2022年1月30日日曜日


いくとせも鏡のなかを歩みゐる我とけふまた目を合はせけり

           笹井宏之 (1982~2009)  

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2022年1月24日月曜日

イチゴについて

 イチゴは とくに 大きいのは 

まず 食べやすい大きさに 切り刻みまして 

それから いただきます

イチゴは 小さければ小さいほど 美味しい気がします

そういうことなので 大きいイチゴは ご覧のように

斧で めった切りにしてから 食べます笑

お店で 小さい小さいイチゴを見つけますと 

うれしくなってしまいます        R.Y.

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2022年1月18日火曜日

沈黙

 索居閑處 沈黙寂寥

          「千字文」より

人々の群れを遠く離れ 一人住む

何も言わず 寂しく 静かに暮らす

           (う〜む。わたしの場合、これ無理かも汗;R.Y.)

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2022年1月15日土曜日

特効薬

 こないだの ドイツの人の話だけど

さっき ハッと気がついて 

そして 思ったんだけどさ

こういう 八方塞がりというか 出口が見えないで

もう 心が ズタボロになりかけてる時

そういう時 自分にとっては やっぱり 

心の特効薬は J.S.B なんだよね

それも  G.G. が処方してくれたのじゃないと 効き目が弱いんだ 

そのことを さっき 改めて体験して 思った

音楽に救われる っていうことが ごく普通に

でも あの薬は 誰にでも効くってわけでもないと思う

たぶん そう       R.Y.

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2022年1月13日木曜日

時間

                                                    山田リオ

朝起きたら 

300年前に生きた あの ドイツの作曲家の音楽を聴く 

夕方 ワインを飲みながら 

60年前に亡くなった あの 南米の音楽家の曲を聴く

音楽が作り出された その時に だれかが聴いた その音楽と 

ながい永い時間がたった今 聴く その音楽は

同じなのか 違うのか

時を経て 人間が生み出したものは 変わるのか

いや そんなこと どうでもいい

今 ここに 生きていて この耳と この心で聴いている 

このわたし 一人に それが どう響くのか 

他人が呑んだ ワインの味なんか どうでもいい

わたしが呑んで そのときの わたしが

わたしの 鼻と 舌と 喉と 心とが感じること・・

いや もういいよ 黙って呑めよ 

おまえなあ しゃべりながらじゃ 味なんか わからないぞ

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2022年1月12日水曜日

音楽

 ひざが ずいぶん よくなって

けさは だいぶ あるけるように なった

いまは いっぽ いっぽ 落ち葉といっしょに

みじかい 乾いた音楽を 演奏している

                     やまだ

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2022年1月10日月曜日

 繭玉の霞むと見えて雪催い

(まゆだまのかすむとみえてゆきもよい)

             雪中庵龍雨

             増田龍雨 (1874~1934)

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2022年1月4日火曜日

目安


自分が正しいかどうかを 
どうしたら知ることができるか。
その目安は ごく簡単なものだ。
すなわち 他人たちが君を避けて寄りつかないなら
彼らよりも 君の方がずっと
本質的なものの近くにいることは 
まず 間違いない。
                  エミール・シオラン(1911-1995)  山田リオ訳

2021年12月31日金曜日

なにはともあれ

 赤ワイン

不要不急の 赤ワイン

「他人の顔色をうかがいすぎていないか」

それはともかく

元日は なにはともあれ 赤ワイン   by 山田

因みに「他人の顔色・・」云々は お年玉で頂いた

養老先生の新刊「ヒトの壁」のキャッチコピー

元日の朝 ガラス越しの日差しが あたたかい

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2021年12月30日木曜日

歳の終わりと始まりと

 

Feliz e maravilhoso ano novo para você!


波しろき海の極月来たりけり

これやこの冬三日月の鋭きひかり    鋭き(とき

          久保田万太郎(1889~1963)

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2021年12月28日火曜日

幸福

『欲しいものが手に入らないという状況は、

幸福であるために不可欠の要因である。』

                 バートランド・ラッセル (1872~1970

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2021年12月21日火曜日

感謝

 Um feliz Natal, repleto de amor, amizade e alegria!

いつも来てくれて ありがとう。

良い年をお迎えください。

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2021年11月28日日曜日

2021年11月27日土曜日

自転車

こよひはたれが逝く斑鳩の参道をまっすぐに来る無人の自転車

              永井陽子 (1951~2000)  斑鳩(いかるが)

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2021年11月25日木曜日

こうさてん

へんくつなうさぎが来るぞほよほよと昔の風の吹く交差点

              永井陽子 (1951~2000)





2021年11月18日木曜日

対価

 今はもう会えない 友人の一人が 言っていた事がある

それは 「大きな幸運に恵まれた人は

一生の間に その幸運に釣り合うだけのprice

つまり 対価 を支払うことになる」という 

つまり 幸運と 不運は 一生の中で帳尻が合う 

というのだ

そう考えてみると なるほど と思うこともある

幸運ばかりの一生 それを願っては いけないのか?

