山田リオ
「正解」?
正解なんて、あるはずがないだろ。
人の一生は、クイズじゃないんだ。
「どんな思いで?」だって?
この一年、秒で数えたら、三千百五十三万六千秒だぞ。
それを、一言で言え、っていうのか?
十年なら、何秒になる? あんた、言ってみろ。
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2007RioYamada |
ココから電話があった 昨日の夜カーメルに着いたという
この週末に来られないか という 僕は 多分行けるけど
妻の予定は知らない そう答えた
ココは電話の向こうで 少し しんとしてから
またかけるね そう言って 電話を切った
ジョージは仕事が忙しいから 滅多に一緒に来れない
だからココは カーメルでは一人暮らしが多くなって
ニューヨークに住む僕たちに 来て欲しいわけだ
でも北カリフォルニアは遠い 簡単には行けない
妻が帰ってきて その話をすると 少し考えてから
隣の部屋に行った 考えてみたら 僕は今 暇だし
今年はペブルビーチで 全米オープンゴルフがある
六月になれば混んでいるから 行くのはむずかしい
しばらくして妻が戻ってくる 休みが取れたと言う
明日早朝の便が取れれば 月曜までの小旅行になる
妻はココに電話している 静かな声で話しているが
彼女の心が弾んでいるのがつたわってくる
ニューヨークから サンフランシスコに飛んで
小型機に乗り換え モントレーまでの短い飛行
白っぽい砂漠を越えて 松の多い崖の向こう側
滑走路に着陸すると 遠くの方の建物のところ
ココが手を振っているのが見える
妻とココが一緒にいると 双子のように似ている
二人が一緒にいる時は 他の友達といる時と違い
なぜかいつも 静かな声で ひそひそ 話をする
夕方 海の方から いつものように 霧がやって来る
霧は まず 入り江を満たし 低い所から だんだん
ミルクのように 海を そして陸を 覆い隠して行く
夕食を終えると まず 暖炉の薪に火をつける
この季節でも 夜は かなり冷え込むから
ぼくは暖炉のそばに寝そべって 本を読み始める
すると 珍しく ココが ぼくのとなりに座った
「で、どうなの?」 ぼくの顔を覗き込むように
ココが尋ねる 「すべて順調。」とぼくが答える
ココはぼくを見ているようで 実は透明なぼくを
通り越して その向こうがわを見ている気がする
「もしも、何か・・・」と ココが言う
「もしも、何か?」と ぼくが尋ねる
「あなたとジョージに、」と ココが言い直す
「あなたとジョージにね、もしものことがあったとしても」
ココは 遠くを見つめながら言う
「心配ないからね。」ぼくはだまって聞いていた
「私と彼女と二人で、この家で暮らすんだから。」
ココは そう言ってから立ち上がった
ぼくは 彼女の背中に向かって言った
「それなら、ぼくも安心だよ。」ココは振り向かなかった
翌朝 霧が海の方に帰って行くのを見ながら
ぼくらは 三人で朝食を食べた
朝食が済み 庭に面したヴェランダの日陰で 寝転ぶ
小説の続きを読む 赤ワインにオレンジを絞ってサングリア
庭いっぱいの 色とりどりの花々
ココが 芝生を横切って 音も立てず 花壇のほうに行く
花壇のそばにしゃがんで 一心に花を見つめているようだ
しばらくして 妻もまた 音も立てず 花壇のほうに行く
そしてココの後ろに立つ ココの肩の辺りに影を落として
二人は そんなふうに 無言で 花を見つめている
ぼくは うつらうつらしながら 思っていた
この 涼しい影の中 この寝椅子の上から
そしてこの地上からいつの間にかぼくがいなくなったとしても
あの二人の女性の静かな生活は 何者にも邪魔されることなく
いつまでも 続いていくのだろうか
山田リオCopyright©2009RioYamada
五月の第一日曜日 ケンタッキーダービーの翌日は
毎年 マリーの家の 昼食会に行くことになっている
庭一杯の 数百本のツツジは 今年も変わらずに美しい
築山の奥 広い芝生で もう クロケーを始めた人たち
日差しが強い 帽子をかぶってきてよかった
そう思いながらみんなと挨拶 おっと 帽子を取らなきゃ
レスターが亡くなって 六年 マリーは もう大丈夫だ
樫の木陰に仮設のバー そこで 冷たい飲み物をたのむ
気持ちのよい風が吹く 五月の朝のカンパリ・ソーダ
開け放ったダイニングルームには様々なチーズが並んで
ハモン・セラノの生ハムとフランスパンのサンドイッチ
右手にはワイングラス 左手には サンドイッチのお皿
音楽は聞こえない マリーはこんな時 音楽をかけない
鳥が啼いている なんの鳥だろう 音楽よりも好きだな
ダイニングルームの壁 小さな油絵の額がかかっている
沈んだ赤の色 花の絵 なんだか胸が痛くなるような絵
いつの間にか マリーが 僕のすぐ後ろに立っている
僕の肩に手を置く 手の温もりが肩につたわってくる
「これは、レスターが好きだった絵なの。」
すこし ふるえるような 小さな声で言う
見ると マリーは ルドンの花の絵を見ている
まるで 幼い少女のような表情で
「ここで食事をしていると、レスターが悪戯するのよ。
あの絵が、ときどき、カタカタ、って鳴るの。」
あの ラヴェルのパヴァーヌの 王女ような
清らかな表情で マリーはつづける
「静かに。もうすぐ、あの絵が鳴るから・・そうしたら・・」
その美しい老婦人と私は 壁の小さな花の絵を見つめて 耳を澄ませた