詩日記
自信のない詩人、山田リオが書いた詩、作文など、いろいろです。 Copyright © Rio Yamada. Watermark テンプレート. Powered by Blogger.
2018年1月29日月曜日
梅
一月なのに
盆栽の梅の葉が
もう ここだけ 初夏
2018年1月26日金曜日
氷
「インフルエンザ大流行、患者数283万人、過去最多」(1月26日)
というニュースは、自分にとっては怖ろしい。
病気のせいで、感染症に対する抵抗力が極端に弱い。
だから、オソレオノノイテいる。
あれやこれやに祈りながら、日々、暮らしているが、
今のところは、まだ生きているようだ。
明日のことはわからない。わたしも生き物だから。
2018年1月21日日曜日
羊歯
羊歯の芽が出てきた
外は雪
今日の主役は
羊歯と雪
2018年1月9日火曜日
冬梅
冬梅のひとつふたつや鳥の声
服部土芳(1657-1730)
2018年1月7日日曜日
手がつめたくて
山田リオ
手がつめたいので
しばらくのあいだ お湯につけておく
でも すぐにまた つめたくなる
カシミアのてぶくろをはめて
カイロを 両方のてのひらにいれる
それでも つめたいので
手の甲の側にも カイロをいれる
それでも まだ つめたくて
湯たんぽに 熱いお湯を入れ
その湯たんぽを ひざの上にのせ
両方の手を 押しつけていると
すこしだけ あたたかくなるけれど
それだと キーボードを打てないし
マウスを使うのも ペンをもつのも
つめたいので できれば避けたい
歩きまわったり でかけたりすると
手がつめたくて つめたくて
なにも 考えられない
寝る前に お風呂に入ると
しばらくのあいだ 手があたたかくなって
そのまま ベッドに直行して
湯たんぽをかかえる
暖房が好きではないから つめたい部屋で
ふとんのなかで 湯たんぽを抱いて眠る
あさになって 朝食をいただくときは
手がつめたくて こまるので
熱いコーヒーカップに 手を押しつける
いまこうして キーボードにむかって
ああ 手が冷たいなあ と
そればかり 気になって
ほかのことは 考えられない
手がつめたくて
手がつめたくて
また一日が 過ぎていく
2018年1月1日月曜日
太陽
今年のお正月も 晴れているなあ
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風もなく 静かな朝
雪の正月 なんて 思い出せない
うんと時を遡らないと 子供のころとか
梅の花は満開を過ぎて 大部分は散った
いまは ひからびた白い花の残骸が
ずっとむかしに描いた
太陽の絵をのせました
やまだ
2017年12月29日金曜日
夜明け 2008 あれから十年
■2008/01/04 (金) 夜明け
Novo Alvorecer (ブラジル)
「夜明け」 詩:D.イヴォニ・ララウ 訳:山田リオ
見てごらん 花が燃え立つ
一日が始まるとき
痛みは消え 希望が生まれる
一晩の疲労と不安に
美しいものが とってかわる
海は唄い 潮が満ちてくる
それは 悲しみのように
わたしの魂を 呑みこむ
わたしは答を求め 歌う
悲しみのなかで 目を覚ましてはいけない
幸福にみたされ 目を覚まそう
やさしい歌はいつも 夜明けの方からやってくる
けっして 真夜中の 痛ましい叫びの方からではない
夜明けの色は やわらかい
夜明けの色は 自由の色
夜明けは 魂の安らぐ場所
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サンバ・カンサオン、「歌うサンバ」の詩です。
サンバは、宗教的な内容、それと愛国的な内容が多いのです。
ですから、ただ踊り騒ぐだけかのように見えるカルナヴァウ(カーニヴァル)のサンバも、
その歌詞には「わたしたちの主(しゅ)」「主と聖霊と」などの言葉が頻繁に現れます。
カーニヴァルは、日本人には馴染みがないでしょうが、つまりはキリスト教の祭りなのです。
一方で、またサンバには、愛や生活といった、叙情的な内容のものも多いのです。
2017年12月25日月曜日
fuel
今日は
勇気が
ガス欠です
白梅は あれからつぎつぎに咲いています
お正月まえに満開になっちゃうかも
2017年12月23日土曜日
壱
わたしは、グループの人たちに向かって話すのが嫌い。
わたしが話すときは、いつも、一人の人とだけ話したい。
シルヴィア・プラス(1932-1963)
2017年12月14日木曜日
詩日記: 笹井 宏之
詩日記: 笹井 宏之
:
百年を経てもきちんとひらきますように この永年草詩篇
2017年12月13日水曜日
破片
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。
そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。
そうして墓の傍に待っていて下さい。
また逢いに来ますから」
(夢十夜) 夏目 漱石(1867-1916)
2017年12月5日火曜日
色
湿った、新鮮な空気と、灰色の空。
ここ数週間に見た色はすべて
うす紫の煙の色か、鈍い琥珀色だった。
シルヴィア・プラス(1932-1963)
訳:山田リオ
2017年12月3日日曜日
幸福
わたしは 自分の肺が
押し寄せてくる景色で
いっぱいにふくらむのを感じた
空気 山々 木々 人々
そして 思った
「これが 幸福と言うものだ」
シルヴィア・プラス(1932-1963)
