2023年12月31日日曜日

この星

クモ ヒト メダカ コガネムシ

コノ ウツクシイ ホシニスム

ミンナ ダレモガ オダヤカニ

                 山田リオ

© rio yamada


2023年12月10日日曜日

うつくしいもの

           八木重吉(1898~1927)

わたしみづからのなかでもいい

わたしの外の せかいでも いい

どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか

それが 敵であつても かまわない

及びがたくても よい

ただ 在るといふことが 分りさへすれば、

ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ


    

© rio yamada

2023年12月7日木曜日

実生 10/04/2011(再録)


2011 © rio yamada
                       山田リオ
地に落ちた種子は発芽し
幸運にも実生となって育った
雨の降る日は一日喜び
雪の降る日々を耐え
実生はきれいな若木になった
今日、森の奥では
光が無言のお祝いをする

(註:実生=みしょう)Copyright © 2011Rio Yamada



2023年11月30日木曜日

現代詩手帖

  「現代詩手帖 12月号」(思潮社)の「今年度の収穫」で、詩人の須永紀子さんに、私の詩集「ときのおわり」 を取り上げて頂きました。 

「病を得て悪化したころから書きはじめたという詩人の、ポエジーあふれる第一詩集。何度読んでも清々しさに魅了される。」須永紀子

また、同欄で、詩人の荒川洋治さん、岡本勝人さんも、「ときのおわり 」を取り上げてくださいました。ありがとうございました。  山田リオ



2023年11月25日土曜日

大きい小さい

大きい山 小さい山 大きい川 小さい川

大きい人 小さい人 大きい手 小さい手 

大きい窓 小さい窓 大きい空 小さい空

大きい雲 小さい雲 大きい音 小さい音

                山田リオCopyright©2023RioYamada

© rio yamada 


2023年11月17日金曜日

悲しみ


             

 1963年、  アロウド・ロボとニウチーニョ(ブラジル)の作品。「悲しみ」は、歌詞の最後の部分、「新しい歌が欲しい」でも知られている。
この録音の始めの方、ヴィニシウスが「アロウド」と呼びかけるの、聞こえますか?
歌っているのは、ヴィニシウス・ヂ・モライス(ブラジルの詩人、1913~1980)  と、トキーニョ(1946~)。

2023年11月12日日曜日

蛇の足 蛙の尻尾

                                                山田リオ

遺言は もう 書いてしまった

さて 次は 何を書こうか

なにか 軽くて ユーモアのある ドルチェ? 甘いもの?

ああ でも そういうものは 

軽い と言ったって なんだか 気が重い

何を書いたとしても それは 蛇の足 蛙の尻尾 

みたいな気がするのは ぼくの頭が おかしいのか

それとも すべては 気候変動のせいなのか

まだ 秋が来ないうちに もう 冬が来てしまったのは 誰のせいか

そうだ 遺言の 続編を 書けばいいんだ そうしよう

そうすれば 蛇さんも 蛙さんも きっと 喜ぶんじゃないかな

                      Copyright©2023RioYamada

© rio yamada 



2023年10月25日水曜日

秋草光


 


