いつの間に世に無き人ぞ梅雨寒し
2021年4月30日金曜日
2021年4月24日土曜日
2021年4月18日日曜日
おかえり
自分が 何を思っているのか
自分が どんな人間なのかを
自分自身は ほとんど知らない
それに気がつくことが 時々ある
今朝 出かけて帰ってきたら ドアの傍に
いつも その辺にいる あの ヤマバトが
じっと だれかを待っていた
そして あの ヤマバトの声で「おかえり」と
ぼくに そう言った ような気がした
ヤマバトは そのまま ぼくを見ているので
しばらく ヤマバトに いろいろと話をしたあと
ヤマバトとは 別れた
そのあと 一日中 ずっと うれしかった
つまり ぼくは 人と会うより 鳥や虫と会う方が うれしいんだ
自分はそういう人なんだ ということに 気が付いた
あの ヤマバトとの時間を思い出すと うれしい気持ちになる
山田リオ
2021年4月16日金曜日
2021年4月9日金曜日
小さな
朝の 最初の 一杯の珈琲の出来によって その日の幸福の度合いが左右される 豆を挽いて その都度コーヒーを入れる 豆はブレンドしているが いつも同じ組み合わせではない 豆の焙煎と水分含有量が重要なので そのへんが上手くいって 理想的な一杯が 朝食と一緒に呑めれば その日は 良い日になる
表現生活の方では 最近 やっと一枚 納得できる作品が出来た これを手掛かりにして さらに突き詰めていけたらと思っている でも ネットなどで発表することはしない 何枚か貯まったら どこか 小さな珈琲屋さんなんかで 個展を開くのが夢だ これは 小さな夢だが そこを目指して歩こう 山田リオ
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| ダンボールのパレット |
2021年4月7日水曜日
2021年3月28日日曜日
2021年3月27日土曜日
猫は
山田リオ
朝 猫は 窓のそばにいて 遠くを見ている
猫は 窓の外の 高いところを見上げている
朝の空気の中 樹の上の高いところの 小鳥の影を
猫は これ以上ないくらい真剣に 目で追いかけている
そして それは 猫にとって 幸福な時間だ
猫は 死ぬときが近づくと どこかに 行ってしまうという
きっと 猫は だれもいない 小鳥の声だけが聞こえる場所で
おだやかに ひとり 旅立って行きたいんだろう
私も おしまいの時がきたら 誰もいない 静かな林の中
人間の声なんか聞こえない 遠い やさしい林の中
朝の すきとおった空気を吸い 小鳥の声を聞きながら
小鳥が落とす影の下 落ち葉の上に 横たわっていたいと 思う
| rio yamada photo |
2021年3月21日日曜日
完結
哲学や心理学の本を、たまには読む。読めば面白いし、興味はあるけれど、何しろ頭があまりよくないので、読めば読むほど、ますますわからなくなるような気がする。
俳句や短歌を作る人の中には、句や歌をつくるだけではなくて、作品について、あれこれ言葉で説明する人がいて、それも困る。作品自体で完結しているのなら、説明はいらないんじゃないか。作品より説明の方が長いっていうのも、どうなんだろう。なら、作品はなくてもいいんじゃないかなあ。
自分にとって、毎日の生活の中で、なくてはならないのは、音楽なら器楽曲、つまり、言葉のない音楽だ。それもグループではなく、一人で演奏しているものが好きだ。
絵なら、あんまり上手くないものが好きだ。みんなが「うまいなあ」というような物の多くは、細かく丁寧に描き込んであって、まるで写真みたいな、そういう絵が多いんだけど、ああいう「うまい」のは興味がない。あれなら写真、特に昔の白黒の写真の方が好きだ。
絵は、大人に「上手な」絵の描き方を教えられたことがない幼児が描いた絵の方がずっといい。ああいう絵は、心から楽しめる。
器楽曲も、絵も、作品があれば、説明も解説もいらないと思う。黙って見て、聴いて、解説も説明も無しで、そのまま帰る。はい。おしまい。ああ、よかった。
