2017年6月20日火曜日

海


                 山田リオ
Oさんの詩が 好きで
下手くそな お習字で 
その詩を 紙に書いて
部屋の壁に 貼っている
それを見ていると
Mさんの絵を 思い出す

ぼくのなかでは 
この詩とあの絵が つながっているらしく
Mさんの美術館にいるときも 
雀の声を聞きながら あの絵を見ていて
自然に あの詩がうかんでくる

そういうふうに 絵をみたり 詩を読むのは
まちがっているのかもしれない
でも それが 見えたり きこえたりするのは
どうにも しかたがないことで

今朝も 雨の音をききながら
雀は 鳴いてはいないけれど
あの 下手くそな お習字の詩を見て
いつものように こころの眼に
あの絵が 浮かんでくるのです Copyright©2017RioYamada

2017年6月17日土曜日

茜色


万葉集
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

                                       額田王

あかねさすむらさきのゆきしめのゆき

のもりはみずやきみがそでふる

                       ぬかだのおおきみ


ナツアカネ(夏茜)
アキアカネ (秋茜)  いずれも赤トンボのこと。
 

2017年6月5日月曜日

麦


空豆と麦の青きがうち続く畑中の道を・・(後不明)

という短歌を、何年かに一度、思い出す。
記憶違いかも知れない。
でも、ほぼ、こんなふうな意味の歌だったような気がする。

もしかして、最後の七音は「春の風吹く」だったかしら?
いや、まったく、定かではない。

ぼくの記憶の中では、この歌は、おぼろげながら、山口瞳と繋がっていて、
でも、どうも、山口が作った短歌、という気がしない。

もしかしたら、山口の妻、治子さんの作かも知れない。でも、わからない。

どなたか、作者を、または正しい短歌を、
この永年の宿題の答えをご存知の方がいらっしゃったら、
お教えください。お願いいたします。                                                              山田

2017年5月31日水曜日

人生


人生については、あまり真剣に考えないほうがいいよ。
どうせ生きては出られないんだ。            
                     エルバート・ハバード

2017年5月25日木曜日

雨

雨。

たすかった。

この雨のおかげで、植物みたいに復活。

雨はありがたい。

雨に感謝。

     やまだ

2017年5月21日日曜日

新生

 
                       山田リオ
「今日は昨日のつづき」というのが、まず間違いだ
昨日感じたことを、今日また同じように感じることは不可能だ
あの時「自分は感じている」、と思ったことを今日になって思い出そうとしても
昨日はすでに終わっている。過ぎ去ったことだ
今、それを思い出そうとしているおれは
すでに死んでしまった、昨日の死体にすぎない

むしろ、一日が終わるときに、その日の映像も出来事も、すべて削除して
そして夜が明け、今日の朝日が昇るときには
感情もなにもかも、すべてを更新し、生の最初の一歩を歩む

夜が明けるたびに、新たな生を享け、新たな情緒を生きる
日々、新生児として、今の、この瞬間だけの情緒を生きる
それが、今、生きてあることの意味だ。Copyright©2017RioYamada

2017年5月15日月曜日

つたえる


「ほんとうの詩は 理解されるより前に なにかを伝えることができる」       

                            T.S.エリオット(イギリス)

2017年5月13日土曜日

水

                  山田リオ

牛を水場に連れてくる
あなたにできるのは
そこまで
水を吞むか 
呑まないか
それを決めるのは牛
それが牛の権利だ 
Copyright©2017RioYamada

2017年5月6日土曜日

ホームレス川柳②


マイバッグ想像つかない元の色

暖かい陽差しが怖い古弁当

雨降ると又探さなきゃダンボール 
                   髭戸太

住民票取るに取れないホームレス
                   麺好司

さあ寝よう夢の中では一般人

北の風このままいると北枕

腰痛い病名つければコンクリ病

春過ぎて梅雨が来るまで天国だ
                  沢野健草

俺の血は栄養ないから刺さないで

盆が来る俺は実家で仏様
                  大濠藤太

     路上のうた、気に入ったら、本、買ってくださいね。
     ¥648、ビッグイシュー日本

2017年5月2日火曜日

あめつちに


あめつちにわれひとりゐてたつごとき
        このさびしさをきみはほほゑむ 

                 (救世観音を見て、会津八一)