秋が くると いふのか

なにものとも しれぬけれど

すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、

わたしのこころが

それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか



                                  八木重吉 (1898~1927)
© rio yamada


2023年10月8日日曜日

雨の匂い

雨の匂いのする 午後

明日はきっと 雨

           山田リオ

© rio yamada


2023年10月6日金曜日

  ■2005/10/28 (金)         山田リオ 

気がついたら いつのまにか わたしは

母よりも 年上になっていた

これから もし わたしが生きていれば

毎年 一歳ずつ 母より年上になっていくわけで

それは 不思議なことのようにも思える

親戚の一部から 無視されていた母は


口数が少なくて 他の人とは どこか違っていた

でも わたしにとって 彼女はいつも 

ただひとりの母だったし 今も それに変わりはない

むしろ 自分は 男でありながら

だんだん 母に似た人間になっていく気がする

わたしは 父をおぼえていないので

母とわたしは この世で唯一の親であり 子であり

歳を重ねることで 母に似ていくのは 当然のことかもしれない

母は 物の手触りを愛する人だった 何かに目をとめると

とことこ歩いて 道を横切り 手を触れずにいられなかった

それは 角の教会の 壁の石積みだったり

古びて朽ちかけた 板塀だったりするのだが

彼女は立ち止まり 目でいつくしんでから そっと手を触れた

母に「勉強しろ」 と言われたことは 一度もなかった

将来や就職について 訊かれたことも 一度もなかった

でも 彼女は ぼくが 何か 好きなことに夢中になっているのを

石や板塀を見るのと同じ あの まなざしで

曲がり角から覗き見るように 見ていた

お母さん わたしは だんだん あなたに似てきました

そして あなたが何を思い なにを感じて 生きていたのか

すこしだけ わかってきたような 気がするのです

いつか あなたと 再会できる日が来たら

あなたに そっくりな人間に生んでくれて ありがとう

そう 言いたいです         Copyright©2005RioYamada
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2023年10月4日水曜日

姓名

 姓は苗字、名は名前、英語だと、Last name and first name.

ああ、そうだ。surname, given name という言い方もある。

surname が苗字で、given name が・・

でも、「下の名前」という言い方には、なんだろう、違和感がある。

ぼくの名前の「リオ」は、ポルトガル語、またはスペイン語で「河」という意味だ。

そして、河は、海に向かって流れて行く。そう。いつか、海に出会う。

だから何だって? だから、ね、そういうことなのさ。

ところで、一生の間には、一度くらい、

この写真のような日没に出会う幸運も、あるんだよね。 Rio

© rio yamada 



2023年10月3日火曜日

あの音楽

■2010/05/20 (木) 

音楽のことを書きます。
大切な音楽とは、どんなものか、
それは、きっと、一人一人にとって、違うものなんでしょうね。
いや、そうであることを願います。

わたしにとって大切な音楽は、ジャンルで呼べるようなものではありません。
世界に、たった一つの、「あれ」です。
それは、歌詞も無く、まあ、かなり地味なものです。

その音楽は、自分が病床にあって、もうダメだ、という時に、
枕元にすわっていてくれて、静かに話しかけてくれる、そういうものです。

もうどうしようもなくて、あきらめて、ビルの屋上から跳ぼうという、
その時、後ろから、やわらかく抱きとめてくれる、
それが、わたしにとっての、あの音楽です。

どんな音楽かって?
おしえない。
誰が作曲したか? おしえない。
わたしが、どんなに酔っ払っていたって、
おしえない。
とても大切なんだから。

        山田りお  Copyright©2010RioYamada
© rio yamada 


2023年9月30日土曜日

コスモス

 コスモスなんぼでも高うなる小さい家で

            尾崎放哉 (1885~1926)

© rio yamada 


2023年9月22日金曜日





海が少し見える小さい窓一つもつ 

           尾崎放哉 
  おざきほうさい、1885~1926  無季自由律俳句)

