2024年11月16日土曜日

Acorn

 エイコーン、つまり、どんぐり。

道を歩いていて、どんぐりが落ちていると、

拾いたい衝動に駆られる。その衝動に抵抗できない。

とうとう拾ってしまった。

家に帰って、どうする訳でもなく、見ている。

別の日、またどんぐりを見つける。拾ってしまう。

どうすることもできない。

わけがわからない。困ったもんだ。

2024年10月12日土曜日

死を延期する

 生きることで、苦しむことで、失敗することで、

リスクを取ることで、与えることで、失うことで、

私は、私の死を延期する。

              アナイース・ニン (1903~1977) 山田リオ訳

2024年9月5日木曜日

所有

 時には、何かを所有しないで、見ているだけの方がいいこともある。

所有してしまうと、持ち歩かなければならないカバンが

どんどん増えていくだけだからね。

              トーヴェ・ヤンソン(1914~2001, フィンランド)山田訳

2024年8月28日水曜日

役目


作家の役目は みんなが言える事を 言うことではない
作家の役目は みんなが言えない事を 言う事だ

              アナイース・ニン (1933~1977) 山田リオ訳

© rio yamada




2024年7月8日月曜日

独白

とにかく なんとかして 

なんとかして 今日一日 生きていよう

            山田リオ

© rio yamada



2024年6月28日金曜日

 雨の匂いが まだ残る 朝

生きていて よかったと そう思う 朝

                 山田リオ

© rio yamada


2024年6月25日火曜日

森の情景 2003

                    by 山田 リオ12/16/2003


これは、九つの短い詩です。
子供の頃からくり返し聞いてきたロベルト・シューマン晩年のピアノ曲集「森の情景」
から頂いた印象を詩にしました。
9つの詩の題名は、シューマンのそれぞれの曲の題名を、そのまま使っています。
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                Copyright©2003RioYamada
1.
「森の入り口」

透明な光が あふれている
ここが 森の入り口だ
やわらかな 腐葉土を踏んで
森の中へと 伸びる小道
その森は だれもが 心の奥のほうに持っていて
心屈し 幻滅し 意気阻喪した時に訪れる
幼いころの思い出が いっぱい詰まった
心の森

2.
「待ち伏せる猟師」

大きな木の下蔭にうづくまる
その腕には 黒く鈍く
光る 銃
木々や下草に紛れて 獣が来るのを待つ
その時が来たら ずっしりと重い銃身から
爆発と硝煙 弾丸が 獣の皮膚と肉を貫く
そのときまで 猟師は 森の影のなかで
枯葉と土の匂いを嗅ぎながら うづくまる

3.
「淋しい花」

霧で見えない 遠い あそこ
そこだけ 細い光が射していて
ちいさな 蒼白い花が 咲いている
その花は まえに 見たことがある
なつかしい思い 遠い 思い
その色も おぼえているのに
いつだったろう 
見つめても 取り戻せない 遠いもの
細い光のなかの さびしい花

4.
「呪われた谷」

石ころ混じりの坂道を下ると 太陽の光は失われ
木々に覆われた道は いよいよ暗く
薄明の中に沈む 場所がある
そこには かすかな 死の匂いさえ
しかし このなんという静けさ 安らかさ
このまま しずかに微笑んで
眠るように むこうがわに行ってしまおう
微笑みだけが溢れる 至福の静けさに
すべてを ゆだねてしまおう

5.
「やさしい風景」

森の大木の蔭 うすみどりの 下草
若い常緑樹の葉の上に 金色の陽光が 踊る
その若葉も 下草も やわらかくて
どこかで 小川が流れる音が 聞こえる
それは 細い 小さい流れで その水にも
あの 金色の陽光が 踊っている

6.
「森の宿」

もう すっかり暗くなった 森の
遠くのほうで 窓の灯りがゆれる
暖かい 灯りの色
足元に 気をつけながら
あの灯りのほうに向かって
ゆっくりと 歩いて行く
風にのって かすかに
人々の ざわめきが 聞こえる
薪の燃える匂い 煙の匂い
肉や 野菜が煮える 匂い
ああ 歌っている
なつかしい歌だ
みんなが 声をあわせて
あの なつかしい歌を
そうだ いまは あの宿が
わたしが 帰っていける
たった一つの 場所だ

