、
というような、そういう終り方がいいんじゃないかな。
なかなか、でも、それは、大変なことですけどもね、
そんなふうにして、こう、なんにも自分を縛る物っていうか、
そういうものがなくなって、逝けたらいいなって。

あの映画を見てくださってる男の方で、
ずいぶんそう思っている人がいるんじゃないんでしょうか。
やってる僕がそう思っているくらいですからね。
はっはっは・・・・

2012年9月14日金曜日

最強。


豉椒帯子、 帆立貝の豆豉(黒豆の浜納豆)、青唐辛子のソース

乾扁四季豆、インゲンの超高温速攻炒め、豚ひき肉添え

梅菜扣肉、 豚三枚肉と梅菜の漬物、蒸し煮 

豉油皇炒麵。
極細麺の甘い醤油焼きそば、硬くもない。柔らかくもない。




2012年8月30日木曜日

万太郎、夏の句 (再録)


ふりしきる雨となりにけり蛍籠(ほたるかご)

亡き人に肩叩かれし衣替え


神田川祭りのなかを流れけり


抜け裏をぬけうらをゆく日傘かな


運不運ひとの上にぞ雲の峰


わが老いの業はねむれず明けやすき


月も露も涼しき永久(とわ)のわかれかな


ひとりむしいかなる明日のくるならむ


短夜の明けゆく水の匂いかな


       久保田万太郎

2012年8月24日金曜日

ぼくのギター(大)


Meu Violão Paulinho da Viola  

ぼくのギター  パウリーニョ・ダ・ヴィオラ(ブラジル)
                訳:山田リオ

ギターがなければ、前に進めない
愛がなければ、生きられない
あのころ、ぼくはだれひとり
駆け寄り、抱きしめる人もなく
失い、求め、願うだけだった
一人で生きる悲しみを抱いて

今まで生きてきた人生
激しく情熱を燃やした、あの瞬間
傷つき、痛み、苦しむ時も
それでも、勇気を見つけるために
どれだけ、歌っただろう
何もできず、言葉を失った時
ギターは、いつもかならず
ぼくに希望をくれた

2011年6月24日にも、パウリーニョの「ぼくのギター」を掲載しました。 あっちの方はGuardei Minha Viola(ぼくの小さいギターをしまった)という’曲で、写真の右端の楽器です。 これ、女性型Minhaになっていますね。
今日の詩は、Meu Violão(ぼくの大きいギター)という曲で、写真の左側にある、あれです。まぎらわしくて、ごめんなさい。 こっちは大きいので、男性型Meuなのが面白いですね。興味がある人は、youtube で聴けます。
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2012年8月19日日曜日

マサラドーサ

大きいマサラドーサのむこうには
小さいマサラドーサ
どうです、大きいでしょう
でも中身はほとんど空気です

これは南インド、パキスタン、
バングラデッシュなどの主食で
薄い薄いクレープのようなものです
パリっとした食感。

フランスのクレープみたいに
ふにゃふにゃしたものではなくて、
歯に心地よく、
でも、どこか、やわらかさもあるのです

中には、ジャガイモをつぶして塩とスパイスで味付けしたものが
すこしだけ入っています

すこしづつ手でちぎって、ジャガイモを包んだりして
ヨーグルト、辛いカレー味、すこし甘いの
などのソースをつけたり
つけなかったりしながら食べます

マサラドーサは、ニューヨーク時代に、
バングラデッシュから来たタクシーの運転手が集まる店で、
初めて出会って以来のお気に入りです  
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2012年8月15日水曜日

種子

窓の外の木に、
今頃になると、実がなります
この木は常緑樹で、かなり大きいです
名前がわからないので、
「リスの木」と呼んでいます。
暑い夏の日差しを遮ってくれる木。
部屋の中にいるときでも、
四六時中、実の落ちる固い音がします
見ると、実ではなく、種そのもの。

まるで「かやの木山の」の歌のようです。
となりに「象の小箱」を置きましたが、
小箱は4,5cmX7cmの大きさです。
種は色も形も大きさも大豆です。

そのまま根が出て、実生が育ちます。 Copyright © 2012Rio Yamada

2012年7月30日月曜日

本

+++++++++++++++++++++++++++++++ 山田リオ

繰り返し読む文庫本の背がゆるんできて
放っておくとページがなくなったりするのが嫌なので
テープであちこち補強してみたが、この本の余命は短い
ぼくが去れば、この本を読む人は、もういない

一日物言わず、か。
毎日、何も言わないでいると、日本語も英語も
話す言葉をどんどん忘れていくようで、怖ろしくなる
でも一人言は言わない、歌ったりも、しない

病院でたくさんの人に触られたり、話しかけられたり
切られたり縫われたり注射されたり検査されたり
そうやって死んでいくのはたしかに、孤独死ではないのだろうが
ひとはやっぱり逝くときには、誰でも、一人で逝くのだ

村人たちが、引っ越したり、立ち去って、いなくなってしまった
そんな廃墟のような山村で一人、野菜をつくったりして
ゆっくりとめぐる季節のなかで終わっていけたら
これほど贅沢な旅立ちはない。それは孤独死なんかではない

雨音が聞こえる、ここには降るはずもない、日本の静かな雨の音が聞こえる
昼も夜も、雨音を聞きながら、草木と同じように、雨に濡れて
不平不満を言わず、他人の噂話をせず、世間のニュースも知らぬまま
草木や生き物たちのように、何も言わず、立ち去っていくことができたら。

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2012年7月5日木曜日

道


1954年のイタリア映画、「道」から一部抜粋。 山田訳。




阿呆「俺は無知だ。でも本は読める。おまえは信じないかも知れないが、この世に無駄な物なんてないんだ。たとえば、この小石・・
 
ジェルソミーナ「どの石?」
 
阿呆「どれでもだ。どの石にも、役目がある。」

ジェルソミーナ「なんの?」
 
阿呆「それは・・わからないけど、たとえば俺が全知全能だとしよう。でも、だれがいつ生まれて、いつ死ぬのか、俺はわからない。
誰にも、そんなこと、わからないだろう?
だからおれも、この石が何の役に立つかなんて知らない。
でも、この石はきっと何かの役に立つんだ。
どんな物にだって、役目があるんだ。
空の星にだってな。」     
   
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