2023年9月12日火曜日

信頼できる

 左側 上から二番目のやつを

わたしは 気に入っている なぜなら

たぶん こいつが いちばん 信頼できそうだから ね

          山田リオ Copyright©2023RioYamada

© rio yamada 

2023年8月30日水曜日

終わるんだよ

セミの声が聞こえない夏 いつまでも終わらない夏

スイカを買おうと スーパーマーケットに行った

プラスチックの箱に入れた 細かく刻んだスイカの破片が

ほんの少し あるだけだった

それで 八百屋さんに行ったら 

三日月の形のスイカがあったので すぐ 買った

八百屋さんが 「もうすぐ スイカは 終わりなんですよ」 と言う

そうか 今年の夏は 終わらないんだと思っていたら

スイカさんの世界では 夏は もうすぐ 終わるんだな

それなら 気がつかなかったけど 季節は まだ あるんだ

「そうだよ 夏は もう 終わるんだよ」 スイカさんが そう言っています

                山田リオ Copyright©2023RioYamada

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2023年8月23日水曜日

祝祭

 今日は 雲の祭り なので 「雲の日」に決めました

これは 個人的な祝日です

雲が どんどん動いて行く 新しい雲が生まれる

そんな日なので わたしは 一日 空ばかり見ている 

雲の祭り 雲の日 

        Copyright©2023RioYamada 山田リオ

© rio yamada 



2023年8月22日火曜日

避難

「音楽はわたしの避難場所だった。

わたしは、音符と音符のすき間に這い込んで、

寂しさに寄りかかることができた。」

          マヤ・アンジェルー  (1951~2014)  翻訳:山田リオ



2023年8月9日水曜日

自由

「人は、自分のことを考えていない時だけ、自由だ。」

                   豊崎由美 (1961~)

© rio yamada



2023年8月4日金曜日

ケルアックの道 2018

 

On the Road

「俺のうしろには、何もない。
すべては、俺の前にある。
道の上で、いつもそうだったように。」

「 そのとき、俺の人生は、巨きな、輝く白紙のページに見えた。やりたいことは、なんでもできるんだ。」 
(「オン・ザ・ロード」より)                           (訳:山田リオ)
ジャック・ケルアック 
(1922– 1969)


ジャック・ケルアックは47歳で亡くなったんだな。 
永井陽子は49歳で亡くなり、
笹井宏之は27歳の人生だった。
ジネット・ヌヴーは30歳、
フリオ・ソーサは38歳、
ジャクリーヌ・デュ・プレは、42歳、
そして、富岡鉄斎は89歳。

オン・ザ・ロードは、ちょっとだけ翻訳してみたけど、
やっぱり僕には無理。英語のままで読む方が、いい。
翻訳は諦めた。(山田 05/14/2018)

2023年8月1日火曜日

太陽 2000

 

©RioYamada
この絵を描いてから ずいぶん時間がたった

それは 与えられた時間 つまり 贈り物

その贈り物に 自分は ふさわしかったのか

それは いつか また 考えることにして

今は これを描いた頃の 自分が

何を思っていたのか 思い出そうとしている

      山田リオ Copyright©2023RioYamada

 

2023年7月27日木曜日

「ときのおわり 」に

 詩集「ときのおわり」に、嬉しい感想を頂きましたので、掲載します。どうもありがとうございます。

)無国籍のような、無所属(性を超えて、人間であって昆虫であって植物であって)、そして時の中に揺蕩う詩の数々。() ひたすらその「今」を言葉にされている。それがとても静かに沁みる水のようだと思いました。」               E.H. (校閲者)

              
© rio yamada




2023年7月22日土曜日

詩とファンタジー

 「詩とファンタジー46号」(かまくら春秋社)の巻末記事「Poemの周辺」に、私の詩集「ときのおわり」 を取り上げて頂きました。 山田リオ

「(略)静かな眼差しで小さな事象について深く掘り下げ、そこにかくされている意味をつきつめる。」




2023年7月20日木曜日

潮流詩派

 「潮流詩派 274号」(潮流出版社)の巻末書評「ブックスⅡ」で、詩人の夏目ゆきさんに、私の詩集「ときのおわり」 を取り上げて頂きました。 山田リオ

「(略)どの詩も自由で、それでいて丁寧で、確然とした明るさがある。言葉にならない答えを見つけようとする作者の、孤独な、ゆずれない思い、安らぎや喜びが、しっかりと読者に伝わってくる。」夏目ゆき

   