7.
「予言の鳥」

鈍色の空 重たい雲 
梢の高いところで 鳥が鳴いている
それは 淋しい 遠い 声 
その声を 聴いていると なぜだろう
涙が 流れる
あの鳥は なにを言おうとしているんだろう
あの 静かな 鳥の唄
でも 聴かずにはいられない
あの 遠い 淋しい 鳥の唄

8.
「狩りの歌」

遠くから響いてくる あれは銃を撃つ音
あの猟師たちが とうとう鹿を見つけて
銃を撃っている
あの 臆病な 黒目の大きな雌鹿を狙って
銃を打つ音が 森の中に 響く

9.
「森との別れ」

わたしの 心の森よ 
あなたは わたしの ただ一人の友でした
いつも いつでも そこにいてくれて
失意のとき 生きる勇気を失ったとき
わたしが帰っていける ただ一つの場所
それが あなたでした
あなたと 別れるのは 辛いけれど
わたしは 今 この森を出て
外の世界へ 行かなければならないのです
もう一度 あなたに 別れの言葉を
はかりしれない 感謝の思いをこめて
もう 振り返らずに 行きます
わたしの 心の森よ  
 Copyright©2003RioYamada

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2024年6月13日木曜日

 すぐそこで生れたやうな雲がゆく静岡すぎて青田になれば

                  中川一政 (1893~1991)


「絵は芸術ではない。絵の中に呼吸し、うごめいているものが芸術なのだ。

問題は生きているか死んでいるかである」 中川一政



2024年6月3日月曜日

死刑

 ■2004/11/19 (金) 死刑

「死刑」
          山田リオ
 
死刑になるというそのとき
さいごに一本のタバコを吸わせてくれるということを聞いた
死刑になる人は
生きたいという願いはかなえられないが
いまから死ぬんだということを
前もって知ることができる
そしてそれはぜいたくなことなのかも知れない

死刑にならない普通の人は
自分がいつこの世を去って
あちらがわに行くのかということを
知らされずに
毎日を生きていく
今晩眠っている間に逝くのかもしれず
明日の朝に事故や災害で死ぬかもしれず
あと108年間長生きするかも知れないが
それを前もって知ることが許されないので
占い師やサイキックやいろんなものに
みんなはお金を払って
少しでも安心しようとする

わたしの最期のとき
わたしはタバコなんか欲しくない
そのかわり
どこかの山奥の谷川をさかのぼり源泉まで行って
冷たいきれいな湧き水を飲みたいかもしれない

薪と釜で炊いたばかりのあたたかいご飯を
梅干や海苔やちりめん山椒や焼いた塩鮭や明太と
食べたいかもしれない

何十年もの間毎日聴いてそれでも
まだ聴きたりないあの大切な音楽を
もういちど聴きたいかもしれない

林のなかの湿った空気を呼吸し木々の匂いを嗅ぎ
梢をわたる風の音を聞き
波打ち際の濡れた砂の感触を足の裏でたしかめ
海風と汐の匂いを体で吸い込みながら歩き

ああまだまだいくらでも浮かんでくるけれど
そのなかから
たった一つ選ばなければいけないとしたら
それはとてもできないことです
                                                    Copyright ©2004RioYamada 
© rio yamada




2024年5月30日木曜日

2024年5月22日水曜日

合掌

 連禱  思潮社刊  依田義丸 (1948~2024) 



依田先生、ありがとうございました。

         山田リオ




2024年5月12日日曜日

なつかしさ

                山田リオ


あの街では もうすぐ ジャカランダが咲く

あの頃 好きな珈琲を呑みに あの店に通った 

あの国の人たちは 濃くて甘い珈琲を呑む

そしてみんな 珈琲を呑み チェスをした


「後ろを振り返らず 前だけを見て進め」と 人は言う

何かを思い出す それは良くないことなのか

もう会えない 誰かのことを 思い出すこと

立ち止まって 過ぎ去った時を 振り返る 

それは ほんとうに 悪いことなのか


日本に帰ってから ジャカランダの苗を植えた

ジャカランダの紫の花は まだ咲かない

あの珈琲と 同じ味の珈琲を出す店は 

探して見たけれど まだ 見つからない


もう 二度と会えない あの友人の笑い声

紫の花の下を歩いた 曇りの五月

世界は なつかしさで 溢れている Copyright ©2024RioYamada

          