2017年4月28日金曜日

あの本


                 山田リオCopyright©2017RioYamada

ずいぶん昔のことだ。

海外旅行中に、飛行機で日本人の男性と乗り合わせた。
永旅で、自然に、会話が始まった。
その方は当時でもご高齢で、わたしはひどく若かったし、かなりの年齢差があった。
今となっては、何を話し合ったのか、まったく憶えていない。
眠ったり、食事を摂ったり、切れ切れにいろいろと話し合ったのだろう。
あの方がどういう職業だったのかも、わからない。

目的地に着き、別れるときに、その男性に一冊の古い本を手渡された。
かなり厚みのある本で、そのとき、見返しにその方のお名前を書いておいた。
その後、落ち着いてから、あのときにいただいたあの本を最初から最後まで読んだ。
小説などではない、学術的な、また随想のような内容で、哲学的でもあった。
著者は、聞いたこともない人だった。
当時の自分には難解だったと思うが、とにかく通読した。
それから永い間、その本を開くことはなかった。
何度も引っ越しを繰り返して、でもその本は手元に残った。

だいぶ大人になってから、引越しの梱包をしているとき
「あのときの本」を見つけ、開いてみた。
それから、だんだんに読むようになった。
寝る前に、偶然開いたページを、少しだけ読む。
そうやって読んで行き、何度も、繰り返し、繰り返し読むようになった。
なにか惹かれるものがある。心に響くところがある。
読めば、なにか安心する。慰められる。救われることもあるし、叱られることもある。
だからたぶん、深夜にちょっとだけ読む、ということになったのだろう。

今ではすっかりぼろぼろになって、あちこちテープで止めたりして、まだ読んでいる。
今わかることは、この本は、自分にとっての薬で、導きだ、ということだ。
あのとき、この本を下さったS氏は、そうなることを見越しておられたのだろうか。
おそらく、もうとっくに亡くなられただろう、あのS氏とこの本が、自分の人生を変えてくれた。
S氏と、この本の著者への感謝を、できることなら伝えたい。 Copyright©2017RioYamada

2017年4月21日金曜日

芭蕉、春


雪間より薄紫の芽独活哉
 

山路来て何やらゆかし菫草
 

さまざまのこと思ひ出す桜かな
 

西行の庵もあらん花の庭
 

命二つの中に生きたる桜かな
 

前髪もまだ若艸の匂ひかな
 

何の木の花とはしらず匂かな
 

草も木も離れ切つたるひばりかな
 

春なれや名もなき山の朝霞
 

月花もなくて酒のむ独り哉

                      松尾 芭蕉(1644 - 1694)

2017年4月14日金曜日

過去





過去は
あなたが置いたと思った場所には
けっして ない。

           キャサリン・アン・ポーター(1890-1980)


2017年4月8日土曜日

桜


明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは 

                                  親鸞
rio yamada photo


2017年4月3日月曜日

与謝野晶子 ①


なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

舞姫のかりね姿ようつくしき朝京くだる春の川舟

よそほひし京の子すゑて絹のべて絵の具とく夜を春の雨ふる

清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき  

いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春

こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露

鳥辺野は御親の御墓あるところ清水坂に歌はなかりき

夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ

京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき

なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇

詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に

くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき

                               与謝野 晶子(1878-1942)

2017年3月30日木曜日

こよいあふひとみなうつくしき



吉野山さくらが枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな
                                                    
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ

吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ

ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ

                                                               西行法師

行かむ人來む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花

                                                               大伴家持

いそのかみ古き都を來て見れば昔かざしし花咲きにけり

春霞たなびく山の桜花 うつろはむとや色かはりゆく 

                                                              詠み人知らず

清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき                     
                      
                                       与謝野晶子

わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ

かすかなる風ある空かさくらばな雪片のごともしばし宙舞ふ

しんしんと頭の底にも陽は差してそこも桜の無惨の白さ

花朽ちて沈みてゆきし野の井戸の無明無限の水深想ふ

                                    河野裕子  

2017年3月29日水曜日

花冷え

 花冷えの雨のひときは濡らすもの 

花冷えの閉めてしんかんたる障子 

花冷えのみつばのかくしわさびかな

花冷えのうつだけの手はうちにけり

花冷えのうどとくわゐの煮ものかな
 
                  万太郎

やすらへば手の冷たさや花の中
                  岡本松浜

命二つの中に生きたる桜かな

さまざまのこと思い出す桜かな
                  芭蕉


 