2023年7月15日土曜日

みどり色の乗客 2017

                            山田リオ

早朝 地下鉄に乗った

席に着く 下を見ると 床に みどり色のコガネムシがいる

虫は少し動いて 止まる 方向転換して また 止まる

どんどん人が乗って来る 踏まれそうだ

急いで コガネムシを拾って ティッシュで包んだ

虫は じっとしているようだ

目的の駅に着いて 電車を降りて 外に出る

近くの公園まで歩いて テイッシュの包みを開く

コガネムシは元気だ ツワブキの葉の上に 虫を置く

何度か方向転換してから コガネムシは 動かなくなった

コガネムシが 安心したようなので ぼくは 公園を後にした

                     Copyright ©2017RioYamada


© rio yamada

2023年7月12日水曜日

宴(うたげ)のあと

 ■2003/09/25 (木) 宴のあと 

          
白いベルギーレースのテーブルクロスの上には
さまざまなものがこぼれた 染み
半分残った 赤ワインの瓶
食べ残しの 生ハムとイチジク
ソースのこびりついた皿
薔薇の匂いと おやすみを言って帰って行った
友人たちの匂い そして
あの 古い 静かな サンバの唄の余韻が まだ漂っていて
ああ 私の手のひらには
さっき掴んだ あの友人の厚い肩の感触が
まだしっかりと 残っている

飲み 食い 笑い 
うろ覚えの オペラ「道化師」のアリアを歌い
タンゴを ベケットを 三島を
心の中の 雑多なあれこれ ぶつけあい
喜び 悲しみ 怒り ぶちまけ 
冗談を飛ばし 皮肉を言い
共に笑い 涙を流す
わたしの 生涯の友人よ
あなたは主張した 明日のメインレースは
レクタスという馬が 先行逃げ切りで 勝つと
彼は その大穴に賭けるのだ と宣言した
わたしは反論した いやいや それは違う と
クロスカットが直線で 最後方から差し切るだろう
それには同意できない と彼は言った
ゼン レッツ アグリー トゥ ディスアグリー
では 同意しない ということで 意見は一致だ
レースの結果は 明日になればわかることだ 
そう言って わたしたちは乾杯した  
あの頃 毎日が 人生の祭りだった

あの日の宴のあとは もう どこにもない
あの 生涯の友人も もう どこにもいない 
さあ もういちど
あの 古い静かなサンバの唄を聴こう
瓶の底に残った 赤ワインの数滴を注いで 乾杯しよう
死が私たちを分かつとき そして その後も
けっして消えることのない友情に
乾杯しよう    Copyright ©2003RioYamada 

(Pに捧げる)
© rio yamada



2023年7月5日水曜日

扉 2009

© rio yamada

                                               

9/19/2009
                              山田リオ

その扉は そこらじゅうにあって
でもふだんは だれにも見えない
ごくたまに 扉は開く
たぶん とても特別な日に
すべてがうまく合ったとき 開く
だれにでも 開くわけじゃない
あなただけのために
ある日 なにかわからない理由で
その扉は 開く
そして そのとき
あなたは 扉を通り抜ける    
Copyright ©2009RioYamada

2023年6月20日火曜日

ユタの食事

 ■2007/08/07 (火) ユタの食事 


「ユタの食事」
                     山田リオ

ポプラの木の下を 川が流れている

水がたっぷり盛り上がり ところどころ渦を巻いて

川岸の草むらに 溢れ出そうになりながら

流れている 幅五メートルほどの川の

とろりとした 暗色の 冷たい水の深みに

カワマスは きっと いる

わたしは ポプラの木陰にかくれて

カワマスに 見られないように注意しながら

ハリに ミミズをつけ

赤い トウガラシのかたちの 浮きもつけて

そっと 水の中に送り込む

しばらく待っていると あっという間に

糸も浮きも釣竿も みんないっぺんに

川の深いところまで 引き込まれる

やがて 銀色のなかに 虹を秘めたマスが

あきらめたように 青草の上に横たわって

わたしはナイフで まだ生きている魚の腹を裂き

内臓を捨て そのかわり 香草とレモンをつめこみ

持ってきた岩塩を ふりかけ そして

ポプラの枯れ枝で 焚き火をつくる

フライパンに入れたバターが 熱くなるまでの間

さっき 川の流れで冷やしておいた

あの ワインを呑もうと思う

焦げはじめた バターの香り

レモンと 香草の匂い

マスの 皮と肉が焼ける匂い

川の匂い 青草の匂い ポプラの匂い

焚き火の匂い ポプラを吹く 高原の 風の匂い

何もかも すべてをひっくるめた

これが 今日の わたしの食事だ    Copyright ©2007RioYamada


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2023年6月17日土曜日

赤い野球帽

            03/21/2006                                                                          山田リオ