おい R    いたら返事してくれ



2021年11月6日土曜日

無常

 秋が熟れてゆく でも

わたしは このまま 

かわらない

いつも なにがあっても 

わたしも 蜘蛛も

鳥獣蟲魚も 草も木も みんなみんな

いっしょに このまま いつも いつまでも 

かわらない

               山田リオ

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2021年11月3日水曜日

書籍のことなど

吉田健一の「汽車旅の酒」という随筆集の中の「東北本線」という一章に 

列車で たまたま隣り合わせた 男との 会話が書かれていて

その男の 話の中で アフリカの ブッシュマンという民族は 

土地を 所有する習慣が なかったため

後からやってきた 西洋人に 野生の獣のように 扱われた という

ブッシュマンは 土地を所有することがなく 

自然を 荒らしたりすることもなく

自分たちが 自然の一部として 自然を手なずけ 

飼い慣らしながら 共に生きているのだという

そういう話を 見ず知らずの男から 聞かされる

その中で 吉田健一は ブッシュマンが住んでいるという 

カラハリ砂漠の 夕焼けのことを 書いていて

私は 見たこともない カラハリ砂漠の 夕焼けが 

強く 印象に残っている

この本は いつも 目につきやすい場所に 置いてあって

気が向けば ちょっとだけ読んで また そこに戻しておく

つまり 「汽車旅の酒」 の定位置は 本棚ではない 


気がつけば  電子書籍の書庫には ずいぶん 「本」が増えた

いくら書籍が増えても 電子書籍は 場所をとらない

海外で出版された本でも あっという間に送信されて 読むことができる

といっても それらの本には 実体がないから 「置き場所」もない

本の表紙に 指先で触れて 紙質を感じたり フォントを 味わったり

本を手に取り その 重みや 厚みを 感じることができない

たしかに 電子書籍に 書かれていることを 読むことはできる

しかし 本棚に並んだ お気に入りの本たちの 背表紙を

順繰りに 眼で愛撫していく そういう 楽しみは ない

読みかけのページに 栞を挟んでおくという よろこびもなく

心に残った部分や 自分が好きな 詩のページに 付箋を貼ることもない

だから 電子書庫をたまに開くとき かすかな虚しさを感じるのは

私だけだろうか         山田リオ





2021年11月2日火曜日

人形のアリア


    オッフェンバッハのオペラ「ホフマン物語」から。

     ナタリー・デセイ(フランス)、ソプラノ。



 

2021年10月23日土曜日

浮揚 その後

9月24日の日記に 浮揚する夢のことを書いてから 

きっちり一ヶ月後

今朝 早朝に 浮揚する夢を見た

子供の頃見て以来だから ずいぶん久しぶりだった

でも 今朝の夢は 

ぼくが 大きなバランスボールにしがみついていて

バランスボールは ぼくをぶら下げたまま 昇って行く

この夢 何かを伝えたいのか 何かの象徴なのか  

とにかく ぼくは バランスボールにつかまったまま

ふわふわ ふらふら 上に向かって 

どんどん 昇っていく

そういう夢だった                   ヤマダ

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2021年10月17日日曜日

 もとは 母の本棚にあった本です

この本は 僕といっしょに あちこち 外国にも行って

そして いまは ぼくの本棚にあります                  やまだ
































2021年10月14日木曜日

ごあいさつ

 私のルームメイトが

朝のごあいさつです                  

3枚の写真、みんな同じに見えるかもしれませんが、

口器(クモの口のこと)が違います。よく見てね。

実は 「おはよう」と言っているのです。

                 やまだ





←「お」と言っています。

口器が閉じているでしょ?







↑ これは、口器が全開です。 「は」と言ったところ。

これは、「よう」と言ったところです。

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では、どうぞ、良い日を。

2021年10月12日火曜日

むこうがわ

音のむこうがわ

絵の具のむこうがわ

文字のむこうがわ

時間のむこうがわ

海のむこうがわ

夕焼けのむこうがわ

橋のむこうがわ

一生のむこうがわに 

Copyright©2021RioYamada     山田リオ

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2021年9月30日木曜日

こんなにもしずかな指でひらくなら手紙の文字はさらさらの砂

                         岸原さや 



2021年9月20日月曜日

過去

 こしかたのゆめまぼろしの花野かな

              久保田万太郎(1889~1963)

2021年9月7日火曜日

猫の名前

猫の名前は、昔からカタカナで二文字、というのが多いようだ。猫に苗字を与える、ということはほとんど行われていない気がする。しかし、猫には、カタカナの下の名前より、きちんとした苗字をつけることが相応しいように 思われる。夏目漱石の「吾輩」の猫には、名前がなかったようだが、「苦沙弥」、とか、「水島」などという名前をつけても良さそうだ。内田百閒が愛した猫は「ノラ」という名前だったが、これも、やや納得が行かない。百鬼園先生の相棒、「平山」なんていうのもいいし、「甘木」という名字もいい。「甘木、ご飯だよ。」「甘木、仕事中だから邪魔するな。」とか。猫で有名な養老孟司先生が愛した、今は亡き「まる」。この「まる」に苗字を与えるとすれば、奥本大三郎の「奥本」、なんてどうかな。あるいは、南方熊楠の、「南方」は?

あ、これ、本気にしないでね。酔っ払いのたわ言ですからw。







2021年9月3日金曜日

 飯が炊ける香り

湯気の色

薪がはぜる音 

炎の色

いま ここにある 

いま 目の前を過ぎて行く

この 時間を 見ている

いま  

       山田リオ 09/04/2021

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2021年9月1日水曜日

しばしばもわれに虚のときありぬうしろにかならず猫が来てゐる

街はもうポインセチアのころとなり生老病死みな火と思ふ

                小島ゆかり (1956~)