2017年3月26日日曜日

今日から春

今日から春。
なぜかというと、冬の間、姿が見えなかった
アダンソンハエトリグモが、
今朝、無事に、再登場したから。
場所はキッチン。暖かいところを選んで、ということか。
去年と同一個体かどうかは、不明。
あるいは、ぼくの友達のアダンソン君の子孫かも。
なにはともあれ、よかった、よかった。

2017年3月21日火曜日

ミモザ



                    山田リオ
 

ミモザを思い出すとき、その後ろに見えるのは、マルホーランド・ドライヴだ。
ハリウッドとヴァリーを分ける低い山脈、というほどでもない、丘の上を行く尾根道、片側一車線の狭い道。
ところどころに、ちょっと車を止めて休むところがあって、そこに、かならずと言っていいほど、黄色いミモザが咲いていた。
そういえば、マルホーランド・ドライヴという映画があったな。
よく通った尾根道、南カリフォルニアの陽射し、青い空、ミモザ。
さっき、それを、一ぺんに思い出した。
すっかり忘れていたが、今朝の日差しが思い出させてくれた。

2017年3月19日日曜日

鶯


鶯の根岸の里や蜆汁

鶯の来ぬ春の日となりにけり

                正岡 子規 (1867 - 1902)

2017年3月6日月曜日

あんしん

                     山田リオCopyright©2017RioYamada
しょうがくせいのとき
くらくなってから でかけて
ちかくの いけにいった

そこは ひるま ひとりで くちぼそをつったり
アメンボが すいめんをすべるのをみたりする
おきにいりの すきなばしょだった

このひは よるになってから いけにいった
いけのそばで しゃがんでいた
まっくらな いけのほうから カモのこえがきこえた

みんな ちいさいこえで はなしていた 
「おい」「いるか」「いる」「よし」
「ここ」「だいじょぶ」「いる」「うん」

そんなふうに みじかいことばで 
「ここ」「げんき」「いる」「うん」
「ねたか」「おきてる」「うん」「だいじょぶ」

すこしだけ なにもきこえなくて で また
「おい」「なに」「だいじょぶ」「うん」「いっしょ」
「あんしん」「うん」「いっしょ」「あんしん」
ちいさいこえで きれぎれに 

さむくなってきたから かえろうとおもった
たって いけをみたけど なにもみえない
くらいみちを だまって ひとり あるいた
かもは あんしん
かもは あんしん
ぼくはだまって ひとりあるいた Copyright©2017RioYamada
 

2017年2月6日月曜日

生きなさい


「生きなさい。あなたが生きる時間は短く、
あなたが死んでいる時間は、おそろしく永いから。
忘れないで!」

       スコットランドのことわざ



(本当にそうだね。比率で考えると、
自分が生きている時間は、全部合わせても、ほんの一瞬。
自分が死んでいる時間は、ほぼ無限、未来永劫だ。 やまだ)

2016年12月18日日曜日

祭りの日

                山田リオ
祭りだなあ
と 思う
生きているのは
祭りだ
つくづく そう思う
それは ときどきやってくる祭りではなくて
今日 一日だけの祭りだ

べつに 気の合った仲間たちと集まって
盛り上がる みたいな事ではなくて
それは 一人きりでいいんだ
ときには 二人だってかまわない
今 外で鳴いている鳥でもいいし 昆虫とだっていい
それもべつに いてもいなくても
あってもなくても いいんだ

今日
そして今 ここにこうしていること
それが祭りだと思う
それこそが祭りだ
それはまったくすごいことで
ありがたいことだ

だから 今日は祭りの日で
今はまだ 生きている
そして 今日がもうすぐ終わって
明日の朝 もしも目が覚めて
その時 ぼくがまだ呼吸しているのなら
明日は 祭りの日だ
ほんとうにありがたい
めでたい 祭りの日だCopyright©2016RioYamada


