振り返れば
そこには ただ
足跡があるだけ
山田リオ
山田リオ
朝 猫は 窓のそばにいて 遠くを見ている
猫は 窓の外の 高いところを見上げている
朝の空気の中 樹の上の高いところの 小鳥の影を
猫は これ以上ないくらい真剣に 目で追いかけている
そして それは 猫にとって 幸福な時間だ
猫は 死ぬときが近づくと どこかに 行ってしまうという
きっと 猫は だれもいない 小鳥の声だけが聞こえる場所で
おだやかに ひとり 旅立って行きたいんだろう
私も おしまいの時がきたら 誰もいない 静かな林の中
人間の声なんか聞こえない 遠い やさしい林の中
朝の すきとおった空気を吸い 小鳥の声を聞きながら
小鳥が落とす影の下 落ち葉の上に 横たわっていたいと 思う
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哲学や心理学の本を、たまには読む。読めば面白いし、興味はあるけれど、何しろ頭があまりよくないので、読めば読むほど、ますますわからなくなるような気がする。
俳句や短歌を作る人の中には、句や歌をつくるだけではなくて、作品について、あれこれ言葉で説明する人がいて、それも困る。作品自体で完結しているのなら、説明はいらないんじゃないか。作品より説明の方が長いっていうのも、どうなんだろう。なら、作品はなくてもいいんじゃないかなあ。
自分にとって、毎日の生活の中で、なくてはならないのは、音楽なら器楽曲、つまり、言葉のない音楽だ。それもグループではなく、一人で演奏しているものが好きだ。
絵なら、あんまり上手くないものが好きだ。みんなが「うまいなあ」というような物の多くは、細かく丁寧に描き込んであって、まるで写真みたいな、そういう絵が多いんだけど、ああいう「うまい」のは興味がない。あれなら写真、特に昔の白黒の写真の方が好きだ。
絵は、大人に「上手な」絵の描き方を教えられたことがない幼児が描いた絵の方がずっといい。ああいう絵は、心から楽しめる。
器楽曲も、絵も、作品があれば、説明も解説もいらないと思う。黙って見て、聴いて、解説も説明も無しで、そのまま帰る。はい。おしまい。ああ、よかった。
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「ラスト♪ソング」という本を読んだ。
著者の佐藤由美子さんは音楽療法士で、たくさんの人の最後を見届けた。
認知症やガン、そういう病気で旅立つ人の最後の瞬間、もう意識が無いと思われる人に、
その人にとって特別な意味を持つ音楽を聴かせた時、しばしば、不思議なことが起こる。
それを目撃した佐藤さんの実体験を記録した本だ。
僕が逝く時は、何を聴きたいだろう。
歌なら、アレかな。楽器だけの演奏なら、ピアノ曲かな。
あの人が書いた、あの曲を、Xさんが弾いた、あの録音がいいな。
いずれにせよ、一生のおしまいの最期に聴くなら、
ゆっくりした、pp 静かなしずかな音楽がいいな pp。
うん。それがいい 。