2016年11月30日水曜日
2016年11月21日月曜日
2016年11月7日月曜日
「生々流転」2007 再録
「生々流転」 山田リオCopyright©2007RioYamada
テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ
その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。Copyright©2007RioYamada
2016年10月28日金曜日
年老いたアジアの手
中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ
年老いた アジアの手
マリリン・チン 山田リオ訳
年老いた アジアの手よ
わたしの ハタハタと羽ばたく
ここに 触れよ
この わたしの心臓
わたしの 胸の蝶々
すみれ色の 椿の花
この心臓が 真夜中に 鼓動する
年老いた アジアの手よ
おまえの体の 左半分を
今 月光が 切り取っている
あの 黄色いもの あれは 草
身もだえすることを
学ぶことがなかった 草だ
年老いた アジアの手よ
蒼い赤道の下に 秋の初めの
湿った 温かな 地衣類が 見えるか?
新たな 民族離散という名の
泥炭層 その すぐ下には
透明な 冷たい水が 流れている
copyright2005© rio yamada
2016年10月11日火曜日
八木 重吉 ②
ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
雨
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
石
ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
響
秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる
無題
ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった
八木 重吉(1898-1927)
2016年9月20日火曜日
雨
ブエノスアイレス、アルゼンチン 訳:山田リオ
夜は けだるい冷たさでいっぱいで
風が 聞きなれない 悲しい唄を運んでくる
それは まるで 夜の 切れぎれの断片
その影のなかを ゆっくり進む
そして 雨だ
雨は わたしの心臓に刺さる 棘のようだ
このあまりにも冷たい夜は
そのまま私だ 私の中の空虚だ
それをちぎって 捨てて 忘れようとしても
記憶は・・・
雨 悲しみ 一人 舗道の上に凍りついている心臓
氷の冷たさに 忘れていた傷から 雨は滴る
ただ 道に迷って
影の中をさまよう 幽霊のように
雨そのもののように
夜は けだるい冷たさでいっぱいで
道を渡るものは だれもいない
街灯に 照らされて 舗道が光る
そして 私は ただの紙くず
永遠に 一人だということを
思い出せ
雨滴が 私の心の水たまりに 落ちる
骨に沁みる この 屈辱 苦痛
また 風がやってきて
わたしの背中を 押す・・ Copyright©2016RioYamada
《「雨」は、アルゼンチン・タンゴの歌詞です。
2016年9月15日木曜日
2016年9月10日土曜日
あの日 311短歌 再録
2014年3月19日水曜日
あの日 311短歌
この海が いつもと違う顔をして
町中のみこみ 静かに去った 新妻愛美
黒い波 夫 手を離しのまれゆき
私はワタシは ムンクになった
あまりにも よく似た人を追いかけて
いつまで続く この寂しさは 山崎節子
あの道も あの角もなし 閖上一丁目
あの窓もなし あの庭もなし
生と死を 分けたのは何 いくたびも
問いて見上げる三日目の月
かなしみの 遠浅をわれはゆくごとし
十一日の度(たび)の冷たさ
「届かなかった声がいくつもこの下に
あるのだ」 瓦礫を叩くわが声 斉藤梢
寂しげに繋ぎおかれしわが犬を
はなしてやりぬ 生きのびろよと 半谷八重子
差し込まむ 穴無き鍵の捨てられず
流されし家の玄関のカギ
遺体写真 二百枚見て水を飲む
喉音たてずに ただゆっくりと 佐藤成晃
鍵をかけ 箱にしまったあの頃を
掌で包み 生きるこれから 渡邊穂
いつ爆ぜむ青白き光深く秘め
原子炉六基の白亜連なる
廃棄物は地元で処理だ? ふざけるな
最終処分場にされてたまるか 佐藤祐偵
ひるがえる 悲しみはあり三年の
海、空、山なみ ふるさとは 青
ふるさとを 失いつつあるわれが今
歌わなければ 誰が歌うのか 三原由紀子
2016年9月8日木曜日
2016年8月25日木曜日
2016年8月15日月曜日
やめた
価値判断をするのを やめた
もう これからは 期待しない ふりかえらない
だれにも どんなものにも どんなことにも
世界にも 期待しない
自分にも 他人にも 期待しない
人生に 期待しない 後悔もしない
だれがなんと言おうと ほめられても けなされても
なにかを 約束されても なにも約束されなくても
だれにも どこにも なにに対しても 期待しない
蜘蛛にも 蟻にも 蝶々にも 期待しない
どんなものにも 期待しない
奇跡のように なにかいいことがあったら
おどろいて よろこんで そして ありがたいとおもう
思い通りにならないとき がっかりしても 後悔しても 怒っても
なにも変わらない ただ 悲しいだけ
だから 空の雲を見送るように だまって見送る
そして そのまま 通り過ぎる
自分にたいしても 同じこと
自分は ゼニ苔やダンゴムシと 同じ
だから 自分に期待するのは もう やめた Copyright©2016RioYamada
2016年8月5日金曜日
2016年7月28日木曜日
2016年7月18日月曜日
2016年7月1日金曜日
2016年6月24日金曜日
いぬのおまわりさん
さとうよしみ作詞・大中恩作曲
まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは どこですか
おうちをきいても わからない
なまえをきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン
まいごのまいごの こねこちゃん
このこのおうちは どこですか
からすにきいても わからない
すずめにきいても わからない
ニャンニャン ニャニャン
ニャンニャン ニャニャン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワワン ワンワンワワン
2016年6月22日水曜日
2016年6月6日月曜日
2016年6月2日木曜日
かふぇ・こん・れちぇ 2000
きみは 神様から跳び蹴りをもらったことがある?
