■2006/01/28 (土) おかえり
「おかえり」
山田リオ
知り合いの、あの猫がいなくなってから
三週間がたちました
それは薄汚れた灰色の雄猫で
夜の散歩のときに、彼は
いつも、あそこの塀の上にいて
逢えばいろいろ話をしたのですが
年が明けてから見えなくなったのでした
昨日の晩、あの塀のそばを歩いていて
あの猫が、きゅうに塀の上に現れました
いつもなら、「どうしたの?」「元気だった?」などと訊き
彼のほうは、「にゅ」とか「ぷ」とか
短い言葉で返事する、そういう対話になるのですが
昨日は、塀の上に伸びたジャカランダの木で
爪をといだり、頬をすりつけたりしてから
ちゃんとわたしの目を見て
かなり長いセンテンスで話をしてくれたのでした
わたしは、猫語がすべて理解できるわけではありませんが
それでも、「また会えて、うれしいよ」という部分と
「明日も来るのかい?」という部分は理解できました
大げさな別れは、好きではありませんから
「じゃ、またね」そう言って背中を向けて立ち去って
曲がり角まで来て、振り返ると
もう塀の上に、あの猫の影はなくて
どこか秘密の場所に帰って行ったのだな
そう思いながら、気持ちがあたたかくなって
わたしも家に帰りましたCopyright ©2006Rio Yamada
2015年10月30日金曜日
2015年9月30日水曜日
どんぐり 再録
■2009/04/05 (日)
「そんなら、かう言ひわたしたらいゝでせう。このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなつてゐないやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
山猫はなるほどといふふうにうなづいて、それからいかにも気取つて、繻子(しゆす)のきものの胸(えり)を開いて、黄いろの陣羽織をちよつと出してどんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しづかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちやくちやで、てんでなつてゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ。」
どんぐりは、しいんとしてしまひました。それはそれはしいんとして、堅まつてしまひました。
「そんなら、かう言ひわたしたらいゝでせう。このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなつてゐないやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
山猫はなるほどといふふうにうなづいて、それからいかにも気取つて、繻子(しゆす)のきものの胸(えり)を開いて、黄いろの陣羽織をちよつと出してどんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しづかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちやくちやで、てんでなつてゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ。」
どんぐりは、しいんとしてしまひました。それはそれはしいんとして、堅まつてしまひました。
2015年9月10日木曜日
和風は河谷いっぱいに吹く
宮澤賢治(1896-1933)
たうとう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は
いま小さな白い花をひらめかし
しづかな飴いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
あゝ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖し
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
茎稈弱く徒長して
穂も出し花もつけながら、
つひに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまひ
うへには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
あゝ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つなからうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっかうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代りには
十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
わづかの苗のつくり方のちがひや
燐酸のやり方のために
今日はそろってみな起きてゐる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
いまさはやかな蒸散と
透明な汁液の移転
あゝわれわれは曠野のなかに
蘆とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りない
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宮澤賢治
2015年8月31日月曜日
2015年8月7日金曜日
2015年7月15日水曜日
山崎方代 ①
降りやみし雪うすうすと受けとめし朴の葉っぱのそのやさしさよ
移りゆく冬の時雨にぬれながら石青々と静まりかえる
そして夜は雨が激しく降ってきてただ暗がりにひとり寝るだけ
外燈のかさをかこみて雪が降るただそこだけを舞っているのだ
約束があって生まれて来たような気持になって火を吹き起こす
とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる
一本の傘をひろげて降る雨をひとりしみじみ受けておりたり
遠い遠い空をうしろにブランコが一人の少女を待っておる
小海線の電車の窓からふんわりと麦藁帽子がころげ降りたり
人間はかくのごとくに悲しくてあとふりむけば物落ちている
シグナルの青と赤とのまたたきよ平和はここに溢るるばかり
ああここはこの世の涯かあかあかと花がだまって咲いている
こんな夜にかぎって雨が降り出でて空の徳利を又ふってみる
山崎方代(1914-1985)
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山崎方代
2015年6月1日月曜日
歴史
山田リオ
朝から風が吹いていて
木の葉も枝も、ゆれている
揺れる木の葉の音のむこう
オナガがさっきから、くりかえし
なにかをしつこく主張している
ムクドリが負けずに、言い返す
ほかのオナガも、加わって
みんなでうるさく、言い争う
すこしはなれて、ヒヨドリが
なにか、短い言葉をはさんだ
そんなことは、おかまいなし
シジュウカラは、ゆれながら
楽しいことを唄っている
ここでねているわたくしが
