2013年7月3日水曜日

猫の一生



                                     山田リオ
家の近所に猫がいる。それは黒っぽい灰色の、つまりドブネズミ色の猫で、  
彼はその色のせいで、ずいぶん損をしてきたと思う。
飼い主は、Aさんという独身男性で、めったに家に帰ってこない。       
夕暮れ、窓の灯りがついていることが、少ない。
 
近所の人たちは、この薄汚い猫がAさんの飼い猫だと了解している。
でも、かわいそうだから、ときどき、こっそり、餌をやる。
冬の夜など、あの猫が、近所の家の窓を覗きこんでいることがある。
別の日には、よその家のドアの前で、じっと待っているのを見る。

プライド、とか言っている場合ではない。
彼が、最初から野良猫だったのなら、
自力で生き抜くすべも、身についていただろう。
しかし、彼は、生涯の大部分を、飼い猫として生きて来た。
その甘い育ち方、人間に頼る生き方は、
彼の身体から抜けるはずもない。
ぼくは、その猫に会えば、挨拶もする。    
ぼくが散歩に行くとき、前になり、あとになって、
ほんのしばらくの間だけ同行してくれることもある。

ある日、この猫が、突然、
「あんたの家に引っ越して来ることに決めました」 
と宣言したのには、当惑した。ドアの前に座り込んで、動かない。
気の毒ではあるが、この子の飼い主は、世話をしないにしろ、Aさんだ。  
ぼくが飼うのは、大いに問題がある。             

仮に彼が本物のノラだったとしても、   
ぼくは、今は、病気のせいで、ペットを飼うことができない。 
そのうえ、この子は、遊んでいて興奮すると、  
人の手に爪を立てるという悪癖がある。    
これは致命的だ。ぼくにとって、感染症は、非常に危険だ。


ドブネズミ色のネコは、塀の上でじっと寝そべっている。
「屈託」という言葉に形と顔を与えると、この猫になる。
明らかに、彼はしあわせではない。         
住む家がない。空腹が、夜の寒さが、彼を苦しめる。
そして、何にも増して、彼を愛してくれる人がいない。


飼い主に見捨てられた、このドブネズミ色の猫。
彼は、甘やかされて育ち、そのまま大人になった。  
ある日、なにかの事情で状況が変わった結果、
冷たい世間に一人放り出された、そういう人間に似ている。
(後記: この猫は2013年の春に亡くなった。)
                                                                       Copyright ©2007RioYamada

  

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