| rio yamada photo |
2021年3月17日水曜日
2021年3月10日水曜日
静かな
「ラスト♪ソング」という本を読んだ。
著者の佐藤由美子さんは音楽療法士で、たくさんの人の最後を見届けた。
認知症やガン、そういう病気で旅立つ人の最後の瞬間、もう意識が無いと思われる人に、
その人にとって特別な意味を持つ音楽を聴かせた時、しばしば、不思議なことが起こる。
それを目撃した佐藤さんの実体験を記録した本だ。
僕が逝く時は、何を聴きたいだろう。
歌なら、アレかな。楽器だけの演奏なら、ピアノ曲かな。
あの人が書いた、あの曲を、Xさんが弾いた、あの録音がいいな。
いずれにせよ、一生のおしまいの最期に聴くなら、
ゆっくりした、pp 静かなしずかな音楽がいいな pp。
うん。それがいい 。
2021年1月28日木曜日
可楽
| ■2011/04/01 (金) |
*海棠や悩みなき日のつづきけり
夕月や青田をわたる風の色
片耳はコオロギに貸す枕かな
枯蓮に師走の水の動かざる
さりながら死にたくもなし年の暮
七代目三笑亭可楽(1886~1944)
海棠(かいどう)
2021年1月27日水曜日
仲間 2006
| ■2006/07/02 (日) 蜂 |
山田リオ
静かだったあの町の 家の小さな庭に
蜂が来るようになった
スズメバチが 最初の常連で
アシナガバチも 来るようになった
毎朝 水を飲みに来るのだ
なにしろ ここは砂漠の町なので
すべてが乾燥している
わたしが 朝 野菜に水遣りをするのを知っていて
その時を 待っているのだ
庭に出ていくと すぐに翔んで来て
頭のまわりを ぐるぐる翔び回る
スズメバチも 知り合いだから 安心だ
一通り ホースで水をまいて
レンガや 塀にも 打ち水をする
蜂は バジルの苗がお気に入りで
水玉が光るバジルの葉にとまって
ゆっくり 水を飲んでから
垂直に上昇して どこかに翔んでゆく
帽子をかぶって リュックを持って
仕事に出かける時でも おかまいなしに
耳のそばで あの蜂の声で
「水をくださいいいいいい」と言うから
急いで出かける時だって
やっぱり 水をあげないわけにはいかない
子供のころから 昆虫や鳥とは 深いつきあいだった
複雑でやっかいな 人間とのつきあいより
それは はるかに心安らぐものだから
ある意味 彼らは ほんとうの友人とも言える
でも 今になって あの頃を振り返って 思う
あの 砂漠の町の 人間ではないご近所さんたちは
残された 命の時間を 共に生きる彼らは
わたしにとって かけがえのない 仲間だ
Copyright ©2006RioYamada
2021年1月16日土曜日
2021年1月8日金曜日
嵐
2016年6月29日水曜日
山田リオ
最近、思うんだけど、
人一人の生命と、蟲一匹の生命は、同じ重さなのか。
どれほどの名声を残そうと、どんなに大きなビルを建てようと、
全巻96冊の作品全集を残して逝こうが、
死んでいく時には、わたしたちは何一つ持っては行けない。
燃えるゴミか、燃えないゴミか、どっちかになるしかない。
蜘蛛がどんなに立派な左右対称の巣を作っても、
夜のあいだに雨が降れば、朝にはその巣は消えている、
それと同じことだ。
猫のまわりに、猫の中に、
すごく巨きな平安を、平和を感じることがある。
木の枝で鳴いている小鳥を見ていると、小鳥のしあわせを思う。
こっちの勝手な思い込みだろうか?
壁にとまっている、いつもの蜘蛛をどんなに見ていても、
そこに何の苦しみも、葛藤も感じることができない。
それは、こっちが鈍感なせいか?
それに比べて、わたしたちの心のなかに吹き荒れる嵐は、なにごとか。
あの蟲、鳥獣蟲魚の心の中にも、私たちと同じような暴風雨があるのか。
訊いてみないとわからないことだが、
窓の外の小鳥の答えは、おそらく明快だろうと思う。
それもこれも、すべては、こっちの思い込みか?Copyright©2016RioYamada



















