落花生。らっかせい。
堅い殻に二個ずつ入っているのが、落花生。
それを割って、なかにある茶色い薄皮をまとった、
あれがピーナッツ。
あれ、食べ始めると止まらないんですよね。
外の殻を割るという行為、それから薄皮を剥いて食べるという、一連のプロセスが、なぜかどうしても止まらない繰り返しへとつながる。
ところで、最近、すごく気になっているのが、テレビのトークショウなどを見ていると女性のゲストが出てきますね。
そういう人でも、また、ニュース番組などで町の通行人に短いインタビューをする時でも、ほら、話しながら、まるで前髪が眼にかかって、視界の邪魔であるのを、払いのけるように、軽く頭を振って「ぱさ」ってやる動作、あれです。
あれが気になり始めたんです。恐れ入りますが、今、ちょっとやっていただけます?はい。それそれ。ありがとう。
テレビではなく、実際に仕事などで女性と話しているとき、この「髪ぱさ首ふり」に出会った場合、困ります。見ちゃうんですね。ああ、やってる。またやった・・・
なかには、髪の毛が止めてあったり、固めてあったりで、いくら頭を振っても、髪の毛は微動だにしない場合もあって、それでも、またしばらくすると、あの「首ふり運動」をする。これをする人が、多くなっているような気がする。気のせいかしら。
もちろん、この「首ふりパサ」をやる男性もいます。
だからこれは、一応、男女無差別の行動と言えましょう。
ところが、見ていると、これを全くやらない女性もいます。
こういう強い意志というか、『世間の風潮に流されない』人を見ると、年齢や美醜に関係なく、「いいなあ」と思います。
おそらく、あの「首ふり」行為は、みんながやってる流行という側面もあり、また「美しいヘアと優雅な動き」の表現でもあり、そしてまた「ピーナッツを食べるのがやめられない」に似た、強迫性神経症にも似た側面もあるんじゃないでしょうか。
見ていると、さっき首ふりをしたのに、またしたくなって、でも我慢をしているのがわかる人がいます。「ああ、やりたいんだな」と、見ていて思う。
そうなると、話題なんか聞こえなくなって、集中して首ふりを待ちます。
そうやって見ていると、「ほら、やった」、やっぱり「ぱら」をするんです。
あれは、そういう行動サイクルに入ったら、もう、止まらないみたいですね。
ほら、今これを読んでいるあなたも、「ぱら」をやりたくなったでしょ?
え?ぼくですか?ぼくは「ぱさ」ってやるほど、毛髪を所有していないのでね。
もしかして、そのせいで、豊かな髪の人たちが気になるのかも。
でもさ、非常に毛髪の乏しいお父さんが、それを忘れて「ぱさ」とか、首ふりをやったら、おかしいね。
山田リオ
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