© rio yamada

2024年5月8日水曜日

最後のコーヒー

                                            カトゥーロ・カステイーヨ (男性、アルゼンチン1906~1975)  


記憶は つむじ風と共に 蘇る
あれは 秋の夕暮れのこと
私は 降る雨を見ている
雨を見ながら コーヒーのスプーンを動かして

あの 最後のコーヒーのあと
あなたの唇は 冷たいだろう
そう問いかける 
ため息交じりの声が 聞こえた

あなたの軽蔑が なぜか まだここに
あなたはもういないのに 声が聞こえる
二人の関係が終わった あの時あなたは
甘くて苦い味のする さよならを言った

そう コーヒーと同じ
愛よりも 忘れ去ることよりも
本当に最後の わけのわからない
炎のような 怒りとめまい

そうだ あのとき私は
不信感の隣に立って 死んでいた
あなたの自己愛を知った あの時
私は 私の寂しさの理由を 理解した

雨が降っていた そして 私はあなたに
最後の 一杯のコーヒーを 差し出した
訳:山田リオ
© rio yamada



 

2024年5月6日月曜日

幸福

全粒粉の麦が強く香る、堅いパン。

それを噛んで、噛んで、食う、そういうパンと、

熟成したチーズ、そして、お気に入りの赤ワイン。

以上の三つがある生活を、「幸福」と呼ぶ。

もしも、ふんわりとやわらかなパンが欲しくなったら、

そのときは、もう・・・          山田リオ

© rio yamada



2024年5月3日金曜日

自由

 ただ、自分自身の楽しみだけのために書き、創る。

                  山田リオ 

© rio yamada

              

2024年4月27日土曜日

タンゴ


          フリオ・ソーサ (ウルグアイ、 1926~1964 アルゼンチン、38歳)

ラ・クンパルスィータ(パレードという意味)はタンゴです。
歌詞は、女性にフラれた男の、嘆きの独白です。
但し、この動画のソーサの台詞は、別のもので、「タンゴ賛歌」という内容です。
そこで思い出すのは、これも有名な、ガルア(雨)というタンゴで、
この曲の歌詞も、去って行った女性を懐かしむ、
そういう内容になっています。どちらも、好きな曲です。
いえ、だから何だ、というわけではありませんが。
今宵のワインが非常に美味だったので、
つい、こんなことを書いてしまいました。どうか、お許しを。  ヤマダ

2024年4月24日水曜日

さまざまの事おもひ出す桜かな    松尾芭蕉 (1644~1694)



© rio yamada



2024年4月22日月曜日

He 2004

 ■2004/11/30 (火) 