ねむくてしかたがないことを
あの鳥たちは、すこしも知らない
何千年も、してきたように
風はやっぱり木々を吹いて
鳥もいっしょにゆれている
にんげんたちに何があろうと
そんなことは、おかまいなし
これから先の、何千年
やっぱり風は木々を吹いて
鳥もいっしょにゆれながら
楽しいことを唄うだろう
Copyright ©2015RioYamada
朝から風が吹いていて
木の葉も枝も、ゆれている
揺れる木の葉の音のむこう
オナガがさっきから、くりかえし
なにかをしつこく主張している
ムクドリが負けずに、言い返す
ほかのオナガも、加わって
みんなでうるさく、言い争う
すこしはなれて、ヒヨドリが
なにか、短い言葉をはさんだ
そんなことは、おかまいなし
シジュウカラは、ゆれながら
楽しいことを唄っている
ここでねているわたくしが
ねむくてしかたがないことを
あの鳥たちは、すこしも知らない
何千年も、してきたように
風はやっぱり木々を吹いて
鳥もいっしょにゆれている
にんげんたちに何があろうと
そんなことは、おかまいなし
これから先の、何千年
やっぱり風は木々を吹いて
鳥もいっしょにゆれながら
楽しいことを唄うだろう
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歴史
2015年5月10日日曜日
イマゴ・ムンディ
精神分析のほうの、よくわかりませんが非常に有名な、藤山直樹先生という方がいらっしゃって、
この先生が俳句もされます。この人の俳句が非常に好きなんですが。

もう一人、ドイツ生まれの小児心理学者で、ピーター・ブロスという人を、友人を介して知りました。この人も、偶然ですが、詩人なんですね。Peter Blos (1904-1997)。 この人の、イマゴ・ムンディ Imago Mundi という詩集を戴きまして、今も手元にあります。
これが、詩集の題名が、よくわからないんですが。ラテン語です。
題名はラテン語でも、本の内容は英語で書かれています。
イマゴ、は辞書を引きますと、
1)成虫、つまり昆虫の成体、幼虫が変態を繰り返して、成虫になる。
2)心理学用語で、「理想化された自己のイメージ」、という意味だそうです。
なんのことやら。。
更に、ムンディは、世界の複数形ですが、そう簡単にはいきません。
いろいろと意味がありそう。わからないことをいくら検索しても、やっぱり分からないんで。
なんだろう。幼虫が自己の成虫としての理想的なイメージを持ちながら、成長し、変態し、最後に大人の蟲になり、世界に出て行くのかな?あはは。汗。
このピーター・ブロスさんは若い頃からドイツ語で詩を書いていたそうですが、彼は80歳になって、突然、英語で詩を書き始めた。そして、90歳までの10年間に書きためた英語詩集が、このイマゴ・ムンディです。
人生の最後の10年間という時間で、変態を終えられたのでしょうか。
この詩集を出版されて、しばらくして、亡くなられました。
だからなんだ、というわけではないんですが、この本を、読んでいます。
このブロス先生と、藤島先生には、勇気を頂いています。 山田リオCopyright ©2015RioYamada
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| ハンミョウ |
このピーター・ブロスさんは若い頃からドイツ語で詩を書いていたそうですが、彼は80歳になって、突然、英語で詩を書き始めた。そして、90歳までの10年間に書きためた英語詩集が、このイマゴ・ムンディです。
人生の最後の10年間という時間で、変態を終えられたのでしょうか。
この詩集を出版されて、しばらくして、亡くなられました。
だからなんだ、というわけではないんですが、この本を、読んでいます。
このブロス先生と、藤島先生には、勇気を頂いています。 山田リオCopyright ©2015RioYamada
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イマゴ・ムンディ
2015年4月25日土曜日
靴下
山田リオ
靴下は、ひとつでは一足にはならない
両足分、二つそろって、一足になる
かたっぽだけの靴下は
クリスマスイヴにサンタさんから
プレゼントをもらうとき、役に立つけれど
私の場合、サンタさんには忘れられてしまったし
足は二つあるから、靴下でもソックスでも
やっぱり二つないと、穿いたことにはならない
靴下には右用と左用があって
左用は、いつでも左足に穿く
なぜかというと、どの靴下も
左のほうがゆるくできているので
わたしの左足にはゆるい靴下を
右足のほうにはすこしだけきつい靴下を
はくのがきまりになっていて
右用のを左足に穿くと、きつくてたまらないし
左用のを右足に穿くと、ゆるくて気持ちが悪い
だから穿く前に、注意して右か左かを判断する
一度で左足用を左に穿けたら成功で
右足のほうは、のこった一つを穿くだけでいい
でも、たいていのばあい
右用の靴下を左足に穿いてしまって
あわてて脱いで、もう一つのほうを
左足に穿いてみて、やっと安心する
そんなふうに、同じように見える靴下も
一足だというので二ついっしょに買ったのに
ふたつの靴下は、けっして同じではない
人間も靴下とおなじで
ふたりおんなじ人間というのは存在しない
かりに、二人が一卵性双生児だったとしても
二人はやっぱり、どこかちがっているわけで
人も、靴下とおなじように、同じものは二つない
では、こんどいつか、靴下ではなく
足袋や、下駄や、靴の話もしようね。
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靴下
2015年4月8日水曜日
2015年4月2日木曜日
2015年3月29日日曜日
2015年3月25日水曜日
2015年3月16日月曜日
2015年2月13日金曜日
2015年2月12日木曜日
2015年2月9日月曜日
2015年1月2日金曜日
2014年12月21日日曜日
Fountain Pen
山田リオ Copyright ©2014RioYamada
泉筆。萬年筆。
万年どころか十年も使わずに
でも、捨てることもできず
何度引越しても、ついてくる
じゅうねんひつ、じゃない、まんねんひつ
思い立って、文房具店に行った
水で洗浄すれば、使えるという
きれいに洗ってもらって
ロイヤル・ブルーのインクも買った
百年筆じゃなくて、マンネンヒツ
さて、何を書くか
手紙はメールだからな
もしくはメール添付だから
ペンでは書かないな
日記は、ブログだからな
千年筆でもない、万年筆
そうだ、買い物リストを書こう
ミルク、ヨーグルト、
コーヒー豆、フィルター
ゴミ袋、流しのゴミネット
でも、なにか忘れてる
今までは右上にある
黒のボールペンで書いてた
買い物リストだけど
これからは、キャップを取って
ロイヤル・ブルーのインクで書こう
一年筆でもない、万年筆
いろいろ書いてみたけれど
やっぱり、名前を書いてみよう
好きな人なら、熊谷さん、谷中さん
永井さん、笹井さん、内田さん、平山さん
いくら書いても、気持ちがよくて
きれいに書ける、万年筆。
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