一週間 昼も夜も 激しい雨が降り続いてから 

クリスマスの朝になって 雨が止んだ

雨の中でも ヤマバトは庭に来て 餌を待っている

朝 ガラス窓を叩くのも ヤマバトだ 餌の催促だ


雨の一週間 ハチドリは 一度も姿を見せなかった

赤いルビー色のも 緑の玉虫色のも 現れない

雨音で あの「ブーン」が聞こえなかったわけではなくて

給餌器の砂糖水が 少しも減らないのだ 

毎朝 気をつけているのに 呑んだ形跡がない

小指ほどのハチドリでも 運動量が多い

カロリーが必要で 絶えず蜜を飲まないと 

生きていられない そう思う


雨が止んで 晴れた朝 ドアを開けた 

ジャカランダの木の方から あのハチドリが 

ブーンという羽音を立てて 勢いよく飛んで来た 

雨の間 どうやって生き延びたのか わからない

もしかして ハチドリは こんな長雨の時 

短い冬眠をするのかもしれない と思う

仮死状態になって 命を繋いでいるのか 


今朝もまた ルビー色の きらきら光る あのハチドリが 

ぼくの目の前 30cmの位置で 空中停止している 

ブーン 翼が すごいスピードで羽ばたいていて 見えない

じっとこっちを見ているのは ルビーくん ほんとうは

ぼくがかぶっている 赤い野球帽が 気に入っているのだ  Copyright ©2006RioYamada


2023年6月13日火曜日

でも 貧しい私には 夢しかないのです

私は あなたの足元に 私の夢を広げました

やさしく歩いてください 

あなたは 私の夢の上を歩くのですから

              W.B.イエーツ「葦を吹く風」より 山田リオ訳




2023年6月9日金曜日

大事なことは詩を理解することではなくて、詩を書くことであり、

他人の詩を理解することではなくて、自分の詩を書くことである。

僕らは断じて批評家になってはならぬ。

                石原吉郎 (1915~1977)

© rio yamada


2023年5月29日月曜日

跳躍  2023


あるいていくと とおくのほう

みちのまんなかで はねているひとがいる

ひとりで ぴょんぴょん 

うれしそうに とびはねている

あんなふうに よろこびをあらせるひと

おもいだすと えがおになる 

もっといきていたい そうおもう

     山田リオ Copyright ©2023RioYamada



© rio yamada




2023年5月20日土曜日

自戒

                                                                                              山田リオ               

準備ができたら と思っていれば 


永久に 始められないよ


部屋の中で スマホやPCと一緒に 


うずくまっていたら 何も始まらないうちに 終わる


今 すぐ 外に出て 歩いて 


生きて 動いている 人や 昆虫や 植物や 


鳥や 動物に出会わなければ 


何も生まれない 変わらない 


準備なんか いらない 


今 すぐ 前に進むこと  


今 すぐ ここで 始めないと 

このまま 終ってしまう         


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2023年5月18日木曜日

ときのおわり

 山田リオの詩が 本になりました。

青磁社刊 詩集「ときのおわり 」です。

アマゾン、紀伊國屋書店ウエブストア、

楽天ブックスなどでお求め頂けます。

どうぞよろしく。

© rio yamada


2023年4月10日月曜日

 今日は いいことがあったので

昔 あの街で手に入れた 鳥の絵を

この絵を ときどき 見ています

誰が 描いたのかは 当てたら エライ。

              ヤマダ

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