                                         山田リオ


そのホームレスの男に会ったのは

ニューヨーク マンハッタンの

ずっと下の方の 東側 道も狭い

豪華でも 美しくもない 一角

そういう街のコーヒーショップで

わたしは コーヒーを飲んだり

雑用や 書き物なんかをしながら

午後の数時間をすごした


彼は コーヒーショップのすぐそば

歩道のすみっこに 彼の全財産である

襤褸包みといっしょに 住んでいた 

つまり そこが 彼の住所だった 

先週の ニューヨークタイムス

ヘミングウェイの 小説 

彼は いつも 何かを読んでいた

彼と私は いつも 何も言わなくても  

二人だけの暗号を 目と目で交わした

そう 彼と私は 同類だったんだ


彼が死んだ日

ニューヨーク市のトラックがやってきて

彼を襤褸包みといっしょに運んでいった

きれいになった 日暮れの舗装道路の上

貧しい人もそうでない人も そこに立ち

お互いに 話したこともない隣人たちが

みんな それぞれ ロウソクを灯して

昨日まで そこに住んでいた

あの ホームレスの男のための

ロウソクの炎が 夜風にゆれているのを

最後の一本が消えてしまうまで

見つめていた   Copyright ©2004RioYamada




2024年4月18日木曜日

はっけん

8/4/2019           山田リオ © rio yamada

ずっと 
じぶん のことを
にんげん だろうと 
おもっていたが
じつは じぶんは 
だんごむし 
だったと
きがついた
これ はっけん

はい
わたし だんごむしですが
なにか?
© rio yamada


2024年4月9日火曜日

戯曲

夢を見た 花に嵐 の 早朝のことだった
夢の中で 自分は 以前に書いた 戯曲 
つまり 舞台演劇の台本を 書いたらしく
それを どこに置いたのか 忘れているらしい
本棚にも コンピューターにも 見つからない
夢の中で ああ そうだった と 気がつく
あれは 頭の中に 入れて置いたんだ と
記憶していたことを 忘れていた ということらしい
やっと 安心して 眠った そういう夢だった
本当に目が覚めた時 あれは  どんな戯曲だったのか 
全く 記憶にない 
いずれにせよ それは 花に嵐 の朝だった
                  山田リオ
© rio yamada



2024年4月5日金曜日

花の朝

自分を苦しめ 悩ませているのは

ほかならぬ 自分自身

それに 気がついた 花の朝

              山田リオ

© rio yamada


2024年3月22日金曜日

光と水と空気

不思議なんだけどね
詩は 声に出して 何度も読んであげると
気がついた時には 育っているんだよ
詩は 植物に似ているんだ
植物は 光と水と空気をあげると 育つ
詩は 何度も声に出して ゆっくり読んであげれば
ちゃんと 育つのさ。     
           山田リオ 2024© rio yamada
© rio yamada


2024年3月21日木曜日

悲しいギター 2005

 ■2005/08/13 (土) SAD GUITAR


中国系アメリカ人の女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。

「悲しいギター」        
                     マリリン・チン 訳:山田リオ

盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ

お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?

見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある

おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す

わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する

あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。copyright2005© rio yamada

2024年3月6日水曜日

感謝

 山田リオの詩集、「ときのおわり 」が、

第74回 H氏賞の候補作品に選ばれました。

みなさま、どうもありがとうございました。 

これからも、どうか宜しくご指導下さい。   やまだ

© rio yamada


2024年2月23日金曜日

万太郎


冬籠つひに一人は一人かな

佇めば身にしむ水のひかりかな
 
雲の峰あたり人かげなかりけり

わが胸にすむ人ひとり冬の梅

何か言へばすぐに涙の日短かき

汝も我も凡夫の息の白さかな

こしかたのゆめまぼろしの花野かな

             久保田万太郎 (1889~1963)

© rio yamada


2024年2月9日金曜日

本棚

 詩人の瀬崎祐さんが、ブログ「瀬崎祐の本棚」に、

詩集「ときのおわり 」の感想を掲載してくださいました。

このページの右側、「お気に入り」欄にあります。

ありがとうございました。

© rio yamada





2024年1月29日月曜日

正解

「人間の愚かさは、あらゆることに正解を求める姿勢に起因する。

小説の知恵は、あらゆることに疑問を持つ姿勢に起因する。」

               ミラン・クンデラ (1929~2023)  訳:山田リオ

© rio yamada


2024年1月23日火曜日

遠ざかるスケートボード

 

■2010/07/02 (金) 

            山田リオ

その人はこっちを向いたままスケートボードに正座している
いつものあの表情を保ったままのその人を乗せて
スケートボードは徐々に加速しながら遠ざかる
こっちを向いたままのその人の表情は変わらない
正座したままだんだん遠く小さくなっていって
とうとう見えなくなったむこうの
遠い空には白い雲
永い人生の中のほんの一瞬すれ違い
ほんのわずかな言葉を交わしただけで
分かり合えたような気になっただけで
遠ざかり小さくなりもう見えなくなったあの人とは
ほんの少しだけ言葉を交わすことはあったのだが
お互いの目を見ることもなくわかれて行った無数の人たち
見上げる空には白い雲   
Copyright©2010RioYamada

© rio yamada