ぼくは あるんだ
あのときは 気がつかなかったんだけど
あとで思ったら あのときの あれって
きっと 飛び蹴りだったんだな と思う
ずっとまえ 二月の 雪の降る日暮れ
ぼくは マンハッタン島の先っぽの
雪の積もり始めた道を 歩いていた
その時 ぼくはたぶん 小さかったころの
あの冬のことを 思い出していたんだろう
あの日 いじめられたぼくは 今みたいに
雪じゃなくて 雨が降る夕暮れの街を
口の中で なにか言いながら歩いていた
あの日 頭の中でぐるぐる考えていたことを
今も同じように ぐるぐるぐるぐる考えながら
雪の道を歩いていると 今 歩いているのは
大人になった自分で そのなさけない自分を
ぼくは 許すことができなくて
それは ずっと 変わらなくて
ずいぶん歩いてから思った 寒い
雪は さっきよりも激しくなっていて
ぼくは 小さい 古い 食堂の
湯気で曇った ガラス窓の前にいて
店の中は 明るくて 暖かそうだった
何かに背中を押されて 店の中に入る
脂で汚れたカウンター テーブルが二つ
目に前の カウンターの椅子に腰掛ける
湯気の中から現れた 大きな人 それは
中南米のオーラを放つ 「母」だった
「母」は でっかい声でぼくに言った
「スープ!?」
ぼくは 小さい声で答えた 「すーぷ。」
黙って スープを待っていると
少しだけ 手指が暖まってくる
あっという間に「母」は 戻ってきた
スープ皿に 盛り上がっている「スープ」が
大きな手で カウンターに置かれる
それは 溶けかかったジャガイモ 玉ネギ
ニンジン 肉が 骨から離れ始めた 鶏肉
それらが 皿に溢れ 湯気を上げている
中南米の労働者が 米飯と食べる 食事
飯を スープに入れ 肉や芋と飯を混ぜ
黙って 喰う
砂漠を彷徨ったあげく 生還した人のように
ぼくは スープを喰った
食べ終わって 一息つく 体があたたまって
汗といっしょに 少し 涙も流れていたので
紙ナプキンで拭いて 冷たい水を呑む
身体の奥の方に 力が戻ってきている
跳び蹴りのダメージから回復してきたのだ
その時 ぼくは思った
「カフェ・コン・レチェが飲みたい。」
カフェ・コン・レチェ それは
鼻と 舌と 胃袋に 強烈に響く あれ
中南米が世界に誇る 濃厚なコーヒーに
脂肪分の多い 熱々のミルクを合わせた
あの カフェ・コン・レチェの力があれば
きっと ぼくはまた 立ち上がって戦える
そう思った時 「母」が再び カウンターの向こうに現れて
でっかい声でぼくに言った。「カフェ・コン・レチェ?!」
ぼくは でっかい声で答えた。 「かふぇ・こん・れちぇ!」
2016年5月27日金曜日
山崎方代 ②
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| ©2016RioYamada |
あきらめは天辺の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる
まっ黒いさくらの花がぽたぽたと散りあらそへり瞳(め)は盲いてゆく
なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない
新聞紙に腰をおろしてからっぽの頭の先を陽に干している
人間はかくの如くにかなしくてあとふりむけば物落ちている
鬼のようにしゃがんでいるとまた一つ銀杏の実が土を鳴らせり
もう何も申し上げません夜は早く灯を消して眠るにしかず
こともなくわが指先につぶされしこの赤蟻の死はすばらしい
耳もとでささやいているずっしりと小屋を囲んで雪が止んでいる
日が昇って来るなりこくいっこくのせまり来る死ぞ
山崎方代(1914-1985)
2016年5月16日月曜日
2016年5月6日金曜日
2016年4月29日金曜日
2016年4月12日火曜日
ホームレス短歌、川柳
テント小屋冬はそのまま冷蔵庫捨て弁当も腐りません
坪内政夫
途方もなく空広かりきリュック背負い ホームレスの道踏み出ししとき
言ひ値にて雑誌を売りて得たる金三日の命を養ふに足る
宇堂健吉
説教と引き換へに配るパンならば生きる為には説教を聞く
名も知らぬブラジル人のその後を想ひて今朝の寒さに耐へる
親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
公田耕一
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食べ物の賞味期限は舌に聞け
年賀状住所無き身に届かない
公園の闇夜で一人忘年会
パンの耳鳩にやるなら俺にくれ
アルミ缶空を集めて中身買う
プレゼント応募したいが住所なし
春の夜は同じ寝床の猫元気
寝袋に花びら一つ春の使者
お茶一本水で薄めて五本分
炊き出しで嫌いなものが好きになる
(ビッグイシューより)