訳:山田リオ
2017年12月2日土曜日
鷽
耳を澄ませてごらん
香草の香る庭
桃の木の枝に
鷽がいる
その唄はまるで
清らかな水のようだ
フランシス・ジャム(1868 - 1938)
訳:山田リオ
鷽(ウソ)
2017年11月28日火曜日
道
つまづきて振り返る道に何もなし
わが来しあとをうす日さしをり
北小路功光(1901-1989)
2017年11月23日木曜日
山崎方代
この小路の小さき石をけりながら
通りゆくことも約束なりき
山崎方代
(1914-1985)
2017年11月18日土曜日
雪渡り
■2010/12/25 (土)
雪渡り
「雪渡り」 宮澤賢治
雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、
空も冷たい滑らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。
「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
お日様がまっ白に燃えて百合の匂を撒きちらし又雪をぎらぎら照らしました。
木なんかみんなザラメを掛けたやうに霜でぴかぴかしてゐます。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」
四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。
こんな面白い日が、またとあるでせうか。
いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、
すきな方へどこ迄でも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。
そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のやうにキラキラキラキラ光るのです
。(後略)
2017年11月6日月曜日
紅(くれない)
紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
作者不詳 万葉集
紫
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
大海人皇子
万葉集
2017年10月30日月曜日
ジャンゴ
えーと、ぼくは元気です。
昨日、あるCDを手に入れた、というか、おそろしく安くて
まあ、もらったようなものなんですが
今どきの音楽ファンは、ジャンゴなんて聴かないんだろうね。
それは、初めて見るジャンゴ・ラインハルトのアルバムで
あまり馴染みのない録音と、聴いたことがあるのも少し
全部で23曲も入っているアルバムです。
ステファンといっしょのが数曲と
あとはいろいろなひとと一緒のがたくさんたくさん23曲、
うれしくって、しょうがないです。
今日は、聴いているうちにどんどん元気になってきました。
と、いうお知らせでした。 やまだ
1949年にローマで録音と書いてある。
CDは、I saw starsで始まる。ジャンゴのギターにステファンが加わる。
更にピアノも。これはジャンニ・サフレド、イタリア人のジャズピアニストらしい。
一曲ごとにメンバーも編成も変わる。これは宝物。
二人は1935年ぐらいからいっしょに演奏していたらしい。
ジャンゴは1910年生まれ、1953年に亡くなっている。
ステファンは1908 年生まれ、1997年没。
2017年10月28日土曜日
雲 2017
rio yamada photo
山田リオ
映画の多くは 物語りだから
筋書きや ストーリーがあったり
いろんなことが 起こって
人間たちが 出会い 別れ
そして 話し合い 沈黙し
とにかく 長くなる
それに みんなで計画して 作った
という感じも なにか気になる
うんと みじかいのなら
まあ いいけれど
音楽も 長いのは 疲れる
できれば 数分
で終わりたい
三楽章 とかあるのは 困る
そして 出来るだけ 静かなのがいい
音がでかいのは 禁止
声がでかいのも ダメ
音の数も できれば 少なくて ゆっくりで
静かに始まって そのまま静かに終わって欲しい
え もう終わりですか
小説も やたらと長かったり
いろいろ 紆余曲折とかあって
そういうのは できれば 読み始めないで
閉じたまま 本棚に居てもらう
でも 短いのなら
思い出したとき 読むのは いい
でも 絵なんかは
気に入ったら ちょっと見て
好きなら ゆっくり見てもいいし
ストーリーがないから よろしい
雲なんかも 見上げて そして
立ち去る
少し歩いて 思い直し 振り返って見たら
ああ もう あの雲は いない
でも 会えてよかった さよなら
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2017年10月18日水曜日
八木重吉 ③
■2003/06/21 (土) 心よ
心 よ 八木重吉
こころよ
では いつておいで
しかし
また もどつておいでね
やつぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行つておいで
蜘蛛 ⑤
アダンソンハエトリグモが室内に現れるようになって
もう何年にもなる。
九月半ばまでは、机に向かい、PCの電源をいれると、
モニターの左下のほうから、するすると壁を登ってきた
スタンドの電球の光、熱、またはPCモニターの?