2016年11月30日水曜日

平城山(ならやま)


        北見志保子(1885-1955)

ひと恋ふは かなしきものと 平城山に
もとほり来つつ 堪へがたかりき

いにしへも 夫(つま)にこひつつ 越えしとふ
平城山のみちに 涙おとしぬ

2016年11月21日月曜日

西行

今よりはいとはじ命あればこそ
かかるすまひのあはれをも知れ

あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ
来む世もかくや苦しかるべき

なにごとも変はりのみゆく世の中に 
おなじかげにてすめる月かな

秋はただ今宵一夜の名なりけり 
同じ雲居に月はすめども    *今宵一夜(こよいひとよ)

いつとなく思ひに燃ゆるわが身かな
浅間の煙しめる世もなく

なき人のかたみにたてし寺に入りて
跡ありけりと見て帰りぬる

風になびく富士の煙の空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな   *煙(けぶり)

                                       西行法師(1118-1190)

2016年11月7日月曜日

「生々流転」2007 再録

■2007/12/28 (金) 生々流転

「生々流転」      山田リオ
Copyright©2007RioYamada
 

テレビで福岡伸一さんの対談を聞いていて
それは、きちんと書き取っていなかったのだが
聞きながら、「生々流転」という言葉を考えていた
福岡さんの話では、人間の肉体というものは
ガスのようなもので、常に入れ替わっているという
肉も骨も内臓も脳も血管も
身体のすべての細胞そのものも、内容も、すべてが
今日食べた物の分子と絶えず入れ替わっていて
それはたぶん、川や雲や風や海がそうであるように
私たちの肉体もまた、絶えず流れているのだという
だから、一年たてば、一人の人の身体は
一年前の、あの身体とは全く別の分子や粒子で出来ていて
そしてなおも、絶えず新しい分子が流れこみ、受け入れ
古い肉体の構成要素を排泄しながら絶えず自身を革新し
排泄されたものは、また別の生命体の、または無生物の
構成要素として入れ替わり、流れていくという
ガスのように流れている粒子の、その一瞬が、たまたま
一人の人の生だ、というのが現代の科学の結論だというのなら
大昔の無知な人が思っていた命とは、生々流転とは
古いけれど、同時に、無知どころか
おそろしく進歩的で、かつ真理だったわけだ

その思いは、わたしをすっかり安心させた
そうか、そうだったのか
わたしの肉体が生きている間も、そして死んだあとも
わたしを構成するすべての粒子は自然に帰って行っているわけで
わたしがいなくなっても、わたしの身体の分子や粒子は
バクテリア、菌類、ミミズ、昆虫、鳥、樹、草、雨、風、川、海
そういうわたしの好きな自然界のなかまの一部になって
無数の生命や風土、気象や天空へもどって行って
無限にめぐり、循環を繰り返してしてゆくのなら
それはつまり、みんな、なんでも不滅だということだ
生まれ変わる、というのは、そういうことだったのか
それなら、死ぬことも、生まれることも、生きることも
すべてが、陽に光って流れる川のように思えてきて
なんだか、ひとりで
ほほえんでしまう。
Copyright©2007RioYamada

2016年10月28日金曜日

年老いたアジアの手

Old Asian Hand 
  

 中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ


 
年老いた アジアの手 

      マリリン・チン 山田リオ訳


年老いた アジアの手よ

わたしの ハタハタと羽ばたく

ここに 触れよ

この わたしの心臓 

わたしの 胸の蝶々

すみれ色の 椿の花

この心臓が 真夜中に 鼓動する


年老いた アジアの手よ

おまえの体の 左半分を 

今 月光が 切り取っている

あの 黄色いもの あれは 草

身もだえすることを 

学ぶことがなかった 草だ


年老いた アジアの手よ             

蒼い赤道の下に 秋の初めの 

湿った 温かな 地衣類が 見えるか?


新たな 民族離散という名の

泥炭層 その すぐ下には

透明な 冷たい水が 流れている 

copyright2005© rio yamada


2016年10月11日火曜日

八木 重吉 ②

秋のひかり

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう

雨

窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう


石

ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた


草に すわる

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる

草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる

響

秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる

無題

ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった

                八木 重吉(1898-1927)