よくわからないが、
すくなくとも、蜘蛛は、ぼくという人間の動きに反応しているとは思えない。
それほどの知能はないように思うのだが。
思うよりもずっと素早く、壁紙の上を滑るように動く。
そして止まる。急に動き、急に止まる。
しばらく不動、そして、突然動く、というよりも滑走する。
九月末になって、動きが鈍くなってきたようだ。
そして、ここ数日、現れない。
暖房を入れてみたが、それでも出てこない。
ときどき壁を見回してみても、蜘蛛はいない。
生き物同士としての交流のようなものは、ない。
でも、出てこなくなると、なんだか、気になる。 山田リオ
2017年10月13日金曜日
詩日記: 卒業
詩日記: 卒業
2017年10月12日木曜日
すこしだけ
あの日 格太郎さんに 出会った
今思うと あれは 運だった
いや 出会ったとしても
そのまま すれちがっていたかもしれない
もし そうだったのなら
それもまた 一つの人生だった
でも あの日は 立ち止まった
なぜ 立ち止まったのか よくわからない
でも あのときは 立ち止まった
その結果 人生が すこしだけ 変わった
野邑埜而(1978~)
2017年10月5日木曜日
吉野秀雄
食はむもの全く絶えしゆふべにて梅干し一つしやぶり水飲む
いまの世に正しき者は貧しなどいひける頃は余裕ありにき
あらし雨そそぐあかつき五時半に声をかぎりの法師蝉一つ
うらなりの南瓜ころがる縁側に日ざしいつしか秋づきにけり
夕餉にはうどん煮るとてその事を朝より待てリわれも子どもも
幻聴と知りつつかなし秋雨のしぶく夜更けにすすり泣く声
暮れ来る部屋に怒りをこらへをり今朝バイブルを読みたりしかば
苦しみて今朝得し金も一日といはず午後にはもはや空しき
*白木蓮の花の千万青空に白さ刻みてしづもりにけり *白木蓮(はくれん)
青空の染めむばかりの濃き藍に*皓さ磨けり*白木蓮の花 *皓さ(しろさ)
しろたへの*白木蓮空にまかがよひ地には影しつ花さながらに
吉野秀雄(1902-1967)
2017年9月13日水曜日
うしろむき
山田リオ
なんだか しきりに あのころの事を思い出す
あのころは しょっちゅう
日本のことを 思い出して 考えて
ということは きっと
いつも いつでも
思い出してばっかり いたんだろう
そんなふうに 後ろ向きに 生きてきて
これからも たぶん そうなんだろう
だから 今も
しきりに 南カリフォルニアが 眼に浮かぶ
あの 光 乾いた空気 風 皮膚感 そういうもの
なぜか しきりに 今
2017年8月30日水曜日
風に言う
「風に言う」 Vai Dizer Ao Vento
パウリーニョ・ダ・ヴィオラ(1942-)ブラジル
訳:山田リオ
なつかしいと そう風に言う
幻滅の痛みは 忘れても
あまえがわたしに与えた あの苦しみ
あんなにも激しく 辛かったもの
それがいまは なつかしいだけ
もう 過ぎてしまったことだが
お前が わたしに与えたのと 同じ痛みを
お前もまた 味わえばいい
(
繰り返し
)
永い間 わたしは
自分の人生を 振り返ってばかりいた
今はもう 心は静かだ
わたしの心にあった にがい 黒い影は
すっかり 消えてしまったから
今 わたしは新しい道を歩く
でも どうすれば
過去を忘れられるんだろう
心のなかに残された 空洞
なつかしさと 痛み
それだけを わたしに残して
風よ おまえは去って行った (サンバの歌詞)
2017年8月25日金曜日
八月の
八月の雨。
夏は ほぼ過ぎて
でも秋は まだ生まれていない
変に不安定な時間。
シルヴィア・プラス(1932-1963)
(
訳:山田リオ)
2017年8月21日月曜日
コオロギ
コオロギの合唱のなか眠りにつく
アブラゼミの終焉はコンビニの前
どのアブラゼミもあおむけで死んでいる
セミもわたしもみんなもそれぞれに
夏が過ぎて行く遠い雷の音
(無季自由律)山田リオ
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